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魔天のギャラリー  作者: 星野哲彦
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第五章 5

 わざとらしい足音を立て、この悪夢を仕掛けた首謀者が近づいてくる。

 

 ターレック・コルトナだ。

 

 住人では用意に登れない場所でも錬金術師であれば追いかけてくることができる。

 青黒いローブは夜のヘルメトスと一体化しているようにも見えて不快だった。


「……グランはどうした?」

 アポロが尋ねると、ターレックはつまらなさそうに答える。

「今頃この状況を鎮圧するのに必死になっているところじゃないのか? あの分だと、そのうち誰かが犠牲になる」

 

 先程、グランやトレイは狂った町の住人に対して反撃をしていなかった。この国の民をなるべく犠牲にしないように立ち回ってくれているのだ。しかし、その状態がいつまでも持つとは思えない。考えたくないことだが、いずれ均衡は崩れ、町の住人かスラムの住人、どちらかに被害が出るだろう。


「私のコレクションは気に入ってくれたかな?」

 

 ターレックの挑発に、シャーリは曲刀を構え、ドゥハは巾着に手を差し込んだ。アポロも一拍おいて、鉛筆を握りしめる。

 

 アポロはターレックを睨みながら言った。

「もし、町の皆のことを言っているんなら、勘違いも甚だしいぞ」

「ああ、そういうことじゃない。彼ら自身は私の作品じゃないからな。この状況を作り上げた私の魔法のことを言っている」

 

 町から聞こえてくる破壊と暴力の音を楽しんでいるのか、ターレックは恍惚とした表情で耳に手を添えた。


「私一人の魔力では操作できる対象に限りがあった。だから絵画を使って膨大な魔力を蓄え、それを国民全員に分け与えたのだ。魔力だけじゃない。これからはいくらでも人形達を魔法で強化することができる。手始めに単純な身体強化を施してみたが、結果はご覧の通りだ」


「随分とよく喋る錬金術師ですねぇ。貴方、三流なんじゃないですか?」

 ドゥハが挑発しても、ターレックの悦びの表情は変わらない。

「自分の集めたコレクションを他人に自慢したいというのは当然の欲求でしょう? 三流なのはこれだけ魔法の仕組みを開示しても何もできない貴方の方では?」

 ドゥハとターレックが会話をしている隙に、シャーリが小声でアポロに言った。

「アポロ、水の魔法で私の道を作れ」

「……! 分かった」

 

 意図を理解して頷く。

 

 瞬間、弾かれたようにシャーリがターレックに向かって駆け出した。

 

 ターレックの手に杖はない。呪文の詠唱を完了される前に接近戦に持ち込むことができれば勝ち目はある。


「野蛮な女ですね……」

 そして、ターレックは短く呟いた。

『ブレイズ』

 いつかアポロの前でホエルが煙草に火を付けたように、たった一言の詠唱でターレックは魔法の準備を完了させてしまう。

 

 だが、そういう事態も想定してシャーリはアポロに道を作れと指示を出している。

 

 アポロの呪文詠唱も終了している。既に手元には水を湛えた鉛筆があった。

「させるか!」

 シャーリを迎撃するために放たれた黒い炎を水流で打ち消す。その間を縫ってシャーリが一気に錬金術師との距離を縮める。

 

 二歩の間合い。ターレックの次の魔法は間に合わない。

 曲刀が落ちる。


 ……しかし、それがターレックの体に届く事はなかった。


「な……に!?」

 

 シャーリの曲刀は細い灰色の管に巻き取られ、動きを止められていた。

 

 ターレックは左手に握った薬瓶を傾け、屋根の下へ何かの液体を垂らしている。杖も呪文も必要とせず、薬品を数滴垂らしただけで敵は防御のための魔法を発動させた。


「これ……は、石枝か!?」

 

 細い管はよく見れば石でできた枝であった。それらは尚も蠢き続けていて、シャーリの身体を縛り付ける。


「私が魔力線を繋げた対象は何も民だけではありません。石界大樹も今や私の手の中にある。枝くらいであれば、手足のように扱えます」

 

 石界大樹の枝はヘルメトスの地中に張り巡らされている。それらは土属性の魔法を扱うことができる者であれば操作できると聞いたことがあった。

 

 しかし、地中の枝を不用意に動かせば、ヘルメトスの地盤が崩れかねない。故に、魔法で枝を操作することはターレックが王宮に出入りする遙か前より禁止されていた。

 

 禁忌を犯したターレックは、魔力さえ足りれば一瞬で町を壊滅させることができてしまう。

 

 白い指先がゆらりと持ち上がり、枝の締め付けに苦しむシャーリの顔に、その先端が突きつけられる。

 

 紫色の唇が開く。呪文の詠唱を許せばシャーリの命はない。

 

 アポロは反応が間に合わず、先に動いたのはドゥハだった。

 

 ドゥハは走り、いつの間にか用意していた赤い宝石のはめ込まれた杖を振りながら呪文を唱える。魔法の準備を二つ同時に行うことで、発動までの時間をより短縮する狙いだ。


『誰にも理解されない壁が我らを守る』

 

