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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

超弩級シリーズ

伯爵家が終わりを迎えるまで

作者: みなと

またもや勢いのままに書き進めました。

お暇な方はお読みくださると幸いです。

「なんともまぁ…愚かしい」


 溜息を吐き、報告書を机に投げ捨てるようにして置いた。

 机を挟み、真っ青な顔で震えながらも何とか立っているのはクルトス家分家筋の青年二人。そしてその背後に彼らの父母。

 クルトス家は、代々王家に仕え、王宮執務官として能力を遺憾無く発揮している。


 そして、そんなクルトス家が当主の証として手にしているのは『ホワイトローズ』。普段は見えないが、魔力を通した時には淡く光り輝く白い薔薇が手の甲に浮かび上がる。

 代々、四大公爵家当主になる資格のある者のみが受け継ぐことの出来る、神聖な薔薇の証。





 **********


 ホワイトローズは、何者にも染まらぬ強き意志と、気高き理想。

 知性を以て信念を守り、道を示し照らす灯りとなれ。


 歴代の当主から伝えられている言葉であり、その薔薇の意味。

 そして、このホワイトローズの継承条件は未だに良く分かっていないのだ。政務能力が高くとも継承出来なかった人物もいると、文献にも残っている。


 ファリトゥスが継承したのは20代前半のこと。確か23歳の頃だったと記憶している。

 父の仕事を手伝っている最中、バチ、といきなり静電気が走ったような痛みが手の甲に走った。

 一体何事かと見つめていれば、薄ら浮かび上がった白き薔薇。父の手の甲にあるはずのそれが、自身にあるということ。それすなわち代替わりを意味する。

 信じられないと言わんばかりの顔で父を見やると、恭しく頭を下げていたのだ。


「ちち、うえ」

「新しき白き薔薇の護り手、クルトス家新当主に御挨拶申し上げます」

「…………!」

「白き薔薇だけは、どのようにして受け継がれているのか不明とされております。ですが、その薔薇が貴方様を選んだということ、それは紛れもなく貴方様が御当主となられた、ただそれが唯一の事実なのです」


 それまで己を導いてくれていた父が、ファリトゥスに対して敬語で恭しく話しかけてきたこの瞬間を、きっと忘れることは無いだろう。


「わたしが、当主、に」

「はい。僭越ながらお力添えいたしますので、何なりとお申し付けください」

「父上、顔をあげてください!わたしは…わたしはまだまだ未熟でもあり、経験も少ない若造なのですよ?」

「だが、しかと功績は積み上げておろう。身近でそなたを見ていたわたしが保証しよう」


 顔を上げた父は、普段通りの父だった。


「ファリトゥスよ、後程王に対して親書を送る。新当主として行って参れ。そして」

「そして?」

「筆頭公爵家にも改めて顔合わせに向かうぞ。四家は手を取り合い、協力し合う運命である」

「ソルフェージュ公爵家、ですね」

「そうだ。魔導の超名門、ソルフェージュ公爵家。現当主は女性であらせられるが、……恐ろしい程の魔導の才、そして桁外れの魔力を保有されておる。彼女無くして我が国の防衛は成り立たぬと言われる程だ」

「しかし、騎士団もいるではないですか」

「刃が通らぬ魔獣もおる。そうした奴らには魔導しか歯が立たぬのだ。筆頭公爵家に挨拶をしてからはアストリア家とミッツェガルド家、順に巡るぞ」


 実際に彼女に会って、あぁ、と恐ろしい程すんなり納得出来た。


 魔導の知識やそれを生かした研究内容もさながら、その純然たる力の強さ。

 美しく、気高く、誰にも媚びることなく、剣のように鋭く、時には何ものをも守る盾として。

 ソルフェージュの名を抱く先代女公爵は、本当に素晴らしい人だった。

 ただ一つ、『()()』を夫にと望んだこと以外は。


 『あれ』がソルフェージュ公爵家に婿入りしてからというもの、まるで自分が当主になったような振る舞いを遠慮なくするものだから、周囲の人はさぞかし誤解したに違いない。

 事情を知っている古くからの付き合いのある貴族は、「どうして離縁しないのか」と散々彼女を説得していた。


 だが、しなかった。


 愛ゆえに、と。先代女公爵が少女のように告げたものだから、『なんともまぁ愚かなことだろう』と、先代と付き合いの長くなりかけていたファリトゥスですら、彼女を鼻で笑い飛ばしてしまった。

