十一話 「アイドル免許合宿①」
私はいつもよりも早く目が覚めると、薄手のパーカーを羽織りランニングをしに外へと飛び出す。
午前五時の空は薄暗く、後十分もすれば日の出が差し込み明るい景色が見渡せる。
空気も冷たくひんやりとした風が吹いていたが、走るうちにその風も心地良く感じられ、気持ちがいい。
お披露目会から五日が経ったが、今日も変わらない一日が過ぎていく。
変わった点といえば、夏希と星乃の学校が始まり、今までやっていたレッスンは平日だけ私一人で行うことになったぐらいだ。
二人は十六時半から二十二時の間にそのレッスンを時間短縮して行うらしい。
一人の時間が多くなり寂しさを感じていたが、事務所に行くと明日波が高確率でいるので暇な時間は話し相手になってもらっている。
三朝も個人的な業務があるのかここ三日会っていなかった。
そんなことを考えながらランニングを切り上げる。
明後日に行われる『アイドル免許合宿』の為に今日、明日はレッスンを控えるよう言われていた。
自販機の前に立ち、水を購入した後、自宅へと戻りシャワーを浴びた。
テレビを点けると、毎朝見ている情報番組に切り替える。
レギュラーで出演している水鳥沢の中継レポートを尻目に朝食の準備を始めた。
事務所に入ると、やはり明日波が先にソファの上でくつろいでいた。
今日は三朝もいるようで自分の席で雑務をこなしている。
「御船ちゃんおはよう。今日はレッスンは休みなの?」
明日波は肩まである髪をなびかせ、近寄ってくる。ストレートな髪は近くで観るとより栗色だとわかる。
相変わらず香水の匂いを漂わせておりセレブのような印象を受けた。
「明後日から免許を取りに行くので、体調管理も兼ねて今日明日は休みなんです」
「なるほどねぇ。免許取りに行ったのが懐かしいわあ」
明日波がこの事務所のアイドルの中で最年長だと聞いているが、一体何歳なのだろう。
高そうな服装をしていたり所々母性を感じさせる包容力もありかなり年上なのかと色々考えてしまう。
年齢を聞くのも気が引けるし、一生謎のままなのだろうか……。
「御船ちゃん。免許合宿がアイドル人生一番初めの壁よ。心が折れないように頑張ってね」
優しくアドバイスを貰う。合宿が鬼門になるとは三朝から聞かされていたので、改めて気を引き締める。
それに気合を入れるために毎朝、ランニングをするように心がけている。
私達と同じタイミングでアイドル界に入った者は例年よりも多いらしい。それはつまりライバルがより多くいるという事。
紅井朱里を超えることや立花との直接対決も大切だが、そのライバル達も障害となり私の目の前に立ちふさがってくる。
それを考えるだけで、早くステージに上がりライブをしたい気持ちが湧いてくる。
未だにライブの経験がないのがより意欲を高めさせた。
「私、明日波さんの事も仲間と思いつつ、ライバルだと意識しています。こんな所で終わるようじゃアイドル失格です。絶対免許を獲得して戻ってきますから!」
「やっぱり御船ちゃんは良い娘ね」
よしよしと頭を撫でられ気恥ずかしい気持ちになる。
最近接する機会が多くなり、明日波は私の中で母親のような存在に昇華していっている気がする。
話していると安心するのだ。雰囲気も母親に似ているのもあるだろう。
他愛のない話に花を咲かせていると、夏希と星乃も事務所へとやってくる。
「おっーす」
「おはようございます!」
久しぶりに会う二人は変わりなく元気そうな姿を見せてくれた。
「事務所に集まりすぎだろ。休日なんだからどこか遊びにでも行ってこいよ」
今日から三連休が始まる。夏希達にとっては貴重な休日なのだが、私はいつも休日のような物なのでイマイチ過ごし方がよくわからなかった。
「あー?うるせーな。私らは家にいなかった御船を誘いにここまで来たんだよ。いちいち口挟まないでくれるか?」
「ほーん。俺に向かって喧嘩を売るつもりか?いいだろう。買ってやるよ」
夏希の挑発に何故かノリノリに応じる三朝。袖を捲り戦闘態勢に入る。コイツは馬鹿なのか?
