最終章 3
小さな空間に堂々と立つ一羽の鴉。
身体は小さくとも、纏っている雰囲気と喋り方のせいかどこか威厳を感じる。
「なるほど、貴方がククル女王だったか」
カイルスがその場で頭を垂れた。彼はその拍子に咳き込んで床に手をついてしまう。
「楽にせよ。まだ本調子ではなかろう。王家の軽量化魔法もそろそろ効果が切れただろうしな」
先程、カイルスは身体が軽いと喜びながら魔天の間を駆けた。あれは、ククルの使った王家の魔法の影響だったのだ。
言われた通りにカイルスは姿勢を崩す。
「寛大な配慮、助かります」
「口調も楽にせい。今更かしこまってどうする」
ブイレン改めククルがカイルスの膝をつつく。女王としての人格を取り戻しても、抗議の仕方はブイレンと変わらない。
数回つついた後、ブイレンはカイルスを真っ直ぐに見上げた。
「……カイルス。余の宮廷画家が世話になったな。礼を言うぞ」
灰髪の空賊は微笑む。
「俺が好きでやったことだ。気にする必要はない」
カイルスの返答をしっかりと聞き届けてから、ククルはそのくちばしと黒い瞳をアポロに向けた。
「六年間、よくぞ一人で抵抗したな。褒めて遣わそう」
つい数十秒前に無駄だったと思わされた六年の軌跡が、彼女の短くもはっきりとした言葉によって報われる。
アポロの瞳から涙が溢れ、視界が滲んだ。
「ククル……ありがとう。いや、違うな、姫様と呼ばないとな」
「泣くな泣くな、鬱陶しい。それに今は女王だ。ややこしいならククルと呼べ、無礼はとうの昔に許してある。それにな……」
ククルはくちばしをカチカチと鳴らしながらアポロとの距離を詰める。その圧にアポロは思わず身をのけぞらせた。
後ろに下がったアポロの頭部めがけてククルが羽ばたく。
「さっきのあれは何だ!? 敵の言葉に惑わされ、己の努力とその成果をあっさり手放すとは、どういうことだ! この痴れ者が!」
尖ったくちばしがアポロの稲のような毛束を容赦なく啄む。
「ちょ、痛い。ククル、禿げるからやめろって!」
必死の抗議も、ククルは聞く耳持たない。
「あの絵は何のために描いたんだ!? 言ってみろ!」
ククルは一度アポロの膝に降りて、答えを待った。
「それは、ククルに見せようと思って」
「だったら、余に完成形を見せるまで二度と手放すな! いいな!」
ククルは言うだけ言ってアポロに背を向けた。少し寂しそうなその小さな背中に向かってアポロは呟く。
「悪かった。もう二度とあんな奴には渡さない」
「この空賊にもだ。こやつ、飄々とした態度をしておるが、心根では絵が完成した際に、余より先に見てやろうかとか考えているからな!」
ククルが翼でカイルスを示すと、カイルスは肩を竦めた。どうやら本当にそういうことを考えていたらしい。
「ったく、油断も隙もあったもんじゃないな」
アポロが呆れて言うと、カイルスは得意げに片手を腰に当てる。
「当然だ。俺はこれでも賊と呼ばれる男だ」
想定していたやり方では国を救えないことが発覚した。
状況は間違いなく最悪。
それでも三人は狭い隠し部屋の中で笑い合った。
狂ったわけではない。
ククルがここにいたという事実が希望になっている。
「ところでククル。貴方は今までの記憶も保持しているようだが、ここにきて明確に女王の人格を取り戻したきっかけは何だ?」
カイルスが尋ねるとククルは翼で自らの頭を撫でた。
「きっかけは、さっき余の身体に直接触れたことだな。あれで身体に保存されていた余の記憶がこっちに流れてきた」
ターレックはククルの身体に保存された記憶を閲覧できると言っていた。
ブイレンがターレックに突撃し、それをターレックが炎を纏った腕でなぎ払った際、その記憶がブイレンに共有されたということだろう。
「なるほど、つまり、記憶を取り戻したのはつい先程だが、魂自体は既にブイレンという器に移動していた。だから、ターレックは魂転の魔法を成功させることができたのか」
カイルスが顎に手を当てて、納得したように頷く。
ククルは楽しそうに翼を開閉した。
「貴様は本当に察しが良いな。その通りだ」
「どういうこと?」
この場でアポロだけが話の枠を掴みきれていない。
ククルは隠し部屋の奥に放置されていた石版のそばに立つ。
「順を追って話すとしよう。ターレックは先代の王達……つまり余の祖父や父に取り入って、この国が、画家によって作られたゴーレムの国であるという事実と歴史を知った」
カイルスが石版を拾い上げて確かめる。
