第二章 7
狭い階段を、足を踏み外さぬように気を付けながら一段一段上っていく。
光源として利用しているのは、遺跡の一階に配置されていた魔導電球だ。スラム街にあった物と違って燃料式のため、持ち運びの際にチューブが干渉することはない。
階段は遺跡の外周を沿うように作られていて意外に短かった。隠し通路は単純に遺跡の二階部分へと繋がる物だったらしい。とはいえ、この遺跡に二階が存在することなど、アポロは全く知らなかった。探検家や考古学者ではないが、どうしても未知の部屋に対して期待が高まってしまう。
「ちなみに、先程の入り口だが、今日初めて使われたわけではなさそうだった」
トレイが階段の突き当たりにあった扉を調べながらそう言った。
「え?」
通路が開く際に大きな振動が発生したため、てっきり誰も通過したことがないものと勘違いしていた。自分にとっては未知の部屋でも完全に未開の場所ではなかったということになる。
「それほど驚くことでもないだろう。歴代の国王はあの壁画の文字を読むことができるんだ。誰かがここを訪れていても不思議ではない。とはいえ、隠し通路周辺に発生した擦り傷の状態を見るに、数年の間は放置されていたようだが」
言われてみると納得できる話だ。例えばククルが人知れずここに入った可能性もある。
「開いたぞ。ただの石の扉で、罠の類いもなさそうだ」
重々しい音を立てて扉が開かれる。かび臭い空気に煽られ、思わず噎せた。慌てて口と鼻を手で押さえる。古い遺跡に入る際に悪い空気を吸い込んで死んだ者もいると、今更本で読んだ知識を思い出す。
トレイの片手にぶら下がった魔導電球の灯りが遺跡二階の部屋をぼんやりと照らした。一階とほぼ同じ広さだが、壁や床には何も描かれていない。
「単純に、これを保管する為の部屋だったらしいな」
トレイが床から一枚の石盤を拾い上げる。そこには一階の壁画と同じ画調の絵と、アポロには読めない文字が刻まれていた。よく見れば同じような石版が他にも数個落ちている。
「材質は石界大樹と同じ硬度の石っぽいな」
アポロも石版の一つを拾い上げ、分かる範囲で分析する。肩の上に乗ったブイレンも興味深そうに石版をのぞき込んでいた。
トレイに解読できるかどうか尋ねようとしたが、既に彼は石版に刻まれた内容を把握するのに集中していた。魔導電球に照らされた色素の薄い瞳が左から右へ動き続けている。
アポロは大人しくトレイの解読を待つことにした。
外から聞こえてくるツルハシの音が時計の代わりに時を刻む。
十回、二十回、三十回。
そろそろ音を数えるのにも飽きてきたかというところで、トレイが石版から顔を上げた。
「問題点はあるが、大体把握できた」
とても嘘や誤魔化しを言っているようには見えない。本当にトレイの瞳には文字の意味を読み取る特別な力があるらしい。
「書いてあるのはこの国の成り立ちだ。ざっと聞かせよう。長くなる。適当に腰掛けてくれ」
言われた通りにアポロは遺跡の床の埃を払って座る。ブイレンも同じようにして床に身体を付けた。
『あるところに、魔法の使える画家がいた。
彼は数人の小人と共に、世界を旅していた。
画家の腕は思ったように伸びず。どこの町に行っても彼の絵は一枚も売れなかった。
そんな時、小人の一人が画家に黙って砂地に絵を描いた。
それを見た画家は衝撃を受ける。小人の絵は自分よりはるかに上手かったのだ。
これなら自分が描かなくともいいのではないかと思った画家は残りの人生を小人達のために費やすことに決める。
数々の島を巡り、ヘルメトス島に到着した画家はそこに町を作った』
そこまで語ったところでトレイは石版を床に置いてしまう。
「え? 終わり?」
「いや、続きはあるはずだ。……あるはずなんだが、どういうわけかこの場にはない」
そのあと、二人と一羽で協力して遺跡の二階を探索するも石版は見つからず、続きが書かれた壁画の類いも発見できなかった。
「えーっとつまりこれは、続きが書かれた石盤を……」
「誰かが持ってっタ」
アポロが導き出した結論を先にブイレンが叫ぶ。
