十八話 「アイドル免許合宿⑧」
トレーニングアイドルとは、表舞台から去ったアイドルがアイドルを育成する為だけに特別な試験を受け、合格した者達がなれる育成特化のアイドルである。
極僅かだが、稀にトレーニングアイドルを目指す者も存在するが、現在前歴がアイドル以外の者は三名だけである。
私にトレーニングアイドルの事を気前よく教えてくれた唯菜と共にベッドに横たわりながら話していた。
「なるほどね。当たり前のように皆受け入れてるから疑問だったんだ」
「アイドル業界の中では有名だけど、世間からしてみれば結構マイナーだからね」
志半ばでアイドルを挫折した者もかなり多く、後にトレーニングアイドルになっていることもあるらしい。
「ん。藍、もう時間なんじゃない?」
不意に唯菜が時計を確認し、私に伝える。 時刻は午後二十時。
私はとある人物とレッスン場で待ち合わせしているのを思い出し、自分の部屋を後にする。
レッスン場の扉を開けると、その人物は一足先に到着していた。
「おっ来たね!後は等々力ちゃんだけか」
目の前でジャージ姿でストレッチをする八重崎は、敵であるはずなのに私が苦戦している振り付けのレクチャーを快く受け入れてくれた。
凪沢にも頼もうとしたのだが、等々力が一緒である事に不満気だったので、辞めておいた。
八重崎は教わった中で一番ダンスが上手く、野崎にも認められる程の実力であった。
ダンス歴が十年らしく、自分でも自信満々だった。
「敵なのにも関わらず、付き合ってくれてありがとね」
「んー?そんな気にしなくていいよ。私もあの御船藍さんにダンスを教えた師匠としていつか語る日がきっと来るはずだからね!その日の為に!だよ!」
八重崎は二コリと笑いながらそう告げる。 笑う度に見せる八重歯が可愛らしかった。
一日接して来てわかったのだが、陽気で明るい性格をした娘で非常に親しみやすかった。
三宅みたいに周りと打ち解けるのが得意なタイプなのだろう。
「八重崎、私の事は御船か藍って呼び捨てで呼んでくれていいよ」
「えっいいの!?何か照れちゃうなあ。へへっ」
顔を赤らめ頭をポリポリと掻く仕草が可愛かった。
「お二人さん、もうそんなに仲良くなられたんですね。私だけハブられたようです。」
そう言いながら探偵帽を被り直す等々力はいつの間にかレッスン室に入って来ていた。
「っうお!いつの間にぃ!!透明人間か!?」
「透明人間!?どこかにいるんですか!?これは探偵の血が騒ぎますねぇ」
「いや、等々力の事を言っているんだと思うぞ」
「はぇ!?」
そんなくだらないやり取りを終えると、私達のレッスンが始まった。
「えっと……ここをこうして……あれ?足がもつれ……」
「等々力ちゃ~ん……そこ教えるのもう十回目だよ~……」
「頭の中では私は完璧に理解しているのです。が、身体に思うように動かないんですよ」
「その言い訳も十回目だな」
夜のレッスン会は完全に等々力の個人レッスンへ変わっていた。
「ごめんね御船。等々力ちゃんばっかりになっちゃって」
「気にしなくていいよ。私も等々力に教えながら頭で整理してるから」
申し訳なさそうに謝る八重崎に笑顔でそう答える。
「御船は憶えるのが苦手なだけで、センスは良いと思うんだよね。キレもあるし、もっと鍛えれば得意分野にすら出来ると思うよ!」
八重崎に褒められ、つい顔が赤くなる。
褒められる機会が多くないので恥ずかしくなってしまった。
「そのイチャイチャ、私も混ぜてくれませんかね?」
何故か、等々力が私の顔をまじまじと見ながらニコニコと笑う。
「いいから、貴女はもう一回最初から!」
幸い、振りの全体の流れも完全に覚えたので、隅で一人で練習することになった。
私はそれから約一時間振りをひたすら繰り替えし、ほぼ完璧にこなせるまでになったので引き上げた。
八重崎と等々力はまだ残るようだったので一人で温泉に入り、その日は就寝する事にした。
朝五時に起き、レッスン室で最後の振りの合わせをし、朝食を取るとあっという間に集合時間になってしまう。
「はあ……緊張する……」
隣で手を震わせている唯菜の背中をさすり、緊張を和らげてあげる。
「フン。この程度で緊張するなんて、まだ二流ね。こんなのただの過程に過ぎないんだから」