「ああ、これはやはり石界大樹の遺跡にあった石版の続きだな。画家が国を作った経緯が記されている。ここまで読めば、この国の民がゴーレムであることも分かるようになっているようだ」
ククルは頷く。
「本来は王家だけが語り継ぐべき歴史だが、後継者に語り継ぐために石版はあの遺跡に置かねばならない。それをターレックは自分だけが知る秘密にするために隠した。王都から来る使者から遠ざけるという目的もあったかもしれぬな」
グランとトレイのことを言っているのだろう。この国で暗躍するターレックにとって、突如来訪した二人の存在は脅威だったのだ。
今の話の中で一点、気になる部分があった。
「ちょっと待って、もしかしてククルはこの国の民が全員ゴーレムって事を知っていたの?」
「当然だ。王家が国の成り立ちを知らずしていかんとする。建国した画家は、民に真実を隠すために思考妨害を仕掛けた。だが、王家の者にだけはそれが適用されないようになっている」
「だったら……」
「教えてくれても良かったのに、か? 簡単に言うな馬鹿者。こんな話を民に聞かせれば国は間違いなく混乱を起こす。己の正体など知ってどうなるものでもないと余は思うが、誰もが同じように考えられるとは限らない」
「確かに、場合によっては絶望したり、自分という存在を疑ったりしてしまうかもしれないな」
カイルスがククルの意見に同意した。
アポロも反論できなかった。実際、先程ターレックから真実を聞かされて、アポロの心は一度折れてしまった。そうなる者が他にいないとは断言できない。
ククルは話を続ける。
「混乱を防ぐため、この国には魔法による思考妨害がいくつか仕掛けられている。そのため、国の人間だろうが、そうでなかろうが、この島にいる限りは民の正体がゴーレムであるということに気づきにくい」
自分や他者の生まれを気にする者がいなかったこと、それを思い出そうとしても上手くいかなかったこと。それらは全て建国に携わったという画家が国のために仕掛けた魔法の影響だったということだ。
「にもかかわらず、いくつかの偶然が重なったことで、その真実とターレックの暗躍に気づいた者がいた。……ホエル・ファーリスだ」
アポロの脳裏に六年前の記憶が鮮明に浮かぶ。
ホエル・ファーリス。
鍛えられた大きな身体を持つ、茶髪の武器職人。
「そこでその名前が出てくるのか」
話を読む力に長けたカイルスでさえも、その名の登場は意外だったらしい。
ククルはアポロに過去を思い出させるためか、続きをゆっくりと話した。
「お前は六年前、ホエルと共に飛空挺を脱出し、その際に魔獣の放った銃弾に倒れた」
銃撃の痛みと命が失われていく感覚は今でも忘れていない。アポロの人生の中で、あの瞬間が最も死に近づいた時だった。
「ホエルは医療の心得がなかった。できることは一刻も早くお前を医者の元に連れて行くことだけ。しかしその途中、小舟が一時ヘルメトスの領土から離れたことで、あやつはお前の身体が人間の物ではないということに気がついた。医療の心得はなくとも、相手がゴーレムなのであれば修理することができる。ホエルの本業は武器職人だが、人形作りの知識も持ち合わせていた」
思えば、小舟で目覚めた時、アポロの身体の周辺に医療器具はなかった。代わりに散乱していたのはハンマーなどの工具だけ。アポロはてっきり、それらが小舟の修理のために使われた道具だと思い込んでいたが、あれはアポロの身体を修理するために使われていたのだ。
「修復のためにお前の身体に触れたホエルは、ターレックの魔法薬によって刻まれた情報にも気づき、それを除去した」
「そうか。だからアポロはターレックと魔力線が繋がっていなかったのか」
カイルスが叫ぶ。
ターレックが過去からこの国を乗っ取るために準備をしていたように、反撃のための楔も過去に打ち込まれていた。アポロは知らずうち、ホエルから希望を託されていたのである。
「その後、ホエルは余を危険に晒した罪でターレックと父から国外追放を言い渡された。今思えば余が乗った飛空挺が襲われたこと自体もターレックの差し金だったと考えるべきだろう。事前に周辺空域の調査をしたにも関わらず、タイミング良く魔獣が現れたからな」
ターレックが魔獣を意のままに操れるというのは、空蛇を飼い慣らしていた以上間違いないだろう。ならば、空蛇よりも遙かに身体の小さい木鬼に飛空挺を襲わせることくらい造作もないはずだ。
