表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
ASMR制作編
111/253

和解

 朝になった。全員が眠らずにそれぞれできる範囲で千春のサポートを行った。一番疲弊していたのは恵先輩で作業のストレス発散を名目にそれはもう色々とさせられていた。

 千春がみんなのスマホにデータを共有する。

「かなり荒削りやけど、一応は形になっとると思う。聞き慣れとる律たちやったらともかく、初めて聞く律のお母さんやったら問題ないと思う。思うけど」

 そこで千春が心配そうな顔で俺と天宮の方を見る。

「大丈夫だ。今さらこれを聞かせたからってどうということはない。なるようになれって感じだ」

「そうやけど」

 まあ、これを聞かせた母さんがショックで倒れないかは心配だが、それならそれで今回の件を有耶無耶に出来るかもしれない。

「もうすぐ登校の時間になってしまいます。行きましょうか、律さん」

「ああ、そうだな。みんなも今回の件が片付いて間に合いそうだったら学校に来るから、その時はよろしく頼む」

「ああ、頼むぞ。明日は体育祭だから、今日来ないとゆっくり話もできないからな」

「えっ今なんて言いました綾乃先輩」

「だから明日は体育祭だと」

 日付を確認する。ああ、そうかもうそんな時期か。練習に参加してないから忘れていた。みんなもこの時期に色々と忙しいだろうに協力してくれたのか。改めてお礼をしないといけないな。

「そうですよ、律さん。私たちも出るんですから。夜の大運動会」

「えっ出るの?」

「もちろんです。だって面白そうじゃないですか」

 天宮が笑顔で言う。

 こいつ、いつの間に決めていたんだ。しかも面白そうなんて適当な理由で。この学校である非公式の大運動会なんて絶対にろくなものじゃないのに勝手に決めやがって。後で説教だな。

「まあとにかく今は律さんのお母様の説得が先です。早くしないと仕事に行ってしまいますよ」

 たしかに時間は一向を争う。俺たちは慌てて準備を始めた。

「じゃあ頑張って。みんなで待っとるけん」」

 千春と恵先輩が暖かく声をかけてくれる。

「一ノ瀬君がいないと私だけじゃツッコミ役が足りないからな」

「綾乃先輩……」

 綾乃先輩が自分をツッコミ側だと思っているという衝撃の事実が明らかになったが、この空気に水を差さないように口を閉じる。

 それから恵先輩や御園先輩も激励の言葉をくれた。そして、それらの言葉を胸に俺と天宮は部室を出た。


「色々と言いたいことはあるけど、まずは座りなさい」

 天宮とともに家に帰った俺を母さんが出迎えた。そして例の如く、俺たちと母さんはリビングの机越しに向き合っている。朝早いこともあってあたりは静かだ。カーテンからわずかに朝日がさしている。

「2日間、夜はどうしたの? 天宮さんもいるのにまさか野宿をしたわけじゃないでしょうね」

「1日目はホテルで、二日目は学校の部室に忍び込んで過ごした」

 ここは正直に答える。ここで嘘をついても仕方ないし、何より今日は嘘をつかないというのがコンセプトでもある。例のASMRを聞かせる以上、他の部分で取り繕うのが意味がないし俺たちの意向と矛盾するからだ。

 母さんの方はというと深くため息をついて頭を抱えている。

「おかしなことはしてないわよね」

 母さんが頭を抱えながら俺の方をきっと睨む。

「してない」

 続いて天宮の方をチラッと見る。

「そういうことはありませんでした。本当です」

 それを聞いた母さんはしばらく俺たちの目をじっと見てから深呼吸をした。

「わかった。それは信じる。話を戻しましょうか。今日はなんで急に戻ってきたの。部活動を許すといった覚えはないけど」

「今日はこれを聞いて欲しくてきたんだ」

 母さんにイヤホンを渡す。接続しているのはもちおん俺のスマホだ。

「……」

 母さんがじっとイヤホンを見つめる。そして見比べるように俺とイヤホンを交互に見てからそれを手に取った。

「じゃあ流すから」

 俺の手は汗で濡れている。スマホがうまく反応するか心配になるほどだ。それに手も震えている。

 流れでここまで来たが本当にいいのだろうか。こんな自殺行為に意味はあるのだろうか。誤魔化した方がうまくやれるかもしれない。そんな気持ちがよぎる。

 そんな俺の手に天宮が上からそっと手を重ねる。

「律さん、大丈夫です」

 俺と天宮は一緒にスイッチを押した。


 約30分。全部で1時間ある音声は折り返しだ。

 大きく取り乱したり怒鳴ると思っていた母さんは静かにそれを聞いていた。正直言ってかなり気まずい。いっそのこと怒られた方がマシな気さえする。当然だ、母親に自分たちの作った成人向けASMRを聞かせるなんて人類史上初の試みだろう。

