表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合短編

百合の日に生まれた人

作者: 川木

 6月25日の誕生花は、百合の花だ。百合の日に生まれた、名前に百合を持つ小百合さん。本当に彼女は、百合のように可憐で、そして儚い人だった。


 一人、百合の花束を持って田舎道を歩く道すがら、私は彼女のことを思い出していく。


 彼女は病弱な人だった。病院から長く離れることができないほどに。私の親戚で祖母から可愛がられていた彼女と初めて出会ったのは、10歳の時、祖母についてお見舞いに行った時だ。

 健康優良児だった私は、慣れない病院の匂いにびくびくして、祖母の後ろに隠れるようにしていた。小百合さんはベッドの上にいて、祖母の訪問に嬉しそうにしていた。

 私よりうんと年上なのに、ちっともそうは見えなくて、初めて会う綺麗なお姉さんにもじもじしてますます祖母の背中に回り込んでしまった。


 そんな私に気を使って、小百合さんから話しかけてくれたのだ。


「こんにちは、かわいいお嬢さん。今日はおやつに水無月をいただいているのだけど、ご一緒にお一ついかがかしら?」


 私は涼しい顔して言われた、その古めかして芝居がかった話し方に、思わず吹き出してしまって、大きな声で答えた。


「食べる!!」


 もちろん、大きな声をだしてはいけませんと、隣にいた祖母に後から怒られたのは言うまでもない。


 それが私と小百合さんの出会いだった。


 祖母は毎月彼女のお見舞いに行く。私はそれに好んでついていくようになった。最初こそわざとらしく喋ってくれた小百合さんだけど、小百合さんは普通にしていても私からすれば少し変わった喋り方をしていた。

 だけど、変ではなく、凄くオシャレでお上品な、素敵な人だなと子供心に思ったものだ。今思えば、幼い頃から病院で本とばかり付き合ってきたから、書き言葉に影響されていたのだろうか。


「なっちゃんは、今日もとてもいい子ね。こんなお年寄りのところに来てくださっても、何も面白いものなどないでしょうに」

「ううん! そんなことないよ! もっと来たいくらいだよ」

「あら、本当に? うふふ、なっちゃんさえ良ければ、いつでも来てくださって構いませんわよ」


 そう言って小百合さんは、祖母がトイレにたったすきに、ここまで来れるよう電車賃をくれて、喧嘩した時の逃げ場所くらいにはなれると言ってくれたのだ。

 私にとっては単純に、祖母と一緒だと祖母ばかり話してしまって、小百合さんの素敵な話言葉が聞けないし、二人きりでお話しできるんだと思い、喜んでお礼を言った。


 このころ、小百合さんは私を祖母と同じようになっちゃんと呼んでいた。懐かしい。とは言っても、今なお現役の祖母は相変わらず私をそう呼ぶのだけど。


「おはようございます!」

「あら、まぁ。なっちゃん、本当に来てくださったの? まぁまぁ、私、何のご用意もしておりませんわ」

「……迷惑だった?」

「まさか。とっても嬉しく存じますわ。ですけどね、今日はお菓子もないから、がっかりさせてしまうのではないかと思っただけなのよ」

「それなら大丈夫! 私、ちゃんとお見舞い持ってきたよ」


 小百合さんからもらったお小遣いがお見舞いのお菓子に化けたのだ。なんせ、小百合さんは気前よくお札をくれたけど、そもそも電車に乗っても一駅の距離だ。小学生の私にとっても歩いても余裕なくらいだ。

 そう言って得意げに自分が大好きなケーキを買ってきた私に、小百合さんはまあるく目を見開いて、それからふふふ、と微笑んだ。


「まぁまぁ、準備のいいことで。本当になっちゃんは、とてもよくできた子ですわねぇ」


 その時の小百合さんの微笑みが、あんまりに可愛らしくって、私は子供ながらにもっと見たい、もっと小百合さんと仲良くなりたいと決意したのを、今でも覚えている。


 それから私は毎週小百合さんのお見舞いへ行った。本当は毎日でもいきたいくらいだったけど、小学生だって色々とやることもあるし、週に一回は子供の私にとっては結構少ないけど、大人の小百合さんに迷惑かなとも思って、我慢した。


 週に一回、祖母公認でこっそりお見舞いに行っていた。別に隠すことではないのだけど、何となく私にとって小百合さんとのことは他の人に言いたくなかったのだ。


 通っても、たわいのない話ばかりだ。だけど必ず小百合さんは、穏やかな微笑みを浮かべて相槌をうってくれる。それが嬉しくて、私はまたたくさん話してしまう。結局私と祖母は似ていたのだなって、今は思う。