風鈴はいつも通り堂々としており、唯菜にかけた言葉は毒に見えて励ましの言葉にも思えた。
「御船君。私達ならやれる。君もそう思うだろ?」
「うん。この四人で中間層アイドルになろう」
「そんなの当たり前。貴女達は私の足を引っ張らないようにだけしていればいいのよ」
「風鈴さんこそ、皆の足を引っ張らないでくださいね」
「言ってろ」
私達の気持ちは一つ。 この特別試験をクリアし、中間層アイドルとしてスタートラインに立つこと。
それを再確認し、私達は大広間へと足を運ぶのであった。
「よし。揃ったな。まず、特別試験を始める前にお前らに謝らなければいけないことがある。俺一人で特別試験の審査をすると言ったが……あれは嘘だ」
相変わらず唐突に話し始める桂川は、反省の色が一切出ていないぶっきらぼうな態度でそう告げる。
「入ってくれ」
桂川にそう促され、後ろの大広間の扉が開く。 そこには見覚えのある人物が立っていた。
「立花……!!!」
立花は最後に会った時と髪型も同じで、整った顔も服装も変わっていないと思っていた。が、何故か私は彼女を目の前にして、身震いする。
明らかに雰囲気がガラリと変わり、負のオーラが湧き出ていた。
「久しぶり。御船ちゃん」
私の顔を触るその手は冷たく、まるで死んでいるかのように思えた。
「ッ……!!!」
「何をビックリしているの?もしかして、私を見て、ビビってる?」
「立花……何があった……!?」
立花の表情は笑っているように見えて、その裏感情が無いようにも思える。
「まあまあ、まずはステージに上がりましょうや」
そんなやり取りを見ていたもう一人の客人が立花の肩を掴む。
「御船藍ちゃん。君には期待しているよ」
そう言い彼女は立花と共にステージ上へと赴く。
「今回の特別ゲストとして呼ばせて貰った。中間層アイドルの立花鮎美と赤石緋色だ。この三人で審査を行う」
「赤石緋色……それに立花鮎美!?」
思わずそう口にする風鈴は私を一瞥する。
「赤石緋色って一体何者?」
私は隣にいる唯菜にそう尋ねる。
「紅井朱里がソロアイドルの頂点なら、その前は誰だったと思う?」
「まさか……」
「そうだね。彼女がソロアイドルのトップだったアイドルだ。今では、中間層アイドルで燻っているみたいだね」
私達の会話に入ってくる凪沢からそう説明される。
燻っているというのは、上層アイドルから降ろされた代償と言えるだろう。
それ程、上層アイドルは絶対的存在であり、その立ち位置が揺るいでしまったら、それ相応の責任も伴うのだ。
「代表者はくじを引き、それによってお前らの運命を決める。さあ、くじを引きに来い」
今回も凪沢が率先して、引きに行き、順番はまさかの一番目であった。
「凪沢は運が無いみたいね!」
「はは……こりゃ、何も言い返せないな……」
トップバッターとなってしまった私達の中に一気に緊張感が走る。
先ほどまで口数が多かった風鈴でさえ、大人しくなっていた。
バシィーン!!!!!
突然私の背中に強烈な痛みが走る。
「何緊張してんだァ?ビシッとしろビシッと!」
「の、野崎さん……」
私達を励ましに来たのか、笑顔で野崎さんが立っていた。
「私が教えた可愛いアイドルなんだ、お前等ならやれるさ。あの地獄のしごきにも耐えたんだからよ。自信持て」
思い出すだけで、寒気がしそうになる地獄の特訓の成果を見せる時かもしれない。
「じゃあ、私はここで見てっから。行ってこい!!!」
私を含め、他のメンバーの背中も叩き、喝を入れる。 なんだか気も楽になったように感じる。
ありがたい。
「じゃあ、行ってきます!」
「おうよ!」
さあ、私達のこの合宿での集大成を見せる時だ。
曲が流れ始めると、案外すんなり頭の中が切り替わる。
自然な流れで振り付けを踊る。 曲は約四分。
その四分間が私たちの命運を握ることになる。
一つ一つの工程を丁寧に。
自分の踊りに集中にしながらもポジションを確認し、今自分がどこにいるのかを把握しながら舞う。
キュッキュッと靴が床に擦れる音が響く。
この瞬間、私はここにいる誰よりも楽しんでいる事に気づく。
あの時、舞踊大会で踊りを披露した瞬間よりも、私は全身全霊を込めて踊り続ける。
あの頃の拙い踊りではなく、振り付けを習い、それを完璧にこなした上でステージに立っている。
