第四章 3
「ボケっとするナ」
ブイレンに頭を小突かれてようやく思考が元に戻る。
「あれ? 今、画家君の話を聞いて何か思いつきそうだったんですけど、急に分からなくなりました」
そうやらドゥハもアポロと似たような状況だったらしい。シャーリはそうではなかったのか、ため息を吐いてドゥハを睨む。
「何だよそれ。肝心なところでド忘れか?」
「今のド忘れって感じじゃなかった気がするんですけどねぇ」
その後、アポロもドゥハも考え直そうと試みたが、結果は二人とも同じだった。同じ感覚を抱いていたことをドゥハに伝えると、彼は自信無さそうに仮説を話した。
「もしかするとこれ、ターレックが思考妨害の魔法を仕掛けてるのかも」
「思考妨害? 何だそりゃ?」
シャーリが聞き返す。
「思考妨害って言うのは、魔術師が自分の魔法を守るために作る防壁の一種ですね。例えば、カイルスの旦那に見破られて壊れた俺の『見えない刃の魔法』に、思考妨害を仕掛けていたとしましょう」
アポロは洞穴での戦いを思い出した。あの時、ドゥハの魔法に対してアポロは後れを取ったが、カイルスは賢者の目によって魔力の流れが見えていたため、『見えない刃』は『見える刃』となってしまい、ドゥハのレシピは破壊された。
「思考妨害があると、たとえ旦那に魔力の流れが見えていようとも関係なくなります。魔力が飛んできているけど、その正体が掴めない。そんな感じになるんでしょうね。何故なら思考妨害によって俺の魔法について考えることを封じられているから」
「あたしが馬鹿だからそう思うだけかもしれねぇんだけど、それって無敵じゃねぇか?」
「まぁ、別の視点、別の思考から見破られたり、見える見えない以外のところで矛盾が発生したりすると、思考妨害ごとレシピが破損しますが、姉さんの感覚は間違ってないです。思考妨害は超強くて、そんなの使える魔術師は世界に百人もいないはず」
「ターレックはそんなやべぇ奴ってことかよ」
シャーリが舌打ちをする。しかし、アポロにはそうは思えなかった。
「もしターレックが思考妨害を使えるのなら、そもそも自分を怪しませないようにしていた気がする」
「一番大事なところだけ守るように作ったってのはありえそうじゃないですか?」
「ドゥハ自身が今さっき言ったじゃないか。大事な箇所を思考妨害で守っても別の視点、別の思考から見抜かれたり、他のやり方で矛盾させられたりするかもしれない。だったら、ターレックに関して考えるのを禁じた方が自分を脅かす敵には有効じゃないか?」
「ああ、確かに。ということは少なくともこの感覚はターレックによる思考妨害ではないってことですね」
そうなると今度は別の疑問が出てくる。もし本当に思考妨害が仕掛けられているのなら、その魔法は一体どんな秘密をどんな理由で守っているのか。そして、それを仕掛けたのは誰なのか。
肝心な所が隠されている以上、そこに辿り着くのは容易ではない。
「まぁ、思考妨害についてはどうしようもないですね。これを破る最も簡単な方法は、思考妨害に関与せず、隠された秘密を知っている者がそれについて助言することなんですけど、秘密を知っているのが誰なのか、俺達には見当もつかない」
「だぁ、時間の無駄だったってことかよ。ターレックの計画を打破する何かが掴めるかもって期待したのに!」
シャーリが地団駄を踏む。そのオーバーなリアクションを見てアポロは少し安心した。
「悪い、喧しかったか?」
視線に気づいたシャーリが謝る。アポロは慌てて首を振った。
「そうじゃない。シャーリがターレックに怒ってるのを見てほっとしたんだ」
「そりゃ、誰だって自分の住んでる国を好き勝手にされたらキレるだろ」
「好き勝手されてるって思っているのが実は自分だけってこともあるだろ。それを知らないまま行動を起こせば、ただの国家転覆犯になるかもしれない」
アポロの話していることがシャーリには伝わらず、ドゥハには伝わったことが表情だけで分かる。
「ああ、なるほど、それは確かに。国を巻き込んで動く時はできるだけ多くの視点で物事を見た方がいいですね」
「いや、わけわかんねぇだろ。悪党はターレック。誰がどう見てもそうじゃねぇのか?」
「そりゃ、姉さんの思考が画家君と違って単純だか……あいたたたたた!」
ドゥハに馬鹿にされたと悟るや否や、シャーリが素早くドゥハの髪を引っ張った。
その状態のままシャーリは言う。
「悪いけど、あたしはエンスとラサがこれから生きていくこの国が良くなるなら、国家転覆だろうがなんだろうが、何だってやるぞ」
その言葉だけで彼女がこの小屋で共に暮らす子供達を心から愛しているということが伝わってくる。
しかし、ふと、何かに気づいたのか、シャーリが掴んだドゥハの髪の毛を手放す。急に髪の毛を話されたドゥハはテーブルに勢いよく頭を打った。
「痛いぃ。姉さん、とどめを刺すのはやめてくださいよ」
ドゥハの抗議を無視してシャーリは呟く。
