表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔天のギャラリー  作者: 星野哲彦
3/50

序章 3


「高めの音二回の意味は……敵影あり」

 

 その表記に青ざめるや否や、二度目の汽笛が状況を確定させる。真下で複数の足音が聞こえてくる。アポロとククルは見張り台の手すりから甲板をのぞき込んだ。キャビンから飛び出してきた船乗り達の影がそこに集っている。その内の一人がこちらを見上げて声を張った。


「おい、新入り! そっちからは何か見えるか?」

 

 声で分かったが、叫んだ船乗りはアポロに廊下の清掃のやり方を教えた者だった。

 状況を再確認するため急いで望遠鏡を掴もうとすると、いつの間にか甲板から視線を戻していたククルが既にレンズをのぞき込んで周囲を探っていた。


「何も見えん。後方からの敵襲ということで間違いないだろう。疾く報告せよ。呆けている暇はないからな」

 

 ククルの声に叩かれ、強張っていた身体が解ける。アポロはすぐさま甲板の船乗りに向かって叫んだ。


「こっちからは何も見えない! それと……姫様がここにいる」


 ちらりと背後を確認すると、ククルが「余計なことは教えるな」と言いたげな表情をしていた。しかし、アポロや船乗りからすると、彼女の所在は敵影の有無と同じくらい重要な情報のはずだった。

 報告を聞いた船乗りが困惑の声を上げる。


「なぁんだってそんなところに姫様がいらっしゃるんだよ! 安全確認して一刻も早くこちらに……」

 

 船乗りの言葉が途中で止まる。明らかに先程よりも高い音の汽笛が長く長く鳴り響いた。

 棒で弾かれたように散り散りになる船乗り達の影。トレードマークであるはずの白い帽子が脱げようとも構わず、各々近くの手すりやロープにしがみつく。誰かが叫んだ。


「耐衝撃姿勢!」

 

 本に載っている合図のリストを確認するまでもなかった。アポロは咄嗟にククルの身体を支えようと腕を伸ばす。

 

 しかし、その動きよりも速く、足下をえぐり取るような重い一撃が船全体を揺らした。

 

 船体が傾き、ククルの身体が手すりから滑り落ちる。梁の上に立つ彼女を見た時にアポロが想像した通りに、銀の髪と赤いドレスが彼女を下へ引き摺りこんでいるかのようだった。

 少しでも足の動かし方を間違えれば自分も一緒に落ちるという状況だ。しかし、アポロは構わず手すりから身を乗り出し、目一杯に腕を伸ばしてククルの細い手を掴んだ。

 

 ククルは決して大柄ではないが、体力も筋力も人並み以下のアポロが片腕で彼女を支えるのは難しかった。アポロの身体も徐々に外へと引き寄せられていく。


「オレだけじゃ無理かも」

「いや、良くやった。少し待て」

 

 危うく命を落としそうになったにもかかわらず、ククルの表情にはまだ余裕がある。


『鍵は解ける。民は王家を知らず、故にそこに影はない』

 

 王女の声が呪文を奏でた直後、温かい風がふわりと舞い、アポロの腕に掛かっていた負担が軽減された。どういう仕組みか分からないが、ククルは自分の重量を変化させる魔法を使用したらしい。


「これなら行けそう。すぐ引き上げる」

「いや、いい。この後、風の魔法を使って甲板にゆっくり降りられれば……」

 

 金属と金属のぶつかり合う音が彼女の言葉を切った。甲板を見ると、船乗り達に襲いかかる集団がある。霧の中、アポロは目を懲らして敵の正体を確かめた。

 

 黒い身体に額の小さな角。基本的には人と同じくらいの身体。腕がとにかく長く、左手の指先だけ爪が鋭く尖っていて、彼らはそれを武器のように振り回していた。


「オルグか……厄介な連中に目を付けられたものだ。空賊の方が言葉が通じる分、対処もし易いだろうに」

 

 ククルが忌々しそうに吐く。

 