 杖の先端がシャーリとターレックの指の間に差し込まれた。

 

 ターレックの詠唱が終了し、黒い炎が二人を焼こうと燃えさかる。

 

 しかし、その炎は悉くドゥハの杖の前で弾かれる。


「……見えない魔壁ですか」

 

 ドゥハが作った攻撃用の見えない刃の魔法は先日カイルスによって破壊された。しかし、彼にはまだ、目に見えない防御魔法という手札が残されていたのである。


「しかし、貴方の実力でその壁、いつまで持ちますかね? ただ耐えているだけじゃ、その女もいずれ絞め殺されますよ」

 

 ターレックが再度黒い炎を放とうと指を動かす。


「画家君!」

 

 ドゥハの要請を聞く前にアポロは動いていた。戦場や修羅場に慣れている騎士達やシャーリ達のように素早く反応することはできないが、アポロとて全く戦いの経験がないわけではない。自分が動かなければならない場面であることは理解できていた。

 

 既に契約魔法に名は刻んでいる。鉛筆の先端に水流が迸る。

 仕留めることはできずとも、ここでターレックにダメージを与えなければならない。

 

 だが、そこで錬金術師は予想外の一手を打った。

 

 ドゥハとシャーリを追い詰めるために動いたと思っていた指がアポロに向けられる。

『ブレイズ』

 放たれる黒い炎をアポロは水流でなぎ払う。

 

 これはアポロにも、そしておそらく敵にとっても、分かりきっていた結果だ。アポロが炎の攻撃を水で相殺できるという事実をターレックが忘れていたはずがない。

 

 無駄とも思えるその一手の意味をいち早く知ったのは、上空を旋回するブイレンだった。


「後ろダ!」

 

 振り返る暇もなかった。

 

 アポロは仰向けの状態で床に組み伏せられる。その拍子に鉛筆はアポロの手から離れた。

 

 そこにいたのは、瞳を青く滾らせたソラリスだった。

 

 彼女の背後には蠢く石枝がある。

 

 ターレックの操る枝を足場に屋根の上まで登ってきたということだろう。

 

 アポロに向けて放たれた黒い炎は、アポロの動きを固定し、ソラリスに奇襲させるためであったのだ。


「……ソラ……リス」

 

 彼女の左手がアポロの首を絞める。いつも丁寧に筆を握っていた右手にはグランを傷つけた石の槍がある。


「確か、お前はソラリスとは昔馴染みだったな。彼女はいつも出来損ないのお前のことを気にしていたよ」

 

 ターレックがあざ笑う。その近くでドゥハが「止めろ」と叫んでいる。

 

 ソラリスの手は震えていた。もしかすると僅かに自我が残されているのかもしれない。

 

 しかし、ターレックの命令に抗うほどの力はない。


「せめてもの情けだ。よく知る相手に破壊されるが良い」

 

 ソラリスに意識があるのならば、それはきっと地獄だ。

 

 首を絞められた痛みと悔しさでアポロの視界が赤く染まる。

 

 自分が不甲斐ないせいで、姉のように慕っていた相手に自分を殺させてしまう。


「誰……か!」

 

 視界の端でブイレンが近づく姿が見えた。しかし、彼女の飛行速度では石槍を止めるに至らない。

 

 ターレックが演出する死がアポロの胸元を狙って振り下ろされる。

 

 その凶刃に間に合うのは、

 幾多の戦場を駆け抜けた兵器の一閃だけだった。

 

 軽やかに、且つ鋭く、まるで時を切断するかのように剣は石槍を斬った。

 

 闇すら弾く金髪と色鮮やかな制服。

 

 昨晩彼は言っていた。自分達の戦いは仲間を鼓舞するものでなくてはならないと。

 

 その言葉を証明するように、トレイ・ガーベルが戦況を覆す。

 

 まずは剣を握っていない左手でソラリスをアポロから引き剥がし、切断した石槍の先端を使って彼女のカーディガンの裾を床に固定する。


「部外者が邪魔をしないでいただきたい!」

 

 叫ぶターレックが黒い炎を放つ。それと同時に床に固定されたソラリスが先端の欠けた石槍をその場で回転させた。

 

 石槍の動きに呼応して建物の周辺を覆っていた石枝が蠢く。

 

 ターレックが石枝を操る権限を持つため、そのターレックと繋がるソラリスにもまた同じ権限が存在するということだろう。

 しかも、ソラリスは土属性の魔力を扱うことができる。それは広場で彼女が石槍を生成したことからも明らかだ。

 ターレックは薬品の力を借りて石枝を操作していたが、彼女の場合、無手でも同じことができてしまう。

 

 アポロが忠告する間もなく、複数の石枝が騎士の背中に這い寄る。

 

 黒い炎と灰色の枝が、騎士を地獄に閉じ込めるように籠を作った。

 

 空気が呪いで焼ける音。

 魔力で強引に方向を曲げられる石枝の悲鳴。

 

 その隙間で騎士の呼吸する音を聞いた気がした。

 

 極小の動きで放たれた剣が炎を断つ。

 

