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私のおほ声を聞け!  作者: 冷泉秋花
ASMR制作編
107/253

教師問答

「少しお話ししましょうか」

芽吹礼夏が切り出す。一ノ瀬花凛は勧められたお茶を一口だけ飲み、まっすぐに向き直る。

「まずは先ほどのお話の続きを」

「さっきの……ああ、律の悩んでいることですね。別に大したことではないと言いますか、子供じみたことなんですけどね」

そうして一ノ瀬花凛は塾に入るこのと必要性や一ノ瀬律や天宮清乃との言い争い、部活の強制加入制度への不満を話した。

「なるほど。私も部活への強制加入には反対です。不本意なことに青春の貴重な時間を費やすべきではない。そういうのはどんな形であれ、必ず後悔する」

「ええ、まったくそうです。芽吹先生も同じような考えをお持ちで安心しました。どうにか律だけでも見逃す、あるいは免除していただくことはできませんか」

「絶対にできないとは言いませんが、難しいでしょう。それに私はそんなことをするつもりは今のところありませんよ」

「……それはどうしてでしょう。不本意なことに時間を費やすべきではないとおっしゃいましたよね」

場に緊張が走る。一ノ瀬花凛に対して芽吹礼夏の年齢は二回り近く低い。これまでの保護者と教師の関係に先輩教師と後輩教師という立場が加わる。しかし、芽吹礼夏は全く動じない。


「私は少しだけ社会学なんかをかじっているんですが」

芽吹礼夏が髪を耳にかけながら話す。

「ええ、存じています。社会学分野で非常に優秀な方が教師になられたと話題になっていましたから。たしか、今も教師の傍、論文を発表されているとか」

「まぁ、そんな大したものじゃないんですけどね」

そう言いながらお茶をすする。

「まぁこんな分野にいると一番怖いのはノンポリと呼ばれるような、無関心の人々だと思うんです」

これまでどこか力の抜けたのらりくらりとした様子の彼女の声に珍しく力がこもる。

話を聞くかどうか悩んでいた一ノ瀬花凛は少し考えた後に観念して話を聞き始めた。

「……それはどうしてでしょう。私なんかからすれば最近テレビなんかで出される過激な活動家や悪質な政治家なんかの方がずっと恐ろしいように感じますが」

「彼らも所詮は人です。社会がまともである間はなんの力も持ちません。歴史的に見ても過激な思想家や扇動家の類は常にいますが、それらが社会に影響を与えた事例は多くありません」

「しかし歴史というであれば、そういう人のせいで戦争が起きたり、虐殺が行われたりしたような気がしますが」

「ええ、そこなんです。そういう過激とも言える活動家や政治家が急に力を持つことが多々あります。それはどういうタイミングかわかりますか?」

「それは……彼らが兵器を持ったり、軍をもったりしたときでは」

芽吹礼夏はじっと一ノ瀬花凛の目を見る。

「違います。それは彼らが政治的な力を持った後に付随するものに過ぎません。いいですか、彼らが力を持つのは社会が停滞、あるいは不況に晒されて民衆が困窮した時です」

淡々と続ける。

「こういう時に煽動家たちは民衆に都合の良い政策、特に排他的な現在の不況を一定の身分の人々のせいにして敵を祭り上げる政策を提示します。第二次世界大戦時の悲劇には不況時にユダヤの人々と職を争った民衆が彼らを排斥するのが都合の良かったという背景があります。社会に不満が出始めると政治的ポリシーや教養のない人間はそういう政策に両手をふって賛同します。ああ、ここでいう教養とは近代で用いられていた正式な意味での教養、つまり政治的な自身の意見を言えるか否かということです」

「あの、これが律のことと何の関係が」

「つまりですね、私は子供たちに自分で考えられる大人になって欲しいんです。勉強とはそのためにあります。高校ではくだらない暗記ばかりさせますが、本当の勉強とは世の中を正しく把握する力を養うことです。大学はそれを学ぶことが出来る優れた場ですが、なんだか最近では職業訓練所のような役割になっていて残念ですが」

ここでようやく息をつき、ゆっくりとお茶を飲んだ。

「おっしゃることはわかりますが、綺麗事です。結局はいい企業に就職していい暮らしをするのが一番大事です。どんな立派な人間でもそれができなければ意味はありません」

きっぱりと強く言う。それを聞いた芽吹礼夏はどこか悲しむような憐れむような目を一ノ瀬花凛に向けた。

「さっきも言いましたが、混乱時、不況時の社会の人間はいとも簡単に人を傷つけます。少し前には、生活保護にお金を使うより犬猫にお金をあげるべきだとか言っているタレントがいましたね。あそこまで過激でないにしろ、教育やその機会が平等でないにも関わらず自己責任論の広がる世の中です。資本主義の名の下にこれからも多くの弱者が見殺しにされるでしょう。私は本当に心の優しい一ノ瀬や天宮、その他多くの子供たちには絶対にその加害者になって欲しくない。そうならないように教鞭をとっている私は無意味ですか?」

懇願するような何かに縋るような彼女の目を見て一ノ瀬花凛が黙り込む。しかし、それからゆっくりと口を開いた。

「無意味とは言いません。しかし今回は話が別です。律にはただ塾に行ってもっと成績を上げてほしい。それだけです」

「……けれど、一ノ瀬にとってあの部活にいることは他者と生きることを学ぶ上で極めて重要だと思います。それに2年に上がれば文理選択がありますから、それからでも遅くはないと私は思いますよ」

「先生のお話はわかりました。今日はこの辺で失礼いたします。もし何か分かりましたらご連絡ください」

そう言って一ノ瀬花凛が退席する。その間際、

「そう言えば、警察に連絡したら一ノ瀬はどうするって言っていました?」

「それは……なんでもやると」

「そうですか。もしも自殺という言葉を使っていたならば、よく考えてください。その場しのぎだったとしても、彼の頭の片隅にそれがあったということですから」

「……わかりました」

そう言って今度こそ彼女は退出した。

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