十話 「もう一人」
私は昔からアイドルが好きだった。テレビの前で番組に出るアイドルの真似をして踊ったり、当時流行っていたアイドルグループの握手会にも毎回参加した。
勿論ライブも欠かさず行ったしアイドルが私の人生の中でも欠かせない存在になっていた。
約一年前、親からの提案もあり私はアイドルになることを決意する。
一番初めに受けたのが「宵闇プロダクション」。
あの三朝太一とかいう不愛想なクソ野郎や生意気な御船藍が所属する事務所。
私は本番に強く緊張などもしないタイプだと自負している。だから完璧にアピール出来たと思う。
だけど、アイツ────三朝は興味なさげに話を聞き、終いにはこう呟いた。
「やっぱり逸材はいない……か」と。
私はその言葉を聞いた瞬間、落ちたのがわかった。
正直、コイツは見る目がないと本気で思った。そしていつか見返してやると心でそう決心したのだ。
気持ちを切り替え事務所を後にしようとした時、私の視界に一人の女性が映る。
それはあの紅井朱里が所属する光月プロダクション社長「光月 明良」だ。
何故ここにいるのかわからなかったが取り敢えず挨拶をすると、目の前に立ちふさがる。
何事かと戸惑っていると、不意に髪を撫でられ顔を凝視される。
暫く観察が続くと、何やら満足げな顔をして笑う。
そんな光月が発した第一声は思いもよらない言葉だった。
「ウチに来なさい。貴女を路傍の石にしておくのは勿体ない」
こうして私、「風鈴和美」は光月プロダクションに所属することになったのだ。
レッスンの帰り道、先日行われたお披露目会の映像を眺めながら電車に揺られる。
やはり、一際目立っている御船藍は生意気にも一般人による事前アンケートでも一位を獲得していた。
「なんでそんな堂々としていられるのよ」
この御船藍こそが三朝が言っていた逸材なのだろう。だが、私は納得がいっていなかった。
私は宵闇プロダクションの出番になると不愉快に感じ映像を切り、音楽を流すことにした。
「光月プロダクション」は、アイドル界の中でもトップクラスにデカく、尚且つ有名である。
それも紅井朱里が大頭してきたというのも一つだが、
ここ五年間上層アイドルを輩出し続けている優秀な事務所としても名が知れている。
そのため所属するアイドルも多く、各アイドルのランクごとに事務所やレッスン場が分けられており下層アイドルである私は、一番小さい事務所に通っている。
家から約二十分間電車に揺られると駅から五分程で事務所に到着する。通っている高校も一緒の路線なので行き来も楽だ。
お披露目会から二日後、ウチの事務所の同期である「冷堂 千代子」が諸事情お披露目が遅れており先日やっと出来たとのことなので今日から一緒のレッスンに参加するらしい。
今まで私が行ってきたレッスンと時間配分なども違うらしくその打ち合わせも兼ねて呼ばれたのだ。
貴重な休日を潰されて多少苛立ちも感じていたが、その気持ちを抑えなるべく早く済ませてレッスンに向かおうと計画を立て直した。
駅に到着するとコンビニで水を購入しそれを一気に喉に流し込む。
八月も半ばに差し込み炎天下の中、外を歩くのは女の子にとっては嫌なことでしかない。私は日傘を差すと事務所へ道を歩いていく。
汗を流しながら向かっていると、遠くで倒れている女性を見つける。
炎天下の中倒れているということは熱中症だろうか。傍に駆け寄ると、その女性の美貌につい驚いてしまう。
赤色と呼ぶには少し濃い色をした髪の毛は肩を超える程あり甘い匂いを漂わせている。
「あ、貴女大丈夫!?」
私は肩を掴み、身体を揺らすとその女性は目を覚まし、私に向かってこう言った。
「成功したのか?」