 それほどまでに『あれ』は酷い振る舞いばかりだったのだから。


 長男、長女を出産し、やがて月日は流れ、父としての責務を果たす内、『あれ』は大分マシになっていた。

 相当な大喧嘩をしたのだ、と周囲が密やかに話していたのを記憶している。その時の女公爵のあまりの恐ろしさにようやく大人しくなったのだから、何ともまあ阿呆らしいものだ、とファリトゥスは思った。


 更に月日は流れ、悲劇が、起こってしまった。


 先代女公爵が病に倒れ亡くなると、ここぞとばかりに通うことをやめ、何よりも早く愛人母娘を本宅に連れ込んだのだ。

 真面目だった長男は、連れ込まれた愛人の娘によってあっという間に肉体関係を持ち、心ごと全てを陥落された。


 残ったのは、『先代女公爵のようだ』と言われ続け、淑女の鑑として育ったルナリアのみ。

 王太子の婚約者にもなり、公爵家当主としての教育も受けていた年若い彼女が、『あれ』が招いた家のゴタゴタにまで手が回せるのかと問われれば、恐らく無理だろう。

 彼女は、本当に心優しい少女なのだから。

 だがいくら公爵家としての付き合いが長いとはいえ、ルナリア自身とはまだそこまで親交がある訳でもなく、迂闊に口出しが出来る仲でも無い。

 歯痒い思いをしながらも、自身に何が出来ないかと思案する日々が続いた。

 己の妻も、ルナリアを見守っていたうちの一人。二人で頭を悩ませていた、そんなある日のこと。



 ルナリアが、魔力鐘を鳴らしたのだ。



 ソルフェージュを継ぐ者にのみしか反応しない、特殊な造りの鐘。王家から賜ったものだとは聞いているが、実際に音を聞く回数はさほど多くない。何せ代替わりの時にしか鳴らされない代物だから。


 りぃぃん、と澄んだ音はよく響いた。


 ソルフェージュ公爵家からクルトス公爵家まではかなりの距離があるにも関わらず、隣室から聞こえるかのような、華やかでいて涼やか、かつ厳かな音色。あの音をどのように形容していいものかは分からないが、染み渡るように鳴り響いた。

 次いでもたらされる暖かな魔力の波動。

 決して威圧はすることなく、ただ、そこに己がいるという存在証明のようで。

 これまで父が元に戻ると、兄も元に戻ると信じて疑っていなかったルナリアの、『家族』との決別の証が、鳴らされたのだ。


「まさ、か、……」

「あなた様………そのまさかですわ……間違いありません!ルナリア嬢が、いいえ、ルナリア様がついに女公爵となられました!決心されたのですわ!わたくし、この音色を覚えております!あぁ…っ、先代様の時と同じ音色…!」


 涙を流し、感激のあまりその場に崩れ落ち泣く妻の背をさすり、珍しくノックを忘れ室内に入ってきたクルトス家執事に、ファリトゥスは微笑んで命じた。


「新たな女公爵に祝福を。祝いの言葉を送りなさい、すぐに」




 ***********



 そうして喜んだのも束の間。次に出てきたのは己の分家の問題。


「馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、まさか『愚か』だとは思いもよりませんでした。どのような気分でしたか?華やかな場で、王太子殿下に付き添い、聖女様に微笑まれたからとデレデレとだらしない姿を晒した挙句、何もしていない令嬢に対してふっかけた冤罪の数々。いやはや、分家とはいえ親戚でもありますが……脳みそ、きちんと詰まっていらっしゃいますか?君たちには」