 それから勉強も教えてもらった。元々馬鹿ではないけど、大好きでもない。だけど小百合さんが教えてくれるなら、格好悪いところは見せられないので私は結構頑張って成績が上がった。小百合さんが褒めてくれるのが嬉しくて、楽しくて、幸せだった。


 そうそう、勉強と言えば、ある日のこと、学校であることを習った私は、お休みの日ではなかったけど意気揚々と小百合さんの病室へ駆け込んだ。

 休日はちゃんとお菓子を持ってお見舞いしていたけど、平日はテストの結果が出た時とか、そういう時には時々無手で行っていたので、小百合さんは驚かずに迎えてくれた。


 そして私はランドセルも背負ったまま、勢いよくベッドに飛び付いて、小百合さんに自慢げに言ってしまうのだ。


「今日ね! 学校で等親って言うの習ったの! 知ってる?」

「刀身? ええっと、なにかしらねぇ。なっちゃんは、この、無知なおばさんに教えてくださいますか?」

「うん! あのね、家族関係の数え方なの! こうして、一つ血の繋がりごとに数えるんだよ!」

「ああ、等親。じゃあ、私となっちゃんはいくつか、数えてくださいますか?」

「うん! あのねぇ、4つだよ! でね、でねー、結婚ってね、3等親以内だとできないんだって。だから、4つならできるんだよ!」

「そのようですわねぇ。上手に数えられまして、えらいわね」

「うん! えへへ、だからね、私が大人になったら、結婚してあげる!」


 この、自信満々なことよ。我がことながらクソガキすぎる。こんなにも可憐な小百合さんが、いかに病弱と言うハンデがあったとして、人に好かれないわけがないのに。そのうえで独り身だと言うことを何一つ理解していない暴言だ。

 だけどもちろん、優しい小百合さんは微笑みを崩さず、私の頭を撫でてくれた。


「まぁ。うふふ、とても嬉しく思いますわ。ですけど、とっても残念なお知らせなのだけど、同性だと結婚することができませんのよ?」

「どうせい?」

「女の子同士と言う意味なのよ」

「!」


 私は泣いた。泣きすぎてそれ以上の記憶がないけど、めちゃくちゃ迷惑だっただろうし、本当に今思い出しても恥ずかしくなる記憶だ。


 そんな小学生時代を得て、中学生になった私は部活動にはいったりしてそれなりに忙しくはしていたけど、やっぱり週に一回のお見舞いは欠かさなかった。小百合さんに無理しなくてもいいと言われるほど、私が来たいのに、とムキになってきた気もする。


 中学生になると、お小遣いの量が増え、そして周りの友人環境が変わったこともあり、少しだけ色気づいた私は小百合さんにバレンタインデーのプレゼントを初めてした。


 それまでは普通にコンビニチョコレートをお見舞いの品にして一緒に食べていただけだったけど、一応手作りのチョコレートだ。その時は恋とかは何も考えてなくて、単純に喜んでほしかった。

 もちろん小百合さんは喜んでくれて、ホワイトデーもお返しをくれた。そうしてそれが当たり前になった中学三年生の時。受験生だった私は、相変わらず簡単なものだったんだけど、小百合さんはとても美味しい高級そうなチョコレートをくれたし、受験勉強もたくさん見てくれた。


 なので合格発表後に、お礼も兼ねて小百合さんが好きだと言っていた、百合の花束をホワイトデーにプレゼントすることにした。

 3000円もしない小さなものだけど、それでも私にとっては精一杯のお礼の気持ちを込めていた。さすがの私も、中学生になれば小百合さんに迷惑をかけてきたなってことは自覚していたからだ。


 だけどそんな私に、小百合さんは予想外の反応を見せた。


「まぁ! こんな、お花なんて……まぁまぁ……」


 小百合さんは花束を受け取ると、少女のように破顔した。


「なっちゃん、本当に嬉しいわ! ああ、いい香り! ありがとう、こんなにも喜んでしまって、なんだか、後が怖くなってしまいますわねぇ」


 百合の匂いをかいで、ほう、と息をはくその姿に、はしゃぐ姿に、私の胸は高鳴った。

 なんて可愛らしい人なんだろう。こんな表情を、今まで見られなかったことが悔しくて、そしてこれからもっと、こんな顔を私がさせたいと心から思った。


 そう、この瞬間、ただ大好きだっただけの思いが、恋心にはっきりと変わった。それを自分でも自覚した。


 後で祖母に叱られたのだけど、お見舞いに匂いのつよい百合はよくなかったらしい。だから小百合さんが好きなのに、祖母も持って行かなかったようだ。

 そして私にとって、百合は特別な花になった。


 だけどその恋心を、私はすぐに受け入れることはできなかった。当然だ、血のつながりのある、年の離れた相手の上、同性だ。無理があり過ぎる。一つだけでもハードルになるところ、三つも揃っているのだ。絶対かなうはずもないし、そもそも、そんな相手を好きになったこと自体信じられないくらいだ。

