最終章 2
魔術師や錬金術師は自分が死して尚、目的を果たせるような仕掛けを打つ。
トレイの予測は最悪の形で的中していた。
魔天の間に踏み込むにあたり、ある程度の罠や障害が行く手を阻むことは覚悟していた。
だが、今の状況は流石に想定外だった。
最も許せない相手が、最も救いたい身体の中にいる。
不快感がアポロの心を浸食する。可能ならば直接自分の心内を掻きむしりたい。
悪夢としても質が悪い。
「お前……何がしたいんだ」
ヘルメトスの国民を操り、女王の身体を乗っ取る。
ターレックはかつての裕福な暮らしを取り戻そうとしているのかもしれないと、グランは藤棚で言っていたが、今やっていることが彼の目的とどう繋がるのか理解できない。
ククルの姿をしたターレックは杖を拾い上げながら、塔の真上に広がる星空を指し示す。
「あそこにあるのは私のためのギャラリーだ。王家の魔法だけではない。私が今まで研究してきた魔法、これから開発する魔法、王都では禁術と指定されるような代物も全てあそこに記録する」
ターレックが口にするコレクションやギャラリーという言葉には、並々ならぬ執着心が宿っているような気がした。
彼もまた、どこかへ辿り着こうという熱を持つ者だとでも言うのか。
仮にそうだとしても、カイルスとは違い、ターレックのやろうとしていることはアポロの行く手を遮るような風を起こす。
「ギャラリーだからね。他者に見せることは厭わない。だが、破壊されるとなれば話は別だ。私はもう二度と誰かに私のコレクションを奪わせない。ヘルメトスの民はそのための兵士として私が使う。私がいつでも魔法で強化できる便利な部下だ。これだけの兵力があれば、そう簡単にこの島を陥落させることはできない。元々この島は守りに特化した地形にある」
「お前の私的な欲望のために、皆を道具にするのか!」
アポロがきつく問うも、ククルの身体を乗っ取ったターレックはまるで気にした様子もなく、平然と答えた。
「それの何が悪い?」
視界が怒りで一瞬歪む。事もあろうにターレックは開き直った。言葉が通じない魔獣か何かを相手にしているような気分だった。
アポロの膝元で、カイルスが掠れた声で言う。
「アポロ、無駄だ。ああいう手合いは何を言っても無駄なんだ。力に溺れきっている」
呪いで身体が蝕まれているにもかかわらず、彼は強引に立ち上がろうとする。
「カイルス、駄目だ。動ける状態じゃない」
「だが、このままでは、この国が奴の物になってしまうだろう……?」
「空賊が正義の味方気取りとは笑わせますね」
ターレックが唾を吐き捨てるように言った。ククルの顔を使って口にする錬金術師の台詞全てが忌まわしい。
「無知が故に、貴方やそこの画家風情は私の行いを悪であり、私のことを人格破綻者だと決めつける。そう、無知が故にです」
「何が言いたい!?」
不快感に耐えきれずにアポロは叫ぶ。
ターレックは杖の先端を指で叩きながら言った。
「私とて、他の人間を自分のために利用する行為が悪ということくらいは理解している。だが、今私がやっていることはそれに当てはまらない」
「どの口が言うんだよ!」
アポロの怒声に、杖を叩いていたターレックの指を動きが止まる。
「……いいだろう。あの魔天を破壊されることは君たちにとっても致命的だが、私にとってもそうだ。諦めてもらうために真実を教えてやる」
「アポロ、奴が何をつもりか知らないが、耳を貸してはいけない」
カイルスが警告する。だがアポロはターレックの言葉を無視することができなかった。
もちろん、ターレックを憎む気持ちが消えたわけではない。しかし、アポロ自身も魔天を見ていて、自分の行いがヘルメトスに最悪の結果をもたらしてしまうような気がしていた。その絡繰りを知らなければならない。
ターレックが空になった宝石を指す。
「流石に理解しているとは思うが、私はここに溜め込んだ魔力を使ってヘルメトスの国民全てを操る魔法を完成させた。五年前に突然この宝石の中身が空になった時は焦ったが、芸術祭を利用すれば、再度ここに魔力を溜め込むことも難しくはなかった」
自分の足跡を思い出しながら喋っているのか、ターレックは語りながら床を杖で叩いて回る。
「だが、魔力だけあっても魔法は成立しない。魔力を送る魔力線を用意しなければならない。そのためには民全員に私の情報を刻む必要がある」
