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私、飲食アルバイト始めます


 3日後、私は宣言通り街で働き始めることに。どうやら私の身体は日中に男、夜になると女に戻るらしく、男性として下町の喫茶店で働くことになった。なんて面倒な体なのだ。これが全くの別人のマッチョになるとかなら、色々吹っ切って楽しめるのに。ちなみに、仕立て屋に行くときちんと私のブラは保管されており、店主には投げつけられながら「二度と来るな!」と言われた。


 ごほん。私が働く事になったこの喫茶店なのだが、一般的なものとは少し異なる。お客様への給仕係は指名制で、客の席に付きっ切りなのだ。これは所謂、風俗営業……? ホストとして働いている気分だが、真昼に働いているので酒を頼む客も少なく、店もそんな雰囲気ではないので、ただおしゃべりを楽しむ気楽な社交場って感じだ。


 私の教育係オスカーさんは指名数が多いのに、丁寧に教えてくれるし、気さくで話しやすい。流石に人気があるだけに、目と同じ色のこげ茶の髪はいつも丁寧にセットされ、佇まいが様になる。お客さんも女性ばかりだ。


 入ったばかりでほとんどオスカー先輩の補助として働いているが、男性としては背が低く童顔の顔が受けたのか、たまに女性や年老いた男性に指名される。ただ隣に座って給仕する分には楽でいいが、たまにお尻を触ってくる不届き者が男女問わずにいて殺意が湧く。すぐにその手を叩いて引きはがすのだが、彼らは反省していない様子ですぐにボディタッチを繰り返してくる。


 そんなこんなで軽いボディタッチくらいな屁でもなくなった頃。2名の男性の客に指名される。私が指名されるとは珍しい。どうやら、此処に来る前から別の場所で飲んできたらしく、アルコール臭がひどく顔が赤くなっている。これは適当に指名したんだろうなと予想がつく。


 昼から飲み歩いて、いいご身分だな。タバコと混ざったアルコール臭が鼻につき心底不快な客だが、そんな態度はおくびにも出さず、ニコニコと笑顔作りながら給仕する。私の接客には指導係であるオスカー先輩もつく。先輩も相も変わらずニコニコだ。私の肩に腕をまわされるが、特に気にしない。ここがバイト先でなかったら叫びだしそうだ。だが、私が笑顔でその行為を許したのには、彼らの話が私が聞きたかった怪盗の話をしていたからだ。


「ったく笑っちまうよなぁ? 本当、怪盗様サマだよ」

「これで資金集めしなくてよくなったしな」

「「僕達も貧しい人たちを助けたいんです。ぜひ、お手伝いさせて下さい!」の一言で、簡単に騙されてくれるんだから」


 二人はギャハハと大きな声で笑う。飛び散った唾が不快で仕方ない。だがしかし、私は笑顔を崩さない。それにしても、怪盗は貧しい人達、皆の味方なのに、こんな白昼堂々と彼を貶めるような話をしていて大丈夫なのか。この人達。


「まぁな。だが、奴もそろそろ気付くんじゃねーの?」

「バレねぇって! あいつ女に目がねぇし、オレの女が上手くやってるしな」

「それは確かに!」


 話を聞くに怪盗は、こいつらに騙されているようだ。こんな人を舐め腐った人たちに騙されているなんて、思ったより愚かな人物なのか、それとも人が良すぎるのか。ルシウスから聞いたときは無理だと思ったが、彼を捕まえるのは簡単なんじゃないだろうか。そんなことを考えていると、私の肩を掴んでいた男が私に向かって、臭い吐息を吹きかけてきた。


「なぁ、姉ちゃん」

「おい、待てよ。そいつ男だろ?」

「え? あぁ、本当だ! なんだよ。女見てぇな顔してたから、間違えちまったじゃねえか」


 二人は再び大声で笑いだす。実に不快だ。勘違いしてた男は私の肩から手を離す。やっと解放されホッと体の緊張がほどけたと同時に、男はいきなり私のお尻を揉んだ。


「うきゃっ」

「あはは、何その声笑えるぅ」


 目の前の男が私を指さし、肩を震わす。私が思わず溜まっていた鬱憤を吐き散らかそうかと考えた時、同じ席に座っていた先輩がずっと閉ざしていた口を開く。


「お客様、従業員へのおさわりは禁止です。おやめください」

「こんなのスキンシップみたいなもんだよなぁ? しかも男なんだし、ケチくさい事言うなよ。なぁ?」


 男の手がゆっくりと尻から腰に脇腹へと上がってゆく。どうにもその手の感触が不快でありこそばゆくて、ビクビクと反応する。手を引き離そうとするが、手を揺すられると力が抜けてしまう。くすぐりには弱いのだ。こんな、こんな奴らに! 好き勝手にされて。く、くやしい!