 にこやかに告げられた、毒まみれの言葉。

 シンプルながらも分厚い一枚板を加工して作られた、豪奢ではないがしっかりとした造りのファリトゥスの執務机。それに肘をつき、表面だけの笑顔をはりつけ、何か言いたげにしている分家筋の青年を見つめ続ける。


 かけられる言葉の温度感が大変に穏やかだから、浮かべている表情が柔らかなものだから、と、ファリトゥスのことを舐めてかかる人間は少なくない。


 だが、四大公爵家の中で、現在最年長である彼が。

 王宮の魑魅魍魎共が蔓延る中で、執務を執り行っている彼が、どうして温和だと決め付けられるのであろうか。

 恐らく、別の意味で最も敵に回したくはない人物であることは間違いないのに。


 こつ、こつ、と爪をデスクに打ち付け、普段は細め柔らかな笑みを浮かべているだけのそれを、すぅと開く。

 切れ長の目が、二人を含め、背後にいる両親共々を射抜いた。


「このようなご子息を持たれたことを、不幸に思うといい」


 静かに、言い聞かせるように言葉が紡がれていく。


「筆頭公爵家当主を、謂れなき罪で断罪しようとした阿呆が、己の息子として生まれてしまった、だなんて」


 口を開こうとした青年二人は、バカにされていることくらい理解はしている。

 理解はしているのだが、口を開き反論したくともそれが出来ない。

 それだけ、目の前のファリトゥスの怒りは凄まじいものであった。

 口の中がひりつくように乾き、たらりと冷や汗が流れ落ちる。


「お分かりか?貴君らが学園で罪を被せようとしたルナリア嬢、否。ソルフェージュ女公爵は、学園にいる時点ではまだ王太子殿下の婚約者だったのですよ?」

「……知らないわけないでしょう……」


 ようやく紡げた言葉。

 更に続けようとしたが、部屋の空気が重さを増したような気がした。


「では、王太子殿下の婚約者として、女公爵の立場はどのようなものであったかも理解した上で、愚か極まりない冤罪をふっかけた聖女様に加担していたと、そういうことだな?」


 ファリトゥスの、丁寧語が初めて崩れた。


「え……?」


 無表情になったファリトゥスが続けた言葉に、青年たちは悲鳴をあげそうになる。


「王太子の婚約者という立場……その意味を、お分かりか?……王族ではないが、あのまま婚約が結ばれたままで婚姻まで進んでいたのであれば……ソルフェージュ女公爵は王族の一員となっていた。彼女は学園に通っていた時点では、ほぼ準王族のようなものとして扱われるべき存在。そんな彼女を大衆の前で小馬鹿にしたのですよ。言葉に出さずとも、表情で分かるほどにね」

「っ、あ」

「…さて、君たちの家は……そうそう、伯爵家でしたね?」


 青年たちの背後で、両親が崩れ落ちる音がした。


「皆の前であれほどのことを、伯爵家の子息如きが行ったという事実は人の口から恐ろしい程早く伝わります。あの学園には平民達も多く通っている。そんな場所で、あなた方は、この国の筆頭公爵家当主を馬鹿にしたのですよ。…良かったですねぇ、あの場でソルフェージュ女公爵に殺されずに済んで」


