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魔天のギャラリー  作者: 星野哲彦
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最終章 4


 脳内で筆を持つ。

 

 絵の具に筆の先端を浸し、キャンバスの白地のままにされた部分にそれを落とす。

 絵の具の量、水の量、筆を置く強さ。できるだけ本物に近くなるようにイメージする。六年間の積み重ねがそれを可能とする。

 

 描こうと思ったのはアポロの祈り。

 

 ヘルメトスという国を、

 ククルという友を、

 取り戻したいと願う心。


「準備はいいか?」

 

 肩の上に乗ったククルがアポロに問う。

 

 アポロは深呼吸した後、その言葉に頷いた。

 

 既に二、三度、隠し部屋は大きく揺らされている。先程、扉に亀裂が入ったところだ。

 

 これ以上、ここに隠れていることはできない。

 

 すぐそばでカイルスが己の手足の骨を鳴らす。呪いの後遺症で身体のあちこちが痛むというが、それをどうにかする秘策も持ち合わせているという。

 

 彼が飛べるというのなら、それを疑う必要はない。


「では、開けるぞ」

 

 ククルが呪文を唱える。


『鍵は解ける』

 

 短い言の葉に反応して、亀裂の入った扉が左右に分かれる。ターレックの攻撃を何度受けようともその機構は失われなかったようだ。

 

 開いた壁の僅かな隙間から、いくつもの黒い火球を背中に浮かべた女王の姿が見える。だが、その表情を見れば、身体の中に入っているのはターレックの魂であるということがすぐに分かる。視線や顔つきは魂の影響を色濃く受ける。


「ようやく出てきたか。今更何の悪あがきだ」

 

 ターレックの目がアポロを睨む。何となくだが、敵はアポロを排除することに固執しているような気がした。


「この国を取り戻す準備をしてたんだよ」

「っは。つい先程心を折られていた虫が何をほざくかと思えば」

 

 ターレックの台詞に、肩の上のククルが「まぁ、それは反論できんな」と余計なことを言った。


「……ずっと目障りだった。スラムの民でもない癖に魔力線が繋がっていない唯一人の餓鬼。お前の目を見ているだけで私は気分が悪くなる」

 

 カイルスが一歩前に出る。


「そんなにアポロが邪魔だったのなら、さっさと対処すれば良かったはずだ。しかし、お前はそうしなかった。思うにお前は錬金術師としては三流なんじゃないか?」

 

 どこかで聞いたばかりの台詞は明らかに意図的な挑発だったが、ターレックは無視することができずにカイルスを睨んだ。その隙にアポロは魔天の間のどの位置に向かうかククルと相談する。


「……たかが空賊に錬金術の何が分かると言うんです?」


「いや、俺だけの推測ではない。とある国の賢者姫の意見だ。お前は明確に自分の思い通りにならない対象が目の前にいても準備が整うまで手を出すことができなかった。この国の法や雰囲気、空気を無視すれば、民が違和感を覚え、そこから魔法薬で繋げた魔力線が解ける可能性があったんだ。だから、アポロに対してできることといえば、せいぜい宮廷画家を辞職させることくらいだった」


「黙ってください」


「一流の錬金術師や魔術師の仕事ならば魔力線を繋げた時点で、誰も術師に対して違和感を抱かなくなるという。少なくともお前はその域には達していなかったということだ」


「黙れと言っているんです! この、死に損ないが!」

 

 ターレックが銀杖を振り降ろし、黒い火球が三つほど飛来する。攻撃を寄せ付けるところまではカイルスの狙い通りだが、いささか数が多い。


『鍵は解ける。黄金石の城壁よ、民と土を守れ』

 

 ククルの展開した魔壁が火球の内二つを防ぐ。

 

 ターレックがアポロを睨め付けた。

「きさま、また王家の魔法を……!」

 ターレックは未だ魔法を使ったのがククルであることに気づいていない。

 

 魔壁で防がなかった火球がカイルスに迫る。それに対してカイルスは、コートの内側から取り出したある物を衝突させた。

 

