第四章 6
たった二日間の出来事ではあったが、全てを話すとなるとそれなりの時間を要した。
話し終わる頃には、洞穴の外に立ちこめる魔霧が橙色に染められていた。
話を聞き終えたグランがこめかみを抑えながらぼやく。
「つまり……ターレックによる支配がはじまってから追加された法が『星空を描く事を禁じる』という内容だったから、それを破れば奴の魔法に綻びが生じるかもしれない、と。話は分かるが根拠に乏し過ぎるだろ。よくそれで行動を起こそうと思ったな」
言われて初めて自分達が博打のようなことをしていたということに気づく。しかし、競り祭で警備が薄くなっている時を逃せば、塔に登るのはさらに難しくなっていたはずだ。タイミングとしては昨晩が最善だったのは間違いない。
アポロが己の行動を振り返っている間にカイルスが淡々と答える。
「俺達は空賊だ。根拠が揃うまで行動するのを待つ道理はない。そして、アポロには余裕がなかった」
グランは言い返さず、上着のポケットから葉巻とマッチを取り出した。
「失礼」
煙を吐き出しながら藤棚の天井を眺める。手に入れた情報を整理しているのか。
やや間を置いて、グランはアポロに言った。
「随分この男に入れ込まれているじゃないか。まさか空賊の狙いがまだ完成していない絵を見ることとは思わなかったぜ。どうやらアポロ少年は犯罪者を引き寄せる性質があるらしい」
「どういうこと?」
言っている意味が分からず問い返すと、ダイダが代わりに答えた。
「お前さんを六年前に救ったという武器職人、ホエル・ファーリスは儂ら以上の大罪人として追われている」
「は?」
アポロは心底驚いた。
これまでの経緯に加えて飛空挺での事件についても話してはいたが、それは当時のククルが今とは違う性格だったことを説明するためだった。まさかここでホエルの話に触れられるとは露程も想定していなかったのである。
グランが再び煙を吐きつつ解説する。
「ホエル・ファーリスは今から二年前。王都に構えた自分の店で『どんな魔法も破壊する』という魔剣を拵えた。当然、そんな危険な道具を放置するわけには行かず、魔剣は即刻没収。本人も投獄が決まったが奴は逃げた」
完全に初耳の話だった。
ターレックが政治に口を出すようになってからというもの、ヘルメトスと他国の関係は極度に少なくなっている。当然外の情報は入手し辛く、ホエルのその後の事情を知るような機会はなかった。
グランは続けた。
「当時は一介の職人がどうしてそんな大それた物を生み出したのか意味不明だったが、今なら分かるぜ。奴はどいうわけか、この島の闇に気づいていた。だから、魔剣でターレックの魔法をぶった切ろうとしたんだな」
つまり、ホエルはこの島を去って尚、この国を救おうと動いてくれていたのだ。
アポロは六年経っても絆が途絶えていなかったことが嬉しくて思わず頬を緩ませる。
「おいおい今の話を聞いて喜ぶなよ。奴の作った魔剣が悪党の手に渡ったら、いくつの国が潰れていたか分からないんだぜ」
グランの言っている意味は分かる。全ての魔法を破壊するのであれば、人々の生活にとって必要な魔法や、国を守るような魔法も容易く破壊することができてしまう。そんな危険な武器は没収されても文句を言えないだろう。
だがそれは、ホエルがそのような危険を冒してでもこの国を救いたかったという気持ちの表れでもある。
喜ぶなというのは無理な話だ。
「まぁ、ホエルの話は一度置いておこう。今は今後の話だ。先程、グランは根拠に乏しいと言ったが、俺は現状、星空を描く以外の対抗策を思いついていない。だから、もう一度塔に挑みたいと思っている」
カイルスはそれが当然のことであるかのように言った。一度の失敗で進路を変えるつもりはないらしい。
「待て待て。それなら昨晩、一応の目的は果たされたんじゃないのか? 短い時間だったとはいえヘルメトスの星空を見たんだろう? なら、その時の記憶を頼りにアポロ少年が絵を完成させることもできるはずだぜ」
