二十二話 「洗礼」
初仕事から五日が経ち、明日波さんは予告通り引退をした。
事務所の扉を開くと、いつもソファで私に笑いかける彼女の姿はない。
アイドルの寿命は短い。 明日波さんも五年間しかアイドルはやっていなかった。
私はあれから心の中でしこりが出来、時々胸が痛くなる。
「おう。おはよう」
三朝が私に挨拶をする。 それを合図に気持ちを切り替える。
いつまでも落ち込んでいては明日波さんの意思に背く事になる。
それに明日波さんはもう帰ってはこない。
「ねぇ。こんな負のオーラプンプン巻き散らかしてる奴が本当に逸材なの?」
知らない声が後ろから聞こえ、思わず振り向く。
お団子頭が特徴的の彼女は、リュックサックを雑にソファに投げ、ドカッと座り込む。
「お茶」
私に言っているのか、携帯を弄りながらそう言う。
「早く!」
「えっ、私に言ってますか?」
「はぁ?三朝、アンタこの娘にちゃんと教育してんの?後輩は先輩の言う事に歯向かっちゃダメでしょ」
「チッ……面倒臭ェ」
舌打ちをし、三朝が頭を掻きながらお茶を汲みに行く。
この娘はウチの事務所のアイドルなのだろうか?
「何。ジロジロ見て」
「あ、あの、どちら様ですか?」
「コイツは村崎葵だ。お前が会ってない最後の事務所所属アイドル。まあ滅多に事務所に顔を出さないから知らないのも当然だわな」
以前三朝から聞いたことがあったネットジャンルの中間層アイドル。
自宅での配信や、ネット番組を中心に活動している為、殆ど事務所に顔を出さず、やり取りもリモートで行う事が多いらしい。 その為、初めて姿を確認した。
一応担当に池田というプロデューサーもいるが、村崎に全て丸投げしてるそうで戦力として除外されていると三朝が言っていた。
「あ……今日収録のネットラジオって……」
「そうよ。私と一緒にゲストで出演するの。わざわざ私が事務所まで来てやったんだから、それなりにもてなしなさいよ。もう」
「ヘイヘイ。すいませんでした~」
三朝が棒読みでお茶が入った湯呑を乱暴に机に置く。 幸い、中身は零れなかった。
「御船。そして村崎。今日の仕事は気合い入れていけよ」
「わかってるって。流石に私も少し緊張してるし」
「?いつも気合いは入れてるつもりだけど、何かあるの?」
わざわざ言われなくても、仕事は気合いを入れ、全力でやるのが普通だと思っていたので、困惑する。
「三朝、アンタ伝えてないの?今日出るラジオは、ネットジャンルの上層アイドルである「紡木小麦」さんがパーソナリティーを務めてんの。ヘタこく訳にはいかんでしょ?それに紡木さん直々に私達を指名したんだから、なおさらね」
「えっ……直接私を……?」
「ああ。お前も上層アイドルの中ではかなり話題になってるみたいだぞ」
私の存在が徐々に知れ渡っている事に喜びを感じたが、それと同時に危機感も覚える。
明日波さんの事は一度心に仕舞い、今一度引き締めなければいけない。
「じゃあ、打ち合わせもあるし、早く向かいましょ」
村崎が目の前のお茶を飲み干し、玄関へと向かったのを合図に私達も後を追った。
「それじゃ、二人には番組後半のコーナーから入ってもらって、後はアドリブでお願いします」
現場に着くなり、打ち合わせが始まったと思うと、簡易的な説明だけで終わってしまう。
今回私が出演するラジオ番組、「小麦の今日もいいね!」は、殆ど台本が無く、大半がアドリブでのトークが中心となっているらしく、私達に決められた指示は、自己紹介だけであった。
「こんなんで大丈夫なのか……?」
「心配しなくても大丈夫だって。この番組はもう三年も続く長寿番組だ。例え事故ってもそれが醍醐味でもあるから、気負わずにいきな」
隣で携帯を眺める村崎からそうアドバイスを貰うが、いまいち腑に落ちなかった。
「何か……舐められているような……そんな気がしませんかね?」
「は?舐める舐められないの問題じゃないでしょ。今までもこうやって来た。私らはそれに乗っかるしかないんだよ」
「そう……ですよね」
私はその言葉に無理やり納得し、前半部分の収録を見学する事にした。
「今日のゲストは!私が今、注目しているとっておきの二人を呼んじゃいました!じゃあ、自己紹介お願いします!!」
リハーサルも無しにぬるっと収録が始まる。
紡木さんは、休憩も無しにぶっ続けに収録に臨んでいたが、疲労も見えず、快活にしゃべり続けている。
「中間層アイドルの村崎葵です。今日は紡木さんのラジオにカチコミしに来ました。よろしくです!!」
「ヒュー!!!言ってくれますねぇ。私も負けていられませんなあ~」
「あ、下層アイドルの御船藍です。不束者ですが、よろしくお願いします」
村崎の自己紹介が終わると、すぐさま私のターンになり、私も同じく自己紹介を行う。
「さあ皆さん!もうおわかりでしょう?巷を騒がせる、今世紀最大の新人アイドル、御船藍ちゃんがこのラジオに来てくれたんですよ!!!」
過剰な紹介な気もするが、そのように上層アイドル自ら私を紹介して貰えるのは悪い気がしなかった。
「それでさ、御船ちゃんはなんでソロアイドルのトップを目指してるの?」
紡木は、興味津々の様子で私にそう問いかける。
「私は、紅井朱里を超える為……」
「それだけ?彼女がもし辞めたならもう目指さないって事になるけど?」
「えっ……?」
その言葉を聞き、私は自分の意思でアイドルをやっているのか明確な理由がない事に気づく。
ただ、紅井を超える為だけにやっているのか?