 オルグという存在についてはアポロも本で知っていた。魔素を帯びた木の陰で休んでいた獣が当然変異して生まれた種族で、木鬼と呼ばれることもある。

 魔素の影響で生まれた生物は総じて魔獣と呼ばれ、高い知能を持ち、種によっては魔法を操ることもあるという。集団で船を襲ってきたとしても不思議ではない。


「前言撤回だ。今降りると戦いに巻き込まれる。悪いが引き上げてくれ」

 

 ククルの要請に頷き、アポロは両手で彼女の身体を引き上げる。魔法の効果のおかげでそれほど苦労はしなかった。


「さっきの衝撃もオルグの攻撃によるものか?」

「おそらくな。奴ら放棄された賊の船でも回収したんだろう。賊の船には他船に取り付くためのアンカーと呼ばれる装備があってな。さっきのはおそらくそれを打ち込まれた際の揺れだ。このままでは積み荷も人材も全て奪われるぞ」

 

 ドレスに付いた木くずや埃を手で払いながら淡々と状況を分析するククル。下で戦いが行われていると知るや否や、背中から大粒の汗が噴きはじめたアポロとは大違いだった。


「姫様はこういう荒事にも慣れてるのか?」

「まぁ、お前よりはな。民は知る由もないだろうが、王宮にいると様々な陰謀や戦いに巻き込まれることになる。目の前に食事があってもまずは毒があるかどうか調べなければならない世界だ」

 

 王女の細められた青い瞳は「お前も他人ごとではないんだぞ」と言っているように見えた。確かに、宮廷画家になれば暮らしの中心地はヘルメトスの王宮となる。そこに陰謀があるなら、いつ巻き込まれてもおかしくはない。

 

 だが、そんな物騒な話を聞いてもアポロは怯まなかった。それどころか、今のこの状況に対しても、将来のために修羅場の一つや二つ潜っておくのも悪くないという気持ちが沸いてくる。人から見れば蛮勇と評される気持ちかもしれないが、動ける気力になるのであれば何だっていいと思えた。


「どうするんだ?」

「お? 急に良い顔になったな」

「覚悟を決めた」

 

 力強く答えると、ククルはアポロの肩を軽く揉む。力を入れすぎるなということだろう。


「覚悟を決めたり、落ち着いていたりするだけでは状況は良くならない。今はここから無事に降りる術を考えよ」

 

 オルグに発見されないように慎重に甲板の様子を確認する。まだ船乗りとオルグ達の戦闘は続いていた。ざっと見回しただけでも三十匹以上いるオルグに対し、船乗り達は十名にも満たない人数で粘っている。相手を倒す戦いというよりは、少しでも長くこちらの戦力を維持するために動いているように見えた。


「あそこに混ざっても、戦いに関して素人の余達は邪魔になるだけだな。彼らが時間を稼いでくれている内に、アンカーを外すか脱出艇の用意をするか、とにかく自分達にできる戦いをしなければならない」

 

 ククルの話を聞きながら、いずれにせよ一度キャビンに戻る必要があるのではないかとアポロは考えた。当然、道中でオルグに発見されないようにしなければならない。マストから堂々と降りるルートは適切ではない。

 

 こういった非常時に役立つ情報があるのではないかと、船乗りから受け取った本を捲る。目論見通り、そこには緊急事態に関する項目が存在した。


「姫様、この見張り台にキャビンに繋がる隠し通路があるかもしれない。それを使おう」

「でかしたぞ! して、それはどこにある?」

「本が正しいなら、足下に……」

 

 見張り台の床を調べると、人の指を差し込めそうな溝がすぐに見つかった。試しにそれを引いてみたところ、床は簡単に外れて、手すり付きの深い縦穴が現れる。


「む。狭いな」

「こういうところ、苦手か?」

「いや、問題ない。ただの感想だ。さっさと行くぞ」

 そうは答えつつも、ククルの顔は少々引きつっている。

「まずオレが行く」

 