目の前には多くの人間が私達に注目している。
笑顔で終わりを迎えようとしたその刹那。 私は立花と不意に目が合う。
その目は先ほどよりも鋭く、冷たい、この世の物とは思えないような双眸をしていた。
背筋がゾッと凍り付き、一瞬にして身体もこわばる。
それまで完璧だった私のダンスは、一瞬にして無に帰す。 足がもつれ、後ろに倒れこむ。
「あ」
思わず声が零れていた。
が、倒れこむ寸前で、後ろに居た凪沢に抑えられ、間一髪のカバーが入る。
それと同時に曲も終わりを告げる。 残酷にも私のミスで、全てが崩れ落ちてしまった。
そこから、何分、何時間経ったか私にはわからなかった。
「以上を持って、全チームの発表を終了する。約十分間の休憩の後、結果を発表させてもらう」
桂川がそう告げ、大広間を後にする。 私は未だに何とも言えぬ、恐怖で震えが止まらなかった。
「御船君。大丈夫かい?」
「あれは普通のミスじゃなかったわ。一瞬何かを見ていたようだけど、何を見たのよ?」
目の前で、凪沢と風鈴が心配の声を掛けてくれる。
「……淀んだ空気を吸っていたような……そんな、目をしていた……」
「淀んだ?何それ?」
思わず、私は口にしてしまった。
だが事実、あの立花の双眸は淀んだ空気を吸った者だけに出る症状、鋭い目つきで目を合わせると、人に恐怖を植え付けるあの目をしていた。
気のせいではない。 今まで何度も対峙し、見てきたあの目で間違いはない。
気を抜いていた、いや、この世界で見ることはないと高を括っていたのだろう。
私はその恐怖に飲まれ、この様だ。
「つまり、誰かが藍をその……こうなる程に睨め付けていたって事だと思います」
「なるほど。あの時、私も少し気にはなっていたんだ。立花鮎美の視線だけが私達を無視し、御船君だけを見つめていた事に」
「ま、まさか、そんな事……」
「御託はいいんだよ」
私達の会話を近くで聴いていたのか、野崎が近づいてくる。
「どんな理由であれ、御船。お前はミスを犯した。その事実は変わらねぇよ」
「そ、そんな言い方は無いと思います!!」
珍しく、唯菜が声を荒げる。そんな姿は初めてだった。
「あ?私はただ事実を述べただけだ。なあ、御船?」
「……はい。野崎さんは何もおかしいことは言っていません」
「藍!」
皆の声掛けを聴く内に楽になってきた。 その視線の恐怖を打ち消す唯一の方法が、仲間との会話。
仲間と会話をし、気持ちを落ち着ける事で恐怖を打ち消せる。
「ふぅ……ごめんね皆。理由なんか関係ない。私はミスをした。本当にごめん」
私は深く頭を下げ、本気で詫びる。
「いいって!頭を上げて!」
「御船君……」
「フン、まあ許してあげるわ」
それぞれ笑顔で私に向き直り、声を掛けてくれる。
それを見て、本気でミスをしたことが悔やまれたが、その気持ちを押し込み、私も笑顔で対応する。
「お前達の勝ちは絶対にないだろう。だがよ、中間層アイドルにいち早くなることがお前達の目標だったか?こんな所で陰鬱な雰囲気出してねぇで切り替えろ。お前達には素質がある。それに私の教え子だろ」
頭をわしゃわしゃと掻き回され、そんな言葉をかけられる。
「じゃ、最後にこれ渡しとくわ。いつでも連絡くれよ。面倒見てやる」
野崎は私達に名刺を渡し、その場を去っていった。
「あの人、実は優しいんじゃ?」
その後、結果が発表された。
結果は目に見えており、私達の勝ちは完全に無く、見事中間層アイドルの権利を手に入れられたのは──────璃々須が率いるチームであった。
「おめでとう。璃々須魔子、場地バジル、帆村夏希、冷堂千代子、以上四名を中間層アイドルからのスタートを切る事をここに記す」
壇上に立つ四人……いや、璃々須を除く三人が満面の笑みでアイドル免許証を受け取る。
あそこに立てなかったのは悔しいが、私は何としてでも十月までに中間層アイドルにならなければならない。
紅井朱里との約束があるから。 約束を無下にすること等出来ない。
季節は八月もあと少しで終わる頃。
残り約一か月。私はここから本当のアイドル活動をスタートさせ、初めから全力で取り組まなければならない。
この悔しさをバネに、私「御船藍」というアイドルの快進撃が始まろうとしていた。