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いけませんよ。ここでその名前を口に出しては


 そしてある日、私の目の前に現れた客は数日前に私を気絶させた張本人だった。その姿は以前訪ねてきた時と同様に、牛の角が生えた男性の姿だ。


「葵さん、こんにちは」

「何でここにいるんですか」


 私はジト目で彼を見つめるが、彼は気にせず此処にいる理由を話す。


「心配していたんですよ? 僕の顔見て気絶してしまうし、急にあの宿からいなくなってしまわれて。なんとかこの場所を探し出しましたが、葵さんの職場は此処なのですね」


 ドゥスールは私をしたから上まで見た後、ふむふむと言いながら部屋全体を見渡す。


 ここ数日今までよりも精を出して業務に取り組んだ私を見て、1人での接客も問題ないと教育係りのオスカー先輩にお墨付きを貰った。めでたく独り立ちした私だが、その記念すべき1人目の客が彼である。なんだか納得いかない。


「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「なんなりと」

「えっと、貴方は自分をドゥスールさんだとおっしゃっていましたが、ということは貴方は怪盗――」


 私が言い終える前に、彼は私の口に人差し指を当てる。


「いけませんよ。ここでその名前を口に出しては」


 隠そうとしているということは、そうなのだろう。そうであれば、私の発言は確かに少し軽率だったかもしれない。私は彼の手を掴み下ろさせる。


「すみません。軽率でした」

「いいえ、わかって頂ければいいのです」


 彼はニコリと笑い、紅茶が入ったコップに口を付ける。


「ドゥスールさんはその、色々な顔を持っていらっしゃるのですね。あんなにもすぐに姿を変えられるなんてびっくりしました」

「僕の商売道具ですから。ふふっ。まさか気絶されるとは思いませんでした。申し訳ありません」

「その、ちなみにどのくらいレパートリーがあるんですか?」

「数えたことはありませんね。というか、一度見た相手なら誰でも」

「へ、へぇ~」


――一度見ただけで!? じゃあ私の姿も?


 私は急いで思いついたことを振り払う。下手に発言してドッペルゲンガー体験なんかしたくない。


「本当の顔はどれなんですか?」

「さぁ。忘れてしまいました」


 ニコニコと彼は笑っている。事実を言っているか判断はつかないが、自分の顔を忘れたと笑顔で話せるこの男が、理解できないことだけは理解できる。


「この顔はお気に入りなんです。仕事で一度も使ってませんから、貴方と過ごすには丁度いい」

「えっと見せてくれた顔に猫紳士……。猫獣人の顔がありましたが」

「あぁ、やっぱりあの姿が好きなんですね。僕に告白までしてくださいましたし。あぁ、失敗しました。あの時受け入れていれば僕たちは恋人同士だったっというのに」

「いや! それはえっと!」


 そうだった。私は猫紳士を見た時にときめいて、告白して振られてしまったのだ。話を逸らしたいのに、ドゥスールは好き勝手に一人でに話し始める。


「しかし、驚きました。葵さんの可憐な姿に見惚れてしまったわけですが、まさかその正体が男性だったなんて……。僕は生粋の女性好きだと思っていたのに、どうやら新しい扉を開けてしまったようです。責任を取ってください」


 ドゥスールは私の手を取り、目の高さまで持ち上げる。「ね?」という様に首を軽くかしげた時に、そこに割り入れるように腕が差し込まれる。


「お客様、過度なスキンシップは当店では禁止事項です」


 ドゥスールに向けて笑顔で言い放つオスカー先輩は、そのまま私たちの席に腰を下ろす。


「おや、過度でしたか?」

「スキンシップ禁止です」

「そうなんですか?」


 ドゥスールは私を見る。


「えぇ、まぁ」

「それは残念です」


 ドゥスールは肩をすくませる。全然困ったように見えないのは、私だけだろうか。


「葵さんはいつ頃、シフトを入れていらっしゃるのですか?」

「最近は定休日以外は入れています」

「そうなんですね! それは大変でしょう。僕、とても疲れが取れるいい場所を知っているんです。仕事終わりにでも行きませんか?」

「従業員とお客様のアフター行為は禁止事項です」


 私が断わる前にオスカー先輩が、ご丁寧に規則を説明してくれる。


「デートをした中なのにそんな……。もう葵さんとお出かけすることは出来ないのですか?僕とっても悲しいです」

「いや、あれはデートではないです」

「葵さんは素直ではありませんね。僕の差し上げたネックレスを大事に付けて下さっているじゃないですか」


 私はふと胸に手を当て、そう言えばと声を荒げる。


「そうでした! これちょっと外れないんですけど!」


 このネックレスを身に着けてから、幾度となく取り外そうとしたが失敗に終わった。留め具の外し方がよくわからないのだ。だから、今までずっと身に着けていたし、なんならこれのせいでルシウスと喧嘩したようなものだ。


「あぁ、それは僕がおまじないをかけたからですね」

「おまじない!?」

「えぇ、僕にしか外せないおまじないです」

「ぇ……。ナニソレ……」


 ニコニコと笑う彼の笑顔は大変腹立たしい。


「じゃあ、責任もって外してください」

「いやですが、此処はスキンシップは禁止事項なんでしょう? 僕にはとてもとても」


 今まで話に入ってこなかったオスカー先輩が、唐突に私に指示される。


「おい、葵。ちょっと後ろ向け。俺が試してやる」


 言われたとおりにオスカー先輩に背中を向けて、首からチェーンを取り出す。先輩が後ろで留め具をいじるがどうやら取れないようだ。力任せに反対方向に引っ張るが、びくともしない。


