第二章 6
ブイレンの後を追いかけ、空洞を支える大樹の裏側へと回り込む。
灰色の大木の背にこれといった特徴は見当たらない。だが、そこにはヘルメトスの者しか知らない秘密の入り口がある。
ちょうど入り口が隠されている場所にブイレンが止まっていた。
「ほら、開けロ」
「はいはい。ったく。主人をこき使うゴーレムがいるかよ」
相棒に文句を投げつけながら根と根の間に足を踏み入れる。灰色の幹に触れると冷たい感触が返ってきた。
「ここに何があるんだ?」
追いついたトレイは待ちきれない様子で尋ねてくる。
「まぁ、見てろって」
すぐに答えても良いのだが、何となくアポロはトレイを焦らしたい気持ちになっていた。この先にある物で最大限驚かせてやりたいというサービス精神だ。
一見、虚にしか見えない小さな穴に手首を差し込み、その部分を思い切り手前に引き寄せる。すると、幹の一部が剥がれて扉のように開かれた。
「隠し通路か!? 先程の炭鉱夫殿の言葉通り、本当に石界大樹の中に入れるというわけだな」
「驚くのは少し早いかもな。さ、中に入れって」
隠し扉を支えてトレイを手招く。すると、自分の方が先だと言わんばかりの堂々たる足取りでブイレンがちょこちょこと扉を潜った。思わずアポロは苦笑いを浮かべたが、トレイは全く気にしていないどころか楽しそうに笑っていた。
大樹の隠し扉を潜ると、そこは黄色い石で組まれた遺跡になっている。
幹の太さに比べて二回りほど狭い円形状の部屋。
壁には線と丸の組み合わせだけで描かれたような壁画と古い文字。床には謁見の間の扉に彫られていた紋章と全く同じ岩と大木の紋章。それぞれ黒い塗料を使って刻まれている。
「これは相当に古いな。この遺跡も含めて魔天化しているのか」
またしてもトレイの感想は的を射ていた。千年前、ヘルメトス建国の時に作られたというこの遺跡は、もはや石界大樹と一体化していて空間の中に魔素を蓄える。見学用の魔導具電球が数個配置されているおかげで問題なく観察できるが、外の洞穴と同じく視界には僅かに靄がかかっていて、甘い匂いも漂う。
「石界大樹は人工物と自然物が組み合わさった珍しい魔天なんだ。遺跡は魔天化した影響で不思議な力を持っている。そこに地下への階段があるだろ?」
空間の端に、壁に沿うように作られた階段がある。ただしその入り口は赤い紐で塞がれていた。
「今は立ち入り禁止だけど、死んだヘルメトスの民は棺に入れられて、ここの地下に埋葬されるんだ。そうすると遺体は遺跡の効果で分解されて数日後には消失する。皆、命が木に還るって言ってるな」
「魔天が魔素に分解の効果を与えているのか。ああ、それは確かに神秘的で死後の儀式には持って来いだろう」
アポロの祖父が亡くなった時も、その遺体は遺跡の地下に埋葬された。無事に命が還れるように祈るのだと、涙を零すソラリスに教わったことをよく覚えている。
「うん? ちょっと待て。それは本当に魔天の効果なのか?」
トレイが壁画を眺めながら尋ねてくる。アポロは彼が何を言いたいのかよく分からなかった。
「どういうこと?」
「この壁画によると、遺跡が作られた時に、遺体を綺麗にして一度木に還せるように魔法を組んだとあるが……」
「……は?」
説明されても尚、理解が追いつかない。
ここにある壁画に刻まれた文字はあまりに古く解読できる者はそういない、それができるのはせいぜい王都の魔塔に暮らすという言語学者だけだと、幼い頃から聞かされていた。
混乱するアポロの代わりにブイレンが反応する。
「オマエ、この文字読めるのカ?」
「俺の目は特別製なんだ。文字を読むことができなくとも、そこに書かれている意味を理解することができる。人には見えない魔力の流れなんかも見えることがあるな」
スラム街での戦闘を思い出す。彼は魔術師の放つ見えない刃を最小限の動作で回避していた。それは特別な目で魔力の流れを見ていたからなのだろう。
「それが事実なら、今まで誰も知らなかったヘルメトスの秘密を知ることができるんじゃないか!?」
アポロがやや興奮している間にも、トレイは淡々と壁画の解読を続けていた。手を壁面に当てながらぐるりと一周、遺跡を巡る。
