第一種目(3)
後方からバトンを持った御園先輩が走ってくる。後続との距離はまだ少しあるが、俺たちが想定していたよりもずっと縮まっている。これからも妨害があることを考えると、作戦の大幅な変更を余儀なくされた。
そして、例の妨害はいま現在も例外ではない。千春が受けた走者にタックルをする妨害は、自身がその間はバトンを受け取れないことや周りを無闇に巻き込みヘイトを買う恐れがあるため独走状態の相手へのみ使える技だ。今の距離なら妨害が来ることは十分に考えられる。
「おおっと、またしても陸上部率いる体育会系連合が動いた! 今度は柔道部の主将だ、くらえばひとたまりもないぞ!」
俺の視界の端で巨体が動く。しかし俺はそれを無視して、バトンを受け取るテイクオーバーゾーンをゆっくりと走り始める。あれぐらいの妨害がなんの問題もないことは御園先輩の表情を見ればわかる。
「止まれっ文化系部活ごときがっ!」
「彼らはこの地を暴虐でみたし、さらに私を怒らせたからである。彼らは自分の鼻に枝を刺している。私は憤りに駆られて、憐れみの目を向けず、彼らを惜しまない。彼らが大声で叫んでも、私は耳を貸さない」
「何言ってっうわあああああ」
見るまでもなくブチギレた御園先輩に妨害を行おうとした生徒が蹂躙されている。大きなものが落ちる音がしたから、おそらく投げ飛ばされたのだろう。
「一ノ瀬さんっ、バトンです!」
「ありがとうございます!」
御園先輩からバトンを受け取ると同時にその隙を狙った他のチームが襲撃する。バトンを渡した後の選手はすぐに退場する必要があるため、御園先輩は手出しできない。俺は追手を避けてひたすら走り抜けた。
しばらく走るともう追手の気配はない。自分たちもバトンを受けなければいけないため深追いはできないのだ。
「これは意外! ASMR部一ノ瀬律、速い! 後続を突き放していく!」
「以前からうっすら思っていましたが、彼は身体能力が非常に高いですね。ただし、これはチーム戦、後続と距離を開ければ、待ち受けるのは他チームからの集中砲火です」
「ここで九重解説も言葉数が増えました。どうやら興が乗ってきたようです!」
最終コーナー、次のバトンを受けるのは環先輩だ。でもおそらく、いや絶対に妨害がある。どうする!?
「一ノ瀬くん! そのまま全力で走れ!」
「!? 了解です!」
環先輩の指示通りスピードを落とさずに全力で走る。するとまだ距離がある状態で先輩も走り始めた。
そうか、他のチームも自分のチームを気にする以上はなるだけスタート位置から離れたくない。だから、最も妨害を受けやすいのはスタートラインだ。そこでバトンを渡そうとすれば、格好の餌食になる。だから、全力でそこを駆け抜けてオーバーラインギリギリで渡すのが最上。
「どけっ」
体制を低くして他の選手を掻い潜る。あっちはあっちでどこのチームが妨害に出るかわかっていないから、全力でかけていく俺を見てお見合い状態になった。
「環先輩!」
「君は村上くんのところへ!」
「はいっ!」
バトンを受け取った環先輩が走り出す。運動は苦手と言っていたが、意外と遅くはない、いや普通に速い。おそらく自信がないのはスタミナのほうだろう。だが、今はそんな考察している場合ではない。
「千春っ!」
走って待機列の方へ駆け寄る。そこでは文乃さんが千春の手当てをしていた。周りには天宮や恵先輩が寄り添っている。
「律、ごめんね。私のせいで」
「そんなのどうにでもなる! それにこのぐらいの妨害を見越せていなかった俺のせいだ」
千春の体を見ると、ところどころ擦りむいているようだが大きな外傷はない。
「骨折や捻挫の症状はありません。頭は売っていないようですし、意識もしっかりしていますから、そちらも問題ないかと。相手も千春さん相手ですから流石に加減したようです」
「そうですか。ありがとうございます文乃さん」
「いえ、私はこれぐらいしか役に立てませんから」
文乃さんは救急箱を閉じる。なるほど、環先輩が運動の苦手な文乃さんをわざわざ連れてきたのは応急手当ができるからか。
「律さん! 後ろバトンが渡りますよ!」
「本当だ、次は……綾乃先輩か!」
本来は知音先輩の予定だが、環先輩、知音先輩の走順だと妨害の回避が難しいと判断したのだろう。
「でも綾乃ちゃんはいいとしても、環くんに妨害されたら元も子もないんじゃ」
恵先輩の言う通りだ。何か策があるのだろうか。警戒して注意深く見ていると、他のチームが妨害に動く気配がない。そして、そのまま環先輩がバトンの受け渡し体勢になる。
「律さん、他のチーム妨害してきませんね。一体どうして」
「あれは……綾乃先輩が縛ってるな……」
他のチームの人間は妨害に出ていないどころか、ぴくりとも動いていない。耳を澄ますとキリキリと物を縛るワイヤーの音がする。
あの人、俺に言われるまで妨害しないって言ってたのに。まあ、妨害の妨害はありか?
「律さん、でもあれだと綾乃先輩もバトンを受け取れないんじゃ」
天宮の言う通り、先輩の両手はワイヤーを掴んでいて塞がっている。どうするつもりだ。そう考えるや否や、環先輩がスタートラインに到着と同時に他のチームのメンバーが転倒した。
「これはひどいな」
「ですね。まあ、あの人も意外と感情的ですから」
俺と天宮は半ば呆れ顔でその様子を見た。
綾乃先輩はバトンを受け取ると同時に力の抜き方を調整しつつ、ワイヤーを引いて全員の体重と力を利用して転倒させたのだ。さらにバトンを受け取って走り出しつつ、そのワイヤーを高速で動かして何人かを軽く拘束してから行った。おかげでまだ何人か立ち上がれていない。全く容赦がない。
「ねえ、一ノ瀬くん。これって次は誰が走るのかしら」
そんな綾乃先輩の様子を見ていると理乃さんが四つん這いで静かに近づいてきていた。
「ああ、理乃さん。次は順番的に……理乃さんですね」
「……理乃さんじゃなくて、理乃ちゃんと呼んで欲しいと言ったはずよ」
「ああ、そういえばそんなのありましたね。ただ、もうすぐに綾乃先輩に来ますよ理乃ちゃん。準備しないと」
「ええ、そのことなんだけど。私は無理よ。あんな風に妨害されたら絶対に避けられないし、自慢じゃないけど私は鈍臭いの。妨害なしでも緊張で転ぶ自信があるわ」
額に汗を滲ませながら理乃ちゃんが迫ってくる。近い近い。
というか文乃さんはわかったが、この人は何しに来たんだろう。絶対に向いていないと思うのだが。
「律さん! 何をいちゃついているんですか! 次は理乃さんの番ですよ!」
「わかってる! ほらっ理乃ちゃん、行ってください! 綾乃先輩がなんとかしてくれますから!」
「いやよっ、無理! 怖い!」
くそ、これはどうしたらいいんだ。とりあえず、この人へのクールという印象が瓦解したのは置いておいて、早くしないと綾乃先輩が来る。
俺が走るか、いやでも体力的にまだきついし、綾乃先輩から受け取るのはできるだけ運動が苦手な人がいい。何かいい方法は
「私、行きます!」
「文乃さんっ!」
そこで文乃さんがスタートラインへ飛び出した。