 魔素を押し出す一閃は魔法の包囲網を貫通し、シャーリを締め付けていた石枝をも切断した。

 落下する彼女の身体をドゥハが受け止める。

 

 次手。散った炎を避けつつ、トレイは近づく枝を丁寧に伐採する。

 

 複数の石枝は同時にトレイに到達するように接近していた。しかし、彼は僅かな動きで石枝が自分の身体に到着するまでの時間に差を作り、その差を埋めるように剣を振った。

 

 剣の角度と動き。僅かでも最善手からズレれば枝は騎士の制服を貫いていただろう。

 だが、トレイ・ガーベルという男は、そんな糸で綱渡りをするような動きを求められていても失敗しない。

 

 敵の放った攻撃の手数は人間一人を追い詰めるに十分な量に見えたが、兵器と呼ばれる存在を相手取るにはまるで足りていなかったのである。


「……化け物が」

 ターレックが歯を軋ませる。

「良く言われるけど、国を自分の欲のために使うような奴に言われたくはないかな」

 残った周囲の枝を切り払いつつ、トレイは涼しい顔で答える。

 

 そして彼はアポロに言った。


「ここは僕が何とかする。君は合図に合わせてカイルスと合流するんだ」

 

 それが己の役目であることはアポロも理解していた。シャーリも開放された今、ここは仲間達に任せるのが最善だ。

 

 ソラリスがカーディガンから石槍の先端を引き抜いて立ち上がる。この数刻で気づいたが、ターレックに操られた者達はどこかその動きに不自然さがある。

 いつかアポロは、ククルの身体が糸で無理矢理操られる姿を想像したことがあった。今の民達の動きはその想像に近い。

 

 アポロはトレイに言った。

「ソラリスはオレにとって姉のような人だ。町の皆も家族なんだ。だから……」

 

 騎士は微笑み、顔の前で剣を縦に構える。

 説明されなくとも、その構えが誓いを立てるための姿であることが何となく分かった。


「僕は今回、グランにこの国を守れと命じられている。ガーベル家の騎士は任務を失敗しない。この町のこともグランに任せておけば大丈夫さ」

 

 そして、トレイは剣で行く手を塞いでいた枝を切断する。港までの道が開かれた。


「走れ! 彼女だけは君が守れよ!」

 

 トレイが叫びながら鞘で空を飛ぶブイレンを示す。アポロの相棒はいつでもアポロの動きに合わせられるように上空を絶えず旋回していた。


「ありがとう!」

 

 増援に感謝しながらアポロは走り出す。

 

 後方から石枝が近づく気配があった。おそらくソラリスが操作しているのだろう。

 振り向きざま枝を水流でなぎ払おうとするが、その前に石枝は何もない場所で弾かれた。

 

 そこに杖を構えたドゥハが立っている。

「画家君、行ってください!」 


 ソラリスに対してシャーリが、ターレックに対してトレイが、それぞれアポロを追撃させないように牽制する。


「アポロ、行け! お前にしかできないことをやれ!」

 

 シャーリの声を背中で受け止める。街道を逃走した際の疲労はまだ完全に回復していなかったが、彼等の奮戦を不意にしないためにも、今ここで足を止めることはできない。

 

 建物と建物の間を数日前と同じように、水流の勢いを借りて飛び移る。途中で一度転んだが、すぐに立ち上がってまた走る。

 

 足の感覚がほとんどなくなる頃、アポロは見た。

 

 前方の島の端付近で打ち上がる花火。

 昨晩、塔に登った時に見た物と同じ色、同じ大きさ。

 

 カイルスとダイダからの合図だった。

 アポロの少し上を飛行するブイレンが叫ぶ。


「船ダ!」

 

 正面の港から浮かび上がる一隻の船。

 流線型の船体と鋭い船首。真横に広げられた翼。

 

 現れたのはメルクリウス号だった。

 

 船首近くの舵輪のそばにダイダがいて、カイルスはあろうことか翼の先端に立っている。

 短い付き合いではあるが、その立ち位置だけでカイルスが何をやろうとしているのか理解できてしまった。


「なんて無茶なこと考えるんだよ!」

 

 悪態を吐きつつも、その意思に合わせるために走る位置を調整する。

 

 メルクリウス号が船体を傾けながらこちらに近づく。船の翼は屋根に当たるギリギリまで高度を落とした。

 

 カイルスはその翼の上で姿勢を低くする。

 片手は翼の縁を掴んで身体を支え、もう片方の手をアポロに向かって差し出す。

 

 船とアポロがすれ違うその刹那。アポロは目一杯左腕を伸ばす。

 

 空賊の手と画家の手が接触した。


「掴まれ!」

 

 合図に合わせて手を握り込む。

 

 ふわりと体が持ち上がる。

 同時に景色が回転した。

 

 思い切り体を引き上げられたアポロは、メルクリウス号の翼の上に背中から着地した。

 曲芸師のパフォーマンスに巻き込まれたような気分だった。


「……失敗したらどうなってたんだよ」


  背中をさすりながらアポロが言うと、カイルスは灰色の髪を押さえながら痛快に笑った。


「成功すると信じていたさ」



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