第二章 5
地下採掘場の入り口は、王宮前広場から港に続く街道の途中にある。
地理的に、アポロとトレイが潜った地下洞穴と近い。採掘場とスラム街のあった地下空間はおそらくどこかで繋がっているはずなので、当然と言えば当然の話である。
横幅の広い円形状の建物。屋根は周囲の住宅や店舗と同じく尖っていて、出入り口は前と後ろに二つ用意されている。地下から引き上げた資源を商店街と港の両方にすぐ運べるようになっているのだ。
「魔楽の興行用テントみたいな形だな」
トレイが小さく感想を呟く。魔楽というのは王都で流行っている演劇の一種と聞いたことがある。演出に魔法が使われているらしい。言われてみると、採掘場入り口の建物の外観は塗装が華やかで室内で出し物が行われそうな雰囲気だ。
トレイとアポロは採掘場を管理している老人に話を通し、そのまま地下へと続く昇降機に乗り込んだ。銅と木で作られた箱は最近導入された魔導具で、労働者と荷物の運搬に利用されている。
最近はヘルメトスにも魔導具が少しずつ増えてきた。何を取り入れ、何を捨てるのか、それを管理しているのはこの国で最も魔法に詳しいターレックだ。
ブイレンがアポロの代わりに昇降機のボタンを操作する。歯車の回る心地良い響きと共に、昇降機は地下に向かって進みはじめた。
「ところで、この採掘場では主に何が採れるんだ? やはり、燃料に使う鉱石や宝石の類いか?」
ちょうど、狭い空間での沈黙に気まずさを感じはじめていたところに、トレイから問いが飛んできた。
「そういう物も採れるには採れるけど、ここの地下の炭鉱夫達が狙うのは主に石枝と呼ばれる素材だな」
「セキシ? 聞いたことがない資源だ」
「当然。世界広しと言えども、ここでしか採れない素材だよ。どういう物かは昇降機を降りてすぐに分かると思う」
「驚くゾ」
ブイレンが合いの手を挟んだ直後、甲高いベルが目的地への到着を知らせる。鉄をいくつも交差させたような昇降機の扉が自動で開いた。
扉を抜けて岩が剥き出しになった地面に降り立つ。地下特有の暖かな風が出迎えた。濃い魔素が充満しているのか、視界に若干の靄がかかる。しかし、そこがどんな景色になっているのか確認できないほどではなかった。
目の前に広がるのは巨大な空洞。その真正面に聳える物体を見てトレイが息を飲んだ。
「これは……来た甲斐があった」
空洞の天井を支えている大木。
家数十件分の太さの幹があり、そこから根と枝が縦横無尽に伸びている。アポロ達が立っている場所のすぐそばにも、太い根の一部があった。
「これは木のように見えるが、実際は石か」
根の表面に生じたヒビに触れながらトレイが呟く。
「そう。石界大樹って言ってね。ヘルメトスの島中に枝を伸ばしてる。この大樹は常に魔素を生み出しているからこの国は魔力の生成に困ることがない。ま、その代わりに空が魔霧で覆われているわけだけど」
「魔天の一種か」
アポロは頷く。
魔天とは、濃い魔素や魔力の影響で固有種となった大規模な自然物の総称だ。自然物と言っても、長い年月に晒された遺跡などの人工物が魔天化することもある。風化した人工物は自然の一部となり得るということだ。
人や生き物の感情を揺さぶる世界樹。
過去の英雄の名を冠した、近づくと精霊に転生すると言われる滝。
数多の魔獣が集うことで生まれてしまった危険な樹海。
この世には人知を超えた力を生み出す魔天が多く存在する。ヘルメトスを支えている石界大樹もその一つだった。
大木の周辺では炭鉱夫達が忙しなく働いている。地上の祭りの雰囲気はここまでは届かない。むしろ、地上が華やかになればなるほど、彼らの仕事量は増えるのだ。
空洞から繋がる細い洞穴にツルハシや荷台を持って入っていく者。ボタ山の入ったトロッコを別の洞穴へと運ぶ者。集めた資源の品質を見極めて仕分けする者。各々真剣な面持ちで地面に汗を垂らす。
トレイは資源を仕分けしている年配の炭鉱夫の元に近づいた。炭鉱夫は麻袋の中身を一つ取っては木の箱に入れるという作業を繰り返している。