グランの言葉を受け、視線がアポロに集う。
アポロは既に二度、ヘルメトスの星空を目撃している。それ以前にも夜空を見ようとしたこともあった。何もアポロは五年間ずっと大人しくしていたわけではない。
時には自宅の屋根から、時には王宮の窓から、星を求めて島中を巡った。
魔霧の隙間から僅かに見えた星を、その都度記録して作成した研究手帳もある。ここ二日間で見た光景と過去に得た情報を組み合わせれば、絵を完成させること自体はできるだろう。
しかし、それではおそらくターレックの計画を阻止することはできない。
ヘルメトスの空に浮かぶ星空は普通とは違うのだ。
「駄目なんだ。あの星空はきっと魔天の間からじゃないと描けない。完成直前まで絵を進めることはできても仕上げはあの場所でやらないと意味がない」
「どういうことだ?」
問ういたのはグランだったが、アポロを見る全員が答えを求める顔をしていた。あの空の秘密はまだアポロしか辿り着いていないのだからそれも当然だ。
「あの星空は偽物。あの星空は魔天だ。魔天の間とはつまり、魔天を一望できる場所って意味だったんだ」
「はぁ、そりゃあ、また壮大な話じゃな」
魔法や魔導具に精通するダイダだけは今の言葉だけで空の正体を理解できたのか驚嘆の声を上げる。
「我が輩にはさっぱりなんだが、カイルス、お前はどうなんだ?」
「俺も魔法については詳しくない。アポロ、悪いが素人にも分かるように噛み砕いてくれないか」
「悪い。結論だけ話すのは親切じゃなかった」
とはいえこれは、星空を眺めているうちに混乱してしまったアポロの思考が偶然拾い上げた答えである。噛み砕いて説明するとなると、アポロもゆっくり喋らざるを得なかった。
「まず、偽物という点について。昨晩オレ達が見た星空は、本物の空の一歩手前にある空気の層に描かれた転写画だ」
転写画とは、描いた絵を別の物体に移す転写魔法によって描かれた絵のことを指す。転写魔法を極めると、本来目に見えない性質の物に絵を移したり、絵が見える時間を調整したりすることができる。
「おそらく、夜の間だけ絵が浮かび上がるように設定されているんだろう。そして、その偽物の空が魔天化してる」
「ちょっと待て。我が輩の記憶が確かであれば、魔天ってのは古い自然物と強い魔素が結びつくことで作られる代物だったと思うんだが?」
「その記憶は正確じゃない。人工物が魔天になることもあるんだよ。古い遺跡とかな。時間が経過した人工物は自然として扱われるようになる」
「ということはその偽物の空は相当昔に描かれた物ということか?」
空を直接見た時のアポロと同じように混乱しているのか、グランは葉巻を握ったまま頭を抱えている。
「間違いないと思う。オレは昨晩あの空を見ているだけで頭が混乱した。それくらい空に含まれている情報が多いんだ。長い年月をかけて少しずつ描かれたのかもしれない」
「何だそりゃ、それを描いた奴は一体どんな目的でそんなことをしようと思ったんだ」
「情報の保存だよ。あの星空には魔法のレシピが刻まれている。星と星の結びつきが暗号になってるんだ」
魔天の星空の正体は魔法のレシピを保存するための貯蔵庫だった。幾千もの魔法が刻み込まれているからこそ、それを無防備に眺めたアポロの思考は混乱してしまったのである。
「なるほど、魔法の破壊は、法則を破るかレシピを直接破壊するかだ。いくら堅固な法則を構築することができてもレシピを狙われてしまったのでは意味がない。だが、空にレシピがあるならばそう簡単に手出しはできないな」
カイルスが洞穴の外を見て言った。昨晩見た星空を思い出しているのかもしれない。
「そういうこと。刻まれているのは多分、ほとんどがヘルメトスの王家に伝わる魔法だ」
