最終章 6
ターレックに弾かれたカイルスの短剣が魔天の間を舞う。
魂転の魔法は、魔法を使用した道具を二つの器にそれぞれ当てなければ成立しない。
短剣に触れたのはターレックの持つ戦斧だ。
この状態で魂転の魔法を使っても、ククルの魂の行き場がない。
床に落ちた短剣をターレックが戦斧で払う。相手の武器に直接触れないのは、そこに何か仕掛けが用意されていると勘ぐったからか。
ひたすら舞台の裏側で計画を進めてきた錬金術師らしい慎重な振る舞いだった。
戦斧に払われた短剣は、アポロとカイルスが飛び込んできた壁を抜けて町に落下する。かなり頑丈な作りのように見えたので、落下の衝撃で壊れるとは限らないが、当然、それを取りに行くことは不可能だ。
カイルスの身体を覆っていた霊獣の魔力の輝きもかなり薄くなってきている。
魂転の魔法のためにもう一度魔力を精製するのは難しい。
アポロ達の作戦は失敗した。
――ただし、それは本当に短剣に魂転の魔法を使っていた場合の話だ。
ターレックが短剣に気を取られている隙に、最速の空賊がその背後に回り込む。
その手には短剣とは違う別の道具が握られていた。
その先端が女王の身体の背に当たる。
「悪いな。お前如きじゃ、空賊の速度にはついてこれない」
「何を……!?」
慌ててターレックが振り向きざまに戦斧を振る。カイルスは身を屈めてその攻撃を回避した。
その拍子に役目を果たした道具が床に落ちる。
それはアポロが普段から使っている鉛筆だった。
精霊契約魔法用の紙は外してある。
アポロがカイルスに短剣を渡せば、敵はかならずそれに注目する。
故に、アポロはただの鉛筆を本命の武器として用意しておいた。
木は鉄よりも良く魔力を通す。鉛筆の端が僅かに触れただけでも魔法は成立するだろう。
ククルの魂が存在しないと決めつけたこと。
カイルスの本命の武器が短剣であると勘違いしたこと。
数多の見落としが錬金術師を追い詰める。
長年連れ添った相棒の小さな身体が、アポロの足下で輝く。
それを目撃したターレックの表情が瞬く間に青くなった。
「貴様達……何をしようとしている!?」
戦斧を振ろうとするも、その行動は途中で停止する。ターレックから、ククルの身体を使用する権利が剥奪されたのだ。
アポロはターレックの疑問に答える。
「何をしようとしている? さっきも言っただろ。オレはお前からその身体とこの国を取り戻すんだ」
発動した魔法の法則に従って、女王の身体とブイレンの身体が接続される。
ククルの魂は元の身体へと帰る。
では、ターレックの魂はどうなるか。
彼の身体はすでにトレイに命を絶たれている。
行き場を失った魂は、須くこの世から去る運命だ。
器と器を渡るククルの魂の声が聞こえてきた。
「欲に塗れて誇りを失った錬金術師ターレック・コルトナよ。疾く失せよ」
女王の名の下、厳かに罪人に対する刑が執行された。
魔法の発動による輝きが鎮まり、視界が元に戻る。
魔天の間の中央付近には一人の少女が立つ。
身体の調子を確かめながら、彼女は床に大の字で寝転がる空賊に声をかけた。
「空賊よ、もう飛べないか?」
声をかけられた空賊は悔しそうに、しかし、清々しそうに笑った。
「ああ、残念ながら今夜はもう無理だ。腕も足も動かない」
「では、あの絵は余の物ということで異存はないな?」
「元々何があっても渡すつもりはなかっただろうに」
「当然だ。余にはヘルメトスの民が描く全ての絵を見る権利がある。そう易々と賊に奪わせはしない」
少女はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。久しぶりに動かす身体のはずだが、歩く様は実に堂々としていた。
少女は何も言わずに片手を差し伸べる。それが何を意味する動作なのか、アポロは既に六年前から知っていた。
完成したばかりの水彩画をその手に渡す。
少女はその絵を丁寧な仕草で受け取り、それを片手で掲げた。両手を使わないのは、錬金術師が自ら焼いた方の腕が痛むからかもしれない。
少女が絵を掲げてから暫くの時が流れた。
短かったのか、長かったのか、アポロには分からなかった。
だが、その時間は六年間待ち望んでいた物だった。
少女は絵を降ろし、その顔を己に仕える宮廷画家に向ける。
「アポロよ。腕を上げたな」
風にはためく銀色の髪の下、青い瞳の美しき女王はとびっきりの笑顔を見せた。
それは、アポロの祈りが届いた瞬間だった。
偽りの星空が解けていく。
長い夜は終わり、じきに朝日が昇る。
ヘルメトスの新たな一日がはじまろうとしていた。
最終章 終