 喉が引き攣る。

 はくはく、と開いたり閉じたりする口からは妙な呻き声しか出てこない。


「あ、あぁ……っ………!」

「どのように、責任を取るつもりでしょうか?」


「お許しくださいませ、ファリトゥス様!!!」


 悲鳴のような叫び声で青年らの母が額を床に打ち付けつつも、必死に土下座をしていた。

 隣で、父も同じようにして土下座をしている。


「息子らは、責任を持ちまして我らがどうにかいたします!ですから、ですからどうか…!」


「まぁ…身分も弁えず筆頭公爵家当主を馬鹿にした愚か極まりないご子息を、どうなさると仰いますの?」


 カラカラとティーセットの載ったワゴンを押すメイドと共に、穏やかな笑みを浮かべた女性が室内に入ってくる。


「おや、セシリア。どうしました」

「あなた様、よもやと思いますが…情けをかけられますこと?」


 セシリアと呼ばれた女性。

 ファリトゥスが自ら釣書に目を通し、大量の婚約者候補から選び抜いた妻。ヴェルディア伯爵家令嬢、セシリア・ユリス・フォン・ヴェルディア。

 現在はセシリア・ユリス・フォン・クルトス、側室が認められているがファリトゥスはセシリア以外を妻としていない。唯一無二、かけがえの無い妻である。


 セシリアもファリトゥスと同じく、表面上は大変に穏やかな見た目をしている。

 だが、ファリトゥスが一目惚れや話していて落ち着くから、などという普通の理由で彼女を妻にするわけはないのだ。


 セシリアが育ったヴェルディア伯爵家は、騎士を多く輩出している名門。男子ならば騎士としての未来を希望され育成される。女子ならば、『男子に引けをとってはならぬ』と言い聞かされつつ、本人の適性次第だが、陰ながら将来嫁ぐ人を守るための懐刀としての教育を施される。

 体術は勿論のこと、将来の伴侶を支えるための知識。そして万が一に備えた毒物への耐性、暗殺者などへの対処の仕方、更には最終的な『処分』の仕方まで。

 互いに利があったから、家のためだから婚約をした二人だが、思いもよらずウマが合い、家のためという理由で結婚したにしては仲睦まじく互いを支え合える夫婦となり、子も出来ているのである。


 そして、セシリアは先代ソルフェージュ女公爵、今代ソルフェージュ女公爵を大変尊敬している。

 女性として家を取り仕切り、要請があれば魔獣討伐に出るのすら厭わない。民のため、己が仕える王のためにこうあるべきだと生き様で示す彼女らを、とても尊敬しているし好いている、と。いつだったかファリトゥスに語ったことがある。


 だからこそ、この分家筋の青年たちをセシリアが許すわけもなかった。


 まず、目上の人間に対しての無礼極まりない対応の数々。

 更には大勢の前で、あろうことか国の筆頭公爵家当主でもあり令嬢を辱める集団に属していたことも。

 笑顔の裏にある棘を隠さぬまま、付き従ってくれたメイドにお茶の準備を申し付け、セシリアはファリトゥスの隣へと並んだ。


「まず、あなた方は何をしたのか本当に理解しておりますか?責任の所在がどこにあるのかも、ご理解されていらっしゃいますか?」

「…………」

「睨んでも無駄です。答える気が無いのであれば、舌は切り落としましょうか」

「ぇ…?」

「なに、を」

「こちらからの問いに答えぬのであれば、喋るための舌は不要ですわよね?違いますか?」


 ひぃ、と悲鳴を漏らしたのは誰だったろうか。

 何事もなく、ただ、日常会話を続けるようにしてセシリアは言葉の先を続けた。


「王太子殿下を始めとして聖女様、それを取り巻く者達……無論、あなた方も含んでおりますが。あなた方全員がやってしまったこと、そして内容の全ては民の間でも大変有名となってしまっております。それに加わった人の名前も顔も、家名も全て、知られておりますの。当家に対しての償いは勿論のこと、冤罪によりソルフェージュ女公爵様がどれほどまでに迷惑を蒙ったのかも理解した上で、どのようにして責任を取るおつもりですか?」


 あまりに普通の声音で言うものだから、青年らを始め両親も困惑してしまった。

 まるで子供の悪戯を諌めるように、優しい口調。


「このような者達が分家筋とはいえ、存在していることが…どれだけ恥ずかしいことなのか…」


 けれど、笑顔を浮かべているにも関わらず雰囲気と表情はまさに絶対零度。

 一言、否、一文字でも間違えてしまえば、きっと彼女は容赦などしないだろうという恐怖に襲われ、何も話せなくなってしまった。


「だんな様が優しく問われている間に、さっさと答えを出してしまうべきでしたわね。わたくし、今、大変怒っておりますので…」


 セシリアから、すぅ、と一切の表情がこそげ落ち、消え失せた。


「中途半端なお答えでしたら、わたくし、間違いなく全てを壊してしまいます」


 彼らは卒業のためのあのパーティーの場での出来事で、理解していたつもりだった。だがそれは、『つもり』に過ぎないことが今、身に染みて分かってしまった。

 そもそも、己らがやらかしてしまったことが貴族として生きていく上で、どれほど罪に塗れたことだったのか。

 確かに貴族としての責任はある程度全うした上で、それなりの相応の功績は上げているのかもしれない。だが、今回のことでそれを軽く上回ってしまう不敬罪の数々が背後から迫ってきている。