本来魔法のレシピを構成する暗号はそう簡単に他者には解けない。しかし、昨晩アポロが星空を見た時は不思議といくつかのレシピを読み解くことができた。
魔天が元々そのように作られていたか。いくつかの王家の魔法を目撃したことがあったからか。もしかするとここ数日様々な魔法を目撃したおかげでアポロの魔法に対する理解力が上がったという可能性もある。
昨晩確認できたのは六年前にククルが使った二つの魔法。
見張り台からの落下を防いだ魔法と魔獣を床に縛り付けた魔法だ。
おそらくあの星空には他にも王家を守るための様々な魔法が空に刻まれているのだろう。
「ターレックがこの国を乗っ取るとなると、そいつも自由に使えるようになっちまうってことか」
グランは忌々しそうに吐きながら、懐から取り出した小さな板に葉巻を押しつける。
「俺が賢者の瞳で確認した限り、ターレックと女王の魔力線の結びつきは他と比べて殊更強い。いつターレックが王家の魔法を使いはじめてもおかしくないだろうな」
カイルスは以前にククルとターレックを繋ぐ魔力線は、地下で働く炭鉱夫を繋ぐ魔力線の十倍以上の太さがあると語っていた。そこにはそうするだけの理由があったのだ。
「だが、そんなもんどうやって阻止したらいいんだ? いっそのことトレイにターレックを切ってもらうか?」
グランの提案は悪くないと思ったがトレイはすぐに否定する。
「辞めた方が良いと思うよ。経験上、魔術師や錬金術師の類いに直接武力行使をして良い結果になったことがない。一時凌ぎになったとしてもその後余計に厄介なことになる。連中は自分が死んだ時のことも考えて策を用意しているのさ」
思えば、魔術師ではないもののアポロの祖父も自分の死後のことを考えて精霊と契約を交わしていた。結果、祖父が死んだ後も、その契約をアポロが行使している。似たようなことをターレックが考えていたとしても不思議ではない。
ターレックを止めるなら本人ではなく、仕掛けた魔法をどうにかしなければならない。
「多分、あの空には王家の魔法以外にもターレックの魔法が隠されてる。オレが星空を見た時にそう感じた。魔天にレシピを追加する方法があるんだろ」
アポロの言葉にカイルスがいち早く反応する。
「国民全員と繋がっている魔法のレシピもそこにあるということだな」
「そう。そして多分、それを止める手段も魔天にある。あの空を描いた奴は、魔天に刻まれたレシピが悪用された時のことも考えていたはずだ」
魔術師は己の魔法を他者に乗っ取られた時のことも考えて魔法を破棄する方法も用意するという。今のところ使う予定はないが、アポロも祖父から受け継いだ精霊との契約を破棄する方法を知っていた。
「魔天の間でオレが偽物の星空を複写する。そうすることできっと、あの魔天を破壊する魔法が使えるようになる」
複写魔法とは本来、絵や景色を下書きのためにキャンバスに複製する技術だが、魔法のレシピが刻まれた絵に対して使えばそのレシピを複製することもできる。アポロはこの国で最も複写魔法に精通した画家だ。アポロが魔天に刻まれたレシピを複製できないのであれば、他の誰にもできないだろう。
そして、それが不可能なのであれば、ターレックはわざわざ星空を描く事を禁じたりはしなかったはずだ。
ただし、複写魔法は基本的に実物を見た状態でなければ使えない。アポロの精霊契約魔法は例外中の例外だ。自宅に本物の絵画があって、それを幼い頃から眺め続けていたから、実物を見ていない状態でも複写魔法を使用することができる。
「さっきカイルスが言っていた通り、もう一度塔に挑む必要があるってわけか。……知れば知るほど、昨晩の我が輩がどれだけ余計なことをしたのか分からされるな」
「そうじゃよ? だから、その分の責任はとってけ」
楽しそうにダイダがグランの脇を肘でつつく。
「あれ? 我が輩が協力を要請したはずなのに、いつの間にか立場が逆転してる? まぁ、こっちもそのつもりだったんだから異論はないがな」
