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この話はフィクションです  作者: 面映唯
【スケープゴート】
13/29

4

 ドアが開く音がする。


 担任が誰かを呼んでいる。


 名前は? 


 ……聞こえない。


 畑中、誰が呼ばれてるんだ? 畑中の方を向いて視線が合ったのに返事はない。じゃあ姫野。視線を送るとすでに姫野は徹に視線を送っていたみたいだ。なぜか俯く。口元を手で覆っている。相川は? 水無瀬の書く日誌に視線を落としている。


 しょうがなくもう一度担任の方を向く。先生、もっと大きな声で言ってくださいよ。全然聞こえないです。よく授業中に言うじゃないですか。発言するときは大きな声で、なんて小学校の先生みたいなこと。ねえ早く。名前を呼んでみてよ。早く――。


「徹くん!」


 加耶の声で我に返る。びくっとして恐る恐る見上げる。加耶は立ち上がっている。


「ほらいこうよ。先生に呼ばれてるよ」


 徹は立ち上がる。加耶と並んで担任の元へ行くと、「ついてきて」と言われた。


 階段を下りる。階段脇の給食室を抜け、昇降口を横切り、職員室の角を左に曲がる。曲がってすぐ左手にあったドアを、担任は開けた。


 教室後方の壁を覆うのは、天井に届くほどの本棚。図書館にしては貧相で彩りのない資料やアルバム。長机もパイプ椅子も端に寄せられていて片付いているこの会議室。ほとんど使われないこの教室に徹と加耶が呼ばれた。


 担任はちょうど卒業アルバムがある本棚の中央で回れ右をする。


 徹の頭は回っている。


 嫌な予感がする。これは昔、香奈枝に怒られる前の緊張感に似ている。


 門限が十七時だったにもかかわらず、「逆上がり十回出来たら帰ろうぜ」と友人と公園で鉄棒をしていたら、帰宅して家の玄関に着いたのは十七時半になっていた。たかが三十分でもこっぴどく叱られるのは目に見えていた。徹には前科があった。


 ゆっくりと玄関のドアを開ける。香奈枝の靴が見える。万が一にも買い物に出ているということはあり得ない。自分の靴を脱いで、ゆっくりと家に上がる。居間のドアに触れる、引く。台所でプライパンに敷かれた油が、跳ねる音が聞こえている。見えたのは菜箸を右手に、フライパンを左手に、無言(・・)(たたず)む香奈枝の姿だった――。


「先生が何を言いたいかわかる?」

「いえ」

「私も」

「二人は付き合っているの?」

「まあ一応……」

「この間の火曜の夜、どこにいた?」


 担任は柔らかい顔で言った。


 でも担任の内心が柔らかくないことを徹は知っている。今の担任は昔の香奈枝と同じだ。頭をひっぱたく寸前の、血相を変える寸前の、呆れて愚痴を零し始める寸前の香奈枝と一緒だと、過去の記憶が蘇ってきた。





 かの催眠療法で有名な精神科医は、本来感じるべき痛みは三分の一でいいと言っている。そもそも人間の感じる痛みは「未来」「現在」「過去」の三つに分かれている。


「未来」と言えば、不安が代表的だろうか。好きな相手に告白したいのに振られるかもしれない、というイメージに煩わしさや痛みを感じることはないだろうか。期限切迫、その場しのぎで中途のまま提出した仕事がそのうちばれて怒られるイメージ。ないだろうか。


「過去」だったら、トラウマだろうか。トラウマまで行かなくとも、大抵の人間が幼い頃、道で転んだ経験があるだろう。その痛みがふと蘇るときがないだろうか。体育館のテカテカなフローリングの上で転びかけたときに「ここで転ぶとめっちゃ痛いんだよな」と思い出すことはないだろうか。そのときの痛みが蘇ることがないだろうか。


