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魔天のギャラリー  作者: 星野哲彦
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第一章 1

 

 不規則に鳴り響く甲高い音でアポロは目覚めた。

 

 遠い過去を夢で思い出していたような感覚がある。そのせいか、今自分がいつのどこにいるのか、基本的な情報が朧気だ。

 

 癖の強い麦色の髪をかき分けて視界を確保する。

 

 石に囲まれた狭い部屋。アポロが眠っていたのは粗雑な作りの長椅子の上だった。

 鳴り続ける不快な音を辿って小さな窓を開く。眼下に広がるのは静まりかえった石の街並み。ヘルメトスの商店街だ。この町に暮らす民の眠りは早い。

 

 視界を右へ左へと動かすと、音の正体はすぐに判明した。留め具の外れた雨樋が風に煽られて何度も壁に激突していたのだ。それだけこの島の現在の気候は乱れている。だからこそ、自分はこの場所に来たということをアポロは思い出した。波紋が広がるように自分に関する記憶もはっきりする。飛空挺での出来事から六年。アポロは今年、齢十九歳となった。


「ブイレン? ブイレン、どこにいる?」

 

 呼びかけた声が石壁に反射する。応答なしと思いきや、ややあってから長椅子の影より黒い鳥が顔を出す。否、それは本物の鳥ではなく、粘土と魔法で作られた人形(ゴーレム)だった。アポロとはかれこれ五年の付き合いだ。

 

 ブイレンは身体を震わせて埃を落とした後、翼を広げて主の肩に乗る。


「見張ってろって言ったよな」

「退屈だっタ」

 

 アポロはため息を吐く。

 

 ゴーレムとは魔術師の作る人形だ。作成の際には魔法が用いられ、主の仕事を十分支援できるように簡単な知性が与えられる。ゴーレムがどの程度の思考能力を有するかは、魔術師の腕や性格によって決まる。

 

 ブイレンは時々アポロに反抗する、優秀なのかそうでないのか非常に分かりづらいゴーレムだった。作成者は不明。アポロは偶然彼を拾っただけに過ぎない。だが、おそらくブイレンを作った魔術師は相当な変わり者だったはずだ。


「魔力ヨコセ。魔力ヨコセ」

 

 ブイレンはとにかく燃費が悪い。

 通常のゴーレムなら一日に一回魔力を補給してやれば済むところを三度も要求してくる。

 空を飛ぶゴーレムというのは割と珍しいので、おそらく補給した魔力は身体機能に使っているのだろう。しかし、それで簡単な見張りの命令さえ拒否されてしまうのでは何の意味もない。


 ゴーレムの体内機構及び使用魔力は、身体機能に二割、思考能力に八割という比率で設定するのがベストと言われているが、ブイレンの場合は逆になっている可能性さえあるとアポロは疑っていた。


「はいはい、分かったよ」

 

 アポロはぼやきながら掌で魔素を魔力に変換し、それをブイレンの口に流し込むイメージをした。魔素や魔力の流れは目に見えないが、変換の際に暖かい空気が生じるのでそれが目安となる。

 

 ブイレンは魔力をひとしきり蓄えると、くちばしを翼で拭った。制作者が何を持ってこんなゴーレムを作成したのかまるで意図が分からない。これでは穀潰しそのものである。

 

 制作者が分からない以上、ブイレンの機能についてはいくら考察しようとも答えは出ない。アポロは自分の人形の不出来を諦め、本来の目的を果たすために再び窓辺に向かう。窓を開いたところで、ブイレンが肩から降りて窓枠に降り立った。黒い瞳とくちばしが魔霧に覆われた空に向く。


「風が強イ。魔素の流れ、乱れてル。きっともうすぐでちょっと晴れるナ」

 

 魔力を蓄えてご機嫌なのか、急に有用な情報をしゃべり出す。アポロは下に広がる街に視線を向けて、誰も見ていないことを確認した。

 

 アポロが現在いるこの建物は周囲の家々に比べて高さが数倍あって見晴らしが良い。今は誰も使っておらず。近々取り壊されるという噂もあった。つまり、夜に誰かが突然訪れるようなことはない。秘密の作業をするにはもってこいの場所だ。

 

 それでも念のため、アポロは長椅子に引っかけておいた白い外套を羽織る。色的には目立つのだが、この外套はニコルという魔術師が作った逸品で、着込んでいると目撃されても正体がばれなくなるという。以前、ヘルメトスの地下スラム街で開かれている闇市で見つけた物だ。ニコルは王都にいた魔術師なので、この外套も非常に手に入り辛く、購入できたのは僥倖だった。

 

 昔から使っている麻の鞄から、分厚い冊子と鉛筆を取り出す。冊子はスケッチ用の用紙が綴じられた物だ。

 

 深呼吸して気持ちを落ち着かせ、来るべき時に備えようとしたが、風が窓を通り抜ける音、雨樋が壁を叩く音のせいで上手くいかない。今日は工夫を考えず、とにかく見た物をそのまま持ち帰るつもりで描こうと決めた。

 

