これは、わたしのさいごのばんさん
困惑した顔をしてる彼に、会えるかわからなかったけど、会えるなら、伝えようと思ったいた事を、私は口に出す。
「仕事ね、辞めたの」
「…ニュースなってたから気になってた、しかも、いた支部の名前で、そっか、辞めたんだね」
「うん。 残らないかって聞かれたけどね、もういろんな人に恨まれてるから、迷惑かけたくなくて、辞めた」
「恨まれる?」
「私がね、まぁ、その」
言ったはいいが、やっぱり、口ごもってしまう。
「…労基に、私が言ったの。だから、恨まれてると思う」
「そう感じてるんだ。」
「会社としてダメージは大きかったと思うから。まぁ、上司が一番恨んでるだろうね。辞めろって怒鳴られたから、その言葉に了承してやめて、その後に監査が入ったから、私がやった相談したって目星はついてるはずだもん」
監査は入っても、会社はあの方が社長ならどんなでもやり直せるだろう。
労基の相談は基本匿名であるが、タイミング的にあそこでやめて、すぐに監査が入れば、上司も巻き込んだ先輩にも、あいつが勝手にやった。大事にやがってと、噂されるだろうと踏んでいる。
本社に内々で終わらせないためにも、覚悟を決めて宣言をした部分はあるが、本社の人達に先輩たちが続けて仕事をするとき影で噂されるくらいなら、私がやったと宣言して、今後、先輩たちが労基に行ったのかと、働きながら疑われないようにするためにも電話で伝えたのだ。
上司を地獄に落として、きっと私もうらまれて、そちらへいくのだろう。
ふと彼の顔を見ると、苦いものをかんで悲しそうな顔をしていた。どうしたんだろう。
「辞めろってさ、パワハラじゃないの、それ」
「多分そうだと思うよ、辞めたらどこにもいけないとか、能無しを使ってやってるとか、女は出世できないんだから、雑務を完璧にしろとか、なんか、今思えばレパートリー豊富だよね」
「…初めて聞いた」
「そう言ってる人? そんな人と出会わないほうがいいから当たり前だよ」
「ちがくて…付き合ってる、時に…」
「あー…うん、これだけ強く言われる、私が悪いんだなって、思ってたから。アルバイトしてた時もそういう人いたから、今思えば、麻痺してたのかも」
「…次は、絶対言って」
彼は、ギュッと噛むように話を聞いていたかと思うと、私の目を見て、そういった。
「…次、あればね」
目をそらし、心の優しい彼に、次はもうないだろうから、相談されないことを安心してほしいと思った。
そんな話をしていると、店員さんが、パンケーキと飲み物を持ってきてくれた。ありがとうございますと伝えて、私達は食べる。
丸いパンケーキにちょこんと正方形に切られたバターが乗っていて、生クリームも何もなく、シンプルなそれは焼きたてでおいしいそうな甘い香りがする。
手を合わせて、二人でいただきます、といった。
一緒に渡されたメープルシロップを、彼は全体にかけていく。わたしは、焼き立てのそれにバターを塗り広げて、ナイフてで切り分けて、小さくひとくち食べた。
香りは、やっぱりあのときと同じ、あのときは、帰り道一緒に楽しく食べられるなんて期待したあの思い出の、大切な味。
もぐとぐ、として噛み締めるように食べていく。美味しい、のだろう。頬を緩めるほどの優しくて、甘くて美味しくて、幸せな味は、やっぱりしない。
少しだけする甘みに、あのときの思い出に遠く及ばない味覚が悲しくてたまらない。
「メープルかけないの?」
「うん、大丈夫」
シュークリームを食べたときに思った。ほんの少しだけ甘く感じても、味のイマイチしない、にゅちゃっとしたものを食べるのは口の中が、あまりいい気分ではない。なんとも言えない感覚がずっと残るのだ。あの味を思い出したくて縋るかのような。
時折コーヒーで流し込む。パン類も食べないようにしていたが、中々口の中を占領するようだ。コーヒーで全部流れてほしいと、ごくっと飲んだ。彼を見ると、とても驚いたように見ていた。
「ほんとに飲んでる…」
「うん。大丈夫でしょ?」
半分を食べたくらいで私の胃が限界を迎えた。手を止めたのを見かねて、彼は空になったお皿を私に渡す。私がそれを受け取ると、私の残ったパンケーキのお皿と入れ替えてしまった。
「ありがとう」
「いいえ、しばらく食べてない? 食べる量減ってるよね?」
「あー…まぁ、うん」
食べてない、と言われればそうだろう。付き合っていたときバイトで忙しく食事を取らないことが多かったが、彼は食育といえばいいのか食事の大切さを伝えるようにいろんなお店に連れて行ってくれた。この喫茶店に初めて来たときには、食べきった記憶がある。
社会人になって、食事を作っておいてくれたときは、少なくとも、もう少し食べていたと思う。仕事をしていた頃からも食べていなかったが、ここしばらくは、ブラックコーヒーしか飲んでいない。食べている、とは確かに言えない。
「…俺と食べるの、ちょっと気まずかった?」
「そんなことはないよ、ほんとに、そんなことはないの。」
食事を定期的に食べるようになってから、課題や就活などプレッシャーを感じると食事を食べたくない感覚が湧いて出るようになった。何度かそれを伝えていたから、覚えててくれていたのだろう。
勘違いさせたまま、最後のお別れをしたくない。伝えるつもりはなかった。だけど、彼にだけは勘違いしてほしくなかった。心残りになってほしくなかった。
「───あのね、私、味がしなくなったの」
ヘラっと笑って最後の晩餐に、別れを告げるように言葉を吐いた。