「ちょ、何してんの!?」
肩を掴み合い、その場で二人が相対する。その姿が異常すぎるため、私達は思わず呆然と立ち尽くしてしまう。
「て……めぇ!!大人げねぇぞ……!!!!」
「はっ!この程度か?俺は女子供関係なく喧嘩を売られたら買う人間なんだよっ!」
足を引っかけ、夏希を転ばせようとするがなんなく失敗し逆に三朝が転びそうになる。
その瞬間右足を思いきり蹴り飛ばす明日波。そのまま、彼はソファの方に飛んで行ってしまった。
「ぐぉ!?」
「あら?1対1なんて誰が言いましたかぁ?」
まるで悪魔のような形相で三朝の方に向かっていく明日波。手にリモコンを持ちパシパシと音を鳴らしながら近寄っていく。
「お前ら卑怯すぎるぞ……」
「私たちはこの4人合わせてやっと成人男性1人分の力ですよ?何も卑怯じゃありませーん」
私と星乃に目配せし、戦闘に参加するように促す。だが、星乃はどうしたらいいかわからず慌てふためいている。
「藍。ペンダントから出る剣、出してくれよ」
「えっいや、流石に死ぬぞ……?」
「殺しちゃいましょ♡」
ユグドラシルから淀んだ空気がこの世界にも来たのかという具合に思考回路がおかしくなってしまっている。いや、明日波に関しては以前も殺そうとしてたような……。
「す、すいませんでしたぁ!」
先ほどまでの勢いが嘘のようにその場で土下座をする三朝。この男にはプライドも糞もないようだ。
「じゃあさぁ!金、くれよ。金ぇ!!!!」
「はいぃ……あげますぅ……」
ポケットから財布を夏希に差し出す。その姿はまるでヤンキーのカツアゲにあっているおじさんのようだった。
すると、事務所のドアが開き誰かが入ってくる。
「な、何……この状況……?」
遅れてやってきた入江は初めは困惑していたが、事情を説明すると当たり前だが怒られてしまった。
その後、二人に誘われ休暇として夏希の知り合いが経営する銭湯に日々の疲労を癒しに行った。
特にすることもなく何気なく集まったのもあり、ファミレスで時間を潰した後その日は解散となった。
次の日も朝のランニングを終えると外に出る気になれず、一日中家に籠り怠惰に過ごしてしまう。
そして私は合宿の準備をした後、布団に潜り眠りに落ちた。
「じゃ、お前ら頑張れよ」
都心から車で約三時間ほどかけて合宿所まで送ってもらうと、三朝はその台詞を残し事務所へと帰っていく。
それを見届けた後、私達は合宿所へと入っていく。
『桂川免許センター』それが今回私たちが講習を受ける場所である。
免許合宿の大手であり殆どのアイドルはこの場所で合宿をするらしい。
ここからバスで約十分揺られた所に寮があるらしい。
だが、まずは免許センターに集合とのことでキャリーバッグ片手に受付を済ます。
荷物は一度預けるとのことで、ロッカーに入れ先に進むよう指示される。
合宿は五日間行われる。この五日間、気を緩めないようにしなければ。
時刻は昼の十二時を少し過ぎた頃、先ほど社内で軽食は済ませたのでそれ程腹は減っていない。
ロッカールームを出ると、後ろから見慣れた三人組が近寄って来た。
「やあ。久しぶり……と言うよりは一週間ぶりって言った方がいいかな。君たちも一緒に参加するんだね」
長身の彼女は爽やかにそう挨拶する。それに合わせ、隣の快活な娘も元気よく手を挙げる。
小堀プロの凪沢と三宅だった。
後ろで無言を決め込んでいる倉戸は相変わらず愛想が悪かった。
「君が帆村君かい?君とは初対面だよね。小堀プロの凪沢だ。よろしく」
そう手を差し伸べ、握手を交わす二人の様子を見ているといつの間にか目の前に倉戸が佇んでいた。
「ふん」
私の肩に思いきりぶつかり一人だけ足早に奥へと進んでいく。敵視されているとはいえ、嫌われているのかと勘繰ってしまう。
「はあ……ごめんね御船君。後でちゃんと叱っておくよ」
前髪をかき上げため息をつく凪沢。彼女も倉戸の態度に日々悩まされているようだった。
奥へと進むと、大広間にパイプ椅子が並び座るよう促される。
観た限りざっと百人ほどアイドルが揃っていた。
「こんなに人が……」
「まあ、全員がこの合宿が初めてとは言えないけどな」
隣で座る夏希が腕を組み、意味深な一言を添える。