 臣下として王太子に仕えるのであれば、止めなければいけなかった。

 ただ仕えるのではなく、王太子としての役割を申し伝え、聖女とあまりにも好き勝手し放題であると、諌めなければいけなかったのに。


 時は既に、遅かった。


 もう、どうしようもない。

 遅かれ早かれ、きっとデイルは王太子ではなくなってしまうだろう。

 そうさせてしまう未来へ導く手伝いをしてしまったのは、紛れもなく自分たち。

 あの場で婚約破棄まで堂々と宣言してしまったのだから、最早どう足掻いても全てが無理なことなのだ。しかも、その婚約破棄をソルフェージュ女公爵はあまりにあっさり受け入れた上で、聖女のことも王太子のことも、見限った。


「さぁ、お答えくださいませ。どうなさいますの?」


 口調だけは柔らかく、セシリアが再度問いかけた。きっとこれが答えるラストチャンスなのだろう。


「わ、わた、わたし達、が…身分も弁えず…」

「あら、いけませんわ。不合格」

「…え?」

「簡潔にお答えくださいませ。責任の、取り方を」

「セシリア、もう少し分かりやすく伝えねば彼らは理解しませんよ。あぁ…彼らのご両親はきちんと理解されておられるようだ、安心しました」


 謝れば良いのかと思っていたら、あっさりとセシリアに遮られてしまった。どうしたものかと両親に視線をやったが、普段とあまりに違う様子に身体が強ばる。

 にこやかなクルトス公爵夫妻とは正反対の蒼白な顔で、彼らの両親は息子たちを睨みつけていたのだ。何やらブツブツと呟きながら、ただひたすらに、睨み続けている。


「父上、母上…あ、あの、」

「…………………………………………っ、」


 小さな声で呻き声のように何かを言う父に、はっきり言ってくれと少しだけ苛立ちが募る。


「え…?」


「お前たちのせいで!!我が伯爵家はこの国から存在そのものが消え失せるのだ!!公爵様は、我らと我が家をご不要と判断されたことが何故理解出来ぬ!!」


 悲鳴のように叫ばれた。

 聞いたことも無い父の悲壮な怒鳴り声に、一人の青年は尻もちをついた。もう一人の青年は、呆然と立ち尽くしている。


「ふよ、う…?」


 壊れきった、いよいよ修理のきかなくなった玩具を捨てるように。

 一つの貴族、伯爵家をいとも簡単に切り捨て、そのものを貴族名鑑から消そうというのか。

 母は、顔を覆って泣き崩れてしまっている。

 父は、血走った目で二人をただ睨み付けている。


「ご理解くださいまして感謝致します。息子様方は、己の仕出かしたことを理解出来ておられなかったようで、未だ謝罪の言葉を述べようとされておりました。ですので、遮らせていただきましたわ」


 そんなにもに簡単に人を殺してしまえるのかと青年二人は恐怖に震える。


「あなた方の仕出かしたことの大きさをご理解いただけまして?」


 こくこく、と何度も点頭く。


「では、もうよろしいです。お下がりください」

「え…と」

「いくら後悔しても、謝っても、過去に戻りたくとも、それは叶いません」

「……」

「あなた方は、貴族としてきちんと義務を果たしておりました。だから、尚のこと…残念でなりませんわ」


 優しい言葉と表情に、もしかして許してもらえるのではないかと勘違いしてしまいそうになる。

 だが、そんな夢みたいな話があるわけはない。セシリアが伝えている『残念』の意味は、『処分してしまうには惜しかったのに』という意味。まさかこんなことにまでなるだなんて、と思い続ける彼らの両親は嗚咽が止まらない。