「くっそこれ取れねえな、刃物使って砕けば外れるかもしれねえが」

「怖い怖い怖い。もういいです先輩!」


 物騒なことを言い出した先輩から、急いで離れる。正直力任せに引っ張られた時も少し苦しかった。私はドゥスールに申し出る。


「許可します! 私がスキンシップを許可しますから、これ外してください」

「そんな、葵さんから。触ってほしいだなんて……照れてしまいます」


 彼は恥ずかしそうに私から顔を背ける。


「ネックレスを外してくださいと言っているだけです」

「嫌です」

「ええ?」

「葵さんには片時も僕を忘れてほしくありません。永遠に付けていてください」

「永遠!? 嫌ですよ……」

「僕に外す気はありませんので、諦めてください」


 ドゥスールは手を使ってバツ印を作る。


「大丈夫だ、俺が後でナイフを使って取ってやるよ」

「ええ!? 嫌です! しなくていいです!」


 どうやらこのネックレスを外す気がない彼は、まるで逃げ出すようにこの場から退出の申し出を出す。


「注文を確認しますので少々お待ちください」


 私の代わりに先輩が伝票を確認する。その間にドゥスールにアンケート用紙を渡す。


「これは何です?」

「アンケートです。今度此処でイベントをやろうと企画しているんですけど、お客様に何がいいかアンケート取ってて。いや、ドゥスールさんは別に渡さなくてもいいか……」


 私が一人勝手に納得して、用紙を掴もうとすると、ドゥスールに制止される。


「この僕が素晴らしいアイデアを出してみせます」


 彼は書き終えた用紙をすぐに箱に入れてしまい、私は内容を確認できなかった。


「なんて書いたんですか?」

「秘密です」

「……そうですか」


 オスカー先輩から渡された伝票の中には、謎の『迷惑料』なるものの支払いが記載されていたが、彼は伝票の記載通りの金額の紙幣を挟んで、此方に渡す。


 そして玄関まで送り届けた後に、彼は「また来ますね」と言って帰っていった。ドゥスールを見送ると、オスカー先輩に話しかけられた。


「やっと帰ったな。知り合いみたいだったが」

「あはは。そうですね、一応知り合いです」

「やはり、ソレ外しとくか?」


 先輩は私の胸元を指さす。


「それは結構ですって!」


 彼の申し出にふと思いつく。彼はどうやらナイフの扱いに自信があるようだから、彼に教えてもらえばいいのではないか。ルシウスから教えてもらったとはいえ、あれは数日で身に着けた付け焼刃の護身術。これからは一人で生きていくなら、もしかしたらあのナイフを使う必要があるかもしれない。私の申し出はオスカー先輩は二つ返事で了承してくれた。


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「思ったよりまともな動きしてるな」

「数日ですけど少し扱い方を教えてもらって。ある程度形になってる様ならよかったです」


 私の動きを見ていただけの先輩は、自身のナイフを取り出し構える。


「ちょっと俺に向かって、斬りつけてみろ」

「え、嫌ですよ。先輩、怪我するかもしれないじゃないですか」

「ばーか。お前如きの腕で、俺に傷なんかつけられねえよ」


 先輩はナイフを再び構えて、私を催促する。仕方なく、以前ルシウスに教えてもらった要領でナイフを扱うが、刃が交わった際に先輩の力に負けて、ナイフが手から離れてしまう。


 カラン。


「お前、握力ないなぁ」

「あんま腕は鍛えたことはなくて。足なら自信があるんですが」

「なんで足なんだ?」


 先輩は首を傾げる。


「はい。昔私のヒーローが足技を使って助けてくれたので、私それから足ばかり鍛えてたんです」

「ヒーロー?」

「危ないところ助けてもらって……。まぁ、そんなこんなで足だけは鍛えてたんです。おかけで人より足は速いですし、柔道とかボクシングとか見て足技は一人で練習してました」

「へぇ、ちょっとやってみろよ」


「ちょっと離れれて下さいね」


 私は一呼吸し、息を止め勢いよく足を、ブンと音を立てて前方に蹴り上げる。


「……」

「先輩? どうしました?」

「お前、ナイフよりそっち極めたほうがいいよ……」

「え? 本当ですか? 良かった~。昔調べたんですけど、筋肉が発揮する力って男女で差がないみたいです。筋肉量が同じなら力に差はないって。構造上、上半身は男性に負けますが、下半身はほとんど変わらないみたいで、それを知ってから私脚力は男にも負けないぞ!って鍛えてたんです」

「へ、へぇ~」

「でも、ナイフの扱いもキチンと覚えたいので、特訓に付き合ってくれますか?」

「それはいいけど……」


 都合が良い時、オスカー先輩にナイフの特訓に付き合ってもらう約束を取り付けた。


【簡単なあらすじ】

ドゥスールがバイト先にやってきて、オスカー先輩にはナイフの特訓に付き合ってもらう。


【登場人物】

・葵

 本作主人公。一応女の子。足技は負けない。


・ドゥスール

 怪盗ショコラ。自分の顔を覚えていない男。


・オスカー

 バイト先の先輩。先輩ナイフ得意なんすか?チョーかっけーっす!


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