「……っ。おやめ…下さい…っ」

「真っ赤になっちゃって。ビクビクして笑えるなぁ!」

「なんか俺、興奮してきたかも……」

「おい、冗談だろ?」

「お客様!」


 男の不穏な呟きに、オスカー先輩は男の手を掴み、私を彼らから引き離し背中に隠す。



「あ、おい!何すんだよ!」

「これ以上は看過出来ません。お帰りくださいませ」


 お、オスカー先輩……!


 くすぐったいのは昔からダメで、どうにも力が抜けてしまい抵抗が出来なかった。目の前で私を庇ってくれる先輩は上司の鏡で、一生ついていきたいと思えるほどの頼りがいのある背中に見えた。だが、先輩が私を引き離したせいで、男たちは怒りだし先輩の胸元を掴む。自分のせいでオスカー先輩が暴力を振るわれてしまうと瞬時に察知し、その間を割るように手を挟む。


「あ、あの! 止めてください! 穏便に! 穏便に!」


 男の手を先輩の襟元から引き離そうとしていた私を、先輩の手がぐいっと引き離すように腕を掴まれ、私は慌てて手を離す。だが、先輩は手を離してくれず、不意に力を込められた。


「サルみたいにキーキー喚きやがってよぉ……」


 先輩は男の胸元を掴み返し、上に持ち上げる。服が食い込んで息ができないのだろう、さっきまで威勢よかった声は今ではうめき声しか聞こえない。というか、未だに先輩に掴まれている腕が同時に力強く握られ、手が痛い。手を離してくれと言うが、どうやら私の声は聞こえていないようで、ますます力が込められる。いててて!骨が折れる!折れる!


 ボスッ。


 先輩は男を片手で投げ飛ばし、男はソファに勢いよく沈む。その拍子に私の腕も解放され、私の腕は九死に一生を得る。腕には先輩の掴んでいた手の跡が赤く残っているが、どうやら私の腕はまだ生きているようだ。そして、まるでヤンキーのような口調で、先輩は男達に言い放つ。


「お前達は客でも何でもねぇ! ボコられたくねぇなら、さっさと帰な!」


 男達はしばらく呆然としていたが、思い出したように再びキャンキャンと吠える。


「ッチ。なんだよ! 不愉快はこっちだってーの」

「もう2度と来ねーよ! こんな店」


 先輩の気迫に押され、周りの視線を集めて居づらくなったのだろう、彼らは逃げるように店から出ていく。先輩はその背中に向けて机に置いてあった塩を投げつけている。私がそんな先輩を横目に腕が正常に動くか確認していると、騒ぎを聞きつけたマスターが出てきて、先輩の頭を思いっきり叩いた。


「いってぇーな!」

「お客様に暴力を振るうのは、ダメだって言っただろう!」

「あれは客じゃねーよ」


 険悪なモードに私は再び仲裁に入る。


「あ、あの。先輩は私を助けてくれて……」


 私の腕は殺されそうになっていたけど。


「あぁ。分かってるよ。ったく、もっと穏便に解決出来るだろう。あれだけ躾けてやったのに」


 先輩は苛ついたように、ホールの方へ頭をかきながら歩いて行く。


「おい待て、オスカー!」


 先輩はこちらに手をひらひらと振る。


「苛つきが収まったら、接客に戻りますよ」


 先輩の姿を見て、マスターは大きくため息をついた。そして振り返って、私に言う。


「驚いただろう。まぁ、口は悪いが悪い奴ではないんだ。でも怖いようなら教育係を変えるが、どうする?」

「大丈夫です。助けてもらいましたし」


 腕はすごい痛くて死にそうだったけど。


「あの礼儀正しい先輩があんなに口調を乱すとは思いませんでした」

「あはは。猫被ってるからな、アイツ。そうか、なら安心したよ」


 私は先輩が向かったホールへと足を向ける。中を見渡しても彼は見つからず、他の従業員に尋ねると勝手口を指さされた。私がそのドアを開けると先輩が壁を背中にあずけてタバコを吸っていた。普段とは違ってシャツのボタンを外して、髪型は崩れていた。いつもと雰囲気の違う先輩は少し別人みたいに見える。