解読を終えたトレイは考えを整理しているのか、顎に手を当て瞼を閉じている。
今度はアポロが焦らされる番だった。
堪えきれずにトレイに答えを求めてしまう。
「それで、どんなことが書いてあったんだよ?」
「ざっと解読したが、ます、読み方を誰も知らなかったというのは嘘だな。ここに刻まれた文字の読み方と書き方は国王に代々伝えるように書かれている」
「ということは、少なくともククルや、ククルの親父はこの壁画の内容を知っていた?」
トレイが瞼を片方だけ開いてアポロを見る。意味を含んだ視線だ。
「な、何?」
「いや、国の女王のことをやけに親しげに呼ぶと思ってな」
しくじったと自分の言動を反省する。敬語を外しただけでなく、少々油断もしていたらしい。この国でアポロとククルの関係を知っている者はいない。
「昔、いろいろあったんだよ」
言い方が良くなかった。アポロの過去に興味を持ったのか、トレイがにじり寄ってくる。
「ちょ、今は壁画の話が先だ。それを聞かせてくれたらオレの方も話すから」
どの道、女王の話をしたいと思っていたのでそれについては問題なかった。今更この男がアポロの抱える事情や考えを他者に言い触らすとも思えない。
「分かった。続きを話そう。この遺跡がヘルメトスの住民の遺体を埋葬するために作られた施設というのは間違っていない。だが、それは与えられた役割の内の半分だ。どうやらこの遺跡には重要な物が保管されているらしい」
「それは?」
勿体付けたトレイに話の続きを促す。ブイレンが落ち着きなく遺跡の床の上を歩いた。
「歴史だ。この遺跡にはもう一つ隠された部屋があって、そこにこの国の成り立ちが刻まれた石碑があるそうだ」
「……隠された部屋の行き方は分かるのか?」
「ここだ」
トレイが徐に壁画の一部を抑える。意図的に触れようと思わなければ触れないであろう天井と壁のつなぎ目。そこに描かれた紋様の一部が凹む。
地響きが起きる。体勢を崩さないようにアポロは思わずしゃがんで片手で床を抑えた。身体と床の間にブイレンが逃げてくる。
「落盤だ!」
遺跡の外から炭鉱夫の焦った声が聞こえてくる。続いて何か大きな物体が落ちる激しい衝撃音が鼓膜を揺らした。
「おっと、これは思っていたよりも影響が大きいな。炭鉱夫の皆さんには申し訳ない事をした。怪我人がいないと良いが……」
「悠長に言ってる場合か! 何とか止められないのか?」
「止めロ。止めロ」
このまま揺れが続けば、地下採掘場が崩れかねない。そうなればここにいる全員出られなくなる上、炭鉱夫達も無事では済まないだろう。下手をすれば地上にも影響が出る。
「安心しろ。もう止まる。隠し部屋への道は開かれた」
トレイが抑えた壁のすぐ真下に人一人通れる程度の抜け穴ができていた。穴の中には風化した階段が見える。階段が続いているのは下ではなく上だった。
「おーい、大丈夫かぁ」
遺跡と採掘場を繋ぐ出入り口の向こう側から心配する声が聞こえてきた。声から判断するに、先程石枝を見せてくれたあの炭鉱夫だろう。
「ええ。大丈夫です。こちらに怪我人はいません」
トレイが簡潔に状況を伝えると、すぐに向こうから返答が飛んでくる。
「そりゃ良かった。こっちも怪我人はなしだ。だが、遺跡の入り口が大岩で塞がれちまってる。今から皆で削るが、ちっと時間が掛かりそうだ」
「すみません。面倒をかけます。遺跡の隠された通路を開いたところ、振動が空洞全体に伝わってしまったようで……」
それを聞いた炭鉱夫が驚嘆の声を上げる。アポロと同じく、彼らもまた、長くここに勤めているにもかかわらず、遺跡の仕掛けには全く気がついていなかったのだ。
「そいじゃ、その通路の先でも調べて待っててくれ」
「分かりました」
連絡のやりとりが終わり、岩にツルハシをぶつける音が聞こえてくる。炭鉱夫達が大岩の撤去作業をはじめてくれたのだろう。とはいえ、遺跡の入り口は木の根に挟まれている。作業に参加できる人員には限りがあるはずだ。出られるようになるまでかなりの時間がかかるとアポロは予想した。
「さて、怪我人がいないという朗報を聞いたところで……行こうか?」
トレイが白い歯を見せながら、開いた穴を指差す。
ブイレンとアポロは一度顔を見合わせた後、ほぼ同時に頷いた。