 王太子付きになるまでは、聖女と関わり合いになるまでは、こんな息子たちではなかった。親として、当代の伯爵として、息子達をきちんと諌めねばならなかったのだが、それも最早、遅すぎる。

 不要だと判断されれば、もうそれが覆ることは無い。貴族とはそういうものだ。親とて、親類とて、変わらない。

 民を導くという立場にいる自分達は、間違いだけはしてはならない。『やだごめんなさい、間違えちゃいました、えへっ☆』で取り返しがつく立場では無いのだから。上に行けば行くほど責任も重くなる。

 一切の間違いをしない、などという人生は送ることは出来ない。ならば、周囲の人間が殴ってでも矯正してやらねばならないのだ。


「あ、そうですわ。皆様に言い忘れておりました」


 朗らかな声でセシリアは言う。


「わたくしの実家の話は、皆様ご存知でいらっしゃいますわよね?」


 にこにことしたまま、ヴェルディア家の話をふられ、四人は思わず目を丸くした。


「え、えぇと…男性ならば騎士の道を、女性は夫となる者に仕えるべく様々な知識や体術、それと…………懐刀と、なる……為に………っ、……?!」

「良かったわ、ご存知でいらっしゃって」


 笑みを浮かべ、細められていたセシリアの目が開くと、瞳が涼やかな蒼から、深紅へと染まっていた。

 いつの間に魔力を巡らせていたのか、そんな気配すら無かったはず。


 そう、ヴェルディア家の女子は『懐刀』としての教育を受ける。

 中でもセシリアは生まれ持った特殊能力が故に、生まれが四女ではあるものの一族の中でも特に苛烈極まりない教育を受け、育った。


『魔眼』。


 その瞳に魅入られた者は、己の意志と関係なく言われた通りの行動を取ってしまう。ただそれだけなのだが、『それだけ』が如何に恐ろしいものであるのか。

 だが、セシリア自身はその能力に歓喜した。

 いつか出会う己の伴侶のために、『魔眼』を使いこなし、守り、仕え、そして支えていこうと心に誓った。己の感情など二の次で構わない。家が決めた嫁ぎ先でも、余程のクソでなければ、セシリアは全てをかけて『懐刀』として傍にあろうと決めたのだ。


 ファリトゥスが釣書の中に一言だけ記載されていた『特殊能力あり』という隠し文字を発見したため、セシリアとの見合いが叶った。

 その特殊能力が何なのかはファリトゥス自身は知らされていなかったが、実際に会ってセシリア自身からその話を聞かされた。

 並大抵の男性ならば、気味悪がるそれを、ファリトゥスはいとも簡単に受け入れた。


 彼との見合いが成立するまで、幾人と顔合わせをしたことだろうか。

 魔眼持ちと知られただけで、まるで化け物を見たかのような反応になり、即座に結婚の話が消えてしまっていたセシリアにとって、ファリトゥスはまるで救世主のような存在なのだ。