それに関しては、シャーリの家で一度アポロも考えた。魔法薬を使ったのではないかというところまでは辿り着いたが、そこから先は何者かの思考妨害によって阻まれてしまっていた。
思考妨害を解除する方法は、真実を知る第三者が助言すること。
「情報を刻むために魔法薬を使ったが、その薬をどうやってヘルメトスの民全員に与えたのか。……答えは単純。君たちが生まれた際に与えた」
「そんなわけないだろ! 国民全員の生まれた瞬間に立ち会っていたなら、その違和感に誰かが気づく!」
真実を知るために敵の言葉を聞かなければならないと考えたアポロだが、それでも出鱈目に誤魔化されるつもりはなかった。
「ここで問題となるのは、君たちはどのようにして生まれた存在かということだ。元宮廷画家第二十九位アポロよ。君は自分の生い立ちを思い出せるか? 両親は誰だ? 自分でなくても良い。親が赤子を抱く姿を見たことがあるか?」
何か、今まで思い出せなかった重大な真実が頭の中に流れ込んでくる感覚があった。しかし、その真実を到底受け入れることができず、アポロは抵抗する。
「オレは爺さんに育てられて……」
「その人物は、本当に血が繋がっている祖父であると断言できるのか。そもそも祖父と君の間に存在するはずの両親はどうした?」
否定したい気持ちを上書きするように、忘れていた記憶が蘇る。
ヘルメトスの国民が亡くなった際に埋葬される石界大樹の遺跡の地下。祖父を埋葬する際以外にもアポロは一度その場所を訪れていた。
自らがこの世に生まれた瞬間。
記憶の中、ランプと薬品を持ったターレックの姿が見える。
「う……あ」
「私のために教えてやる。ヘルメトスの民は遺跡に埋葬された後、王家の魔法と石界大樹という魔天の力を持ってして、新たな身体に作り替えられる。君たちは、永遠にこの島で再利用され続ける人形なのだ。私は誰も使っていなかったゴーレムを自分のために使用しているだけだ」
「ふざ、けるな。オレはちゃんと成長する人間だ……」
「いいや違う。身体が多少成長するのは人形の身体を構成する素材の影響だ。君たちの身体は加工した石枝でできている」
時間経過によりその枝を伸ばし続ける石界大樹。
その一部である石枝が素材として使われているのであれば、身体が成長することもあり得てしまう。
王宮の塔に使われている昇降装置は石界大樹の生長を魔法で操作することで成立させていた。
ソラリスも土属性の魔法を使って地面に埋まっていた石樹の枝を自由に伸縮させていた。
魔法で石樹を操作してはいけないという法は、島の土壌を守るためだけに作られたのか。もしかすると、その魔法で民の身体に影響が出る事態を防ぐ狙いもあったのではないもか。
ターレックがいつの間にかアポロを見下ろす位置まで接近していた。そんなことに気づかないほど、アポロは追い詰められている。
「千年前、この島を訪れたという画家は、自分の連れたゴーレムのためにヘルメトスという国を作った。それ以来、この国は自分達を人間と思い込んだゴーレムによって運営され続けてきたのだ」
遺跡で見つけた石版に刻まれたヘルメトスの歴史。画家が連れていたという小人。もし小人が人間だったのであれば、石版には子供と表記されていただろう。
「ここまで言えば理解できるな? この国のゴーレムの循環を支えているのは、星空に記録された王家の魔法だ。もちろん星空の魔天を消去する魔法も用意されているが、それをお前が複写して使用すれば、この国の民は二度と最誕生できない。壊れればそれで終わりのガラクタとなる。真っ先に壊れるのはスラムの民かな? 彼らは既にどこか故障した人形の集まりだからな」
シャーリは病で色を判別できなくなったと言っていた。しかし、もしそれが故障だったとすれば、確かにゴーレムとして最も死が近い存在ということになる。腕や足を失った者達も同じだろう。
「馬鹿な奴らだよ。故障しても、完全に停止させて遺跡に運べば、また新たなゴーレムとして復旧できるというのに」
地下のコロニーで見た風景を思い出し、何かを言い返さなければと顔を上げる。しかし、何を言えば良いのか分からない。
ターレックの言葉を切るように、目の前を銀閃が通過する。
ターレックは後方にステップしてその攻撃を躱した。
カイルスが震える身体で立ち上がる。その手に握られた短剣がターレックを狙ったのだ。
「アポロ、奴の言っていることを正面から受け止める必要はない」
