第四章 2
全員の食事が終わると、シャーリは子供達に二人の空賊を呼んでくるようにと指示した。どうやらカイルス達はこの小屋以外の場所で休んでいるらしい。
「さて……」
食器を片付けたシャーリがダイニングに戻ってきて椅子に座る。一応片付けは手伝おうとしたのだが、子供達に「病み上がりの人は大人してなきゃだめなんだ」と言われてしまった。
「そろそろドゥハが来る。本当は、あの時洞穴にいた全員でお前と話をしなくちゃいけないんだけど、あたしの小屋は狭くて人がそんなに入れないし、何より皆忙しくてさ」
シャーリの言うあの時とは、アポロがダイダの荷物を奪い返すためにスラム街に突入した時のことだろう。
「何か今のうちに聞いておきたいこととかあるか?」
「……あの子達は、家族か?」
聞くべき事は他にいくらでもあったはずなのに、何故かアポロはそんなことを尋ねていた。シャーリも意外だったのだろう、答えるまでにかなりの間が生じた。
「ああ、家族だよ。血は繋がってないけどさ。男の方がエンス。女の方がラサ。あたしと同じで目があんまり良くない。色が人と違って見えたり、そもそも視力が悪かったり。そのせいで行き場がないんだ。だから、あたしが引き取った」
スラム街の洞穴で戦いになった時、シャーリはアポロに対してヘルメトスに対する不満を叫んだ。
今のヘルメトスは王に捧げる芸術を生み出すためだけにある。
少しでも欠陥がある者はすぐに王宮や町から追い出される。
スラム街の者は皆、芸術家としての命を奪われた。
あの時のアポロは、ダイダの荷物を盗んだというその行為に対して怒っていたため、話を逸らすなと抗議した。しかし、落ち着いて思い出してみると、彼女の言っていた内容には考えさせられる部分が多い。
町の人々も、王宮にいる宮廷画家達も、王のために作品を作る歯車だ。しかも、今は外の世界に許可なく出て行ってはならないという法もあるため、その仕組みから逃げることもままならない。この島の人々のほとんどは物を作ることを愛しているため表面化し辛いが、蔓延る問題は深刻だ。芸術に携わることができないと見なされた者は働くことも逃げることもできない。それではもう死ねと言われているようなものではないのか。
考えていると、小屋の奥からドアを開閉する音が聞こえてきた。
「来ましたよ、姉さん。画家君が起きたんですって?」
ダイニングに現れたのはアポロの知らない男だった。
緑色の長髪にやたら整った顔立ち。こちらを見つめるオレンジ色の瞳。
アポロは人の顔を覚えるのが得意な方だが、彼の姿に心当たりはない。洞穴でアポロを取り囲んだ集団の中にも彼はいなかった。
しかし、男の方はアポロのことを知っているのか気さくに話しかけてくる。
「おお、画家君。本当に起きているじゃないですか。顔色も大分良くなりましたね」
その声を聞き、アポロの中に一つの仮説が生まれた。その仮説を確かめるため、恐る恐る男に尋ねる。
「もしかして……ドゥハ?」
「そうですけど、何です? 不思議そうな顔して」
顔を見て分かるはずがなかった。彼はアポロの前では常に黒い頭巾を被っていたのである。
「ドゥハ。アポロはお前の顔を見るの初めてだろうか」
シャーリの指摘にドゥハは納得した様子で掌を打つ。
「あら、そうでしたか。道理で反応がおかしいわけです。そりゃあ、いきなり話しかけられても困りますよね。被ってる方は意外と自分の顔を見せたかどうか忘れてしまうんです」
「そもそもあれは何のために被っているんだ?」
それは地味に気になっていたことだった。
「俺は小心者でして。荒事や人に言えないようなことをする時は顔を隠しておかないと落ち着かないんですよ」
「なるほど」
見た目の奇々怪々さに反して意外とまともな理由が返ってくる。数日前、アポロが空の絵を描こうとして町の高い建物に登った際、身を隠すために外套を羽織っていたのと同じ理由というわけだ。
「おい、ドゥハ。雑談に興じる前にあたし達には通すべき筋があるだろ。お前はあたしの命令に従っただけだけどさ」
シャーリがきつめにドゥハの背を叩く。
「ああ、そうでした。それを疎かにするのは良くないですね」
背をさすりながらドゥハはシャーリの隣の椅子に腰掛ける。