 これは、ファリトゥスには話していない。話してはいけないと判断した。

 話したところで『そうですか』と淡々と返してくるだけだと理解しているから。

 己の思いは胸に隠して、今こうして妻として彼の傍に居られるのであれば。何もそれ以上を望むことなどないと思っていた。

 けれど、様々なものを乗り越えたソルフェージュ女公爵をも支えられると分かってからは、それ以上を望んでしまった。


 自分の『内側』に居てくれるかけがえの無い宝物全てを、何をしてでも守る。

 夫を始めとした己の家族、そしてソルフェージュ女公爵を始めとした歳若き公爵達や、未来の公爵。

 それをやり遂げるために、『魔眼』を使用することなど躊躇する理由は無かった。


 夫人に近付き、がちがちと歯を鳴らして震えるその姿を見下ろしてなら微笑んで、膝を折って視線を合わせた。

 そっと肩に手を置くと、目に見えて分かるように大袈裟に、肩が跳ね上がる。


「そのように怯えずともよろしいではございませんか。…わたくしはただ、お願いをするだけですわ」

「おね、がい?」

「はい」


 微笑んだまま、セシリアは言葉を続ける。


「簡単なことです。さっさと死んでくださいまし」

「あ……」

「可哀想な伯爵夫人に伯爵。我が子のせいでこれから先の未来を無くし、命を散らさなければいけなくなるだなんて」

「かわ、い、そ…う」

「子育てをお間違えになられたのかしら」

「わたし、は、間違えて、など」

「結果論ですわ。…失敗したくせに」


 にこやかに言ってから、夫人の肩に置いた手に力を込めていく。


「筆頭公爵家に対する数々の侮辱行為、王太子の婚約者への対応。そして、己の罪を軽く見すぎていた頭と思考能力の軽さ。あとは……あぁ、そうだ。婚約者がいるにも関わらず、不義を働く寸前までに聖女とやらに懸想していたことも。ついでにもう一つ」

「………………ぁ…あぁ、……」

「学園で、何もしていない、何も出来ない状況にいるルナリア様に対して、堂々と彼女を指さし『聖女様の勉強の邪魔をするな悪女めが!』と…いきなり怒鳴りつけたこともあるんですって。先程お聞きになったでしょう?これでもまだ失敗していらっしゃらないと仰います?」

「………」


 どんどんと、夫人の瞳が濁っていく。

 一度現実を突きつけ落とし、反論する手立てを失わせてからセシリアはたたみかける。


「子がやらかしたことは親の責任ですわよね?成人した年齢といえど、親と子の繋がりは切れません。ならば、此度のこともあなた方含めて責任をきちんと取らねば、ご迷惑をかけた方々に顔向け出来ませんでしょう。…息子様達のことは、来世に期待なさってはいかが?」


 人形のように夫人の瞳から光が消える。


「息子様達の無礼の数々、全てを記した書面を伯爵家宛に送付しておりますので、もう家人が受け取っていらっしゃることでしょう。わたくしが申したのは氷山の一角ですわ。お帰りになったら、きちんと内容に目を通してくださいませ」


 そして、耳元に口を近付けて、こうトドメを刺した。


「拷問にでもかけてさしあげた上で、生まれてきたことを後悔させながら死んでいただきたかったけれど……尊敬していた母親から殺される息子の絶望、宝を殺した妻に死んでくれと請われ、お二人揃ってお亡くなりになる方がわたくし達が疲れないのでは…と、気付いてしまいましたの。だから、早く家に帰って皆様で殺し合いと罵り合いをなさってくださいな」


 指先が白くなるほどの力を込め肩を掴んでいたせいか、セシリアの手が少し震えていたが、気にせず肩から手を離し、一度魔眼を鎮めてから立ち上がる。

 何やらブツブツと呟きながら夫人もつられるようにして立ち上がった。

 その目は光を取り戻していたが、瞳の奥は少しだけ濁っていた。

 ちらりと伯爵に視線を送ると大袈裟なほどに肩を震わせる様子が見えたが、セシリアはにこりと微笑むだけ。

 念の為に、と伯爵に近寄り再び魔眼を起動して真っ直ぐ見つめてこう告げた。


「伯爵、奥様のなさることをお止めにならず、どうか協力してさしあげてくださいませね…?」


 瞳孔が一瞬収縮し、そしてすぐに元通りになってからは夫人と同じように瞳の奥は少し濁っているのが確認出来た。


 ――成功した。


 魔眼から逃れることは出来ない。

 出来るとすれば魔眼封じが付与された何かしらの道具を手に入れることだが、それはヴェルディア家にしか伝わらないもので門外不出。しかも今はファリトゥスがそれを着けているのだから。


 ファリトゥスが愛用するモノクルは、妻であるセシリアからの贈り物。

 書類仕事ばかりで疲れるだろうから少しでも力になればと渡されたそれは、魔眼封じの特殊効果を持つ唯一無二の道具。ついうっかりで魔眼が暴走したときのことを考えて、夫となる彼に身に着けさせたのだ。

