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ごはんは、おいし  作者: 淺葱 ちま
18/31

さよなら、ただひとりのあなた

幸せはそう長く続かないものなんてことはずっと知っていた。

早いもので、駅に着いてしまった。この時間が終わる。私の時間ももう終わる。

駅の建物に入った時、入り口を通り、少し横にずれて彼に聞かれる。


「定期まだ生きてる?」

「うん、ちょうど今日で切れるんだ」


切符を買うか、先に確認してくれたようだ。3ヶ月を区切りに買っていた定期券はなんの因果か今日切れる。残ってたら未練がましくまた会いにきていたかもしれない。そんなことを考え得ると、今日で切れてよかったと、定期をじっと眺めてしまった。改札に向かおうとする彼を止めて、目をしっかりと見て勇気を持って口にする。


「今日はありがとう」


切り出すのは私からだ。以前は、彼から切り出させてしまった。別れの言葉を私が伝える。今度こそ、私から手放せるために。


「こっちこそ、ありがとう。 本とCD助かったよ」

「それを言うならこっちがだよ」


いろんな思い出を今日だけで沢山思い出すことができた。どうやら、私に幸せな時間があった。自分の考えで失ってしまったものばかりだけど、それでも、この人との間には、幸せな時間があった。それはずっと忘れてしまっていたけれど、見ないふりをしていたけれど、あまり表情が動かなくなっていっていた私が、会えるとわかった時に、準備中のときに見た鏡で、トイレの鏡で見た疲れながらも自分の幸せそうな口角の上がった顔が見られた。


最後に気がつけてよかった。


「あのね」

「うん」


入り口とはいえ、駅はザワザワとしていて、私は顔を上げることができなくて、俯いてしまっている。彼は、私に一歩近づいて私より大きな体を少し、屈んで、顔を合わせて聞き逃さないように声を聞こうとしてくれる。


「私ね。 ずっと幸せなんてこの世にないと思ってたの。 家族も上司も、何もかも、幸せは、他の人のためにあるんだと思ってった。 あの時、別れた、時」

「…うん」

「いっぱいいっぱいだった。 でも完璧な彼女に、大人になって、返したかったの」

「何を?」


俯いた私に、伝えるのだけでいっぱいっぱいな私に、彼はゆっくりと促してくれる。

これは、最後のお別れだから。私から彼に伝える、今度こそ、私から伝える最後の言葉。

俯いて最後になるのは嫌だから、ぐっと顔を上げて、彼の目を見た。


「幸せを、いっぱいくれたから。 やっと気づけた。 私、幸せだった。 だから、返したかった。 幸せにしてあげられなくて、ごめんなさい。 だけど、私に幸せをくれてありがとう。」


深く、深く頭を下げた。ありがとうと、彼に何度言えただろう。ごめんなさいばかりを伝えていた。だから、今日だけでも、伝えたかったのだ。あなたが、私に蒔いた幸せの種は、とっくに芽生えていて、私がひとり、下を向いていて、その思い出の花たちを見なかった。どれだけ傷つけたのだろう。どれだけ、苦しい思いをさせただろう。

何も返せていない。だけど、この言葉だけは、返したい。


頭を上げて、彼の目を見る。泣き出しそうな顔をしている。今更言われたって、困るだろう。これは、自己満足で、やっぱり最後まで私は私のことをしか考えられない。だけど、どうしてもくれた感情を、言葉で返しくて、しっかりと目を見て私は口を開く。


「幸せを教えてくれてありがとう」

「…お、れは」


彼は、手で口元を覆うと、俯いて両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまった。

私から、したことなかったな、そう思って、彼の頭に手を伸ばす。ワックスのついていないその髪を恐る恐る撫でる。


「ありがとう。 沢山幸せにしてくれたことずっと忘れない。 大切に持っていくから。」


彼は、何も言わない。言わない、と言うより言えないんだと思った。両手から変えて、腕をクロスさせて、顔を埋めている布地が、湿っているのが見えたから。それと一緒に鼻を啜る音が聞こえた。

優しい人だから、きっと今日会った時にも思うことが沢山あっただろう。私を一人にしてしまったことをきっとずっと悔やんでいたと思った。


「私は、幸せだった。 もし、あの時、支えられなかったの悔やんでいたなら、そんなのをうわまるほどに幸せにしてもらったから、だから、今度こそ、あなたが幸せになってね。」


頭を何度も往復して、彼がやってくれていたように、大切に愛おしいものを触るように撫でて、頭を二回ポンポンと叩いた。頭を撫でるのを終わらせる合図だ。


「先にいくね。 最後に会えて嬉しかった、ありがとう。」

「ちょ、とま、って」


顔を上げられない彼は腕を伸ばして、私のスカートを掴んだ。私は、その手をスカートから離して、一緒にしゃがんで、そうして彼の手を両手でぎゅっと握って、祈るように。この願いが届くように。神様なんて信じてないけど、今だけは、彼の手を祈るように両手で包んで、最後のお願いをした。


「あなたが、これから幸せになりますように」


掴んだ手が、緩んだ瞬間に私は、手をぱっと離して


「ばいばい」


急いで改札に向かった。またねはいえない。本当はさようならにすべきだった。だけど、彼には、なぜかさよならがいえなかった。溢れそうになる涙を堪えて、来ていた電車に急いで乗る。ふぅっと息を吐くと、ぼろっと涙が出てきた。急いで、閉じた方のドアを、外を向く。変な人だと思われないように、早く止れと願いながら、溢れる涙は、どうしても止まらなくて、次の駅で降りて、人いないベンチに座って、ティッシュで目をぐっと抑えた。


抑えるのに、2本見送ってしまうほど時間がかかってしまったが、気持ちが落ち着いたころ、上司に言われても泣かないでやり過ごしたのに、泣き虫になったものだと、苦笑した。次に来た電車に乗る。あとは揺られて家に着くだけ。


そうして、私は、終わるのだ。

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