2話「四ノ宮茜という女」
01
俺が誰よりも会いたかった汐春茜は苗字を変えて四ノ宮になったかと思えば、実際は赤の他人だった。
一ヶ月前、初めて出会ったとき「四ノ宮茜」は俺とは全く面識がないと白を切ったが茜姉ちゃんしか使わない口癖を彼女は何の躊躇いもなく言い放った。
何故、姉ちゃんと同じ口癖を……?
姉ちゃんと知り合いで口癖が移ったから?
様々な疑問が頭の中に思い浮かんだ俺は「四ノ宮茜」の面接に真面目に取り組むことを考えた。
彼女は俺に何かを隠していると思い込み、助手として採用されたら身辺調査をしてやろうと思っていた。
しかし、採用されてからも身辺調査をやる暇なんてなく、放課後と休日は彼女にこき使われるだけだった。
仕事は激務だが、その分給料はブラック企業よりも手厚かった。
高校生にしては大金だったため、俺は質問したことがある。
何故ガキの俺にちゃんとお金を渡すのかと。
「四ノ宮茜」はまるで茜姉ちゃんの生き写しのように軽口で言い放った。
「冒険者ってお金を渡せば渡すほどその分強い武器を買うでしょう? だからお金を多く渡せば君みたいな子供でも欲が出てきて仕事の出来も良くなってくると思っているのよ」
だからと言ってパワハラ紛いのことをしたら従業員は離れていくのではないかと言いたかったが、良心が邪魔をして言えずにいた。
「四ノ宮茜」と仕事をしてわかったことがある、町の老若男女から好かれていた茜姉ちゃんと違って彼女は嫌われ者だった。
嫌がらせをされるというレベルではないが、彼女に関わった者は誰であろうと罪の意識に苛まれるらしい。
どんな小さな悪事でも困っている人がいれば、自分の体調なんて顧みずに依頼をこなしていく。
まるで感情を持たないロボットのようだと以前、町の人が言っていたことを思い出す。
恐らく、正義を成す彼女の姿を見て町の人々は自分が悪いことをしているのではないかという気持ちになってしまったのだろう、だから関わらなければ辛い思いをしなくていいという考えに至った。
だから事務所にいた従業員も彼女の異常性を見て逃げてしまったんだと俺は勝手に解釈をした。
放課後、人混みを掻き分けて校門を出ると「四ノ宮茜」が腕組みをして俺を待っていた。
「迎えに来てくれたんですか?」
「……たまたま近くを通りかかっただけよ、乗りなさい」
彼女は自分の容姿が他の人より優れていることに気づいていないのか、威風堂々とした佇まいで校門に停められていた黒い車へ乗れと合図をした。
その姿に見惚れて多くの見物客が校門に殺到していた、本当の美人は自分の美に気がついていないという話は本当だったんだな。
「今日はどんな仕事をするんですか」
俺は当初の目的である何故「四ノ宮茜」は茜姉ちゃんの口癖を使っているのかを聞くことを忘れかけていた。
いやむしろ「四ノ宮茜」に茜姉ちゃんの姿を思い浮かべているだけかもしれない、姉ちゃんとの失われた時間を埋めるために。
02
茜色の夕日が窓に反射されているのを見て俺は溜息をついた。
今回の仕事は依頼人の冴えない男に頼まれて浮気をしているであろう奥さんの様子をカメラで撮影のみ。
カメラで撮影するのは「四ノ宮茜」で、俺は彼女が張り込みをしているアパートに差し入れを届けに行くだけ。
もっと役に立つ仕事をしたいと彼女に懇願してみたが、半ば呆れ顔で断られた。
私の役に立ちたいなら体を鍛えて私より強くなるべきだと。
その言葉を聞いて反論するのは到底無理だ。
「四ノ宮茜」は女性でありながら自分よりも一回り大きい相手を簡単に倒すことができる強さがある。
その異様な強さを発揮している様を見てきたからこそ、俺にはわかることがあった。
彼女は死に急いでいるのかと思うほど自分の身を大切にしていない、例え顔を殴られても血に飢えた猛獣のような目付きをしながら相手に食らいつく。
だから俺はそんな彼女の姿を見たくないから、役に立つ仕事をといつも耳にタコが出来るぐらい言っているのだが相手にしてもらえない。
俺は「四ノ宮茜」に頼まれたイチゴプリンとオランジーナを大量に購入し、コンビニを後にした。
コンビニから徒歩十分圏内にある古びたアパートの二階へと上がり、植木鉢の裏に貼り付けてあった鍵を手に入れる。
そんなめんどくさいことをしなくてもと思うが、セキュリティ上の問題のため仕方ないと一喝された。
「四ノ宮茜」に信用されるまでの道のりは長い。
「ただ今戻りました〜」
202号室の扉を開け、中に入る。
調査のためとはいえ、部屋の中には冷蔵庫と食事をするための机以外何もないのは寂しい。
風情を感じるために俺は近所の百均で購入した風鈴は風に揺られて、気持ちの良い音を奏でていた。
「……あれ、いないのか?」
部屋を見渡しても「四ノ宮茜」の姿は見当たらなかった。
もしやターゲットになにか問題が発生したからアパートから飛び出していたのだろうか。
まあいないならいないでサボれるし、所定の労働時間が終わるまでダラダラと過ごすとするか。
俺は冷蔵庫に保存していたバニラアイスを取り出し、張り込み部屋の隣で休憩することにした。
パシリの仕事以外、基本俺は張り込み部屋の隣で過ごしている。
唯一仕事をしたのは聞き込み調査ぐらいだなぁ……
明日の出来事を想像しながら俺は自分の部屋のドアを開けた。
十年前、好奇心にかられて大好きだった人の人生を壊した俺は夏が来る度に罪の意識に苛まれていた。
もしあの時俺が木箱を開けなければ、茜姉ちゃんの代わりに病気になっていればと何回も思い続けてきた。
真夏の炎天下の中、誰よりも会いたかった少女が十年前の姿と変わらずにそこにいた。
「……久しぶりだね、幹也」
当時と変わらずに向日葵のような笑顔を俺に向けてきたが、ぎこちなさがあった。