「あの、さっきは助けてくれてありがとうございました」

「腕大丈夫か? 悪かったな」


 気付いていたのか。私の腕を握りしめていたことを。


「すごい痛くて死ぬかと思いました」

「ごめんごめん。あの時はカッとしちまって、腕を掴んでたの忘れて力籠めちまったみたいだ。わりーな」


 先輩は困ったように笑う。被害者としては笑いごとじゃないし、本人の制御不能とか怖すぎると思った。でも、一応助けてもらったんだし、あんまり責めるのも良くないだろう。


「助けてもらったんで、許します」


 私の返事を聞いてもう一度「悪いな」と言って、先輩は無言になりタバコをふかし続ける。気まずくて立ち去ろうとすると、先輩が煙を吐き出す以外で口を開いた。


「お前、よくあんな奴ら耐えられたな。何で拒まなかったんだ?」

「いや、拒んでましたよ?」

「そうか? モジモジして碌に抵抗してなかったじゃねえか。俺だったら、即ボコボコにするけどな」


 わははと豪快に先輩は笑う。


「先輩はそのボディタッチとか、どうやっていなしているんですか?」

「そうだなぁ。俺は尻を触られたことはないな、男だし。あ、わりぃ。別にお前のことを男ではないって言っているわけではなくてだな」


 先輩は慌てて口からタバコを離し、他意はないと顔の前で手を振る。


「いや、大丈夫です。気にしないでください」


 先輩は苦笑いをこちらに向ける。


「まぁ、俺の客は女ばっかだし、触られても特に気にしないな、基本的には。女に手を上げるつもりはねぇし。そういえば、お前の客層はなんか年齢がいってるジジイが多いよな」

「まぁ、おじいちゃんっ子でしたし。いろんな話聞くの好きなので」

「そうか」

「たまに女性からも指名を受けます。今日みたいな若い男性の接客は初めてでした」


 先輩はタバコの火を消す。その手を目で追っていると、ふいにそれは私の腰に手を当てた。


「え!? なんですか?」


 先輩の手はそのままスルスルと上に上っていく。意思に反して身体が身もだえると、先輩は笑った。


「そんな反応してると、また客に舐められるぞ! 堂々としていろ。よし、特訓だ。特訓!」

「いやいやいや! いらないですそんな特訓! ちょ、……っ」


 先輩の手は脇を擽るように手を動かす。私はこらえきれない声漏らし、ヒィヒィと言って涙を流す。先輩からの特訓はしばらく続き、解放された時には私はぐったりとしていた。


 先輩は「まだまだだな」と言って、再び煙草に火をつけ、口にくわえる。余裕そうな態度が癪に障る。私はこんなにも一人息を荒げ、いらぬ拷問に耐えていたのに。私は恨みがましく先輩を睨みつけ、先輩の両脇腹を人差し指で突く。


「うひゃっ」


 先輩から思わぬ情けない声が出る。


「何すんだ。お前。止めろ」


 そう言って私の頭を掴み、近づかせないようにする。


「先輩なんですか? その声。うひゃっだって。そんな可愛い声も出せるんですね。客から舐められますよって、痛い!イタタタっ!」


 私が嫌味を言い終える前に、先輩は私の息の根を止めようと背後から首を絞めてくる。微かに入る空気も、タバコの匂いが混ざっていて、とてもじゃないが酸素が足りない。私の情けない声と謝罪に、やっと先輩は満足した様子で、彼は私に言う。


「先輩を揶揄うんじゃない。痛い目にあうぞ」


 痛い目じゃなくて、死に目の間違えでしょうに……。


 私は自分の手を首に当て、新鮮な空気が取り込めることに深く感謝した。空気ってこんなに美味しいんだなと、初めて気が付いた。


【簡単なあらすじ】

 喫茶店で働くことになった葵。先輩のお客様ご指導現場を目にする。


【登場人物】

・葵

 本作主人公。一応女の子。


・ルシウス

 異世界で初めて出会う人物。


・オスカー

 バイト先の先輩。気さくで話しやすい。キレるとヤンキーみたいになる。


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