 その瞬間、ターレックの背後に浮かんでいた残りの火球が消滅する。


「何をした!?」

 

 カイルスは手元の物体をターレックに見せつける。それは、絵画を収めるために作られた額の欠片だった。

 

 木製の欠片は黒い炎に焼かれている。


「昨晩忍び込んだ際に念のため一つもらっておいたんだ。お前は先程黒い炎の魔法を使う際に『我が怨を知れ』と唱えた。呪文の詠唱内容は魔法の構造を完全に無視することはできない。故にそこから弱点が発覚することもある。それを防ぐために普段は杖や省略した呪文を使っていたんだろう」

 

 呪文を省略すれば魔法の威力が落ちる。杖を使えば魔法の準備に時がかかる。それでもターレックは、黒い炎の秘密を解かれることを危惧して完全な呪文を唱えなかった。

 

 しかし、先程、カイルスに組み伏せられた時だけは、完全な呪文詠唱を行う必要があった。そうでもしなければカイルスの拘束を解くことはできないと判断したのだろう。

 

 ククルがアポロに小声で話しかける。アポロはそれを魔天の間を移動しながら聞いた。

「ヘルメトスの王家の身体や魂には呪いを中和する力がある。ターレックにとってカイルスの呪いを後から解かれることは想定外だったのだろうな」

 思えば昨晩アポロが黒い炎の攻撃を受けた時もいつの間にか呪いが解呪されていた。あれもククルがそばにいたからということか。

 

 カイルスは呪われた額を捨てる。

「呪文から推測するに、お前の黒い炎は自分の憎悪する相手を呪う魔法だ。しかし、今お前が呪ってしまったこの額は、お前が自分の目的のために用意した道具であり、それをお前が憎悪しているはずがない。正直、矛盾を引き起こせるかどうかは賭けだったが、上手くいって何よりだ」

 

 憎悪していない対象を呪ったことで、ターレックの魔法は矛盾した。矛盾した魔法のレシピは破壊される、仮にターレックが魔天から複写したレシピを使っていたとしても、複写自体は失われる。

 

 これは事前にククルから聞いた話だが、魔天に刻まれた王家の魔法以外のレシピは一度複写しなければ使えないらしい。

 

 つまり、もう一度黒い炎の魔法を使うのであれば、新たに複写を用意しなければならない。

 これでターレックは武器を一つ失った。


「これで私を攻略したつもりですか!? 私にはまだ王家の魔法があるのです!」

 

 ターレックが銀の杖を振る。今までとは明らかに違う動かし方だった。呪文を唱えずとも、その動きが王家の力を発動させる。乗っ取っている女王の身体がそれを可能にさせてしまっている。

 

 ターレックの足下から金色の戦斧が呼び出される。先端の刃はまるで三日月の如く輝いていた。


「たかが、空賊相手にヘルメトスの秘宝を振ることになるとは思っていませんでしたよ」

 

 強い魔力を纏う武器は魔法で召喚することができる。ターレックは王宮のどこからか、戦斧を呼び寄せたのだ。


「ククル。あの戦斧は?」

 床に画材を広げながら肩に乗ったククルに問いかける。


「この国で最も攻撃力の高い武器だな。余も使ったことはない。父上曰く、迂闊に振り下ろせば大地が割れることもあるらしいぞ」

「あいつ、ここがどこか分かっていないのか!?」

 

 魔天の間はそれほど広い空間ではない。そこで大地を割ってしまうような武器を使えば、塔そのものが破壊される可能性もある。仮に塔が倒れればアポロ達だけではなく、町にいる民も巻き添えになるだろう。


「まずは、目障りなお前からだ!」

 

 突如、ターレックがこちらを向いて戦斧を振り下ろす。見ていないようで、目ざとくアポロの動きも把握していたらしい。

 

 一瞬、ククルが呪文を唱えかけるが、その前に戦斧の動きが停止する。戦斧が纏っていた魔力が行き場をなくした拍子に僅かな風を巻き起こす。アポロの髪が揺れた。

 

