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魔天のギャラリー  作者: 星野哲彦
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エピローグ 1


 どこからか人々の楽しそうな声と、軽快な太鼓の音が聞こえてくる。微妙に太鼓と合わないリズムで頭を小刻みに揺らされていた。


「起きロ。起きなければならないはずダ」

 

 アポロは寝ぼけた目を擦りながら身を起こす。胸の辺りに黒い鳥のゴーレムがダンスを踊っていた。


「ブイレン、その起こし方はやめろって言ったはずだよな」

「起きない方が悪イ」

 

 生意気な相棒にため息を吐いてから、アポロはブイレンを抱きかかえてベッドから降りる。壁時計を確かめると、起きなければならないと言われるほど切羽詰まってはいなかった。


「まぁ、時間に余裕があるのはいいことだよな」

 

 ぼやきながら使い慣れた自宅のキッチンに向かう。

 

 シャーリに教わったやり方で朝食を作りながら、ぼんやりとここ最近の出来事を振り返る。

 

 ターレックを倒し、国を取り戻してから二週間が経過していた。

 

 ターレック本人の魂がこの世から消失した時、それと同時に彼が魔天に刻んだ魔法も失われたのか、ヘルメトスの民全員が正気を取り戻した。

 操られている間の記憶は皆曖昧で、気がついたら夜の町を徘徊していたという状態だ。

 誰かが国民に向けて事情を説明する必要があった。

 適任者はククルしかいない。

 

 ククルは夜が明けてすぐに民を広場に集め、自らも民と向き合うために広場に降り立った。

「余がこの国で何が起きていたかを語ろう」

 ククルは何一つ隠さず、全ての真実を民の前で明らかにした。

 

 先々代の王の時代から、ターレックがこの国を狙って動いていたこと。

 ここ数年の間、女王ククルがターレックによって操られていたこと。

 芸術祭で展示した作品には恐ろしい魔法が仕掛けられていたこと。

 

 そして……ヘルメトスの民は人ではなく、ゴーレムだということ。

 

 一部の事実を隠すこともできただろう。

 全てを話せば混乱が起きるということも彼女は理解していた。

 それでもククルは全てを話した。この国が夜明けを迎えるためにはそれが必要だと、そう主張しているようにアポロには見えた。

 

 当然、広場は混乱に陥る。

 事実を認められず、ただ呆然とする者。

 救いを求めて女王の名を叫ぶ者。

 もう一度話して欲しいと懇願する者。

 それは民の受け止めきらなかった思いが液体となり、それが国中に広がっていくかのような光景だった。

 放っておけばその液体は島の外に零れ出したしまっていたのかもしれない。

 

 それを堰き止めたのは、ソラリスだ。

 

 彼女は宮廷画家第一位の証である赤いカーディガンを脱ぎ捨て、まずは女王の話を最後まで聞こうと民を説得して回った。

 

 ソラリスも、ターレックに操られていた者の一人である。気持ちはむしろ混乱する民に近かったに違いない。それでも彼女は己を律して民のために動いた。

 

 ソラリスに導かれるように、他の宮廷画家達も混乱を鎮めるために動きはじめる。

 画家達の手を借りながら、ククルは何度でも民に真実を語った。

 

 彼女と民の対話は日が完全に昇りきった後も続き、その甲斐あってか少しずつ彼女の言葉を受け入れる者が現れはじめる。

 一人、また一人と納得した面持ちで広場から去り、昼になる頃にようやく全ての民が家路についた。その間、ククルに怒りやストレスをぶつけたり、耳を塞いだりする者はいなかった。

 

 アポロはその後、共に戦った仲間達の無事を確かめた後に久しぶりに自分の家に戻った。特にダイダの安否が気になっていたのだが、彼は燃えるメルクリウス号をきちんと地下の港に送り届けており、甲板の上で酒を抱えて眠っていた。現在はカイルスと二人で船の修理をしているはずだ。

 

 その日、昼過ぎに家に戻ったにもかかわらず、余程疲労が溜まっていたのか、アポロはそのまま眠り続け、次に目覚めたのは翌日の朝だった。

 

 朝、町に出て、アポロは目にした光景に驚く。

 

 白状すると、アポロはターレックから国を取り戻すことができたとしても、祖父が愛したような国には戻らないだろうと覚悟していた。

 

 ところが、ヘルメトスは錬金術師の手を離れた途端、逞しく息を吹き返しはじめたのである。

 

 町の修繕。外に流出した絵画の回収。ターレックが自分の思うままに作った法の改正。

 