 だからそれからしばらく、会いに行かなかった。単なる勘違いだと自分に言い聞かせた。疲れていたし、だいたい今まで恋の一つもしたことがなかったのだ。これがそうだと断定何てできない。


 だけどそうして春休みが終わり、高校生活が始まって、新しい環境になれていって、たくさんの出会いがあった。それでも私の胸の中から、小百合さんの笑顔は消えなかった。

 夏になった。私は祖母に促されて、久しぶりに小百合さんを訪ねた。


「よく来てくださいましたねぇ、なっちゃん。ありがとう。少し見ない間に、ずいぶん大人になられたみたいで、なんだか、嬉しくなってしまいましたわ」


 にこにこと穏やかな、変わらない笑顔。私はもう、我慢が出来なかった。

 子供みたいに泣きじゃくる私に、慌てながら慰めようとする小百合さんの頭を撫でる手が優しくて、私は馬鹿みたいに喉を詰まらせながら告白した。


 小百合さんはさすがに戸惑っていた。当たり前だ。そんなこと、考えたこともなかっただろう。

 お見舞いに来ないのだって、単純に環境が変わって忙しいとか、何なら子供の気まぐれで飽きたのかもくらいに思っていたのだろう。


「あ、あのね、なっちゃん。それは、残酷な言い方をすると、気の迷いだと思われますわ。だってそうでしょう? なっちゃんは若くて未来のある子なのだから、私みたいなお年寄りに、そんな風に思うはずがありませんわ。ね? よく考えてみて」

「っ、考えたよ! いっぱい考えて、それでずっと来れなかったんだよ!? でも、それでも、変わらなかったんだよ……っ」

「なっちゃん……ごめんなさい。でもね、子供のあなたとは恋人にはなれません。あなたがもう少し大きくなって、それでもそう思ってくださるなら、考えますわ」

「……」


 それはどこまでも残酷な大人の理屈だった。子供の私の告白なんて、考えることすらない。断るとか受け入れる以前の問題なんだ。

 だけど本当は私もわかっていた。わかっていたから、告白する前から泣いていたのだ。それにその答えは、まだ、希望のある答えだと思っていた。だから縋りついた。


「わ、私、諦めないから、だから、まだ、まだ、終わってないからっ。これから、大人になって、いつか、また、告白するから!」

「うん……」


 それから私は、小百合さんの呼び方を変えた。今までは祖母に言われるままの呼び方だったけど、これからはちゃんと、一人の人間同士であると示すために、小百合さんと呼ぶことにした。もちろん、小百合さんにも許可はとった。

 それを知った祖母にはいい顔をされなかったけど、いいって言ってもらったもん、と言い張った。今思えば言い訳が子供過ぎて恥ずかしい。


 それから私と小百合さんの関係は、大きく変わったりはしなかった。また前と同じように足しげくお見舞いに通う。

 そしてたわいない話をしたり、勉強をおしえてもらったりした。


 だけど私の思いは変わらなかったし、それが伝わるよう、少しずつ距離をつめたり、見つめたりした。その都度、小百合さんは小さく動揺した。

 ずっと年上なのに、初心で、子供だと思っている私のアプローチにも容易く表情を崩してしまう。そんな彼女が可愛くて、愛おしくて、私はますます彼女にのめりこんだ。


 そうして時がたち、大学に行くことが決まった日、ちょうど初恋を自覚してから三年後、再度私は小百合さんに告白した。今度は無手ではなく、百合の花がモチーフのペンダントを持って。

 高いものではないけれど、可愛らしく、病院着にもさりげなく合わせられるものだ。


「小百合さん、私は、もう大人と胸を張れるほどではないけど、でもまだ子供と切って捨てられるほど、幼くないよ。それでも、まだ、ううん、前よりずっと、あなたが好きです。恋人になってください」