並んで座った二人は、しかし、話を切り出しづらいのか揃って身を固くしていた。
何となく、ここはアポロから何か言うべきではないと判断して、二人が話しはじめるのを待つ。ブイレンは窓辺でそんな三人の様子を満遍なく眺めていた。
「あのな。二日前の洞穴のことなんだけど……」
話しはじめたと思った途端、シャーリは鈍い音を立てて己の額をテーブルに落とした。釘くらいなら打ち込めそうな勢いだ。
「あの時は悪かった! あたし達はやってはいけないことをした。しようとした」
「俺からも謝らせてくたださい。俺達はもう少しで取り返しのつかないことをしようとしました」
ドゥハもシャーリに負けない勢いで頭を下げる。二人の様子はこの場しのぎのための態度には見えなかった。おそらく、アポロが起きた時にどうするべきか、事前によく話し合っていたのだろう。
シャーリが話を続けるためか顔を持ち上げる。瞳から僅かに涙が溢れて、目元の黒と白のラインの上を伝った。
「八つ当たりだったんだ。あんたが着ていたカーディガンを見て、宮廷画家に一言文句を言ってやろうってさ。でも、空賊の野郎に言われたように、あんたはあたし達が辞めさせられた時に王宮にいたわけじゃない。それなのに、怒りに身を任せてあんたの画家の道を断とうとした。それがどれほど辛い事か、あたし達が一番分かっていたはずなのに!」
シャーリがきつく唇を噛みしめる。机に載せた傷だらけの手は震えていた。
祖父が昔、手は人の歴史を語ることがあると言っていたのを思い出す。
彼女の手の傷は、昔画家を務めていた時の名残であり、そして、子供達のために働いている証でもあるのだろう。
もしかすると盗みをやる過程で負った傷もあるのかもしれない。
しかし、アポロにはその手が汚れているとはどうしても思えなかった。
「……八つ当たりって言うなら、オレもそうだから」
アポロの呟きにシャーリとドゥハは顔を見合わせる。
「俺達、画家君に何か八つ当たりされましたっけ?」
「昔、オレはこの島を出ようとしたことがあって、その時に船の積み荷を狙った魔獣達に襲われたんだ。それ以来、盗むとか奪うとか、そういう行為を憎むようになった。洞穴の時のオレはその感情をただ振り回していたような気がする」
「いや、でも、それはあたしらが荷物を盗んだせいであって……」
「でも、オレはシャーリ達の事情を無視した」
悪事を指摘するという行為は過ちにはならないだろう。しかし、時と場合によっては他の要素から目を背けている分、楽をしていることになり得る。
「会話や交渉に応じず、奪い返すという手段を取った。自分の都合とか感情を優先させて強引な行動をすれば、争いに発展するのは自明の理だろ。それは善悪とはまた違う話だ。だから、オレが腕を切られそうになったのは、オレの自業自得でもあるんだよ」
もちろんアポロとて、シャーリ達がいい加減な態度を示したのであれば彼女たちの行いを許すつもりはなかった。
しかし、二人は誠実な言葉と共に頭を下げたのだ。
自らの行動を振り返った時、その気持ちを拒否できるほどアポロに非がなかったとは思えない。他者から見たら違う結論になるのかもしれないが、今のアポロの気持ちは二人との関係を修復する方向に傾いていた。
ところが、シャーリは何か納得できないのか、大きく首を振る。
「どうしてあんたがそんな申し訳なさそうな顔をするんだ!?」
「ちょ、姉さん。画家君は水に流そうって言ってくれてるんですよ」
ドゥハが話を収めに動いたが、尚もシャーリは不満そうだった。アポロとしては申し訳ないという表情をしたつもりはなかったが、考えたり悩んだりしているうちに顔が暗くなっていたらしい。
原因には一つ心当たりがあった。
「馬鹿みたいな話に聞こえるかもしれないけど、眠っている間に夢を見て、その中で昔の姿をしたククル……様に叱られたんだ。細かいことを気にしたり、言葉に惑わされたりするなって。それもあって少し自分の言動を反省してた。変な顔をしていたとしたら、きっとそのせいだ」
「画家君の腕が切られそうになったのは細かい話ではないと思いますけどねぇ。画家君のイメージする女王様は、なんというか……大づかみに物を見るんですね」