 自分達の正体がゴーレムだったことを気にする者など、翌日にはもうほとんどいなくなっていた。民は解放された町の中、今度こそ好きな物を作ろうと、懸命に手と足を動かす。

 

 作品を作りたいという衝動。そのために動く身体。それこそが自分達の正体であり、人か人形かなど大した問題ではなかったのだ。

 

 今ではもう、町はすっかり元の姿を取り戻している。

 

 今日はククルの発案でヘルメトスの新たな門出を祝う祭りが開かれることになっていた。

 

 王宮のテラスにこの二週間で描かれた作品を並べた即席の画廊が用意され、ヘルメトスにいる者は誰でも自由に見学できるように開放されるという。午後にはターレックの一件で国のために尽力した者に勲章を渡す授与式も行われる予定だ。

 

 気恥ずかしいが、アポロもその主役の一人として、ククルに招待状を直接渡されていた。

 

 朝食をテーブルに並べ、最後に牛乳を注いだ皿をブイレンの前に置く。

 

 ブイレンはククルが先々代の王から受け取った贈り物のゴーレムだ。幼いククルは何故かブイレンのことを気に入らず、ずっと放置したままにしていた。故に、ククルが魂転の魔法を使う際にはブイレンに魂は宿っておらず、器として機能した。

 

 ククルが元の身体に戻った後、ククルはブイレンに元々備わった知性を起動させた。そのまま彼女の相棒になるのかと思いきや、長くその身体に入っていたククルの魂の影響なのか、ブイレンはすぐに王宮から飛び立ち、アポロの自宅にやってきた。

 

 これにククルは腹を立て、「そんなにそっちがいいなら、もう知らん。お前が責任を持って管理しろ」とアポロに世話を押しつけたのである。

 

 もちろんククルが入っていたときと挙動は異なるが、口調が似通っていたり、生意気だったりと、一緒にいて退屈しないところをアポロは気に入っている。

 ブイレンが牛乳の入った皿に勢いよく顔を突っ込むのを見てアポロは笑う。


「逃げないから、ゆっくり飲めよな」

「牛は逃げるゾ」

「牛は逃げても牛乳は逃げないんだって」

 

 一度コロニーに連れてった時に牛を追いかけ回してからというもの、どうも動物に対して妙な偏見を持つようになってしまっていた。

 

 そうこうしていると、自宅のドアが丁寧に数回叩かれた。その叩き方だけで、何となく誰が来たのか想像がつく。


「今開ける」

 

 食べ終えた皿を片付けて玄関に向かい。木製の扉を開く。立っていたのはソラリスだった。絵の具のついた白いシャツを着ている。

 

 彼女は宮廷画家を辞していた。


「ソラリス、また徹夜しただろ?」

 

 長い黒髪で隠そうとしていたらしいが、長年の付き合いだ。目の下に隈があればアポロにはすぐに分かる。


「はは、バレてしまったわね。ここのところ、悔しいんだけど絵を描くのが楽しくてね」

「……上がって、欲しい画材があるんだろ?」

 

 ソラリスは度々アポロの祖父が残した絵の具を取りにやってくる。地下採掘場では手に入らないような物もあるからだ。


「それもあるんだけど、今日はアポロに渡す物があるのよ」

 

 話しながらソラリスが家の中に入る。ブイレンがソラリスに向かって翼を上げると、ソラリスもそれに答えて手を上げた。


「まぁ、とりあえず座って、コーヒーでも煎れるよ。ダイダにやり方を教わったんだ」

 

 再びキッチンに立ち、鍋を火にかけお湯を沸かす。念のために時計を確認するが、珈琲を振る舞うくらいの余裕はまだある。


「悔しいってどういうこと?」

 

 豆をすりつぶしながら何となく気になったことを聞く。するとソラリスは不満そうに頬を膨らませる。


「何とか自分のスタイルを見つけようと毎日絵を描き続けているんだけど、どうやらあの錬金術師は絵に魔法を組み込むことに関しては真剣に取り組んでいたらしいの。どんな作品を描こうにも結局今までのやり方が役に立ってしまう。今までやったことが無駄じゃなかったと分かる過程は楽しいけれど、その度にあの男の顔がチラつくのが癪だわ」

 

 ソラリスは、自分が宮廷画家として高い序列を維持できていたのはあくまでターレックの意思が介入していたからであると判断し、一度王宮を去ることを決意した。

 

 一人の画家として再出発した上でもう一度宮廷画家になることを目指す。一度解雇された者は原則として二度と宮廷画家にはなれないという法は既にククルが撤廃した。

 

 誰の価値観にも縛られずに作品を作る。彼女にとってそれは、初めて呼吸しながら絵を描くような感覚だったという。


 ソラリスは一度頬に含んだ空気をため息として吐き出した。


「一度だけ、ターレックが筆を持っているところを見かけたことがあるの」

 

