森の賢者と少女の石
「あなたにお願いがあるの」
『森の賢者』と呼ばれる者が住む森の中。
対価次第でありとあらゆる願いを叶えると言われている。
その日、『森の賢者』の住居の扉を叩いたのは、年端も行かない小さな少女だった。
「あたしの願いを叶えて欲しいの」
儚い雰囲気を纏うその少女の小さな瞳には、その雰囲気に反して決意の光が宿っていた。
「貴女の願いを叶えるのは吝かではない……けれど貴女は……―――」
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(ゴホ……ゴホ……)
ベッドで横になる少女が咳き込み、それを聞きつけたメイドが慌てて走り寄る。
「お嬢様!大丈夫ですか」
「……ゴホッ……うん……。まだ、大丈夫……まだ……」
メイドはグラスに水を注ぎ、準備された薬を少女に差し出す。
気休め程度ではあるが、少なくとも症状を抑えることは出来る。
薬を飲んだ少女をベッド促し、メイドはその手を握る。
「どうぞ、今は眠ってください、少しでも体を労わってくださいませ……」
「ありがとう…そうする……」
薬が効いてきたのか少女は直ぐに静かな寝息を立てた。
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「ここに来る位だ、私の叶える願いに何が必要かわかっているはずだ。貴女は対価を支払えるのかい」
「あたしはもう長くない……だからお願いします。対価は必ずお支払います」
高貴な少女が『森の賢者』に対し深く頭を下げる。
二人の間に、ほんの少しの静寂が訪れた。
その静寂を破ったのは『森の賢者』の深い溜め息だった。
「……とりあえず話を聞こう、対価は…その後に決めるとしよう」
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メイドがカーテンを開けると部屋に朝のやわらかな光が差し込む。
その明るさの中で、少女は目を覚ました。
「お嬢様、お加減は如何ですか」
「今日は調子が良いみたい……お父様とお母様は」
「朝食の為に食堂に……お嬢様は―――」
「あたしも食堂へ行くわ、支度をお願い」
「……畏まりました」
メイドの手伝いで夜着から普段着へ着替え、少女はメイドを伴ってゆっくりと向かう。
食堂には壮年に差し掛かった父と母そして兄3人がまさに食事を始めようというところだった。
食堂に現れた少女の姿に兄が酷く心配そうに声を掛ける
「今日は大丈夫なのかい」
「はい、お兄様。今日は調子が良いみたいなので……少しでも朝食をと」
「……そうか、ゆっくり食べなさい」
父のその言葉を聞いて小さく頷くとゆっくりと少なめに盛られた朝食に手を伸ばす。
静かで満たされた家族だけの時間が過ぎていく。
少女が最後の一口を食べ終わる。
そして、それまで静かに見守っていた家族を見つめて少女は口を開く。
「お父様、お母様、お兄様……今日はあたしの我侭を聞いてもらいたくてこの場に参りました」
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「その願いは叶えることが出来る、しかし……」
フードを目深にかぶった『森の賢者』の表情はよくわからない。
「……何か難しいことがあるんでしょうか」
急に不安になってきた少女の問いに『森の賢者』が答える。
「その願いを叶えるにあたり問題がいくつかある」
少女に指を立てて説明する。
「一つ目、その願いを叶えるにあたって必要なものの手持ちが足りない、準備には少し時間がかかるだろう」
この儚げな少女がどれだけ保つかはわからない。
必要な素材をこれから集めるにしても今日明日で揃うようなものではない。
「二つ目、貴女は高貴なる者に連なるものだ、その者達にはその者達の作法があるだろう」
願いを叶える前提にある条件。
その条件の為には高貴なる者の作法にある意味反することを意味する
「三つ目、貴女の願いを叶えたあとのことだ」
2つ目の条件は高貴なる者の作法に反する。
つまりこのままこの儚き少女の願いを叶えるということは『森の賢者』自身の身が危険になるということを意味する
「……どうすれば……いいのでしょうか」
3つの問題点を聞いて少女は咄嗟には答えが出ず小さく聞き返す。
「……まずは貴女の家族に相談しなさい。」
外には連れてきたメイド一人だけが小屋の外で待機している。
『森の賢者』はこの場へ来る事を家族には相談していないと予想していた。
―――願いの対価は時価。
叶える願いに必要な物と様々な巡り合わせ。
そして『森の賢者』の気分次第で高くも安くもなる。
故に、願いの対価には無理難題が言い渡されることもあればたった一枚の硬貨を要求することもある。
ローブの先から視線を少女に向けて『森の賢者』は告げる。
「貴女の願いへの対価は……」
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「そんな……馬鹿なことを……!!」
父が大きな声をあげて立ち上がり、握り締めた拳を震わせている。
母は少女ににた面持ちを青くして目尻に涙をためた。
対して、少女の兄だけは悲観な表情ををしつつも妹の決意に理解を示した。
「そう……決めたんだな」
「『森の賢者』様ならあたしの願いを叶えてくれる、だから……だからお願いします、お父様お母様」
少女は家族に向かって深く頭を下げる
「お願いします、あたしの最後の我侭を叶えさせてください」
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「―――貴方への願いへの対価は……家族の説得だ」
指を一本立てて『森の賢者』は少女への願いの対価を示した。
少女は頭を上げ、フード越しの『森の賢者』の顔を見つめた。
もっと大変なものを提示されると思っていた少女は安堵の表情を浮かべた。
……しかし、それがどれだけ困難であるか、時間が経つにつれて理解してきた。
「この願いを叶える事はできる、しかし先ほど挙げた問題の他にも障害がある」
先ほどの三つの以外にも問題があるといわれて少女は焦り、顔を上げ『森の賢者』の顔を見つめ、恐る恐る問いかける。