「ホエルは追放される前夜の僅かな隙を使って余にターレックのことを教えた。しかし、余はまだ王として即位しておらず、父は既にターレックに心酔してしまっていた。飛空挺の件以来、自由に王宮の外に出ることすら叶わなくなった余だけでは悪化していく状況をどうすることもできなかった」
ククルはくちばしを悔しそうに固く結ぶ。
何かが起きているにもかかわらず何もできない無力感はアポロにも痛いほど分かる。
「だからといって余も何もしなかったわけではない。国を守るためにまずは己を守らなければならないと考えた。ターレックはおそらく余の身体にも情報を刻み込んでいる。それに抵抗するためにはどうしたら良いか。余は王宮の文献で魔法を学び、一年かけて魔天の星空に魂転の魔法のレシピを刻んだ」
「じゃあ、魂転の魔法はターレックじゃなくてククルが用意した物だったのか」
アポロが確認するとククルは肯定した。
何故、王に頼めばターレックも確認できてしまう星空にレシピを刻んだのか不思議だったが、星空に刻んだレシピを使う場合は魔天の間に飾られた宝石内の魔力を使用することができるとククルが補足した。当時のククルはまだそれほど大きな魔力を扱える身体ではなく、魂転の魔法を使用するためには何かの助けを借りる必要があったのだ。
「そして余は、五年前に即位するその日にターレックの計画から逃れるため、魂転の魔法を使った。魂を移す先として選んだのは余が祖父にもらった鳥のゴーレム……つまりこの身体だ」
五年前と言えば、アポロがブイレンを拾った年でもある。今思い返せばそれはちょうどククルが即位する前夜のことだった。
「だが、余は魔法の扱いに慣れていなかった。そのせいで魔法は中途半端な発動となり、記憶を残して知性だけが鳥の器に移動することになった。幸いにも魂は知性に宿る物だったらしいが、記憶の方に宿っていたら今頃どうなっていたか分からないな」
「そして、ついさっき、その記憶も取り戻すことができたってことなのか。ようやくオレにも話が分かってきた」
ターレックは先程、魂転の魔法は移動する先の器に魂が存在すると成功しないと言っていた。元の器と魂の結びつきを断つ事ができないからだ。
しかし、ククルが先に魂転の魔法を使っていたため、ククルの身体には元々魂が入っていたなかった。ターレックが魂転の魔法を成功させることができたのはそれが理由だ。
先程、ターレックに惑わされたアポロは、ゴーレムに魂など存在せず、どれだけ努力しようとも、どこにもたどり着けないという言葉を受け入れそうになっていた。
しかし、今、アポロの目の前にはブイレンの身体を持つククルがいる。
彼女の存在が、ゴーレムにも魂が宿るという証明になっていた。
「そうか。じゃあ、オレにも魂はあるんだな」
完成途中のキャンバスに目を落とす。魂があるのなら、たとえ身体が作り物であっても夢はいつか叶うと希望を持つことができる。
「当然だ。魂がないような奴が、密航なんてやらかすはずがなかろう」
暴論だが言われてみるとブイレンの言う通りだったので、アポロは笑った。
六年前より止まっていた時間がようやく動き出したような喜びがそこにあった。
だが、事態はまだ解決していない。
その時、何か大きな力が隠し部屋の扉に激突し、その轟音と衝撃に部屋全体が揺れ動いた。
「おうおう。駄々っ子が外で暴れているな」
「ククル。この部屋はあとどれくらい持つ?」
カイルスが尋ねた。
「せいぜい数分だろうな。その間にこの国を奴の手から取り戻す策を用意しなければならん」
「簡単に言うけどさ、ククル。手はあるのか? 魔天を消滅させたらヘルメトスを維持してきた魔法も失われるんだろ」
魔天に刻まれた王家の魔法が消失すれば、ゴーレムは二度と再誕生できなくなる。今生きている民にも影響が出ないとは限らない。
「そうだ。そもそもお前達二人は星空を描けば、ターレックの魔法に矛盾が生じて破壊できるなどと言う楽観的な思考を元に動いていたが、そんなもの、奴が対策していないわけがなかろう。『星を描くな』という法はあくまで予備の防衛策でしかない」
「これは耳が痛いな」
カイルスは苦笑いを浮かべる。
「じゃあ……どうする?」
アポロが再度問うと、ククルは翼でアポロとカイルスを手招いた。
「今のこの状況なら逆転の一手を用意できる。その策のために、お前達二人にはこれからきっちり働いてもらうとしよう」
そしてククルはこの国を取り戻すための最後の策を語った。