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ミフネとは互いを認め合うライバルのつもりだった。だが、どこで道を踏み外したのだろう。
私はやがて順調に階級を上げる彼女に嫉妬していたのかいつの間にか混沌の空気に飲まれ、心まで闇に染まってしまっていた。
最後に彼女と戦闘を行った際は見事に敗北を喫したがその時に蝕まれた心は完全に消え去ってはいなかった。そのせいか嫉妬心だけが私の中で深く残った。
目覚めた時、既にミフネはこの世界からいなくなっていた。
きっと異世界転移を成功させたのだろうとすぐに理解し、ユグドラシルの知識の宝庫である魔導図書館へと向かい必死に異世界転移の方法を調べたが案の定そんなものはどこにも記されておらず八方塞がりだった。
私は調べるのを辞め、街の人間に聞きまわったがやはり噂でしかなく知っている者どころか信じていない者の方が大半だった。
途方に暮れていると、ある人物の存在が頭の中で浮かび、私はその人物の元に急ぎ足で向かった。
目を覚ますと、視界に一人の少女が映る。少女は私の肩を掴み、ジッーと私の事を見つめている。
するとふとここが私の知らない所であると同時に気づく。転移に成功したのだと。
「貴女大丈夫?熱中症で倒れたの?」
そう質問されて、はっとする。まず私がするべきことは…。
「私……記憶がなくて……」
弱気な雰囲気を出し、頭を抑えると彼女は心配そうに私を介抱してくれた。
「とりあえず……事務所までは頑張って。すぐそこだから」
事務所までの道中、頭の中を整理することにした。
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なんでこんなことをしているのだろう。事務所に着き、ソファに彼女を寝かせると既に到着していた冷堂に事情を説明する。
「成程ね。あんたが偽善的行動を取るとは……世の中何が起こるかわからないな」
対面のソファに座り、スマホで動画を観ながら興味なさげに聞き流す。
その態度に呆れつつも、寝ている彼女に向き直る。
「ねぇ貴女どこまで憶えてる?名前は?」
静かに天井を見つめる彼女は、何を考えているのかイマイチわからず不思議な雰囲気も感じられた。
「私は、璃々須 魔子です。……直近の記憶がちょっとおぼろげで……」
「なるほどね……あ、私は風鈴和美。で、そこにいる何も関心を持たないロボット人間が冷堂よ」
「面倒くさいことが嫌いなだけ。いちいち突っかかるなよ」
冷堂は相変わらずスマホと睨めっこしている。彼女は初対面の頃から何に対しても興味を示さず、私に対する態度も変わっていない。
久しぶりに会ったのにもかかわらず挨拶すらもしない一匹狼のような女である。 正直、この手のタイプの人間は苦手だ。
「はいはい。二人とも休戦してくれー」
洗面所の方から、猫背の男が姿を見せる。
私と冷堂のプロデューサーである「椚木 良太」だ。手には水の入ったペットボトルとコップを持っている。
「すいません。もう気分も楽になったので、大丈夫です」
寝ていた璃々須はそうソファに座りなおすと、冷堂の持っているスマホを見つめる。
「何を見ているんですか?」
不思議そうに見つめられ、冷堂も無視は出来なかったのだろう。スマホの画面をこちらに見せつける。
「お披露目会の映像。璃々須……さんはアイドルとかには興味はないのか?」
璃々須は質問を無視し、画面を凝視する。すると、突然ニヤリと笑い画面を指差し立ち上がる。
「この娘に会わせてくれませんか?」
指を差したその人物は紛れもない、私が憎む御船藍だった。
「はい?会うって……どういうこと?」
「……?その言葉の通りです……けど……?」
さも当たり前に、すぐ会える体で話を進める。そこら辺の記憶も曖昧なのか……?