「これは……百合?」

「うん。小百合さん、好きだし、これならいつでも見られるから」

「……あのね、気持ちはとても嬉しく思いますわ。だけどね、こんな、老い先短い私と恋人になったとして」

「そんなこと言わないで!」


 まだ続きそうだった小百合さんの言葉を遮った。それだけは、言ってほしくなかった。


「確かに、小百合さんのほうが先にいってしまう可能性は高いと思う。でもそんなの、私だっていつ死ぬかなんてわからないじゃない! そんな悲しいこと言わないで! 私は今この瞬間、目の前にいる小百合さんが好きなの!」


 それは私の心からの言葉だった。年齢とか、性別とか、そんなことは何度だって考えてきた。だけどそのどれもが、私の恋心を抑えることはできなかった。


「……うふふ」

「小百合さん?」


 百合の花が咲くように、可憐に微笑んだ小百合さんに見とれながらも、穏やかな微笑みを向けられて困惑した。そんな私に、小百合さんは一層深く微笑んだ。


「うふふ、はい、私でよければ、死ぬまででもいいなら、お受けしますわ」


 その返事を、一瞬理解することができなかった。

 だけど小百合さんがそっと私の差し出したペンダントを受け取ってくれたから、すぐに、恋人になってほしいと言う申し出を受けてくれたのだとわかった。


 喜びで体が震え、そして我慢できずに泣き出した私の頭を、小百合さんは優しく撫でた。


「まぁまぁ、なっちゃんは本当に、大人になられても泣き虫さんねぇ」


 こうして情けなくて、だけど一世一代の私の告白により初恋が叶った。


 それから私は学業生活はおざなりにしないように、だけど一層小百合さんのもとへ通った。大学生になると信用も出てきたようで、一緒に外出することができるようになった。


  植物園に行くと、小百合さんは百合以外にも詳しいけど、当然百合が一番好きみたいだった。私も花は嫌いではないけど、ついつい小百合さんにばかり目が行ってしまう。


「見て、小百合さん。あれは?」

「あれはカノコユリと言うのよ」

「へぇ、ピンク色で可愛いね」

「そうでしょう? 百合って言うと、白の印象ばかりが強く知られているけれど、色々な色があって、とっても楽しいのよ。奈津子ちゃんはピンクがとても好きなのよね」

「まあ好きだよ」


 恋人になってから、小百合さんもまた私を名前で呼んでくれるようになった。子ども扱いからの卒業だ。とても嬉しくて、名前を呼ばれるだけで、どきどきしてしまう。ピンク色かどうかなんてかすんでしまう。


「ピンク色なら、オトメユリと言うのもあるのよ」

「そうなの? どんなのだろう。でもオトメユリって、何だか小百合さんにすごく似合いそうな名前だね」

「……」


 いつも以上に照れたような反応を見せる小百合さん。その可憐さに、そろそろ手を握ってもいいかな? と画策していると、小百合さんは頬に手をあてて恥じらってからこう言った。


「そんな風に言われると、うふふ。照れくさいのだけど、オトメユリと言うのはね、別名がヒメサユリと言うのよ」

「そうなの? うわぁ、絶対可愛いやつじゃない」

「ふふ、嫌だわ。だけど、オトメユリって可愛いお花なのよ」


 そう言う小百合さんに、私はそっと杖を持つ小百合さんの手に手を重ねた。途端に、小百合さんはぽっと頬を染めた。

 その姿に、小百合さんより可愛い百合は存在しないだろうと確信したものだ。


 それからも、交際は順調だった。数か月に一度外出することは、小百合さんの体にとってもいい気晴らしになるようで、体調もいいようなのが嬉しかった。

 明るい小百合さんを見ると、好きになって本当によかったと思えた。


 初めてキスをしたのは、小百合さんが見たことがないと言うから、海に行った時だ。当然、海になんて入れるはずもないけど、人気の少ない砂浜に夕日が落ちていくのをすぐ傍の温泉宿で見ながら、そっと唇を重ねた。

 その渇いた唇の感触は、今も覚えている。泊りではないので、早めの夕食を済ませてその足で帰ったけど、その帰り道も終始乙女のように浮かれていた小百合さんは本当に可愛かった。


「小百合さん、好きだよ。大好き」

「うふふ……ありがとう、奈津子ちゃん」


 小百合さんはけして好きとは口にしなかった。もちろん同情で付き合ってくれているわけではないことはわかっている。小百合さんは嘘のつけない人だ。それに態度が何より雄弁に語ってくれている。好きだと言うと、ぎゅっと手を握り返してくれる。