 白い蔦のような輝きが戦斧を縛り付ける。

 

 王家の魔法を止められたことが信じられないのか、ターレックは目を見開いたまま動かない。

 

 その背後に立つ影が一つ。

 色素の薄い瞳に光が灯る。

 ボロボロになった老竹色のコートの袖が、白い魔力の蔦の発生源だった。


「ヘルメトスの王家が培った魔法も相当な物なのだろう。だが、こちらも歴史ある力を使う権利を持つ。一度使うと暫く使えなくなってしまうのが玉に瑕だが、ちょうど今夜、再利用できるようになったところなんだ」


「これは一体何だ!? 人の使う魔法ではないというのか!?」

 ターレックが賢明に光の蔦を引き剥がそうとするも、全く動かない。


「そうだ。これはナクタネリア王国に封じられた霊獣の魔法。賢者姫だけがその力を使うことができる」

 

 自身を生贄に捧げる代わりに賢者姫は霊獣の力を与えられる。

 

 カイルスの瞳を通じて、遠く離れた王国の少女が今、ヘルメトスに奇跡を起こす。

 

 精霊の扱う魔法と同じく、法則を持たない純粋な魔素の力がカイルスの武器となる。


「覚えておくといい、ターレック。これが人知を超えた跡術の力だ」

「どいつもこいつも……私の野望の邪魔を……するなぁ!」

 

 矜持をかなぐり捨てたのか、錬金術師が獣か何かのように喚きながら、まだ縛られていない方の腕で銀杖を振る。

 

 赤い炎がターレックの腕ごと蔦を焼いた。緑のドレスの袖が破れて焦げた切れ端が床に落ちる。


「お前、その身体はククルの!」

「捨て置け! あの程度どうとでもなる。奴のことはカイルスに任せてお前は筆を動かすのだ」

 ククルが叫んだ後に、くちばしでアポロの髪を引く。

 

 アポロは怒りで身体が熱くなるのを感じながら、それでも筆を握った。

 

 隠し部屋から出る直前にイメージした通りに筆に水と絵の具を付ける。

 

 戦斧とカイルスの放つ魔力が視界の端で交差した。金と白の輝きが魔天の間で幾度も火花を散らす。

 衝撃は全てククルが王家の魔壁で防いだ。

 

 アポロは偽りの星空に視線を向ける。

 先程と同じ位置から見る魔天。確認できる七つのレシピから、ククルの助言に従って一つを選ぶ。

 

 絵の具を付けた筆で、キャンバスに星空を堕としていく。

 

 背後に迫る攻撃の気配があった。しかし、同時にカイルスがこちらに回り込み、光を纏った腕でそれを受け止める。

 

 どれだけ攻撃が迫ってもアポロは作業を止めない。

 

 カイルスとククルが時間を稼いでくれると信じている。

 

 六年間の出来事を思い起こしながら筆を走らせる。

 

 はじまりは、ホエルと共に小舟で見上げた星空だった。


 宮廷画家に任命された日の喜びと、変わり果てたククルの様子を見た時の困惑。

 王宮のやり方に馴染めず、序列を上げることができなかった苦悩の日々。

 

 未来が閉ざされていくような不安と絶望を、空を覆う暗雲として描く。

 その真ん中を穿つ一筋の光。

 キャンバスの中、祭壇で舞う踊り子の祈りと努力が暗雲を払い、星空を呼び寄せる。

 

 数日前にカイルスと出会った。

 奪われたダイダの荷物を追いかけて、スラム街のある洞窟にアポロは単身で飛び込んだ。

 腕を切られかけたが、そこで空賊の美しい戦いを見た。

 彼は言う。君の絵が欲しいと。

 

 思えばあの時から、アポロの止まっていた世界が動き出したのだ。

 

 僅かな時間の中で状況はめまぐるしく変化する。

 宮廷画家を解雇され、ターレックの計画を知った。カイルスとダイダが身分を偽っていた事実を知り、スラムの人々の暮らしを見た。

 王都から来た二人はこの国を救わなければなならないという使命を背負っていた。

 藤棚で国を救うと誓い。今宵は皆が戦った。

 ここまで辿り着くことができたのは、間違いなく仲間達のおかげである。

 