 空を覆う鈍色の魔霧が渦巻く。その濃度の変化には見覚えがある。

 六年前、ホエルの操舵するボートの上で星空を見た時も似たような予兆があった。


 月日が経ち、記憶は徐々に穴が開きはじめた。それを補完するためにアポロはこの建物を登った。今までに数回似たようなことを試したが、今夜の雰囲気が一番当時に近い。


 前と違う景色を見て記憶の補完ができるかどうか不安だったが、この分なら上手くいくだろう。吸い込まれるような空が、失われた記憶を呼び戻すはずだ。


 今日ある程度の成果を得られなければ次はないかもしれない。


 この島に高い建物は少ない。ここより高いところは六年の間にほとんど取り壊された。残っているのは王宮が抱える塔だけだ。

 

 視線を一瞬街の端に向ける。まるで空は王家の物であると言わんばかりに、剣を逆さまにしたような形の塔が今夜も不気味に聳え立っていた。剣の柄の部分は魔霧のさらに上まで伸びている。


「目を逸らすナ。星が来ル。夜が顔を出ス」

 

 ブイレンがアポロの身体を外套の上から軽くつついた。その痛みのおかげで僅かに残っていた眠気も消え去る。

 

 視線は塔から空へ。

 魔霧の壁が解ける。その隙間に星を見た。

 微かな違和感、記憶との齟齬。

 それは魔霧の量が多いせいか。

 あの時ほどの衝撃は得られていないが、それでもアポロは紙に鉛筆を当てた。

 

 あえて芯が飛び出すように刃物で削った鉛筆で、星と夜を紙に描く。芯の先と腹を使い分ける技法もこの六年で習得した。あの時の王女に今の自分のスケッチを見せたらどうなるだろう。少なくとも鼻で笑われるようなことはないと信じたい。自分は確かに前に進んでいるはずだ。


 鉛筆を動かしはじめて数十分。魔霧の動きがさらに激しくなる。今夜の空は荒れるという予報は当たっていた。この分ならもっと晴れた空を見ることができるかもしれない。

 

 期待に胸が高鳴る。目が乾き、汗は石床に落ち続ける。瞬きをすることも、汗を拭くことも煩わしいと思ってしまうほど、アポロは没頭していた。

 

 そんな時、作業を中断せざるを得なくなる程の強烈な光を浴びる。手庇で眼球を守りつつ、細めた視界で光の発生源を探す。だが、己の目よりも、頼りない相棒の目の方が原因の特定が早かった。伊達に鳥の姿はしていない。


「見つかっタ。逃げロ。魔道具で照らされていル」

 

 目が慣れてきて、巨大なガラスが取り付けられた箱が街道に置かれているのが見えた。そのそばに数人の人影がある。魔道具とそれを管理する技師だろう。

 

 魔法を組み込まれた機械である魔道具は魔法を扱えない者にも奇跡の行使を可能にさせる。まだまだ普及しはじめたばかりだが、いずれ世界を塗り替えるとも言われていた。そんな物でいつまでも照らされていると外套の効果を打ち消されてしまう可能性がある。


 アポロは瞬時に作業を切り上げ、鞄に道具を放り込む。街を見下ろすと、軍装を着込んだ屈強な男達がこの建物に向かって走っているのを確認できた。彼らは王宮で雇われた衛士だ。今夜は巡回の人数が少ないと思っていたが、どうやらそれは見せかけだけで、彼らはいつでも動けるように待機していたらしい。


「罠だったってことか。ブイレン、頼む!」

 

 怠けていられる状況ではないことを理解しているのか、ブイレンはアポロの命令に即座に応じて建物の下に急降下する。数秒後、翼を広げて戻ってきたブイレンのくちばしには黒い塗装の施されたロープの先端があった。

 

 ロープを受け取ったアポロは急いでそれを建物内の柱に結びつける。続いて、鞄から曲がった鉄材を取り出し、その凹んだ部分をロープに引っかけた。即席の滑車装置である。

 息を吸い込み、外套のフードを目深に被る。ロープの先端は遙か遠くの建物にまで続いている。最後まで無事に滑り降りることができれば、衛士から逃げ切れるだろう。


「気を付けロ。空蛇が来タ。空蛇が来タ」

「はぁ!? この建物、そこまで高くはないだろう? レシピを組み変えたのか!?」

 

 荒れた空の中、赤く細い形の巨大な波が、空を泳ぎながらアポロを睨む。口元の金色の牙が剥き出しになり、その隙間に炎が見えた。

 

 空蛇。数年前より王宮の塔周辺に住み着いた魔獣。ヘルメトスの空を守護する王家の最大戦力だ。

 

 口元の火が束ねられ、巨大な火球となって打ち出される。直撃するのはもってのほかだが、掠めただけでも外套が破られかねない。アポロは意を決して窓枠を蹴り、夜に飛び込んだ。ブイレンも後から続く。その際、ブイレンには簡単な偽装魔法をかけた。元々黒い塗装で夜だと見つかり辛いが念のためである。

 

