昼休みクライシス
律花の模試の自己採も上々だったようで、あとは正式な結果を待つだけだ。
模試が終わってからは、律花の提案で天宮も家庭教師に行く頻度は落とした。
律花が言うなら、俺はそれで構わない。まあ、あの感じだとそもそも家庭教師も必要はなさそうだが。
「律さん、今日も千春さんのところに行かれるんですよね」
「ああ、そうだ。もう少しで入ってくれそうなんだがな……」
「今日は私もいっていいですか?」
「ああ、まあいいんじゃないか」
天宮と千春を会わせることに漠然とした不安はあるが、遅かれ早かれって話でもあるしな。
「そういえば、新しいASMRは作ってないのか?」
俺が聞いたのは最初にもらったあの一本のみだ。
「はい、実は難航していまして」
「そうなのか?俺にできることがあったらなんでも言ってくれ。一応、同好会の部員なんだから」
律花の件では世話になった。それにあれ以来、生活にゆとりがある。両親の厳しさは相変わらずだが、律花の人生がかかった状態とは比べるまでもない。
「今、何でもって言いました?」
「なんでも言ってくれとは言ったが、やるとは言ってない」
天宮がわざとらしく舌打ちする。
「まあ、俺にできることならやるよ」
「なら律さんにお願いしたいことがあるんですが……」
天宮がスカートの裾をもじもじといじっている。どうしたんだ、妙なこと言わないだろうな。
「ASMRの台本を作って欲しいんです!」
「……それは倫理的にいいのか?」
俺が台本を作ると言うことは俺が書いたせセリフなんかをこいつが読み上げるということで。つまりそれは天宮に自分の好きなように卑猥なことを言わせ放題ということだ。
「それは何というか背徳的な気が……やっていいのか?」
「お願いします!私も作ってはいるのですがどれもピンとこなくて」
「まあ、俺にできる範囲ではあるし。時間はかかるかもしれないがやってみるよ。あんまり期待はするなよ」
「ありがとうございます!」
天宮が嬉しそうに言いながら、弁当を食べ終わる。
「それじゃあ、いつもの練習会始めましょう」
ここ最近は昼飯を食べ終えた後に、天宮の練習をみるのが恒例になっている。
「よし、それじゃあいきますね」
天宮が息を吸う。
がさっ
「ちょっと待て!天宮」
慌てて天宮の口元を抑える。
俺にはちょっとした特技がある。
厳しい両親のいる家で成人向けASMRを聞いているうちに鍛えられた俺は、家の中から玄関の外まぐらいの範囲で物音を正確に把握できる。
物ならば大体の大きさや材質、人ならば性別や体重、調子のいいときは服装や所持品まで知ることができる。
しかし天宮のASMRに耳を破壊されて以来、全く機能していなかった。
この前の帰り道に小学生に気づかなかったのも天宮が教室に初めてきた日に察知できなかったのもそのせいだ。
しかし、ここ数日でかなり回復してきていた。
「美術室に誰かいる」
目の前の無人だと思っていた美術室。確かに人の音がする。
「えっ?気配なんて全くしませんでしたが……」
耳を澄ませる。
「性別は女……一人だな。ん?」
妙だ。こいつ、息を殺している。相手もこっちにバレないようにしている?
「天宮、下がってろ。俺がドアを開ける」
そっとドアに近づく。
そして、思い切りドアを開けー
「開かない!」
鍵がかかっている感じじゃない。向こうからも引っ張られている。力、強いな!
「ダメだ!開けるな!」
向こうから声がした。少し大人っぽい女性の声、上級生か?
そこから俺と相手のドアの引っ張り合いが始まった。
こっちも何を聞かれているか確認する必要がある。これでも天宮は学校では清楚な優等生で通ってるんだ。
数分の攻防の後、天宮の加勢によって俺達はドアを開けることに成功した。
そして、引っ張られた勢いで長い髪を一つ結びにした紫色のラバースーツを着た巨乳の変態が飛び出してきた。
「律さん……対○忍って実在したんですね」
俺も思ったけど言うな。というか、なぜお前が対○忍を知っている。
「く、くそ。なぜ隠遁の術を使っていたのにバレたんだ」
俺に対して疑問を投げかける。なんか魔を相手に戦う忍みたいなこと言ってるな。
「とりあえずここはまずい。仕方ないから部屋に入れ」
変態女が俺らに指示するように呼びかける。
いや、見つかってまずいのはお前だけだろと思いつつも、流されるまま部屋に入った。
「律さん、この変態どうしますか?」
天宮が対○忍先輩の胸にクローをかましている。目が怖い。大きな胸に何か恨みがあるんだろうな。あえては言わないが。
「痛い!痛い!なぜ、君は初対面の人間の胸をもごうとしているんだ!?君も見てないで助けてくれ!」
へえ、胸ってあんなふうに変形するんだ。
「律さん、何見てるんですか?」
天宮の真っ黒な目と視線が合う。
宇宙の暗闇と同質の暗さを持った天宮の瞳から目をさっとそらす。ずっと見ていると、SAN値が上がりそうだ。
「ところで、対○忍先輩はここでこそこそと何してたんですか」
「誰が対○忍だ!?」
対○忍知っててその格好は確信犯だろ。
「いいか、私は2年の服部綾乃。代々続く忍の家系の正統な後継者だ!」
へえ、対○忍って実在したんだ。
「言っておくが対○忍じゃないからな! この格好は忍の動きに最適なように計算された特殊なスーツなんだ!」
変態先輩の訴えを軽くいなしつつ、俺は美術室をぐるっと見回す。すると奥の机に何かあるのが見え、近づこうとすると目の前におっぱいが現れた。
「どうしたんだ?こっちには何もないぞ」
「いや、机の上に原稿みたいなのが……」
綾乃先輩が道を塞ぐ。何か隠してるな。
「綾乃先輩は美術部員なんですか?」
「えっと、まあそんなところだな。うん。君には関係ないだろう」
「嘘ですよね」
もちろん、この人が美術部員かどうかなんて知らない。
先ほど綾乃先輩から引き剥がされた天宮が裏に回っているのが見えたから、こちらに先輩の注意を引く必要があったのだ。
「何を根拠に言ってるんだ! 失礼じゃないのか君は!」
意外と動揺してるな。ひょっとするとー
カチャ
綾乃先輩の手元から音がする。忍、金属音―
「危ない!」
「お見通しだ!」
綾乃先輩がどこからかクナイを取り出し、天宮の方に振り返る。
クナイを取り出すが早いか否かのタイミングで俺は先輩に飛びかかった。
先輩と絡まり、派手に転倒する。その勢いで机がひっくり返る。
漫画用の原稿用紙が宙に舞った。
「いつまでそうしてるんですか?」
先輩の胸に抱きつく形になって倒れている俺を天宮が蹴り飛ばす。ひどい。
「先輩、これ説明してくれますか?」
天宮が手に原稿を持っている。
そこには俺と天宮にそっくりな二人の男女が絡み合う姿が描かれていた。