「ごめんなさい、仕事の時間があるから今はここまでしか聞けない」

 そう言って母さんは机の上にイヤホンを置く。

「どう……だった?」

 自分でも意味のわからない質問だがこう聞くしかない。

「どうかと言われれば、最低よ」

 俺は黙って俯く。

「どうしてこれを私に聞かせようと思ったの」

「それは母さんの反対を押し切って入ろうとしている部活が何やっているのか教えられないっていうのは筋が通らないと思って」

「そう。それで私にその成果を見せようというわけね」

「ああ」

 リビングが沈黙に包まれる。そして、しばらくしてから母さんが口を開いた。

「この声はあなたね、天宮さん」

「はい、私です」

「そう……いい声ね」

「えっ? あっありがとうございます」

 急にどうしたのだろうか。てっきり罵倒されたり貶されたりするものと思っていた。当の天宮も困惑している。思ってみれば、なんだか今日の母さんの様子はどこか静かだ。

「まだぎこちないところも多いけど、天宮さんの声も演技もかなりのものね。これなら社会に出て何か活用できることもあるかもしれない。アナウンサーなんかいいかもしれないわね」

「ええっと母さん、何の話を」

 そこで母さんが俺の方を睨みつける。

「それであなたはこの作品作りで何をしたわけ?」

「それは台本作りとか」

「じゃあこの音声の編集は誰が?」

「それは部の子でできる子がいたからそれで」

 いったい、母さんは何の話をしているんだ。さっきから妙に静かだしいきなり爆発するなんてことはないだろうな。

「この作品、昨日に慌てて作ったわね」

「!? 何でそれを」

「編集が雑。時々ノイズも混じってた。これ、編集作業をその子一人にやらせたんでしょう」

「それは……そうだけど」

 確かに千春一人にさせてしまったから、千春自身も雑なところがあると言っていた。しかしどうして母さんがそれに気づくんだ。千春は素人にはわからないだろうって言ってたのに。

「ASMR、それから天宮さんが急に叫んだ声、つまりおほ声についても調べさせてもらったわ。何も知らない状態じゃ役に立たないっていい切れないから」

 そんなことをしていたのか。通りで平然と聞いているわけだ。

「結果から言わせてもらえば、この程度の出来なら部活はやっぱり許可できない」

「それは時間がなかったからです! 時間がもっとあれば編集も丁寧に」

「どうせまたその子一人にさせるつもりでしょう。もしその子が部活を辞めたらどうするの? 一人欠けたら活動もろくにできない部活に一体どんな価値があるの?」

「それは……」

 俺も天宮も黙り込む。

 すると母さんが立ち上がりリビングを出た。今日はこれまでかと思っていると、数十秒後に母さんが再びリビングに戻ってきた。

 そして、一冊の本を机の上に投げる。

「これは……編集ソフトの参考書?」

 母さんが持ってきたのは千春も使っている音声ソフトの参考書だ。しかしこれはどういう意味だろうか。

「律、あなたも編集作業に加わりなさい。そして技術の上達は月一回報告すること。私はそれ以外であなたの活動には関わらないし、援助をする気は全くない。だからその教材の代金はあなたの来月のお小遣いから引いている。話は終わりよ。私は仕事に行くから」

 今度は仕事のバッグを持って部屋を出ようとする。

「待ってくれ母さん。それってつまり」

「言わないとわからないの?」

 いや言われなくてもわかる。しかし

「でも何で」

「……そういうコンピュータ技術は将来使えると思ったから。それに塾は解約したけど、成績が落ちたりするようならすぐに入れるから。並行して取り組みなさい」

「律さん! これはつまりあれですよ!」

 天宮が隣ではしゃいでいる。しかし、俺は釈然としない。あの母さんがこんなにあっさり折れるなんて。

「母さん、本当にいいのか?」

 そう言うと部屋を出ようとしていた母さんが振り返る。

「……いきなり家出してこんな部活を始めるなんてどうかしていると思ったわ。どこで教育を間違えたのかって」

「それは……」

「でも考えたけどやっぱり私の教育は間違っていなかった。あなたは常にいい成績をとっているし、非行もない。律花のことも気にかけれている。なら間違っているのはこれまでの私の教育ではなく、今回の私の教育ということになる。だからこうした。もちろん、本当にASMR部があなたの役に立つのかも加味してね」

 母さんは淡々と述べる。そんな母さんを見て初めて気づいた。母さんが静かだったのは疲れているからだ。目にはクマがあるし、いつもはきちんと整えられた髪の毛も所々乱れている。今回の件、これまでの大怪我も含めてどれだけの心配をかけていたのか気づく。

「母さん、ごめん。今回はこんなやり方で」

「……別にいいわ」

 そう言って母さんは部屋を出た。そして扉が閉まる直前

「でも自殺するなんて二度と言わないで」

 そして扉がしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