トレイは先程、この二階に通じる道が使われたのは初めてではないと言っていた。ここに入った誰かが石版を持ち去ったというのは十分あり得そうな話だ。
「でも、どうしてだ?」
疑問を零すと、何でもないことのようにトレイが答える。
「簡単だ。民に知られると都合の悪いことが書かれていたんだろう」
背中に氷を当てられたような唐突な寒気を覚えた。
この国に、民に対して何かを隠そうとした者がいた。そしてそれは二階に至る道を開くことができる者の誰かだ。それはつまり……。
「ククルが隠した可能性もあるってことじゃないか」
「そこに悪意があるのかどうかまでは分からない。それに本人の意思とも限らない」
悪意があるかどうかはともかくトレイの言葉の後半は具体的な想像ができなかった。
「本人の意思とは限らないって、どういうことだよ?」
トレイはすぐに答えなかった。遺跡の壁面を叩いて何かを確認している。何となくだが、音が外にどれくらい漏れるか気にしているような気がした。
「ちょうどいい。ここなら誰かに会話を聞かれることもない」
つまりそれは、誰かに聞かれると困るような話をするということか。
「アポロ、君とは一度、腰を据えて話をしたいと思っていた。理由は二つある。一つはスラム街で話した通りだ。俺はあの星空のスケッチが完成したところを見てみたい。そして、できることならその絵が欲しい。そのための交渉がしたかった」
もしかしたらそういう話になるかもしれないと思っていたアポロは、予め自分の考えをまとめていた。
「完成した絵を見せることは構わない。だけど、あの絵はククルに見せたくて描きはじめた作品なんだ。だから、少なくともククルに見せるまでは他の人に売ることはできない」
「だが、この国では星空の絵を描くことは禁じられているのだろう? それを定めた女王に絵を見せて大丈夫なのか?」
それは尤もな疑問であり、自分でもその行動の危険性には気がついていた。しかし、それでもアポロは今やっていることを辞めようとはどうしても思えない。自分の理想を押しつけているだけなのかもしれないが、アポロは今でも六年前に出会ったククルと彼女の言葉を信じているのだ。
何と答えればいいか分からずに黙っていると、ブイレンが羽ばたきながら鳴いた。
「それがこいつのやりたいことダ。意味分からン掟に縛られることはなイ」
出会った時から、命令する度に文句を言う生意気なゴーレムだったが、肝心な時に背中を押してくれるところがある。アポロは小さく礼を言いつつブイレンを腕に止まらせた。
「随分と、物騒なことを言う相棒だな」
トレイは穏やかな表情でアポロとブイレンを交互に眺める。
それから灰色髪の騎士は一際長いため息を吐いた。
息を吐ききった時、その表情は何かの覚悟を決めたように鋭く変化していた。
「国のルールを勝手に破ることは道徳的には反するのだろうが、少なくとも俺はそれを気にしない。むしろそういうやり方の方が好みだ。そこで、君やこの国の人々の助けになるかもしれない仮説を一つ話しておこう」
「それが話をしたかったもう一つの理由?」
トレイは静かに頷く。
「だが、その前に自分の仮説がどれくらい正しいのか確かめておきたい。先程から君は度々女王ククルのことを親しげに呼び捨てにしているが、君と女王は何か過去に関わりがあったんじゃないか?」
自然と脳内に六年前の記憶が蘇る。
飛空挺での出会い。オルグ達の襲撃。最後に見た星空。
「ああ、さっきも言ったけど、いろいろあったんだ」
「差し支えなければそのいろいろを聞かせて欲しい。君から見た女王が一体どのような人物だったのか、それを知っておきたい」
それはまだ誰にも話したことのない記憶だった。ソラリスにすら、部分的には伝えているものの、星空のことやククルとの会話の内容は教えていない。
「分かった。オレもトレイの仮説が気になるからな。相手から何か話を聞くんだったら、オレだって秘密を明かさなくちゃ平等じゃない」
長い話になると察したのだろう。トレイが遺跡の床に腰を落とす。
「オレとククルが出会ったのは六年前のことだ」
アポロは当時の記憶を少しずつ思い出しながら、六年前の出来事をトレイに語りはじめた。