「実際、動ける戦力はどの程度あるの?」
既に先のことを想定しているのか、トレイがカイルスに確かめる。
「俺とダイダは他に仲間がいない。ヘルメトスの民で動けるとすれば、アポロとスラムの者達だけだろう」
それは以外な回答だった。
「え? シャーリ達だってターレックと繋げられてるんじゃないのか?」
「それが、洞穴の時は戦闘中だったこともあって気づかなかったんだが、彼らの魔力線は途切れていたり、色が薄くなっていたりする。ターレックが魔力線を使って何をするつもりなのかは分からないが、あの状態では本来の効力は発揮されないだろう」
「だからって、巻き込むのか?」
「もちろん、彼ら次第だな」
そう言って、カイルスは顎で藤棚の後方を示す。ちょうどアポロからは見えていない方向だった。
振り返ると、そこにいつの間にかシャーリとドゥハ、そしてスラムの住人達が集っていた。洞穴でアポロを取り囲んだ者達だ。
先頭に立つシャーリが言う。
「アポロ。巻き込むってのは違うだろ。これは元々、あたしらヘルメトスの民の問題だ」
「そうですよ。水臭い。俺達だって国のためにできることがあるならやりたいです。たった一人の錬金術師にここまで追い詰められて黙ってるなんてごめんです」
シャーリとドゥハの言葉に住人達も口々に賛同した。
「まさか、全部聞いてたのか?」
問い質すとドゥハが頭巾を抑えながら白状する。
「すいません。話し合いするならここかなと思って藤棚に盗聴用の魔法を……」
慌てて藤棚の中央にある石机の裏を確認すると、そこにいくつか記号が刻まれていた。
アポロはカイルスを睨む。
「賢者の瞳を持ってるカイルスが気づかないわけないよな?」
灰髪の空賊は肩を竦めた。
「彼らにも聞く権利はあるだろう」
アポロは石机の前でしゃがみながらたっぷりとため息を吐いた。聞かれてしまった以上、スラムの住人を止めるのは無理だろう。アポロが逆の立場だったとして、大人しく成果を待とうという気持ちにはならない。
シャーリがアポロに近づき、声をかける。
「ここにいる連中は皆、自分のやったことを反省している。一回捕まってから反省するなんて遅すぎるかもしれないけどさ。挽回のチャンスをくれよ」
その気持ちを拒否するつもりはなかった。アポロはシャーリとドゥハが頭を下げた時点でスラムの住人がやったことを許している。法による裁きはまた別の話だが、今は法を運用する国が崩壊しかけているのだ。そんなことを気にしている場合ではない。
アポロは立ち上がり、藤棚に集まった者達を見回す。
空賊、王都からの使者、スラムの住人達。
国全体を掌握しつつあるターレックに対して戦力が足りているかどうかは分からない。しかし、不思議と何とかできるような気持ちが沸いてくる。飛空挺の事件より六年。その期間の中で今が最も前に進んでいるという確信があった。
「分かった」
一言答えると、カイルスが確かめるようにアポロの前に立つ。
「いいのか?」
ここにいる者達と協力することに異存はないかということだろう。昨晩のアポロはそこに迷いがあった。
「おいおい。いいのかって、アポロ少年が参加しなきゃ、はじまらないんだろう?」
「黙っとれ」
口を挟むグランを強引にダイダが止める。
これはただの儀式だ。
事はアポロだけの問題ではないのだから、今更アポロが我が儘で作戦を拒否するわけにはいかない。それでもカイルスはあくまでアポロの意思を尊重すると態度で示してくれている。
答えは決まっていた。
「やろう。ここにいる面子で今度こそ国を取り戻すんだ」
鳴りを潜めていたブイレンが羽ばたきながら「やるゾ」と叫ぶ。外から差し込む橙色の光に似合ったその声に合わせて、一同は雄叫びを上げた。
それは地上に向かって焚いた狼煙であるかのように、地下の大空洞をいつまでも震わせていた。
第四章 終