あなたのそばにいられるなら、卒業試験に落ちても構いません! そう思っていたのに、いきなり永久就職決定からの溺愛って、そんなのありですか?
ここは騎士を養成するための学校、騎士訓練校。わたしはこの日、予定通り騎士訓練校の卒業試験に落ちた。にこにこ笑顔にならないように気をつけながら、すぐさま試験官に抗議する。ひとの目を気にしないで話しかけられる、絶好の機会だから。
「どうしてわたしが不合格なんですか! 剣技、魔法、どちらの成績も合格圏内だったはずです!」
「カレン、ド紫のシチューを作っておいて、よくそんなことが言えますね」
「見た目は確かに悪いですけれど、味は普通のシチューに負けません! なんと言ってもおばあさま直伝のレシピです。なおかつ、訓練校で見つけた特殊なイモを使っていますから栄養抜群なんです! ただちょっと、見た目が悪いだけで」
「それが大問題なんです。他の訓練校はどうか知りませんが、ここでは最低限の料理の腕も卒業条件です。一見して毒か判別できない料理を作る人間を野放しにはできません」
わたしを冷たく見下ろしてくるのは、教官のフィリップ先生。氷の騎士と噂される先生は、わたしが訓練校に入ってくるのと同時に騎士団から移籍してきた。
その美貌とは裏腹な……いやむしろお似合い(?)な毒舌で、言い寄る男女をばっさばっさと切り捨てている。
「この間も変な草があふれるスープを出して、グループ演習のメンバーから苦情が出たのを忘れましたか?」
「変な草じゃありません! あれは東部地方では非常に一般的な海草です。乾燥しているものをちょっと入れすぎたせいであふれただけで」
「『ちょっと入れすぎた』だけで、鍋からうにょうにょあふれるほど増えるわけがないでしょう」
頭が痛いと言わんばかりのフィリップ先生の仕草に、少しだけ悔しくなった。わたしだって、演習や卒業試験じゃなかったら、うんと美味しいごはんを作ってみせるのに。
「海草はそういうもんなんですよっ。そもそも、演習で苦情が来るのはおかしいです。何でも食べられるようになるのが、演習の目的ではありませんか!」
「何をドヤ顔で正論を言った気になっているんです。そんなのは、まともな料理を作ってこの訓練校を卒業してから言いなさい。まああなたは、一週間後に行われる追試の卒業試験に失敗したら、自動的に騎士になる資格を失いますが」
初耳の情報に、わたしは思わず本気で抗議した。
「そんなの聞いてません!」
「普通はここまで落第する前に合格するか、適性のなさを悟って退学するんですよ。追試があるだけマシだと思いなさい。訓練校の学費だって、タダじゃないんですから」
このすねかじりの親不孝娘め。言われていないはずの言葉が聞こえたような気がした。さらさらと長い銀髪をなびかせるフィリップ先生が憎たらしい。ちくしょう、可愛さ余って憎さ百倍だ!
「訓練校の学費は、自分で稼いで出しています! 特殊食材の狩猟免許だって持ってるんですから。うわーん、わたしの気持ちなんて何にもわかってないくせに! フィリップ先生のバカ! 人参嫌いのわからずや!」
泣きながら走り出したわたしの後ろ側で、フィリップ先生がため息をつく音が聞こえた。
*****
騎士訓練校内で料理音痴の名を欲しいままにしているわたしだけれど、実家は王都でも有名なレストランだったりする。
祖父母が開いた店は、各地の郷土料理を手軽に食べることができる珍しい場所として人気を博しているのだ。祖父母の働きで、偏見をもたれがちな各地の食文化も王都で受け入れられやすくなったのだとか。
フィリップ先生は、そんなわたしの家の常連さんだった。年が離れているせいでわたしは知らないけれど、小さいときからその美少年っぷりと博学さで有名だったらしい。わたしにとってフィリップ先生は、優しくて素敵な憧れのお兄さまだった。
「大きくなったら、フィリップ兄さまのお嫁さんになる!」
そう言ってまとわりついていたわたしの相手を、嫌な顔ひとつせずにしてくれたっけ。関係が変わってしまったのは、フィリップ先生が騎士を目指すようになってから。てっきりわたしはフィリップ先生は学者さんになるものだとばかり思っていたのだけれど、突然騎士訓練校への入校を決めてしまったのだ。
寮住まいになったせいで、うちに来ることは少なくなった。たまに外出許可を取ってお店に来たところで、元騎士のおじいさまや現役騎士のお父さまと剣の練習ばかりするようになる始末。声をかけても、迷惑なのかすぐにそっぽを向かれてしまう。昔はお膝の上で絵本だって読んでくれたのに。
悔しくて近所の年上のお姉さんにお願いして、ちょっと大人びた服装でフィリップ先生の周りをうろついてみたけれど、薄着だと風邪を引くと上着をかけられただけだった。はあ、何それ。
それでも諦められなかったわたしは、フィリップ兄さまを追いかけるために騎士を目指すことにした。うんわかってる、相手にされてないのにバカだよねわたし。でも諦められないんだもん。
おじいさまとお父さまは、わたしが騎士を目指すと話したらびっくりするくらい渋っていた。普通は、子どもや孫が自分たちと同じ職業を目指していると知ったら、喜ぶものなんじゃないの?