私はこの数か月を通してアイドルという存在がヴァルキュリアと似ている事に気づいていた。
成りあがるという点では同じ。 ただそれがアイドルに置き換わっただけ。
私は歌って踊る事が好き。 ただそれだけで理由としては十分なのではないか。
ありのままの答えをぶつけようと口を開く。
「私はアイドルが好きです。歌って踊り、皆の笑顔が見れる。その為に私はアイドルをやってます」
「ぷっ……ははははは!!!!!」
自分自身の答えを出したつもりだったが、何故か高らかに笑われてしまう。
その瞬間、私の額から嫌な汗が流れる。
「そんな生半可な気持ちでトップを目指すなんて言ってんじゃねぇよ」
一瞬で紡木の表情が真剣な物になる。
「上層アイドル全員がアンタを歓迎している訳じゃない。このアイドル界には暗黙のルールが存在するのを知ってる?」
「い、いえ……」
「舐めた新人は干されるんだよ。アンタが今平和で居られるのもいつまで続くかな」
紡木からの攻撃で私は何故、この場に呼ばれたのか察する。 公開処刑だ。
私を吊るし上げる事で、良く思っていない者に発言を誘発させようとしている。
恐らく新人潰し。
そりゃ、私みたいな右も左もわからない者を好き勝手にさせるはず等ないのだ。
スタジオの外で見守る三朝は黙ってこの収録を聴いている。 村崎も何も触れずに会話に耳を傾けていた。
二人もこうなる事がわかっていたのだろう。
私は我慢をし、この収録を乗り越える事だけを考える事にした。
その後私に対しては殆ど義務的な事しか回ってこず、村崎と紡木がひたすら喋り、収録は終わりを迎えた。
「おう。御船。今の気持ちはどうだ?」
ケロっとした表情で私に詰め寄る三朝に流石にイラつきを覚えたが、そこをグッと堪える。
「いつも通りです。アイドル界って怖いですね」
「イラついてるならそう言え」
ポンと頭を撫でられるが、何故か嫌ではなく心地よかった。
「まあ、これも試練の一つだ。上層アイドルも不安なんだよ。いつ自分の立場が崩れるかわからねぇからな。不安な芽を摘んでおくのも、一つの手だからな。逆に言えば、今回のラジオでもっと知名度が上がったと思えばいいさ」
そう言われ、無理矢理納得する。
私の中では紡木が、私を潰しておかないといけない程、その立場が危うい人物だとポジティブに捉える事にした。
そう思わないと、どこかでタガが外れてしまうかもしれない。
「御船。よく耐えたね。少し見直したよ」
遅れてスタジオを出た村崎にそう褒められる。 村崎もこのような経験があったのかもしれない。
「なんか今私も同じような事があったとか思われてるかもだけど、私はそもそもデビュー仕立ての頃は静かに爪を研いでたから、そんな経験はないよ……」
「あはは……なんか見透かされてます……?」
「あーあ、御船ちゃんはつまんないなあ。ぜんっぜん落ち込んでないじゃん。普通だったら精神的ダメージ凄いと思うんだけどなー」
同タイミングで出てきた紡木に思わず睨め付けてしまう。
「おーこわ。そうだ、村崎ちゃんはオータムフェス出るんだっけ?」
「あ、はい。出ない訳ないじゃないですか」
「ま、そうだよねー。中間層アイドルだから、そりゃ出るよねー」
皮肉交じりの煽りに思わず反応しそうになるが、寸前で耐える。
「私も、下層アイドル枠で出る予定なので」
「え~。私は、御船ちゃんがそこまでいくとは思えないけどなあ~」
この人は、いちいち私をいびって楽しいのだろうか。
この世界に来て、こんなに腹が立つ人間に会うのは初めてだった。
「まあ、本当に狭き門を乗り越えて、フェスに出るのなら……少しは認めてあげてもいいかな?」
「絶対に認めさせますよ」
そう啖呵を切り、私は控室へと戻っていった。
一度、事務所に戻り三朝と携帯ショップに行く予定だったので、彼の雑務が終わるまで待機することになった。
事務所の扉を開けると、珍しく蓬莱が赴いていた。
「おっ御船ちゃん久しぶりやな~!」
「お久しぶりです。今日はもうお仕事はないんですか?」
「せやな!今日の分はもう全部終いや。久しぶりにこんな時間に仕事終わっってもうたから、暇やねん」
蓬莱は相変わらず、自分の家のようにリラックスしながらソファで横になっていた。
「そや、御船ちゃんはまだライブバトルの経験はないんやっけ?」
「ああ、はい。まだですね」
その言葉を待っていたと言わんばかりに蓬莱は不敵な笑みを浮かべ、私の傍に詰め寄る。
「麻倉木ちゃんと一回勝負してみん?」
「えっ……星乃と……?」
脈絡もなく突然星乃とのライブバトルを勧められ、困惑する。
「アンタら三人の中で、一番出世してアイドルとして成長してる帆村ちゃんは置いといて、麻倉木ちゃんと御船ちゃんはほぼ同格だと私は思っとる。ここで明確に自分たちの力関係を知っておくべくやと私は思うんや。それにライブバトルの練習にもなる。ほら、一石二鳥やろ?」
確かに一理あると納得する。 私と星乃、どちらがアイドルとして上なのか。
「わかりました。その提案に乗りましょう」
こんなに簡単に決まっていいのかわからないが、三日後、唐突に私のライブバトルデビューと同時に星乃と同期同士の戦いが行われることになった。




