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魔天のギャラリー  作者: 星野哲彦
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第一章 4


「スラムの盗人だ」

 

 おそらく、先程の人影が、衝突した際にケースを奪ったのだ。グランは見るからに豪華な服を着ている。盗人からしてみれば格好の餌食だろう。


「な、アレには儂の大切な商売道具が入っている。あれがないと……!」

 何かを言いかけるグランの口にトレイが手を翳す。

「ふむ。閣下のためにも取り返す必要があるな」

 

 アポロも同じ考えだった。画廊の警備は宮廷画家に一任されている。つまり、このまま盗人を逃せば、この事件はアポロの責任として処理されてしまうだろう。何より、誰かから強引に物を盗むという行為をアポロは許せなかった。


「おい、どうした?」

 緑色のカーディガンを羽織った宮廷画家が騒ぎに気づいて近づいてくる。

「来て早々すいません。盗難です。これから盗人を追いかけるのでここは任せました」

 簡潔に説明を済ませてアポロは画廊の非常用出口に向かって駆け出した。

「追いかけるって、お、おい!」

 呼びかけは無視する。許可をもらっていたのでは追跡が間に合わない。

「ブイレン。起きろ。スラムに向かう盗人を追ってくれ」

 走りながら、黒い鳥を模した姿の相棒を指で小突く。

「鳥使いが荒イ」

 

 目覚めたブイレンは文句を言いながらも、命令を遂行するために空へと舞い上がった。拒否されたらどうしようかと思っていたので、ひとまず安堵する。


「高く飛びすぎるな! 空蛇が来るぞ」

 

 塔に住み着く空蛇は、一定の高さを超えて飛行する物体に反応して攻撃をしかけてくる。それ以外だと権限を持つ者の命令がなければ動かない。昨夜アポロが狙われたのは、おそらく衛士が王宮に対して不審者発見の報告をして、それを聞いた誰かが権限を使って空蛇に命令を与えたのだ。

 

 ブイレンは迷宮の壁を越えてどんどん先に行く。たとえ姿が見えずとも、主人であるアポロはブイレンの位置をいつでも把握することができる。主従契約を結んだゴーレムとその主は見えない魔力の線で繋がっているのだ。

 

 画廊から抜け出したアポロはそのまま港に続く街道に入る。広場から繋がる三つの街道の内、最も分かれ道が多いルートだ。おそらく盗人はどこかで曲がって島の下層にあるスラム街に逃げるつもりだろう。できればそうなる前に追いつきたかった。

 

 画廊に向かう島外の人間を避けながら街道を走る。持久戦もあり得るため、鞄から水筒を抜き出し中身を一気に飲み干した。武装に関してはある程度用意がある。アポロは六年前と違って精霊契約魔法の準備を事前に行うことができるようになった。

 

 予想していた通り、空中を進むブイレンが急に曲がった。長年の暮らしで覚えた地図を頭の中で広げる。盗人はかなり狭い道を逃走ルートに選択したらしい。

 

 クリーム色の外壁の貨幣交換所と倉庫の間にある細道。アポロは貨幣交換所の建物を叩くように抑えて、細道に飛び込んだ。ようやく盗人の背中が見える。汚れた外套のフードが取れて黒い髪が露出していた。手にはグランの皮ケースをぶら下げている。

 

 盗人がちらりとこちらを見る。距離がありすぎて顔は確認できなかった。向こうも同じだろうが、宮廷画家の上着を羽織った追っ手がいる、ということくらいは把握されただろう。ここから先は追跡の妨害に気を付けなければならない。

 

 そう考えた矢先から、早速盗人が動いた。道の脇に積み上げられていた木箱の山を乱暴に崩す。単純だが、追っ手の追跡速度を緩めるのには良い手だ。

 

 アポロはカーディガンのポケットから、紙を巻いた鉛筆を取り出す。


『名を記せ』

 

 鞄に忍ばせてある魔法のレシピを記した手帳が赤く輝く。その直後、詠唱の言の葉通り、鉛筆に巻き付けた紙にアポロの名が刻まれた。


 アポロは護身用の契約魔法をさらに便利にするために、別の魔法を習得した上で、祖父の残した契約に新しい条件を加えた。習得したのは自分の名前を紙に記すという魔法。加えたのは契約の起動に、契約者の名前が書かれた絵を必要とするという条件。これだけのことを実現するために二年の歳月をかけた。

 

 条件を変えれば、使い方も変わってくる。

 

 予め簡単な絵を描いた紙を鉛筆に巻き付けておく。六年前のままであれば、この時点で契約が起動し、効果は長くても十五分程度しか持たなかった。しかも、契約は二種類同時に行使することができないため、武器のストックも不可能だ。

 

 しかし、名前の書かれた絵という条件を付け足したことにより、簡素な絵を描いただけでは契約は起動しなくなった。後から魔法で紙に名を刻むことで、そこで初めて契約が起動する。

 