なんとか入校許可をもぎとることができたのは、おばあさまとお母さまが味方をしてくれたから。
けれど、おじいさまたちが譲歩してくれたのもここまで。わたしが騎士の資格を取ったら、婚約者と結婚することを約束させられてしまった。わたしが成人するまで待ってくれた相手を、さらに何年もお待たせしてはいけないからと。
知らなかったよ。一体いつの間に婚約者ができたの。いや、いるならいるで、もっと交流とかするべきなんじゃない? どこの誰からお願いされた政略結婚か知らないけれど、コミュニケーション不足で結婚したところですぐに破綻しちゃうんじゃないの?
そもそもわたしはフィリップ先生と結婚できないなら、独身の行き遅れとして笑われるほうがマシなのに。
それからわたしは、意図的に卒業試験に失敗するようにしてきた。剣術も魔法も下手に手を抜けば大事故に繋がる。だから料理音痴の汚名を被ってまで、トンチキ料理を作ってきた。
学校にいる間だけは、昔みたいにたくさんフィリップ先生とお話ができる。そのためなら、卒業試験を合格できない落ちこぼれだと思われていたって構わない。けれど、もう卒業試験でわざと失敗することもできなくなってしまった。
追試では、合格以外取るつもりはない。不合格になったら、顔も知らない婚約者と結婚することになる。こうなれば、フィリップ先生に会うことはほぼできなくなるだろう。
だったら、少しでも会うチャンスがある騎士になろう。崇高な騎士職をなんだと思っているなんて言わないで。わたしにとってすべては、フィリップ先生の隣にいるための手段でしかないのだ。
普通に料理をする。それだけで新しい道が開かれるはず。そして、結婚後も騎士を続けさせてもらう許可を未来の旦那さまからもぎ取るのだ! 実力で!
「見てなさい、フィリップ先生! わたしは絶対、合格してやるんだから!」
「わかりましたから、さっさと部屋に戻りなさい」
「フィリップ先生、もしかして私のことが心配で追いかけてきてくれたんですか!」
「通り道だっただけです」
うわーん、冷たいよー。
大声で一人言を言うわたしを道端で見つけても、顔色ひとつ変えないフィリップ先生は、やっぱり氷の騎士という異名がふさわしいと思う。
*****
一週間後の追試当日。校内には桜が満開になっていた。東部地方で有名な桜だが、最近は王都でも春の風物詩になっている。
フィリップ先生が一番好きな花に見守られての試験だ。失敗するはずがない。絶対に合格してみせる!
「今日こそは、まともな料理を作ってほしいものですね」
「当然です。今回は、フィリップ先生にもご満足いただけるものをご用意しました」
剣技、魔法の試験を済ませてから望んだ料理試験。試験に使う料理の材料は、すでに用意されている。訓練校内で自生しているものなら加えることもできるけれど、普通はやらない。植物についての知識が低ければ、成功する可能性よりも、減点される可能性が高くなるからだ。まあわたしはその知識の高さを活かして、美味しくて見た目が悪くなるような植物を探してぶち込んでいたんだけれどね!