 ただ小百合さんは古風な人だから、そう言ったことを簡単には口にできないのだ。


 私と小百合さんは恋人になってから、毎日のようにお手紙を書いて送りあっていた。本当は携帯電話の方が手っ取り早いし、病室も個室だし問題なく使えるのだけど、小百合さんは機械音痴で電話も苦手なので仕方ない。

 だけど仕方なく始めたお手紙交換も、小百合さんの美しい文字で、いつもと違うような言葉で、新鮮でまた小百合さんを好きになっていった。


 恋人になって、4年目。大学最後の年、小百合さんの誕生日、百合の日に、私は小百合さんに指輪のプレゼントを考えていた。早々と就職先も決まっていて、将来の展望は明るかった。小百合さんとずっと一緒に居られるのだと思っていた。


 だけど誕生日の前日、小百合さんは亡くなった。

 大きな病ではない。ちょっと風邪気味だと言うだけだったはずだった。だけど、亡くなってしまった。


 泣きくれる私に、祖母が一つのプレゼントをくれた。外に出られない小百合さんに代わって、祖母が買ってくれた、小百合さんから私への就職祝いのプレゼントだった。中にはいつもの綺麗な字で書かれた手紙が入っていた。


『奈津子ちゃんへ

 就職がきまったこと、大変喜ばしいことでございます。おめでとうございます。

 また、いつも私によくしてくれて本当にありがとう。まるで失った青春をやり直しているように、年甲斐もなくいつも胸を高鳴らせています。

 そんな世界で一番大切な女の子であるあなたに、このプレゼントを贈ります。


 大切にしてください。だけど、決してあなたを縛り付けるものではないことだけは、理解してください。

 あなたにはいつだって沢山の選択肢があることには変わりません。これから大きな社会に羽ばたくあなたを、どこまでも応援しています。

 これはただ、私のあなたへの気持ちなのです。

 愛しています。 小百合より』


 プレゼントは、百合の花が描かれたカメオのペンダントだった。


 私はたくさん泣いた。それから毎年、小百合さんの実家近くのお墓に、彼女の命日には百合の花を供えている。

 もちろんその日は、普段から大切にしているペンダントを身に着けて、精いっぱいのオシャレをして、だ。


 今日は小百合さんの命日だ。だからこうして、私は今年も、なれない坂道をあがっている。


 だけど今日は、今までと少し、違う。ペンダントチェーンが切れてしまったのだ。だからペンダントはない。彼女の愛の証をつけていないのだ。

 ずっと悩んでいた。だけど朝、チェーンが切れて、私は小百合さんに背中を押された気がした。元々、死ぬまでと小百合さんは言っていたのだ。


 なのに未練がましく、ずっと小百合さんのことばかり考えて引きずっていた。もう、5年もたつのに。恋人でいたより長くたつのに。

 だからきっと、小百合さんがそうしたのだろう。次の恋を見ろって。新しい人生を選べって。


「小百合さん、今年も来たよ」


 掃除をして、お線香をあげて、お墓に百合の花を供えて声をかける。

 そして心の中で、たくさん話した。そうそう来れる距離ではないから、一年分、たくさん話した。

 私に告白してきた後輩がいることも、その彼女に小百合さんのことを説明してもひかれなかったことも、それでもなおと求められていることも。


 小百合さんとは全然違う。年下で、元気いっぱいで、好きですと声に出して、そしてちょっと字は汚い。だけど全然違う彼女に、私は少しずつひかれていった。

 それを自覚して、葛藤した。だけどもう、受け入れよう。どうなるかわからないけど、一歩、踏み出そう。


 これからも、きっと毎年ここに百合の花を供えに来る。私にとっての百合の花は、小百合さんであることには変わりないから。

 だけどもう、恋人でいることはお終いだ。


「……さようなら、小百合さん」


 と最後に挨拶をして、それから気づいた。小百合さん、は恋人の呼び方だ。いつまでもこの呼び方をしていると知られたら、また祖母に怒られてしまうだろう。

 けじめをつけるなら、呼び方もまた、親戚の頃の距離に戻さないといけないだろう。


「さようなら、大叔母さん」


 私は振り返らなかった。


昨日Twitterで百合の日って話題になってたので思い付いたネタです。

作中では年齢は明言しませんが、約40歳差の百合です。

2019/06/26 17:00 読み直したら矛盾点等あったので修正しました。ストーリー自体に変化はありません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