 それはあまりに意外な話だった。あの男が絵を描いているところなど全く想像がつかない。


「難しそうな顔をして、筆を神経質に動かしていてね。誰がどう見ても肩に力が入りすぎで、そのせいで何も上手くいかない。私に見られていることに気づいたら、自分にはやはり蒐集することしかできないと言って描くのを辞めてしまったわ」

 

 おそらくソラリスはこの国で最も長い時間ターレックと共に過ごした人物だ。芸術祭の準備もターレックと二人で行うことが多かったという。

 

 そんな彼女が見た錬金術師の知られざる一面。

 

 ターレックはアポロにとって憎むべき相手のはずなのに、不思議とソラリスの話を無視することはできなかった。

 

 煎れたばかりのコーヒーをソラリスに差し出しつつ、アポロもテーブルに着く。


「何となく初めて筆を持った感じではなさそうだったから、絵を描いていたことがあるんですかって聞いたら。あるにはあるけど自分にとって芸術とは常にやらされる物だったと言っていたわ」

 

 コルトナ家は王都の有力な商家だった。ターレックが度々口にしたコレクションという言葉は当時の暮らしの名残だろう。おそらく自宅に多くの絵画が飾られていたに違いない。

 

 もしかすると両親から絵を描くように言われたこともあったのか。裕福な家の人間が自分の子供に芸術を習わせるという流れはよくあると聞く。

 

 突如全てを奪われ、ヘルメトスに捨てられた幼い錬金術師。

 

 彼は研究した成果を魔天に記録することが目的と言った。だが、本当にそれだけだったのか、今となっては、それを知る術はない。


「さて、いつまでもいなくなった男のことを話していても仕方ないわね。余計な話をしたわ」

 

 コーヒーを飲み終えたソラリスが椅子から立ち上がる。既にその目は過去ではなく未来を見ていた。


「あ、忘れちゃいけない」

 

 ソラリスは肩から提げた小さな鞄から少し太めの小瓶を取り出してアポロに手渡す。

 ガラスの中には美しい空色の欠片が入っていた。


「これ……石枝だよな。凄く、綺麗だ」

 

 いつかカイルスと地下採掘場で炭鉱夫に見せてもらった石枝よりも状態が良い。仮に売ったとして、どれだけの値がつくか分からない。


「昨日採掘場に行った時に、シャーリさんから渡されたのよ。今日必ずアポロに渡すようにって」

 

 シャーリやドゥハ、スラムの男達は地下採掘場で働きはじめていた。

 

 暮らしを維持するためとはいえ盗みで生計を立てていた過去は償わなければならない。そう考えたスラムの者達は一度全員で王宮に出向いた。そんな彼らに対してククルは、これまでの罪は王宮の責任でもあるため、一度のみ不問にすると判決を下したのである。

 

 晴れて自由となったスラムの者達は、それでも自分達の思うやり方で罪を償うべきと考え、まずは一番体力を使う地下採掘場に勤めることにした。

 

 ターレックが支配している間は採掘場でスラムの人間を雇うことは禁じられていたが、今はもうそんな縛りは存在しない。採掘場の炭鉱夫達は仲間が増えたことを多いに喜んだ。

 

 少しずつ彼らも新たなヘルメトスに馴染みはじめている。噂によると、地下のコロニーを正式な町として補強する計画もあるらしい。


「今日必ずって、別にいつでも受け取れるだろうに。まぁ、嬉しい贈り物だけどさ」

 アポロが頭を掻きながら小瓶を受け取ると、ソラリスは首を振る。

「ううん、私も今日渡さないと暫くその機会はなくなるような気がしているわ。だから、受け渡しを快く引き受けたのよ」

 

 意味が分からず首を傾げるも、ソラリスはそれ以上説明しなかった。


「いいから、そろそろ王宮に向かった方がいいわ。主役が遅刻じゃ格好がつかないでしょう。留守の間、この家は私が預かるから」

 

 時計を見ると確かに余裕がなくなりつつあった。祖父の弟子だったソラリスはこの家のことも隅々まで把握しているため、任せることに不安はない。


「確かに。ブイレン、行くぞ!」

 名残惜しそうに皿にくちばしを置くブイレンを呼び寄せつつ玄関に向かう。扉を開く直前、振り返ってソラリスに挨拶をした。


「それじゃあ、姉さん。行ってきます」

「はい。いってらっしゃい」

 

 暖かい言葉に見送られ、アポロは賑やかなヘルメトスの町に飛び込んだ。



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