「見学希望の騎士様か? 上から話は聞いてるぜ」
白髪交じりの頭髪の炭鉱夫は手元の作業を止めないまま、ぶっきらぼうに声をかけてきた。
「お邪魔でしたら別の場所に行きます」
「はん。若造一人いたくらいで儂の仕事が滞るものかよ。ほれ、こいつは上物だ。見てみろ。ただし、くれぐれも落とすなよ?」
炭鉱夫が、色の付いた棒状の物体をトレイに手渡す。アポロは目を見張った。その炭鉱夫の言う通り、渡された物体が相当な上物に見えたからだ。
「これが、セキシという資源ですか」
「石界大樹の枝ダ。大事に扱エ。強く握るナ」
ブイレンの警告に頷きながら、トレイはしげしげと上物の石枝を観察する。
先端の尖った石の欠片。宝石よりも濃い色の赤い輝きを放ち、宝石に比べて遙かに柔らかく脆い。トレイも直接触ったことでそれを理解したのだろう。両手で包み込むように持っている。
「今にも崩れそうですが、これは一体何に使われるんでしょう?」
「塗料だよ。細かく砕いた後に熱で溶かす。それから少しだけ冷やして固めて絵の具になる。固め方の調整をしたり、別の薬品を混ぜたりすることで、ペンキとかにもなるなぁ」
「まさにこの国の要というわけですね。……見たところ、枝の先端部分のようですが、これは無限に採取できるものなのですか? 限度があるとすると、この島全ての芸術を賄うのは大変そうだ」
そこで炭鉱夫はちらりとアポロを見やった。その眼差しで説明を任されたと理解したアポロは石枝についての解説を引き継ぐことにした。
「トレイの言う通り、石枝は石界大樹の先端にできる資源だ。魔素が集中することで灰色から別の色になる。一度先端を取り除いた枝は、暫くすると周囲から魔素を吸収して再成長をはじめるから、何度でも採取できる。ただ、再成長した枝がどこに伸びるかは分からないから、その成長に合わせて、坑道の方向を少しずつ変える必要があるらしい。かといって何も考えずに掘り進めていたら地上に影響が出て、大きな事故に繋がってしまう」
「彼らはただ掘っているのではなく、枝の成長する方向と地上への影響を考えながら作業をしているということか。力仕事でもあり、繊細な仕事でもあるわけだな」
半日行動を共にして分かったことだが、トレイの会話には無駄がない。余計なことは聞かず、最低限の説明で話の趣旨を理解する。おそらく、知識に対して貪欲だからこそ、大量の情報を処理するために頭の回転が速くなったのだろう。
「これが上物というのは発色がいいからか。塗料に使うのであれば色は濃く出ている方が良いに決まっている。逆に発色が不十分だったり、別の色が混ざっていたりすると価値は低くなる……そんなところか」
「大凡当たってる。ただ、混ざり物に関しては色のバランスが良いと逆に貴重品扱いされることもある。時間に余裕のある画家は直接ここに来て、そういう石枝を直接買い取ったりもするんだ」
「ああ、アポロがここに慣れている理由が分かった。君は絵の具の調達のために頻繁にここを訪れているんだな」
その通りだった。アポロは自分にできることはなるべくやろうと藻掻いていたため、他の画家よりも採掘場を訪れる回数が多かった。ここ最近は芸術祭の作品制作に没頭していたためその機会はなかったが、以前は週一度のペースで通っていた。
トレイは礼を言って石枝を炭鉱夫に返却する。その拍子に炭鉱夫がぼそりと呟いた。
「せっかく見学に来たんだ。石界大樹の中は見て行けよ」
「大樹の中?」
「ほら、アポロ。連れてってやれ」
炭鉱夫が顎で大木の幹を示す。この先、どこをトレイに見せればいいか迷っていたので、彼のアドバイスは素直にありがたかった。
ブイレンがアポロの腕をすり抜け、大樹の幹に向かって飛び立つ。
「炭鉱夫達に迷惑かけるなよ」
聞こえているのかいないのか。返事もせずにブイレンは枝の間を器用に潜っていく。
「オレ達も行こう。多分、トレイはもう一度驚くことになる」
「ほう、それは楽しみだ」
好奇心が刺激されたのか、トレイの瞳が少年のように輝いた。