「さあ、どうぞお召し上がりください」
わたしが作ったのは、ハンバーグにスープにパンだ。与えられた材料はちょっと硬くて古いお肉だったけれど、包丁で叩いて挽肉にすればそれなりのものができる。そのために訓練校内のハーブの場所を確認していたわけだし。ズルいというなかれ。情報もまた生き残るために必要なのだ。
「お味はいかがですか?」
どうだ、対フィリップ先生を目標に長年あたためてきたレシピの力を思い知るがいい。フィリップ先生は、わたしの料理を全部残さず食べてくれた。あーん、もうそういうところが好き。試験だから一口しか食べなくてもいいのに、ちゃんと食べてくれるとかもう好き、結婚してほしい。
「……ええ、合格です」
「ふふふ、フィリップ先生ったら完食ですね」
「普段の料理も見た目はともかく、味は美味しいですからね」
「このお料理、全部人参がたっぷり使われているんですよ。でも美味しかったでしょ!」
「……ええ、正直驚きました」
本来なら、料理中の技術についても試験の対象となる。でもわたしはフィリップ先生を驚かせたくて、調理中の監督は別の先生になるようにお願いをしていた。普通はこんな要求なんて通らないはずなのだけれど、みんな快くお願いを聞いてくれたのだ。
特に校長先生なんて、「これで二人の新たなる門出をお祝いできるなら、いくらでも協力するとも」と言ってくれたのだけれど、一体なんのことだろう。卒業試験を何度も失敗されると学校としての評価が落ちるから、さっさと卒業して欲しかったのかな。
「フィリップ先生、昔から人参が苦手ですもんね。わたし、人参の味が目立たないように料理ができるようになったんですよ。すごいでしょう」
「カレン、あなたは……」
鉄面皮のようなフィリップ先生の顔が、昔のフィリップ兄さまのようにふんわりと柔らかくなった。きゃー、この笑顔はヤバい。氷の騎士の雪解けよ!
「よっしゃ、これで結婚しても外で仕事ができるぞー!」
結婚生活が破綻して離婚しても、手に職があったら安心だよね! にっこり笑顔で拳を宙に突き出したら、一瞬で表情を失くしたフィリップ先生に腕をつかまれた。
*****
「そんなに私と結婚するのは、嫌ですか?」
「フィリップ先生?」
何を言ってるのかしら。結婚? わたしが? フィリップ先生と? 何が何だかわからないまま固まっていると、フィリップ先生が転移陣を展開した。あれ、フィリップ先生、今使ったのは、魔力の有無に関わらず利用が可能な最近発売されたばかりの緊急用の魔道具ですよね? え、どういうこと?
連れてこられたのは、おそらくフィリップ先生の私室だ。え、お説教のために、職権乱用? 何それ、公私混同はよくないよ!
「私は、あなたとの結婚を許してもらうために、騎士を志しました」
「ふえ?」
「あなたのおじいさまは気さくな対応をしてくださるけれど、血筋だけでなく功績から爵位をいただいた方です。私のようなただの平民では、あなたに結婚を申し込むことなんてできませんでした」
「へ、うちは平民みたいなもんだって……」
「あの方のおっしゃる『平民みたいなもの』がどんなものかは、のちほどご両親に説明をしてもらってくださいね」
まさかのうちはお貴族さまだったらしい。社交とかどうやってたの?
「あなたの家やお店には、ナチュラルに要人が来ていたのを知らないんですね」
「え、要人? そんな偉いひと、見たかなあ。なんだかやけにイケメンなおじさまやら、美人なお姉さまやらが来ていたのは覚えてますけれど」
「国王陛下に王女殿下ですね」
「うっそだー」
「嘘ならどれほどよかったことか。この国の王族は、そこら辺をうろうろし過ぎなんです」
何だか、騎士としてのフィリップ先生の苦悩を垣間見てしまった気がする。
「結婚を申し込むために、魔道具の研究に励み、騎士団内での地位をあげました。あなたのおじいさんやお父さまから認めてもらうために、剣技を磨きました。そうしてやっと、婚約までたどりついたのに」
「店に来て剣で打ち合いをしていたのって、そういうことだったんですか? てっきり、フィリップ先生が遅ればせながら剣に目覚めたのかと思ってました」
「カレン……」
だって、男の子って棒切れがあったら振り回す生き物だし。ごめんなさい。フィリップ先生は、本来なら剣より本の方が好きだったよね。
「なぜかあなたは結婚は嫌だとごね始め、騎士になるための訓練校に入る始末。それならば訓練校を卒業し、騎士の資格を得たあとにプロポーズしようと思ったら、あなたはわざとのように何度も卒業試験を失敗するありさま。いや、わざとのようにではありませんね、わざとですね」