「何だってやるって考え方だと今までと同じか。生きるためって言い訳して盗みをやってたのと何も変わらない。自分の行動が悪いことかどうか考えなくちゃいけない。そうか……アポロはそういう風に悩んでたんだな」
「おっ、姉さんがちょっと大人になった」
シャーリが床に突っ伏した状態のドゥハに拳を振り下ろす。今度こそとどめになってしまいそうな一撃だった。しかも、その上にブイレンが鎮座する。散々な扱いだった。
アポロは自分の気持ちを整理しながら話す。
「悩んでいたのとは違うかもな。オレは自分がどうするかはもう決めてた。ただ、それが他の人から見ても間違っていないと知れて安心できたって感じだ」
「決めてたってのはターレックと戦うことをってことだよな? お前はどうしてそこまでしようと思ったんだ。こう言っちゃなんだけど、お前は宮廷画家って立場を持っていたんだから、他にも一応やりようはあったわけだろ。あ、これはそうした方が良いって言ってるわけじゃないぜ」
シャーリの言っている意味は理解できる。ただの画家が命を賭けるには事が大きすぎるのだ。
だが、アポロにはどうしても譲れない夢がある。
「さっきも少し話したけど、オレは一度、この島を出ようとした時があった。その時にククルと出会って、国の将来や自分達の夢について語った。オレにとっては未だにその時間が特別で、その時語った夢を目指して努力を続けている」
シャーリも、いつの間にか回復したドゥハも、アポロの話を黙って聞いていた。
「でも、今のククルはどう考えても当時語ったこととは違うことをしている。それがカイルスの話を聞いてターレックの仕業かもしれないと分かった。オレはククルがどれだけこの国のことを考えていたか、どれだけこの国の芸術を世界に広めたいと考えていたのか知っているから、どうしても彼女のことを諦めることができない。操られているというのなら、その糸を断ち切りたいし、六年前に思い描いたように一緒に夢に向かって進みたいんだ」
思いの丈を吐き出すと小屋の中が一時静まりかえった。アポロは急に恥ずかしくなって顔が熱くなるのを自覚する。
「いや、悪い。ちょっと熱くなり過ぎた。こんなこと今話しても仕方な……」
「なぁ」
アポロの言葉を遮って、シャーリが問うた。
「ククル様が元に戻ったら、あたしら……いや、エンスとラサが住みやすい国にしてくれるかな?」
彼女の目は真剣だ。この問いに対していい加減な答えは許されない。
ターレックがこの国を支配しはじめたのはおそらくククルの父が王を務めていた頃からだ。それがそのままシャーリやドゥハがスラムで苦しんだ期間となる。長く絶望の淵にいた彼女が今、この先に希望はあるかと尋ねている。
分からないと答えるのは簡単だ。しかし、ククルが戻った未来を想像できるのはこの国にアポロしかいない。簡単に思考を放棄するのも違うような気がした。
「ククルとは芸術と関係したことしか話をしなかった。でもこの国の場合はそれが住みやすさに直結すると思ってる。ヘルメトスはそういう国だからな。それに、六年前はただの子供だったオレの話をククルは目を見てきちんと聞いてくれた。だから、少なくともシャーリ達が声を上げれば、必ず耳を傾けてくれると思う」
必死に想像しながら言葉を紡ぐ。
本当に自分の言っている内容が正しいのか。二人に中身のない希望を持たせてはいないか。自信が持てずに少し苦しくなる。
そんなアポロを助けるように、ブイレンが「間違いないイ」と短く鳴きながら肩に乗った。それだけでも少し気が楽になる。
シャーリは穏やかに笑った。
「そうか、この国の女王はそういう人か……そりゃあ、良いニュースだ。ここ数年で一番嬉しくなる話だ」
「こらこら、あくまで画家君の想像ですから、あんまりそこに希望を持ちすぎると、今度は画家君の精神的負担が大きくなりますよ」
そうは言いつつも、ドゥハも嬉しそうな表情をしていた。
小屋の外から元気の良い足音が二つ近づいてきた。
「お、帰ってきたな」
シャーリが嬉しそうに椅子から立ち上がる。子供達を出迎えるつもりなのだろう。
思い切り扉が開く音がする。続いて聞こえてくるどちらが報告するかで言い争う二人の少年少女の声。
シャーリが腰に両手を当てて、玄関の方に向かって叫んだ。
「ほら、お前達。ドアは静かに開けろ。それから喧嘩すんな」
エンスとラサが返事をしながらダイニングに駆け込んできた。カイルスとダイダの姿はない。
「あれ? 空賊の二人はどうしたんだ?」
シャーリが尋ねるとラサがスカートについた埃をゴミ箱に捨てながら説明した。
「何か、スラムの真ん中のベンチで待ってるって言ってたよ」
「はぁ? 何でだ」
今度はエンスが答える
「何か、お客さんが増えそうだから小屋に行くのは迷惑になるだろうってさ。それで、シャーリとドゥハにはスラムの皆を集めて欲しいんだって」
アポロ、シャーリ、ドゥハの三人はそれぞれ顔を見合わせた。
増えた客とは一体誰のことなのか。
何故、スラム街の住人を集める必要があるのか。
この場の誰もその答えを持たなかった。