「璃々須ちゃんって言ったっけ?これがアイドルだよ。ステージに立って歌って踊る。憶えてる?」
椚木が優しく教える。コイツに直接事情は説明していないのだが、洗面所で私の話を聞いていたのだろう。
「アイドルになれば会えるんですか?」
その言葉に冷堂が反応を示す。
「あんた、何を考えている。アイドルはそう簡単になれるもんじゃねぇぞ」
無視されたのが癪だったのか、明らかに敵意をむき出しにし睨みつける。
「彼女は、アイドルとして生きているんですか?」
完全に質問を無視され、憤りを感じた冷堂が目の前に立ち、思いきり璃々須の胸倉を掴む。
「あんたみたいなよくわからねぇ輩が舐めた口聞いてんじゃねぇよ。」
「おい冷堂!」
「ちょっと何してんのよ!」
流石に不味いと感じ、私と椚木が制しようとする。が、それよりも早く彼女は冷堂の手を掴み力を込める。
「っ!!!!」
思いきり力を入れられたのか突如手を離す。掴まれた箇所は赤く跡が付いている。
「クソが……お前……何者だよ……」
「もういいよね。面倒だし。ミフネがちゃんとこっちにいるってわかったから。しかも思わぬ収穫もあった。私をそのアイドルにしろ」
さっきまでの雰囲気を一瞬で塗り替え、攻撃的な態度を取り始める。
その姿に私たちは呆然とし、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
「君……何を言ってるのかわかってる?」
椚木は依然として優しい態度を崩さず、問いかける。
「詳しい事情は言えない。だが、私はミフネと決着をつけたいんだ」
言われてみれば、御船の姿を確認した瞬間から様子がおかしかった。何か確執があるのだろうか。私は頭で考えるよりも先に言葉を発していた。
「私も、アイツには負けたくない」
その発言を聞き、璃々須は私を見て笑う。
「お前の顔には野心や嫉妬といった色々な感情が見えて面白いな」
彼女は私の目の前に来て、顔を見つめ髪や顔を手でじっくりと触られる。
「あ……え、うぇ……?」
恥ずかしくなり、照れてしまう。だが、それをよく思わなかったのか冷堂が肩に手をかけ止める。
「おい─────」
「お前には何も感じない。無だ。お前もアイドルなのか?」
何かを言いかけた冷堂よりも先に璃々須は厳しい一言を言い放つ。
その光景を傍観していた椚木は、はっと何かを思い出したかのようにスマホを取り出し、電話を掛け始めた。
「てめぇいい加減にしろよ!」
限界が来たのか、怒号が部屋中に響く。
「私は雑魚には興味がないんだよ。だが風鈴和美、お前は面白くなりそうだな。」
特に何もしていないにもかかわらず何故か一目置かれてしまう。
すると、電話をしていた椚木が近づいてくる。
「璃々須ちゃん。社長が話したいってさ」
そう告げると、スマホを璃々須に渡し話すよう促す。 まさか、本気で話を進める気なのか?
「おい椚木。お前正気か!?」
「正直俺も何やってんだって思うよ。でもさ、こういう娘社長は好きだろ?」
確かにウチの事務所には、私みたいに野心が強い娘や野蛮と言ったら言葉が悪いが、そういう活気があるアイドルが多い。
意図時に集めているのだろう。いつの間にか、私は璃々須がアイドルになる方向で考えていることに気づき、彼女のペースに完全に飲まれていた。
「メチャクチャすぎる……。」
電話越しにその社長は私に問う。
「貴女が何をしたいのか、自分の口で言いなさい」
自分でも展開は早すぎると思う。まだ転移をしてから一時間もしていないだろう。
だが、私が転移をしたのはミフネと決着をつけるため。アイツがアイドルという媒体で活動するのなら、私もそれに合わせ彼女を超える。それが目標となるだろう。
運良くアイドルに拾われたのも運命だと思う。私は心の中でアイドルになることを決意し、こう告げる。
「私には、負けられない理由がある。ミフネとその決着をつけたい」
電話口の向こうから笑い声が聞こえると、社長は私にとある提案をした。
「五日後に、アイドル活動をするのに欠かせない免許証を獲得する合宿が行われる。そこで免許証を見事獲得することが出来れば、お前を事務所に迎えよう。それが条件だ」
そう簡単になれる訳ではないか……。だが裏を返せばその試練を乗り越えれさえすれば、ミフネと決着を付けられる。 ならばやってやろうじゃないか。
「そのくらいすぐ獲ってやる。そしてこの事務所一のアイドルになるよ」
私は高らかに宣言すると、社長はまた笑い期待しているといい電話を椚木に代わるように促す。
「風鈴、冷堂、これから私にアイドルとして何をすればいいか教えろ」
これが私、「リリス・ワグネット」のアイドル人生の始まりであった。