「ほ、他の障害とは……」
『森の賢者』は少女の顔を見つめて意を決したように言葉を発した
「貴女の命が尽きるのが先か、対価と全ての準備を整えて儀式に望めるかどうか」
『森の賢者』の準備と少女の家族への説得。
双方の準備が整わなければ少女の望みは叶えられることはない。
「……わかりました、家族は必ず説得します。だから、お願いします」
少女は再び頭を『森の賢者』に深く下げる。
「……私の方も準備は進める、対価の支払いが出来たら再びここまで来な」
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家族にとって大事な愛すべき少女が……娘が……妹が家族に向かって深く頭を下げている。
最後の我侭を叶えて欲しいと。
父は拳を震わせ、母は両手で顔を覆っている
とても長く感じられた静寂を破ったのは兄だった。
「父上、母上。僕は妹の意思を尊重したい。」
席を立ち妹の肩に置いたその手は小さく震えている。
少女の決意に、彼もまた決意し応えた。
そんな子供達の悲しくも愛おしくもある決断に両親も応える。
「……わかった。だ、がこれだけは言わせておくれ」
少女を抱き寄せた父が声を震わせながら擦れそうな声で
「これが『最後』だなんて言わないでおくれ……無力な父を許しておくれ」
母も少女を抱きしめる。
「そうよ……これが『最後』なんて言わないで……」
たとえその家族の願いが叶わないことはわかっていても……そう願わずには居られなかった。
「……お父様……お母様……ありがとう」
少女は我侭を許してくれた家族に心が満たされ、瞳には大粒の涙を流した。
―――かくして、対価はなされた
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提示された対価が終えた頃、『森の賢者』も準備を進めていた。
儀式に必要な物の準備は既に整っており、あとは少女の願いを履行するだけの段階になったその日『森の賢者』の住居には少女の家族が揃って訪れていた。
もともとは『森の賢者』が一人で暮らしている部屋だが普段は精々客が一人来る程度の家であるため家の中が狭く感じる。
「『森の賢者』殿、この度は娘の願いを叶えてくれる事に感謝する」
感謝を面と向かって伝えられ『森の賢者』は困惑した気配を醸し出す。
「それは……!対価を貰っているんだ、わざわざ言われることではない!」
慣れない言葉と感謝を受けた焦りから語尾が強くなる『森の賢者』。
「対価は確かに頂いた……これから本契約に移ろう」
『森の賢者』がそういうと一枚の羊皮紙を差し出す。
その羊皮紙には、丁寧な文字で少女の願いと対価が綴られていた。
「対価が対価だからね……。全員の合意を以って契約と成すよ」
この契約書は本来であれば当事者のみのサインで威力を発揮するもの。
だが今回に限っては、対価の関係上家族全員がサインする必要があった。
「最後の確認をするよ……貴女の願いは」
―――『あたしが死んだら石となって家族を近くで見守りたい』
「間違いないね」
少女は頷く。
この願いを叶えることは出来るがいくつか問題があった。
しかし、それは全て解決した。
契約書に全員のサインを確認し、『森の賢者』が立ち上がる。
「それでは、行くとしようか」
この願いに必要な準備は全て揃った。
後は……
少女が「死」を迎えるだけとなった。
この願いを叶える儀式は少女が「死」を迎えた直後でないといけない。
儀式の方法については本人も『森の賢者』を尋ねる前から知っていたのであろう……
特に驚くこともなく『森の賢者』の行う儀式の説明を聞いていた。
『森の賢者』が小さな鞄を抱えると少女の家族と共に家に向かった。
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『森の賢者』と共に少女の家へ訪れてから一月を待たずして少女は家族に見守られながら静かに息を引き取った。
――その顔は安堵と安らぎに満ちていた。
「別れは済んだかい……それじゃ始めるよ」
少女の死を悼む家族の傍らで『森の賢者』は己のやるべきことを全うするために動き出す。
あまりにも作業染みた声に家族は何を思ったかは『森の賢者』はわからない。
『森の賢者』は少女との契約を履行するだけである。
まだ辛うじて温もりの残るその小さな体を大事に抱えて儀式の場へ運び込む。
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『森の賢者』が儀式の場へ籠もってから三度日が登り、三度月が沈んだ。
少女の死から四度目の日が登るころ、『森の賢者』は家族の前に姿を現した。
「終わったよ」
儀式が無事に完了したと伝えに来た『森の賢者』の携えた台座には四つ石が乗っていた。
その差し出された四つの石を見て両親と兄は首を傾げる。
「あの子が……専属だったメイドの子も家族だからってね。だから四つにした。その子に渡すかどうかまでは私は関与しない、好きにしな」
家族が頷き石の乗った台座を受け取って父親が礼を言う。
「……ありがとう、『森の賢者』殿」
「……私はあの子の願いを叶えただけだ、礼を言われる筋合いはない」
そう言い残すと『森の賢者』は挨拶もそこそこに森へ帰っていった。
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森に入って人の気配が感じられなくなったある場所で『森の賢者』は木に寄りかかり崩れ落ちる。
抑えに抑えた感情が一気にあふれ出す。
生き物の亡骸を宝石に変化させる儀式。
手間のかかる素材と準備。
人の亡骸を素材とすることに忌避感を覚える人も多いだろう。
遺言として望まれたこととは言え『森の賢者』も人の子。
感情が無いわけではない、仕事と割り切って押し殺しているだけに過ぎない。
―――人間の欲望には限りはない。
かつて『森の賢者』と呼ばれた先代の『森の賢者』―師匠の言葉。
―――だが、全ての願いを叶えられるわけではない。
「まったく…因果な商売だよ…」
投稿にあたり「うなぎ光介」先生に一部監修をしていただいています。
この場をお借りして御礼申します