 キャンバスの中に色のついた帯を描く。それは祈りを運ぶ、仲間達が巻き起こす風。

 風は木々を揺らし、雲を散らしていく。

祈りと希望を表す光は一筋ではなく、細かな束にする。

 

 もはやこれはアポロの一人の思いではない。

 

 シャーリは子供達が平和に暮らせる未来を願った。

 グランはアポロに世界の命運を託した。

 

 筆を進めるアポロの背後で魔力の衝突する音が聞こえてくる。ターレックがククルの声で叫んだ。


「部外者が何故この国に口を出すのです。貴方は一体何のためにここにいるのですか!?」

 

 問われたカイルスの背中が、そっとアポロの背に重なる。


「遠く離れた友に美しい世界を見せるため」

 

 聞こえてくる声をそのまま描く。


「そして、新たに出会った友の夢の果てを見るため」

 

 戦いの最中描く事に集中していたアポロだが、その時だけは背後を見た。

 

 乱れた灰色の髪。至る所が破れたコート。足や手は小刻みに震えている。彼の身体の限界は近い。

 しかし、溢れる白い輝きは少しも損なわれていなかった。それを纏う広い背中も全くぶれていない。

 

 それはまるで嵐を進む船の帆のような姿だった。


「俺が空を駆ける理由は……それで十分なんだ」

 

 魔法の複写に必要な星は全て描いた。

 

 最後に一筋、灰色の風を描き、アポロはククルに合図する。

 

 ククルが短い呪文を唱えた。

 アポロの描いた絵が輝く。


「カイルス、受け取れ!」

 

 そしてアポロは、ターレックに立ち向かおうとする友に逆転の一手を託す。

 

 光を湛えた賢者の瞳を見る。


「ここに連れてきて欲しいって約束だったけど、もう一つだけ頼みを聞いてくれ」

 

 その先は言わなくても分かっていると答えるように、カイルスはアポロが渡したそれを掴んだ。

「任せてくれ。この手で君たちの国を盗んでみせよう」

 

 ククルが「持ち逃げするなよ」と皮肉を言って送り出した。

 

 かつて賢者の瞳を盗んだという空賊は、誰にも崩せない笑みを浮かべて走り出す。

 

 その手に握られているのは、彼がいつも使っている短剣だ。


「そんな小刀で何ができる!?」

 

 銀色の髪を振り乱し、ターレックは戦斧を横に薙ぐ。

 

 おそらく自身の身体能力を魔法薬によって強化しているのだろう。放たれた一撃はトレイの振る剣撃に近い現象を引き起こし、圧縮された魔素が飛ぶ。

 

 しかし、賢者姫の力がそれを受け止めた。

 

 荒々しい力の奔流は、ターレックが何度戦斧を振ろうとも、白い輝きが全ていなす。ただいなすだけではない。賢者姫の跡術は戦斧の纏っている魔力を一瞬で削り取る。ターレックはその度、戦斧に魔力を補充しなければならない。

 

 だが、ターレックの武器は戦斧だけではなかった。

 

 黒い炎の魔法は失われたが、敵の持つ魔法は当然一つではない。

 

 銀杖が弧を描き、複数の赤い炎弾がカイルスの腕を狙う。短剣を落とすためだろう。

 

 カイルスは光を纏った足で炎弾を蹴り飛ばす。

 昨晩トレイと戦っていた時と同じように、二度三度と蹴りを重ねていく。

 

 炎の魔法は全て打ち払われ、最後の一撃が杖を弾く。

 

 だが、ターレックにも意地があるのか、そこで下がることはない。

 

 戦斧の柄を使い、カイルスの握る短剣を弾いた。


「何を準備していたか知らないが、全て無駄でしたねぇ!」

 

 弾かれた短剣が魔天の間を舞う。

 

 その時、カイルスは――。





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