ドゥハがシャーリを宥めながら感想を呟く。すると、ブイレンが会話を切るように窓から飛び立ち、旋回しながら叫ぶ。
「今は錬金術師をどうする考えロ!」
「おっと、鴉君の言うとおりだ。ほら、姉さん」
ドゥハがシャーリを肘でつつくも彼女は腕を組んで下を向いてしまう。
「こんなにあっさり話が進んで良いのか? あたしはまだ納得してないぞ」
「だぁ、面倒くさい人だなぁ。画家君が許すって言ってくれたんです。俺達が話を拗らせるのは違うでしょうに。これじゃあ次の話がいつまでもできやしない」
「次の話?」
アポロが尋ねると、シャーリはようやく観念したのか咳払いをして腰を椅子に戻した。
「牢屋から開放された時に空賊の野郎から聞いた。今のヘルメトスでターレックが何かやろうとしてるって。この国がおかしくなったのもあいつが原因なんだろ? その辺のことあんたにも聞いてみようと思ったんだよ」
確かにターレックに関する話はシャーリ達にとっても無関係ではない。彼女達もまたヘルメトスで暮らす民なのだ。アポロには確認できないが魔力線でターレックと繋がっている可能性もある。
「どこまでターレックの影響なのかはっきりしてるわけじゃないけど、例えば芸術祭で競りに出される絵画には魔法が仕掛けられていた。おそらく碌な魔法じゃない」
二人が目を見開く。
「そんな馬鹿な。そんなの王宮で働いている全員を掌握してないと成立しな……なるほど、そりゃ国もおかしくなるわけです」
魔法を学んでいるドゥハは、それが可能であるということに気づいたのか、口元を手で押さえて顔を青くした。
「王宮どころじゃない。この国のほぼ全ての民がターレックと魔力の線で繋がっている」
「んなもん、いつどうやって繋げたんだよ!」
シャーリが叫んだことはアポロも不思議に思っていた。ターレックはいかにしてこの国全体に魔力線を張り巡らせたのか。
「ドゥハ、どうなんだ。お前ならあたしに分からないことも分かるんじゃないのか?」
ドゥハは髪をかき混ぜるように掻き毟った。
「無茶言わないでくださいよ、姉さん。魔術師としてのレベルが違いすぎます。俺の場合、そんなことやろうとすら思えないんですから」
アポロはドゥハの言葉を聞き、「思えない」という表現が何かのヒントになるような気がした。
「ターレックはそれをやろうと思えるきっかけがあった……とか」
「例えばそれはどんな?」
アポロの提示した仮説に興味を持ったのか、ドゥハは掻きむしる手を止めた。
アポロはカイルスと共に石界大樹の内部遺跡に入った時のことを話した。ターレックが何かを知ったとすれば、遺跡が関与している可能性が高い。
「なるほど、錬金術師様は自分が知った秘密を隠すために石版を持ち去ったと。十分考えられそうな話ですけど、その秘密が何だったのか分からないことには俺達には計画に関して何も推理できなさそうですねぇ」
「ドゥハ、そんな弱気なこと言ってないで何かないのか? どんなことを知ったら国全体に自分の魔力を飛ばそうなんて馬鹿な計画やろうと思うんだ」
「だから、レベルが違いすぎて分からないですってば……ああ、でも、俺がそれを無理だと思う理由から考えていけば良いのか」
魔術師が魔法を作る際、様々な視点から物事を見る力が重要という話を聞いたことがある。ドゥハの、思考の切り替えの早さは魔法を学ぶ過程で身についたものだろう。
「自分と何かを魔力で繋げよう思った場合、繋げる対象に自分の情報を書き込まないといけないんですよ。つまり、ヘルメトスを牛耳ろうと思ったら、ヘルメトス国民全員に文字を刻まないといけないわけで。しかも魂や肉体ってのは成長すればするほど情報が増えて密度が増すから、やるなら生まれたての赤ん坊を狙うしかない。そんなの無理じゃないですか」
「でも、ターレックは普通の魔術師ではなく錬金術師だ。錬金術では魔法薬も扱うからその分できることが増えるんじゃないか?」
アポロが口を挟むと、ドゥハは「そうか」と手を打ち、再び考え込む。
直接文字を刻み込まなくても国民全員に同じ薬を飲ませる方法があればいい。
しかし、そこまで考えたところで、思考が強引に『何か』によって遮られた。
それは頭の中に見えない壁ができたかのような。
強引に歯車によって思考を操作されたような。
そんな奇妙な感覚だった。