 一工程増えたこと。魔力の消費量が僅かに増えたこと。契約内容を変えたことによるデメリットは多少あったが、恩恵はそれを優に上回っている。アポロは精霊契約魔法をいくつもストックできるようになった。

 

 今発動させたのは水の精霊との契約だった。精霊の世界より運ばれた水流がどこからともなく現れ、アポロの鉛筆の動きに従って細道を蹂躙する。道を塞いでいた木箱も一気に流された。

 

 アポロは近くに立てかけてあった簀の子を掴み、それを水流に浮かべて飛び乗る。水流は目一杯平たく伸ばして、細道を一時的に川にした。道が細いからこそ成立した移動法だ。

 

 盗人がアポロの猛追に気づく。気づかれたところで、それこそ魔法を使わなければどうにもならない状況のはずだと思っていたが、盗人は予想外の行動を取った。

 

 盗人は近くの建物の窓を掴むとそのまま跳躍し、雨樋を伝って屋根に登った。常人離れした身のこなしに一瞬呆気に取られるが、このまま見失うわけにはいかない。


「ブイレン! そのまま追ってくれ。オレもすぐに追いつく」

 

 失敗した時のために滑空しているブイレンに指示を出しておく。それからアポロは鉛筆を持った腕を大きく動かして水流を操った。無論、簀の子で流れに乗ったままだ。

 

 操られた水流が勢いよく弧を描く。屋根の高さとまではいかないが、簀の子はそれなりの高さまで持ち上げられた。弧の頂点に達したところでアポロは近くの建物に向かって手を伸ばす。紙一重、ギリギリ指が屋根に届いた。水流を細く操り、自分自身の足を叩くことで身体を屋根の上まで持ち上げる。

 

 ヘルメトスの島の建物は基本的に全て石造りで、且つ尖った屋根の建物が多い。盗人が屋根に登ったのは苦肉の策であり、少し追いかければ逃げ場を失う。アポロはそう考えていた。

 

 しかし、盗人はまたもその身のこなしでアポロの予想を裏切る。

 

 盗人は一番近い平屋根の建物めがけて跳躍した。建物と建物の間は相当な距離があったが、途中で尖った屋根を蹴飛ばすことで飛距離を伸ばして足を届かせる。片手にケースを持った状態であるにもかかわらず、空中で一切バランスを崩さない。おそらく、何かを持って逃げることに慣れているのだ。

 

 同じ方法で追いかけるのはあまりにも危険だ。足運びを間違えればそのまま地面に落下する。

 

 アポロはもう一度水流の力を借りることにした。魔法は不可能を可能にするためにある。

 

 釣り上げるように鉛筆を動かし、水流を屋根の上に運ぶ。同時にアポロ自身は建物の端に向かって駆け出した。

 

 石造りの屋根の切れ目が近づく。やはり、次の足場まではかなりの距離がある。とてもではないが、普通に跳躍しただけではアポロの足は届かないだろう。

 

 それでも、ギリギリのタイミングを狙ってアポロは思い切り踏み込んだ。

 

 身体が空中に飛び出す。時間が止まったような感覚に陥った。だが、そこで何もせずにいるわけにはいかない。右手に持った鉛筆を加減しながら引き寄せる。

 

 背中に冷たいハンマーが当たる。アポロは水流を操って自分の身体にぶつけたのだ。風景が加速し、一気に前方の建物の屋根が近づいた。

 

 着地に関しては自分で何とかするしかない。アポロは足が屋根に着いた瞬間に思い切り身体を前に倒し、屋根に転がって衝撃を緩和する。ちょうど水の精霊との契約も切れて、水流は消失した。

 転がる勢いをそのまま使って立ち上がり、盗人の行方を確かめる。だが、どこにも姿が見えない。


「この下ダ。この下ダ」

 

 ブイレンが旋回して、盗人の逃げた先を教えてくれている。今いる建物の外階段がある場所だ。よく耳を澄ませば急ぐ足音が聞こえてくる。


「よくやった!」

 

 相棒を一言称えてから鉄で組まれた外階段に入る。所々錆びていて、いつ崩れてもおかしくない状態だが、ここで躊躇していては盗人を取り逃す。

 

 階段の先は地面が大きく割れていて、縦穴のような地形になっていた。ヘルメトスの島は地下に巨大な採掘場があり、そこに繋がる洞穴も多々存在する。スラム街があるのも地下だ。

 

 縦穴には雑な作りの足場がいくつか用意されていた。おそらくスラムの人間が地上と地下を行き来するために作った物だろう。採掘場で働く者は港側にある大階段や、最近導入された昇降機を利用する。

 

 盗人は淀みない動きで崖を下っていく。暫くすると、その姿が突如消えた。


「ブイレン、盗人が消えた箇所に抜け道はあるか?」

 

 命令を受けたブイレンは翼をはためかせて風鳴りの響く崖を下る。言ったら怒るだろうが、その光景はあまりに禍々しく、思わず身震いしそうになる程だった。


「でかい横穴あるゾ。盗人が走ってる音も聞こえル」

「分かった。オレも行く」


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