傷つきましたと笑顔で語るフィリップ先生の顔が怖い。
「わ、わたし、知らなくて。本当ですか?」
「たぶん皆さん、何度も説明したと思いますよ。あなたがいつものようにトリップしていただけでしょう」
うぐぐ、そう言われると否定できない。先日もフィリップ先生の前で自分の世界にトリップしてたし。
「フィリップ先生とわたしが婚約者……。わたし、てっきり誰か知らないひとと結婚するのかと思ってました」
「むしろ私以外の誰かと結婚しようと言うのなら、決闘を申し込みます。あなたを拐ってでも、その結婚は阻止しますね」
「え、なんかそれ素敵……じゃなくて。それじゃあ、どうして好きって言ってくれなかったんですか! 学校でも冷たいし」
「ただでさえ、年の離れたあなたとの婚約で各方面から変態呼ばわりされているんです。学校内で特別扱いしていたら、教職を追放されます。あなたのそばにいるために、無理矢理臨時職員の座をもぎとったのに」
「急にフィリップ先生が訓練校の教官になったのって、そういう理由なの?」
「そうですよ。あなたの隣にいるために、どれだけ私が頑張ったことか」
「フィリップ先生、あの」
「はい」
「怒ってます?」
「ええ、結構」
「えー、なんでもするから許してくださいー」
昔からの癖で泣きついたら、フィリップ先生がにやりと笑った。え、そんな顔の先生、初めて見たよ。
「じゃあ、ここでキスしてください」
「い、今からですか?」
「はい」
「え、あの、わたし、歯を磨いてきますから! ね、だからまた後で」
「へえ、つまりすごいキスをしてくれるってことですね。期待しています」
「あわわわわわ」
「冗談ですよ。カレン、好きです。愛しています。やっとあなたに触れられる」
お利口さんと昔のように頭を撫でられたあと、ふわりと甘い香りに包まれた。抱きしめられているのだと気がついたのは、間近にフィリップ先生の顔があったから。初めて触れたフィリップ先生の唇は、桜の花びらのように甘く柔らかいものだった。
*****
あれからわたしはフィリップ先生……じゃないフィリップさまとすぐに籍を入れた。騎士の資格証明書が出る前の結婚だったせいで、校長先生は苦笑していた。
みんなの前で、「証明書が発行されてから名前が変わったら、書き換えが発生しますから面倒でしょう?」なんてフィリップさまは話していたけれど、本当かな。
わたしの知らない間の婚約期間が長かったとはいえ、やっぱり挙式前の入籍はちょっと異例なことだったらしい。「もうこれ以上待てません」と宣言するフィリップさまの珍しくも可愛らしい面を見てしまい、速攻でノックダウンされてしまったのは仕方がないと思う。
ちなみに、騎士の仕事は当初の予定通り続けている。フィリップさまもまたわたしが騎士として働くことに良い顔をしなかったけれど、「じゃあおばあさまみたいに、騎士団の付設食堂で働こうかな」と話したら、即効で騎士として働くことに賛成してくれた。
「わたしを食堂においていたら、魔女騒ぎが起きかねないって考えてますよね? 卒業試験でお分かりになったかと思いますが、わたし、普通に料理は得意なんですからね」
「あなたが料理上手なことはわかっています。騎士団付設の食堂なんかで働いたら、狼の群れの中に子羊を放り込むようなものです。こちらの心臓が持ちません」
「フィリップさまったら心配し過ぎですよー。騎士訓練校でも、色っぽい話なんて全然なかったのに」
「まったく、あなたはこちらの気も知らないで」
うちのおじいさまとおばあさまが騎士団の付設食堂で出会ったように、フィリップさまは本気でわたしが誰かに奪われかねないと心配しているらしかった。
実家のお店だけじゃなく、男ばっかりの騎士訓練校にいても特に声をかけられることなんてなかったんだから、不安になることなんてないのに。でもそんな風に心配されるのが心地よくて、わたしは喜んでフィリップさまの部下になることを決めた。今まで全然そばにいられなかったから、仕事でも家庭でも隣にいることが嬉しくて仕方がない。
「フィリップさま、そろそろ休憩の時間ですよ」
「ありがとうございます。今日のランチはなんですか」
「じゃじゃーん、なんと今日は特製サンドイッチです。デザートもありますよ。隠し味はもちろん人参です!」
「バラしたら隠し味になりませんよ」
氷の騎士と呼ばれていたフィリップさまは、今日もわたしの隣で春の日差しのように優しく微笑んでいる。