聞いた話によると、最高五回まで免許を取る資格があるらしく五回落ち続けるとアイドル免許は永遠に貰えないらしい。と言っても、四、五回になってくると講師も落とすことはせずに情けで獲得することができるという。
だが、確実に一度で獲れるとは限らないので気を引き締めなければいけない。
十分程経つと、全員が集まったのか講師が全員の前に立ち、マイク片手に注意事項や合宿の日程を説明し始める。
説明が終わると、バスに乗り寮に行くよう言われ、十三時にまた戻って講習が始まるとのことだった。
「もう今日から始まるんだね……」
完全に気を抜いていた星乃が陰鬱な表情を浮かべる。するとバスに乗る前に番号が書いてある紙きれを渡された。
寮に着くと、部屋割りがされているようで張り紙を確認し先ほど渡された番号の部屋へと進んでいく。
寮はかなり広く三階建てとなっており棟も二つに分かれていた。
私はA棟の一〇四号室だったのでその通り部屋へ進むと、先ほど会ったばかりの人物が部屋の中のベッドに座っていた。
「最悪」
眼鏡をクイッと整え不快感を露わにする彼女は倉戸だった。
「よ、よろしく……ね」
その言葉に反応はなく、再びバスに乗るまで沈黙が続いた。
五分ほど早く大広間へと着くと、パイプ椅子は片付けられ本来の姿へと戻っていた。
すると遅れて夏希達がやってくる。
殆どの者が既に集まっており浮かれているのか周囲はざわざわと騒がしかった。
「こんだけいると何をされるのかわからねぇな」
夏希が軽口を叩いた瞬間、大音量の男の声が思いきり大広間中に響き渡る。
「うるせえ!!!!!!!!!」
その怒号に全員の注目を集める男は先ほど説明をしてくれた講師だった。
「今回の合宿を仕切る「桂川」だ。お前ら、もう合宿は始まっている。本来なら全員落としたい所だが流石にそれは辞めておく」
筋肉質なその体格から繰り出されるその言葉は全員を黙らせるには十分の圧があった。
「まずは、部屋割りの二人組になれ。このコンビがこの合宿で一緒に戦うパートナーだ」
私は少し離れた場所で話を聞いている倉戸と目が合う。
彼女は驚愕の表情でこちらを見ていた。
「じゃあA棟の一〇一号室の者達からくじ引きを引いてもらう。さあ、スタートだ」
唐突に始まる試練に全員が戸惑う。だが、数秒後一斉に動き出す。
「とりあえず、行こう」
私は傍で呆然としている二人にそう促し、離れる。
「最悪の合宿」
頭を抱えながら倉戸は私の元に現れる。
「倉戸。今回は仲間として接してくれないか」
「はあ。何を言ってもこの状況は変わらないですからね。わかりました。私たちは1-4ですから取り敢えず引きに行きましょう」
何とか倉戸を懐柔させ、桂川の元に向かう。
「一人ずつ引け」
「一枚ずつでいいんですよね?」
何故かその質問に答えない桂川。流石に不愛想だなと思った。くじを引くと「うちわ」と書かれた紙が目に入る。
「何ですか……これ……?」
「全員が引くまで待っていろ。説明はその後だ」
何が何だかわからないまま持ち場に戻る。
「……」
倉戸は考え事をしているのか静かに紙切れを凝視している。彼女の態度は妙に落ち着いていた。
数分後、全員が引き終わると桂川は試験の説明をし始める。
「お前らが受けるこの合宿初めの試練、一次選考は所謂『借り物競争』だ」
「はぁ!?」
今まで静かだった倉戸が大声を上げる。それ程衝撃だったのだろう。
「ルールは簡単だ。人からそれを借りればいい。制限時間は日付が変わるまで。それまでに自分のお題を見事クリアした者が合格だ。お題はどこに探しに行ってもいい。時間までに戻ってこれるならな。それに、言い忘れていたが、今回アイドル委員会からの命令で最終的に一番優秀だった一組だけ「中間層アイドル」からのスタートが許されることとなった。この合宿で気を抜くことは許されないぞ。それじゃあ始めだ」
ここは都心からかなり離れており、山の中だ。下に行くにも長時間歩かなけばいけない。
つまり、この合宿所の中や寮で見つけなければ─────詰み。
桂川の合図を皮切りに一斉に広間から出て行く。だが、何故かその場で立ち尽くす倉戸。
不審に思い話しかけようとしたが、それよりも早く彼女は口を開く。
「終わった。私のお題は──────」
彼女は私にお題を告げるとその場で崩れ落ちてしまった。