 アポロは金属でできた手すりに手足をかけると、穴の下まで一気に滑り降りた。

 穴の真下は暗闇だったが、手で押すだけで開く隠し扉があり、そこからすぐに脱出することができた。繋がっていたのはアポロが最初に隠れていた船倉だ。

 

 きちんと整頓されていた積み荷は先程の大きな衝撃の影響か、惨憺たる有様になっていた。木箱は砕け、布袋は破れ、それぞれ中身が床に散らばっている。アポロが入っていた樽も横向きになって転がっていた。敵らしき姿は見当たらない。


「姫様。下は安全だ」


 隠し扉を押さえながら穴の入り口に向かって呼びかけると、器用に片手でスカートを押さえた状態でククルが手すりを滑って降りてくる。アポロはククルの手を引いて穴から出るのを手助けした。


「急いで移動しよう。ここもいつ敵が来るか分からない」

「待て。既に気配がある」

 

 ククルの言葉を証明するかのように、船倉の扉が破壊されて黒い鬼……オルグが現れる。大きな口から唾液を垂らし、鈍色の角を振り回していた。

 目が存在しない代わりに彼らは周囲の状況を角と左腕で探知するという。

 その精度は高く、入ってきた鬼は首をすぐにこちらに向けて、口元を嬉しそうに歪ませた。


『鍵は解ける。嵐は揺り籠の中で眠る』

 

 ククルの呟く詠唱が空気中の魔素を集め、魔力というエネルギーに変換していく。その影響か、温かい風がアポロとククルの周囲を満たした。一瞬にしてその風が消失し、時が止まったのではないかと錯覚する。

 

 オルグはククルが魔法を行使しようとしている事を察知したのか、それを阻止しようと突撃してくる。床板は踏み抜かれ、巨大な左腕が振り上げられた。獰猛な爪が眼前に迫る。もう、ククルの魔法以外は間に合わない。

 

 王女の掌から強い輝きが放たれた。コンマ数秒分、襲いかかる爪よりも早く輝きが射出される。敵は攻撃のために振り上げた腕を、防御のために軌道修正した。

 

 しかし、王家の魔法はその程度の守りで対処できるような代物ではなかった。

 

 オルグは撃ち放たれた光弾をしっかりと受け止めた。しかし、光弾はつぼみが花開くように広がり、そこから生まれた四本の帯が敵の身体を絡め取る。

 

 身動きが取れなくなったオルグはそのままバランスを崩して床に倒れた。帯は地面に張り付き、その周囲に光の円が印される。結果的にオルグは光の円と×印によって床に貼り付けられたような状態となった。


「……すごいな」

「余の力ではない。先祖様達が長い研究を経て作り上げた知恵の結晶だ。だが、持って数十分。何者かが干渉した場合はさらに早く術は解かれる。レシピが消失しないようにあえてそういう強度にしているらしい。だから、急いでここを離れるぞ」

 

 魔法はその法則が何かしらの要因で破られるとレシピごと使用不可能になる。同じレシピを再度作成することもできない。


 例えば『どんな攻撃でも防ぐ』という効果を持つ魔法があっとしよう。強力な魔法のように思えるが、『火炎を放つ』という効果しか持たない攻撃用の魔法でも、使用者がそこに膨大な魔力を投じることで、『どんな攻撃でも防ぐ』魔法を打ち破る事ができてしまう。そうなった時に『どんな攻撃でも防ぐ』魔法は法則が破られたことになり、レシピは世界から消失してしまう。


 そういったリスクを避けるため、魔術師は魔法のレシピを作成する際に意図的にある程度の隙を残す。王家の魔法も同じやり方で作られているのだろう。


 ククルがドレスの裾を持ち上げて、床に縫い付けられたオルグの身体を飛び越える。アポロも置いていかれないように続こうとしたが、呻くオルグが不気味で、光の円を回り込むようなルートで出口に向かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=531780821&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