 駅のホームに立っているとき、まだ乗ってもいないのに満員電車の不快感が襲ってくることはないだろうか。「未来」のイメージに苛まれ、「過去」の痛みが蘇る。


 本当に感じるべき痛みは「現在」だけでいいはずなのに、人は「未来」への不安や「過去」のトラウマを背負って生きている。


 ふとした瞬間に思い出すのはいつも痛みだった。蘇るのは、自分にとっては楽しくても相手にとっては不快な思い出と、相手にとっては心地よくて自分にとっては苦い思い出だった。


 未来にイメージする不安は、もう一度その苦い思い出が繰り返されるのではないかという、相手と自分に対しての両方の痛み。相手も苦しいかもしれない。でも我慢している自分も苦しいじゃないか。


 この世界は、徹が生きることを前提に考えて作られていなかった。あれと同じだ。世の中の多くが左利き用に作られていない。扉は右に開く。マウスが使いづらい。ボールペンがすぐ書けなくなる。おまけに書いた文字は見えない。パチンコのハンドルは右にあってやりづらい。改札は右手に電子マネー。自販機の投入口は右。機械はほとんど右利き用にできている。それだけではない。右利き用に世界ができているのだから、右利きに合わせなくてはならない。飲食店では自分が左端に来るように席順を気にすることもあるだろう。無意識に左手が出るからもたつくのだ。まるで世界は左利きの人々を右利きに矯正しようとしている感覚。左手を使いたいのに右手を使わせられる感覚。


 どうすればいい? 世界が左利き用に変わることなどありえない。世界が徹の欲望を許してくれる世界にはならないのと同じように。


 どうすればいい。一生我慢して生きていかなくちゃならないということか。


 徹は思った。いじめられたり自殺する人はこんな気持ちだったのだろうかと。自分は間違って生まれた。自分は生まれる場所を間違えた。来世はきっとちゃんとしっかり産まれてくる。ここは自分のいるべき場所じゃない。もう苦痛は懲り懲りだ。一人でいるときですら安心できない生き心地。「現在」の痛みどころか「過去」の痛みが襲ってくる。身体に残った傷やかさぶたが当時の悲痛を脳に蘇らせる。膝の青い内出血、(あざ)は、また膝が汚くなるのではないかと「未来」のイメージを綺麗な皮膚の上に作り出す。手を洗ったときに弾けた水滴がワイシャツの袖を濡らす。瞬時に脳は過去へと飛んだ。トイレに入れば安心して便座にも座れやしない。突然上から水が降ってくる幻覚。鍵に細工をされて出られなくなる被害妄想。咄嗟に腕で頭を覆い、開かないとわかっているドアをがたがたと性懲りもなく引き続ける。水が降ってきたら制服はどうしようか。出れなかったら夜の暗い学校の中で一夜を明かすことになるのだろうか。不安も、幻覚も、妄想も、すべて痛み。


 ここは私たちが生きる場所じゃない。彼らが楽しく生きる場所だ。

 私たちは生贄だ。彼らの生活を彩らせるための。


 生贄に信頼関係の形成など不要だ。なのに、しばしば一方的な信頼を寄せてくる人がいる。

 彼らは優しい。彼らに生贄としていじめられていることがばれればきっと手助けをしてくれるだろう。自分のためにと手を焼いてくれるだろう。自分のために時間を割いてくれるだろう。


「いいの。あなたが幸せでいてくれれば」


 そんな言葉をもらった暁には、喉が締め付けられる感覚を覚えるだろう。


 自分如きが……生まれる場所を間違えた俺が……彼らの生贄の私が……こんなにも優しい人の自由を奪っている。


 怖い。自分が犠牲になるのは許せる。私は生贄だ。僕の役目だ。でも俺に関わらなければきっともっと普通に楽しく生きられた優しい人が、トイレで水をかけられ、放課後校舎裏で蹴飛ばされ、次の日学校に来れば上履きがないなんて光景、喉奥がきゅうきゅうする。


 私たちの役目は、生贄だ。そうすれば、皆が楽しく生きられる。

 僕たちの希望は生贄だ。

 俺たちの生きる理由。


 何処かで起こっている幸せの報いに罪を背負い、重い背中の荷物に水中をもがく羊だ。


 流刑の羊だ。


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