やさしい、あじ
味が、しないことを伝えるか悩んだまま私は促されるように机の前に座る。
ほかほかと湯気を立てるそれらは、私が大学に進学するまで食べていたおばあちゃんの料理だ。
しみわたっているかぼちゃの煮つけ、大根が出しの色に染まっていてイカと一緒の煮つけ、だしの味がするであろう卵焼き、具沢山の味噌汁、サバの塩焼きにお米たち
あの頃、好きだと伝えたものばかりたくさん並んでいた。
「こんなにたくさん…」
「すきやったって言ってくれたから、はりきってつくってしまったわ」
今まで覚えてくれていたことに、そんな些細な私の好物を覚えていてくれて、思わず泣きそうになる。
随分と緩んだ涙腺だ。きっと、母親は、私の好きなものを知らないはずだから。一人でも知ってくれている人がいることがとてもうれしい。
おいしそうなにおいをすぅと吸い込み、お箸をもって、手を合わせて
「いただきます」
と箸を伸ばす。大丈夫、きっと味はする。味は、するはずだ。ゼリーは、薄味だったからわからなかっただけのだ。
かぼちゃを箸で割り、一口サイズにして運ぶ。きっとあの頃の甘い味つけで…
パクっとほおばって、あぁ、やっぱり、と気分が落ちた。
「どしたの?」
「ううん、おい、しいなって」
涙がボロボロこぼれる。味は当然だろうといわんばかりに、よくわからなかった。
においは、あの時のまま、おいしいにおいなのに。なんとなく、あまいのだろうと、うすぼんやり思う。
おばあちゃんの、思い出の味が、ここにあるのに。
私は、箸を進める。一口ずつ、大事に大事に、味はしなくても、大切な思い出たちだから。
だけど、社畜として、食事をおろそかにしたせいで私は胃は、満腹もうまく感じられないまま、急に限界がきて、大半を残す羽目になってしまった。
「ごめんね、おばあちゃん、あんまり食事、とってなかったから、おなか一杯になっちゃった。
でもね、すごくおいしかったよ! 昔とおんなじ味で、とってもおいしかった!」
嘘だ、味は本当にわからない。だけど、きっとあの頃と変わらないだろう、想像して食べたから、とても、美味しいのだろう。
そう、だから、美味しかったで間違いないんだ。
「よかったよ、そやもってかえりー、タッパーにつめたるから」
「いやいや、もうしわけないよ! 二人でたべてよ!」
「ろくなもんくうとらんから、胃がちっこくなってたべれんのだから、持って帰ってしっかり食ったらええ」
おじいちゃんがそういうと、おばあちゃんはいそいそと台所に行って、食事をタッパーに入れて紙袋に持たせてくれた。そのあとはなんとなく、世間話をした。私にとっては、久々に会社関係の人以外とする、世間話だった。
「休日何したらいいかわからなくて、大切な人に会いに行くといいって書いてあったから二人のところに来ちゃったや」
「思い出してくれただけで、十分長生きしたかいがあるわ」
「そんなこと言わないでよ、そうだ、叔父さんたちは?」
「もう孫は高校生だったかな」
「そんなにおっきくなったんだね、時代は早いね」
お母さんには弟がいた、親戚づきあいもほとんどなかったが、なんとなく、弟にあたる叔父さんは覚えていた。お母さんが再婚する前に、顔合わせをして、私が中学生の時に、小さな赤ちゃんと私と9歳離れた男の子がいた。まだまだわんぱくな男の子と赤ちゃんを奥さんと二人で大切そうにしていたのを覚えている。
「お前んとこは7つか?」
「…そう、かな」
高校を行き、大学の費用と奨学金の一種を借りるために基本部屋にこもって勉強しつづけ、夜の時間はバイトの日はできる限り、家で過ごさないように課題をしてから帰っていた。よく補導されなかったと今でも思う。
家族団欒の食事に参加せず、バイトのない日はおばあちゃんのご飯をたべ、そうして帰ったら記念日や誕生日を弟のためにだけに飾り付けされなリビングを見て、私から避けたのに胸が苦しくなる。
面と向かって言うことはないであろう、お祝いの言葉をポソッと真っ暗なリビングに一つこぼして、部屋に戻った。
休日も微笑ましい家族の図が、そこに垣間見えることが、多すぎて、逃げるように、一人で過ごしてきた。
両親は私にどう関わっていいかわからないからか、積極的に声がかかることもない、私も声をかけることはほとんどない。
二人とも手のかかる弟にかかりきり、そんな弟の成長にほとんどかかわることもなく、大学進学をして離れてから両親ともだが弟と面識がない。
そうか、もう、そんな年齢になるのか。
小学生なら、きっと親たちは運動会などに参加しているのだろう。私は高校の入学式も卒業式も伝えず、後から怒られた記憶もあるが、まだまだ手のかかる弟の手前、あえて伝える気はなかった。
大学の入学も卒業もすべて一人で過ごしたが、彼はきっとそんなことない生活を送っているのだろう。
「元気、そう?」
「おう、わんぱくだ」
「それならよかった。うん、よかったよ。」
幸せなら、それでいいと、目を閉じた。
ボーンと、時計が時間を知らせるために音を鳴らした。何度目かのその音のほうを見上げるとかなり時間が過ぎていたのがわかる。確かここについたのは、10時過ぎのはずだ。
「ありゃ、14時? 時間が過ぎるの早いね。二人ともお昼ご飯食べなくだし、そろそろかえるよ」
「なんも、おひるたべていったらええのに」
「まだおなかいっぱいだよ」
苦笑いを一つした。少し嘘だ、実のところ少しなら食べれるだろうが、満腹がわからなくなっている私は、その誘いに乗れなかった。
「おじいちゃん、おばあちゃん、お世話してくれて、ほんとにありがとうね。」
「たまにまたかおだせ」
「そーよ、またいらしゃいな」
にこにこと笑うおばあちゃんから、紙袋をもらい、おじいちゃんはぶっきらぼうに、そういってまた新聞を開いて、私に手を小さく振った。照れ屋なのかなと思いながらも、ふふっと笑って、玄関に向かう。
おばあちゃんがお見送りまでしてくれた。贅沢だ。
「…実家、顔出さん?」
「…うん」
「そう、そう決めてるなら、ええんよ」
実家と呼ばれる、あそこの家は、ここからそう、遠くはない。
だけど、寄る気持ちは1mmもわかなかった。母親とその新しい家族を築いた人たちの大切な家に、今更顔なんて出せないから。
家の荷物も大学生の時に必要なものは、全て送って、捨てて良いものしか残っていないから、きっと私の部屋はなくなっているだろう。
帰る場所は、私が捨ててしまった。
「そしたら、元気でね」
「うん、元気でやりーよ。 また待っとるね」
またね、とはいえ無かった。口を、パクっと開いて、とじて、やっぱり、またねとは、言えずに
「長生きしてね」
そう言って、玄関のドアを開けた。
駅に向かって歩いていく、行きとは違って手にはたくさんの荷物を持って、少し重たいが、愛情だと思えば、心地よい重さだった。
無事に電車までたどり着き、椅子に深く座って過ぎ去っていく風景を横目に考える。
仕事をどうやってうやめるかということを。