 暴走した時の、ということも付け加えて渡したので、ファリトゥスはきちんと着用してくれている。


 お辞儀、カーテシー共にきちんとしてくれたものの、ふらふらとした足取りで出ていく両親を慌てて追いかける息子たち。

 魔眼の発動の瞬間は見ているけれど、セシリアがかけたのは両親に対してのみ。

 全員にかけてしまうと、面白みが減ってしまうからという理由で、あえて両親のみにしかかけていない。


 手を振って四人を見送ってから、メイドに紅茶をいれてもらうが、あまりに時間が経ってしまい渋みやエグ味が出てしまっていたので、謝ってからいれ直してもらった。

 メイドには『奥様、気になさらないでください!』と言われたものの、用意してくれと頼んでおきながら遅くなってしまったのはセシリアがあれやこれやしていたことが大きな原因でもあったから、謝らずにはいられなかった。

 魔眼を発動していない時や、家門に対して敵対する人と対峙する時以外であれば、セシリアは大変おっとりした性格で、常に微笑みを絶やさないおかげもあってか、使用人達にもすこぶる評価が高い。

 魔眼発動時は、さすがに背筋が凍りそうな程の威圧を感じている、と言われてしまったが、『なら、無理はしてはいけないわ』と笑みを浮かべてその発言をあっさり許した。

 あれを受け入れられるのはファリトゥス始め、恐らくルナリアくらいではないだろうか、とセシリアは勝手に推測する。


「セシリア、無理をさせました」

「いいえ、お気になさらないで。従来の方法よりも、魔眼を使った方が簡単に取り潰せるのでは、と判断しただけのことですもの」


 うふふ、と笑ったセシリアの頬をゆるりとファリトゥスは撫でた。


「……へ?」

「いいえ、このような素晴らしき女性を我が妻に迎えられたことが、改めて大変喜ばしく思いまして」

「まぁ…!」


 心の底から嬉しそうに、花開くような微笑みでセシリアは笑う。


 もう、彼女の中には先程魔眼をかけた相手のことなど、ミジンコほども残っていなかった。

 これから願うのは変わらぬ平穏と、歳若き公爵達の輝かしい未来のこと。





 少しして、とある伯爵家で起きてしまった惨劇が一面を飾った。


 筆頭公爵家に対して数々の無礼を学園で働いた伯爵子息を、錯乱した伯爵夫人が滅多刺しにして二人ともを殺してしまったそうだ。

 普段は非力な女性で、そんなことが出来るわけもないのだが、まるで何かに取り憑かれたように恐ろしい力で息子を刺し、動けないように馬乗りになって腹部を滅多刺しにしてから全身を続けて刺しまくった、と記事には書かれていた。


「ふぅん」


 興味なさげにセシリアは新聞を放り投げる。


 母が息子を殺した衝撃のニュースがあまりにも大きく書かれていたため、伯爵家のその後についてはたった数行、こう書かれていたのだった。


『伯爵家には親戚はいるものの、息子達が跡を継ぐと思われていたため、他の跡取り候補は誰ひとりとして存在しなかった。そして、親族縁者は伯爵家を存続させることが不可能と判断し、貴族院にて手続きを取った』


 思い通りの結果になり、セシリアは微笑んだ。そして、己の執務机に向かい公爵家夫人としての執務を開始する。



 こうして、クルトス家はまた、通常運転に戻るのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 愛する伴侶や家族には優しいが、敵となった者へは容赦しない冷徹・苛烈さを併せ持つセシリア奥様に、まさに現代の理想のヒロイン像を見た気がします。 蛇足ですが、奥さまにも敬語で穏やかな男性が、理…
[良い点] ちなみに、私は、「20代の若造である息子に自分の地位が突然奪われた」状況で、形式とは言え「引継ぎの挨拶と自身はこれから下に侍る宣言」したパパさんが好きです。 うん、これ(紋章移動とともに…
[一言] すっごい好きです、この世界のお話…!!! ファリトゥス様の奥様も素敵です。 ありがとうございます!
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