彼の言葉はありがたかったが、アポロは首を振る。
「駄目なんだ。星空の魔天を見てしまったから、ターレックの言っていることが嘘じゃないってオレには分かってしまうんだ」
レシピの内容を細かく解読できなくとも、魔天の中にヘルメトスのゴーレムを循環させる魔法が存在しているということは、何となく把握してしまっていた。
だが、空賊は揺らがない。身体は満身創痍なのに倒れる気がしなかった。
「ククルから受け取った言葉を思い出せ。君の正体がゴーレムだろうが何だろうが、そこに魂があることは間違いない。君の魂の在り方に彼女は期待していたのではないのか」
カイルスの言葉に我に返る。
たとえ自分達の身体がゴーレムだったとしても、今までやってきたことが無に帰すわけではない。ククルにはククルの、アポロにはアポロの魂がある。
スラムの者達もそうだ。ターレックは故障したのなら停止させて復旧すれば良いと簡単に言ったが、その時点で心も新しく作り替えられたしまうのではないか。それは人間の死と同義だ。アポロはスラムの者にも心や魂が存在すると言い返せば良かったのだ。
当初考えていたヘルメトスを救う方法は使えない。だからといってこの現状を受け入れる必要はない。自分達の正体が何者であろうとも、そこにある意思をターレックが無視して良いという理由にはならない。ヘルメトスの民がただの人形であるというのは、ターレックの勝手な決めつけだ。
その時、ターレックはククルの姿を借りて、アポロにとって忘れられない言葉を吐いた。
「お前は前に進もうという熱を持っている。進み続ける船は、妙な場所に停泊し続けたりしない限り、いつか必ず目的地に辿り着く」
声も台詞も同じだが、そこに感情はない。思い出を捨てるような口調だった。
「なん……で?」
「私は今、女王の身体を使っている。そこに保存された記憶を閲覧する権利もあるということだ」
夢を踏み躙られる。
「ゴーレムに魂や心が本当にあるとすれば確かにいずれ何かを成し遂げられるかもしれない。しかし、そんな事実はない。私がこの身体を使っているこの現状こそがその証明なのだ」
「お前が、勝手にククルの魂を封じているだけだろ」
「違うな。あの魔天に記録されていた魔法はあくまで魂を移動させるためだけの代物。しかも、魂を移動させる先が空の器でなければ成立しないという条件がしっかりと刻まれている。魂の入った身体に強引に別の魂を入れることなどできるはずがない。魂は器と強く結びつく。いかに強力な魔法であってもその結びつきを解くことはできない」
再びターレックがこちらに近づいてくる。
カイルスが迎撃しようと震える手で短剣を振るが、ククルの細い手に握られた杖で、カイルスの身体ごと弾かれてしまう。
空賊の身体が床を転がる。
「カイルス!」
動こうとしたアポロの身体を銀杖が遮った。
そしてターレックは空いた手でアポロの頬に触れる。
まるで、六年前の見張り台での記憶を上書きするように。
「君達ゴーレムに魂など存在しない。どこに進もうとも、どこかに辿り着くことなどない。人間でさえ人の心を震わせる作品を描くことは難しい。それを空っぽの人形が成し遂げることなど絶対にない」
「そんな、ことは」
抵抗しつつも、既にアポロは支えを失っていた。
六年前に夢を語り合ったその時も、ククルの身体には魂がなかったという。
心と魂の存在しない空っぽの人形。
六年前にククルから受け取った熱が、全て幻だったかのように休息に冷めていく。
助けたいと思った相手に魂は存在しなかった。
ならば、一体彼女の何を取り返せばいいというのか。
ククルと共に夢を追いかけるために今の自分が何をすれば良いのか。
答えは見つからない。
「諦めろ。道具は道具らしくあれ。これからは私の願いのために、ただ機械的にその身体を使うのだ」
ククルの顔、ククルの声がアポロの全てを否定した。
「さぁ、その絵を渡せ。そんな物、もう描く必要はないんだ」
アポロは脇に抱えていたキャンバスを震える左腕に持ち替える。
アポロにはもう戦う理由がなくなってしまった。
魔法の力で操られなくとも、もはやアポロはターレックに逆らうことができなくなってしまっていた。
差し出された絵画を見てターレックが笑う。
「それで良い。ようやく君も正常な働きをするゴーレムになったようだ」
ターレックの手がキャンバスの端を掴もうとする。
