5話「裏切り」
01
夏休み初日、俺は友達との約束を断って茜姉ちゃんとの第二の約束を優先することにした。
真夏の炎天下の中でふと先日のことを思い出す。
四ノ宮さんが自分が覚えていない記憶に悩まされている。
冷静に見えて彼女なりに悩んでいたことを知った俺は頭を抱えるしかなかった。
このまま姉ちゃんの約束を達成させてしまえば四ノ宮茜は長年の悩みの種を解消することができる、だがそれは俺にとって大事な人の死を意味する。
俺は一体どうすればいいんだ……
「幹也〜! こっちこっち〜!」
茜姉ちゃんに指定された待ち合わせ場所で暫く待っていると、周囲の人が思わず振り返るような声で俺を呼び出してきた。
まるで母親が空気を読まずに授業参観で声をかけてくるような気持ちになってくる。
体が燃えるような日中に何を考えているのか、真っ黒な横に長い高級車の窓を開けて手を振っていた。
もう少し色が涼しげなものに出来なかったのだろうか。
中に入ると灼熱の空と違って車内は天国のような涼しさを感じられた。
「姉ちゃんが運転するの?」
「私が運転するわけないでしょ、ほら」
俺は彼女が指を指した方向を見るとチベットスナギツネのような目付きをしたお兄ちゃんが運転席にいた。
姉ちゃんは付き人に目的地を告げて車を走らせた。
今回、俺は第二の願い「どこか遠くの街に行く」を叶えるために四ノ宮家が管理しているプライベートビーチに行くことになった。
俺が住んでいる末広町から四ノ宮のプライベートビーチまでおよそ一時間半近くかかるらしく、途中でサービスエリアに寄ることにした。
まさか海に行くとは思ってもいなかったな……
海が近い街なら水着でも売っているだろう、運が良いのか悪いのか四ノ宮さんからそれなりの給料はもらっているから財布の厚みに関しては心配いらない。
そのことを先に茜姉ちゃんに伝えると思わぬ答えが返ってきた。
「もう先に幹也の海パン準備しちゃってるから心配はいらないよ!」
まるでもうお前の腰周りは測ったと言わんばかりに自慢げな顔をしていた。
紙袋を渡されたので中身を見ると俺の体に合いそうな水着が一着存在していた。
……小さいころからいっしょにいる幼なじみだから男の体つきは理解していて当然かもしれない。
でも違和感があるのはどうしてだろう。
複雑な気持ちを抱えながらサービスエリアにて昼食を取る事にした。
02
四ノ宮家当主の友人が経営しているリゾートホテル「アマリリス」は小さいながらも地元の海産物を使った料理が絶品で、長期休みに観光客が沢山訪れる。
アマリリスから少し外れた場所に四ノ宮家が管理しているプライベートが存在する。
ホテルに泊まる人、四ノ宮に関係する人物以外は使ってはいけない決まりになっていると付き人の方が言っていた。
俺は四ノ宮茜……汐春茜に関係してるからプライベートビーチに入れているのか、少しばかり気持ちが乗らない。
昔だったら広大な海を目にして興奮しているはずなのに今は冷めきっている。
願いを叶えてしまえば茜姉ちゃんはこの世からいなくなることを理解しているからだろうな。
茜姉ちゃんは車から出ると一目散にホテルが用意している女性用脱衣場へと走っていった。
めんどくさがり屋の俺はサービスエリアに到着したあと、トイレで既に着替えていた。
「はぁ……どうしようかな」
気分が冷めきっている俺は炎天下に晒されている砂の上に乗っても反応することはなかった。
姉ちゃんが今なにを考えているのかが分からなくなってきた、普通なら自分を死なせる行為を幼なじみである俺に頼んで楽しそうにしてられない。
なのにアイツは……俺の気持ちを知らないで楽しもうとしてる。
考えるだけで体温が下がってきているような気がしてならない。
これ以上はやめとこう、変に勘ぐられたら言い訳ができない。
やけに首元が冷たいような……
「ちょ、なにすんだよ!」
振り向くと茜姉ちゃんは俺の首元に冷めたい缶ジュースをくっつけていた。
「いつ気づくかなーと思ってずっと待っていたんだよね。ふふ、ようやく凍結解除したかぁ〜」
ほれほれと俺の髪を手でボサボサにする姿を見て何故だか笑ってしまった。
色々と考えていたけど姉ちゃんの笑っている顔を見ていると少し気持ちが落ちついた。
いなくなるのは寂しい、でも本人が納得して俺と遊ぼうとしているならその気持ちに答えなきゃ。
「さぁ、夏の思い出を作るわよ幹也!」
太陽のように眩しい笑顔を見せながら姉ちゃんは俺と最後の夏の思い出を作る合図を言い放った。
十年前と比べると笑顔がぎこちない気がするのは気のせいか。
ビーチバレーにフラッグ対決、スイカ割りと夏の思い出には書かせないイベントを一気に終わらせていく俺たち。
このまま時間が止まればいいと思っていた。
だけど現実は甘くはなかった。
「次なにして遊ぶ? 姉ちゃんが好きな遊びなら何でもいいよ〜……あれ?」
普段なら元気よく返事をしているはずなのに……
休憩場所として立てたパラソルに行こうとすると誰かが倒れているのが見えた。
「茜姉ちゃん!!」
水色のボーダーの水着を着ているのは茜姉ちゃんしかいない。
頭が真っ白になっていく。
姉ちゃんの元に近づくと信じられない光景が広がっていた。
汐春茜から四ノ宮茜へと変わっていく過程が俺の目の前で起きていた。
髪が植物のように伸びていき、身長もそれにつられて引っ張られていた。
気がつけば四ノ宮茜は倒れたことを意に返さずに意識を取り戻していた。
「……流石にこれ以上は見ていられなかった。幹也くん、今から君に話しておきたい事があるの」
「話って……なんですか」
「私としおちゃん、汐春茜は最初から意思疎通が出来ていたことについてね」
信じていた幻想が壊れた音がした。