 景色が震えながら加速する。ヘルメトスの商店街が近づいてくる。後方で何かが爆ぜる音がした。ロープを接続した柱が壊れればそれだけでアポロは落下するが、後方を確認すると火球が破壊したのは窓枠だけだった。空蛇の攻撃は基本的に生き物以外には効果が薄いという噂を聞いたことがあったが、それは事実だったらしい。

 

 ロープは鉄線を編み込んだ特注品。鉄材もそう簡単には壊れない。懸念はアポロの腕の筋力が持つかどうかだけ。この六年、多少の荒事にも耐えられるように身体を鍛える努力もしたが、それほど効果が出ていなかった。同時に背や体重もあまり成長せず、年齢の割に小柄になってしまった。しかし、今はその軽さが役に立っている。もう少し体重があったら、ロープの支柱や結び目が耐えきれなかったかもしれない。

 

 鉄材と鉄線が擦れて火花が散る。鉄材を掴む手が熱くなったが、今ここでこれを離せば怪我は免れない。ヘルメトスの街の建物はほとんど屋根が尖っているので、途中で着地するのは難しい。アポロは必死で指先に力を込めた。

 

 長く滑ったおかげで高度がかなり下がってくる。衛士達の怒声も遠ざかった。上を見ると星空は再び魔霧で閉ざされていて、空蛇も塔に撤退しはじめていた。

 

 目を細める。塔の上部、剣で例えると鍔の部分に人影を見た気がした。


「馬鹿。前見ロ。前見ロ」

 

 後方から追いかけるブイレンの警告に慌てて正面を見ると、目前までロープの終点が迫っていた。そこは月に一度、周辺の住民達が集まる講堂の壁だ。


「やべ……!」

 

 もっと早く跳躍して安全な場所に着地する予定だったが、もう間に合わない。アポロは身体を捻って壁に背を向けた。腕を捻ったことで鉄材の角度が変わりブレーキの役割を果たす。散る火花が増えて、手が痛んだ。

 

 鈍い衝撃が身体を襲う。手は鉄材から離れてアポロは落下した。

 下は簡素な作りの藁置き場だった。木の屋根が壊れ、藁に身体が吸い込まれる。破壊音で目覚めたらしいどこかの住人が「うるせぇ」と怒鳴った。

 謝りたいところだが、ニコルの外套は音には効果がないので声を出すのは危険だった。アポロは衛士に追いつかれないために急いで体勢を整えて、石畳が敷き詰められた街道を走った。

  

 


衛士を撒き、自宅に辿り着いたアポロはなるべく音を立てないようにゆっくりと玄関の戸を開いた。幸いアポロの家は半分地下に埋まるような作りで、入り口に入るところは目撃されにくい。音にだけ気を付ければ良い。空気を読んでくれているのか、ブイレンも静かだ。

 

 暗い室内。出迎える者は誰もいない。六年前から変わらずアポロは一人暮らしをしていた。だが、寂しいとは思わない。壁にかかった祖父の風景画とアトリエの道具達が絶えず心地良い絵の具の香りを漂わせている。アポロからすると、ここは人がいなくとも賑やかな空間だった。逆に人が多くても寂しいと感じてしまう場所を知っているが故に、余計にそう感じるのだろう。

 

 料理好きの祖父が作った広めのキッチンに入り、緑色の冷蔵庫から牛乳瓶を取り出す。中身を半分ほど飲み干してから、背中をダイニングチェアに預けた。全身の筋肉と精神が疲れを感じている。

 

 ブイレンが机の上に乗り、空いているアルミ製の皿を翼で叩く。アポロは仕方なく残った牛乳を皿に注いだ。

 

 魔力以外のエネルギーを必要としないはずのゴーレムだが、ブレインは常にアポロの飲食物を横取りする。以前、食べた物はどうなるのかと聞いたら、「何てことを聞くんダ」と怒鳴られた後、頭を散々つつかれた。


「明日早イ。早く寝ロ」

 

 牛乳をたっぷり飲み込んだ黒い鳥は、礼の代わりに小言を吐く。文句を言い返したいところだが、早く眠らなければならないのは事実だったので、アポロは傷だらけで使い物にならなくなった外套を脱ぎ、後片付けと歯磨きを早々に済ませてベッドに向かった。

 

 毛布に飛び込もうとしたところで、その上の本が目に留まる。出発前に置きっぱなしにした物だった。そこには王家の宮廷画家が守るべき規則や、参加すべき行事について事細かに記されている。アポロが宮廷画家になった時、真っ先にこれが支給された。

 開かれたページは文字で埋まっている。その中でも目立つように赤い太字で記された部分がある。


『ヘルメトスの民は、たとえ宮廷画家であろうとも、王家の許可無く星を描いてはならない』

 

 それは六年前には存在しなかった、王として即位したククルが新たに定めた法だった。

 アポロは歯を食いしばり、本を床に投げ捨てる。ブイレンもアポロの気持ちを真似るように本の端を乱暴にくちばしでつついた。


「ブイレン。時間になったら起こしてくれ。明日は遅刻できない」

 

 アポロは邪魔な物がなくなったベッドに飛び込むと不貞腐れるように浅い眠りに落ちていった。


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