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ごはんは、おいし  作者: 淺葱 ちま
14/31

うたげを、はじめよう

 会社に別れを告げて、数日、私は部屋の中のものをすべてダンボールに包み終えた。いろんなものの解体も済んでいる。


 ただ、手元に残る1枚のCDと1冊の本を、どう扱うべきか非常に悩んでいた。


「おあー…どうしよ」


 今時CDを聞くことは少ないかもしれない、これはファンとして、当たり前のようにコレクションして買ったものだ。彼が。


 本は、今年映画が決まった、大好きな作者の作品だ。彼の。 


 そうなのである。別れた恋人が大切に買っていたものが家に残っていたことに驚いた。


 何年付き合ったか、大学3年生の終わりごろから社会人半年目くらいのはず、期間にしてみれば1年半くらいだったはず。

 バイト漬けの日々から就活に変わり、恋人らしく過ごせたのはあまり多くない。だが、お互いを鼓舞しながら、就活に挑めたのは、本当にありがたかった。たまたまやりたい仕事を、お互い逢いにいける距離の会社に入れた。


 社会人になってからは生活に変化もあったのに、彼は私の家に来てくれていた。社会人のはじめこそ本社での研修は楽しかったが、支部についた途端、私は終電がデフォルトになっていた。


 生活を心配した彼が、玄関先でずっと待っていたときに、いつでも入れるようにと鍵を渡してからは、帰ったときに彼がいてくれると、凄くありがたかった。


 お別れのときに、鍵を返してもらった。それからは、ただ真っ暗な部屋に迎えられるのが怖くて、社内に泊まることも増えた。

 仕事をしすぎていたせいで、別れてから半年以上立つはずのに、この2つの存在に気付なかった。


 今更連絡されても困るだろう。だけど、勝手に捨てたり、勝手に自分のものにしたくない。


「うーーーん…うーん…」


 数十分悩んで、私は、覚悟を決めて連絡アプリを起動した。労基の帰りから私はアプリを起動していなかった。


「うぁ、先輩からめっちゃ来てる…」


 心臓がバクっと、大きく音を立てて、思わず携帯の画面を伏せた。どうしよう…、連絡ブロックされているかもしれないし、そうだ。


 電話番号に送るショートメールを起動する。その中に、大切な彼の名前の電話番号に、メッセージを送った。


『お久しぶりです。 お仕事お疲れ様です。 連絡してすみません。 家の片付けをしていたら、貴方が大切にしていたCDと本が出てきて、返却させてほしいと思っています。可能でしたらお時間ある日をお返事いただけると幸いです。

一週間、ご連絡なければ、勝手ですが私の方で処分させていただきますので、無理にご返事なさらないでください。』


 可愛げのかけらもない文章だ。それでも、私なりに気遣った。返さなくてもいいように、ちゃんと文章も入れた。


 連絡なんて、欲しくないだろう。一週間と指定を自分で言っておきながら、長いなと思う。


─────終わりはそこまで来ているのだから。


 じっと携帯を見てしまうのを避けるように冷蔵庫に入っているブラックコーヒーを喉に流し込む。仕事をやめた日に、ひょっこりと味がわかるかもしれないと思って、大好きだったシュークリームを食べた。


 結果は、ほんの少しだけよくて、なんとなく甘いかもと思えるようにはなっていた。だけど、味があまりしないものを口には運びたくなくて、なんとかお腹に収めて、一番わかる苦味に頼った。


 ショートメールは、驚くことにその日のうちに帰ってきた。


『お疲れ様。 会社大丈夫? 仕事帰りになるけど今日でも受け取れるよ。』


 なんとできた人かだろうか、会社のこと知って心配までしてくれていたとは、ほんとに、私なんかにはもったいない心の優しい人だ。


『お返事ありがとうございます。 お仕事近くのパンケーキが美味しかった喫茶店に行きます。 よろしくお願いします。』


 社会人になる前に、帰りに一緒にご飯に行けたりしないだろうかと、散策したときに行った喫茶店。パンケーキがとても美味しかった。


 あそこならコーヒーもあるし、彼の会社も近い。

急遽会うのに思わず、にやけた顔が腹立たしい。すべてしまった服のダンボールを開け直して、お目当ての一番上にあるワンピースに、靴に、心躍る乙女かと思いながらも、これが最後のおめかしだからと言い聞かせて、髪型のセットといつぶりかわからないメイクをして、CDと本を持って目的地に向かった。


──────これが終われば、もうおしまい。


 そう思うと、最後に会えるのが彼で嬉しくて、心が満たされる気がした。


 喫茶店に入る前に、ふと気づいた。どうしよう。あんないい人だから、恋人の一人や二人できているはずだ。二人はだめか。

 喫茶店で二人で並んでる姿を見られたら、気が気じゃないだろう。


 その発想に至らず、喫茶店をチョイスした私は、とんだ浮かれた野郎だと思った。喫茶店前で彼を待ち、渡して、去る。それでオーケーだ。まて、電車は反対方向だが、駅までは一緒になる。それもそれで良くない。


 渡して、予定があるから、そう言って別々に帰宅する。そうだ、ちょっとの嘘をつこう。


そう考えていると、ショートメールの通知が来た。


『連絡見れてなくてごめんね。 あの喫茶店だね、仕事終わったから向かうよー。 先に中に入ってて』


 やられた。どうしよう。どうしよう。奥の席あったっけ? ガラス越しにテーブルが並んでいるあまり大きくない喫茶店だったはず。どうしよう。


 動けずに、入ってしまって、席が窓際しかないのは困る。非常に申し訳ない。


 震える手で、席の確認だけしようか悩んでいると。下の名前を呼ばれる。懐かしい声で。


 バッと声の方を振り向くと、駆け足で来たのか、ハァッ、と息を吐いた彼がいる。


「遅くなってごめんね、走ったけどまたせちゃった」


 その声が、懐かしくて、気遣う声が柔らかくて、その笑った顔が懐かしくて、走ってきてくれたのが嬉しくて、泣きそうになった。

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