その時だった。
『鍵は解ける。嵐は揺り籠の中で眠る』
懐かしい呪文だった。幾度も助けられた声だった。
どこからか光球が放たれ、ターレックを狙う。その魔法の効果を察知したのか、ターレックは慌てて銀杖を手放した。
光球がつぼみのように開き、光の帯が銀杖を床に縫い付ける。
ターレックは叫んだ。
「おのれ、まだ抵抗するのか。しかも今のは紛れもなく王家の魔法。昨晩から何度も何度も……アポロ、お前は何だ。たかが一介の画家が何故王家の魔法を使うことができる!?」
ターレックの声は間違いなくアポロに向けられている。しかし、アポロには王家の魔法を使った覚えなどまるでない。
怒り狂うターレックに飛びかかる者がいた。アポロでもカイルスでもない。
それは、五年間アポロの隣に居続けた相棒だった。
「こんな小さなゴーレムで私をどうこうできると思うのか!?」
ターレックが黒い炎を纏った腕を振る。飛び込んだブイレンは弾かれ、アポロの元まで転がった。
「ブイレン、もういいんだ。もうやめてくれ。オレにはもう……」
戦う理由がないと言いかけたところで、アポロの口が止まる。ブイレンの黒い瞳がアポロを真っ直ぐに見つめている。
その身体を蝕む黒い炎が静かに消えた。
代わりに、視認できるほどの濃い魔力がブイレンを包む。
ブイレンは首を回しながら呟く。
「ああ、やっと記憶が戻った。……起き抜けだが、まずはこの状況を何とかしないとな」
彼女は呪文を唱える。
『鍵は解ける』
呪文に反応して、魔天の間の、紋章が描かれた台形の壁が左右に分かれる。その先に狭い空間が見えた。
「何を、するつもりだぁ!」
ターレックが喚きながら黒炎を放つ。
ブイレンは翼を広げてそれを回避しながら、カイルスの元に降り立った。
瞬間、カイルスの身体から黒い炎が消える。
「おい、空賊。まだ動けるな?」
ブイレンが尋ねると、カイルスは素早く身体を起こした。しかし、呪いが消えたとしてもすぐに体力が戻るわけではない。その顔は苦しそうなままだ。
それでも灰色髪の空賊は笑った。
「ああ。まだ飛べるさ」
ブイレンが新たに呪文を唱える。
『鍵は解ける。民は王家を知らず、故にそこに影はない』
ターレックがブイレンとカイルスに向けて黒炎を放つも、突如駆け出したカイルスに追いつかない。
「これは良い。身体が軽い!」
痛みに耐えているのか、額に汗が滲んでいるものの、カイルスは楽しそうに魔天の間を駆けた。途中でアポロの身体をキャンバスごと拾い上げ、そのまま開いた紋章の壁まで走る。
「逃がすかぁ!」
ターレックがメルクリウス号を襲った火の手を浮かべるも、それが放たれるよりも先に、カイルスは紋章の先に現れた空間に飛び込んだ。迫る炎を遮るように扉は閉じられる。
その部屋はやはり狭かった。カイルスとアポロがいるだけで、かなり手狭に感じてしまう。窓はないが部屋を照らす光源としてランプが一つ置かれている。
「なるほど、これをここに隠していたのか。女王を操って開けさせたといったところか」
カイルスがアポロの身体を降ろしながら呟く。その視線の先にあったのは、アポロとカイルスが石界大樹の遺跡内で見つけた物と同じ形の石版だった。
「そうだ。ここは王家に危機が迫った際に遣われる避難場所。開くだけなら余の身体を使えば可能だ。ただし、今、この部屋は余の魂による命令で管理されている故、余の身体を乗っ取っているターレックと言えども、そう簡単に扉は開けない。魂と身体は違うのだ。よって、立て直す時間は十分に確保できる。……こんな狭い場所、あんまり長居はしたくないがな」
流暢に喋っているのはブイレンだった。
そのくちばしから聞こえてくる声と口調は、聞いているだけで涙が零れそうになる程に懐かしい。
「ククル! ククルなんだな!?」
アポロはブイレンに駆け寄りながら叫ぶ。
塔を登る昇降機は特別な者がいなければ動かないとダイダは言っていた。魔天の間の開閉式の屋根も同じ仕組みだった。
トレイとカイルスの戦闘時、そして、メルクリウス号から塔に飛び移る時、王家の魔壁がアポロの意思に呼応して展開された。
ターレックはそれをアポロの能力と考えていた様子だったが、真実は違う。
五年前に拾ったアポロの相棒。黒い鳥の姿のゴーレム。
そこに彼女がいた。
「全く、情けない顔をしおって。やっと気づいたか馬鹿者」
第十一代ヘルメトス国王、女王ククルがそこにいた。