「ウインドノーツ」
~~~三上聡~~~
翌日。
けっきょくほとんど眠れないままに登校した俺を、恋は通学路の途中で待ち構えていた。
「おはようございます会長さん。今日も目つきが怖いですよー? ふふ……また眠れてないんじゃないですか?」
「恋……」
そういう恋はずいぶんとスッキリした様子だ。
顔の色艶がよく、表情にも明るさがある。
「昨日は俺が悪かった。おまえの気持ちも考えずに突っ走って……」
「ストップ、ストーップですよ会長さんっ。また会話が突っ走ってますよ?」
さっそく謝ろうと口を開いた俺を、しかし恋はビシッと片手を突き出すように制してきた。
「いいかげんわたしを置いて行くの、やめてください。ゆっくり一緒にお話ししましょうよ」
「ああ……すまない」
「はい、謝るのもなしです。別に会長さんだけが悪いわけじゃないですから。勝手に誤解したのはわたしもいっしょですし」
「しかしそれじゃあ……」
なおも言い募ろうとしたのを、恋はもう片方の手を突き出して制してきた。
「お互い様ってことでいいんじゃないですか? どちらも悪かった、イーブン。それでも会長さんの気が済まないっていうのなら……」
ふわり春風のような微笑を浮かべながら、恋は言った。
「わたしとおつき合いしてください。恋人に限りなく近い友達として。同時にアイドル活動もしていきましょう」
「……え? うん……?」
思ってもいなかった提案に、俺は驚いた。
アイドル活動に前向きになってくれたのは嬉しいし、それ自体は渡りに舟なのだが、どうしてそんな急に……?
「誤解ついでっていうとあれなんですけどね。ぶっちゃけ興味ありなんです。会長さんに。男性とつき合うってことにも」
「いやしかしだな……」
「知ってますよ。アイドルは恋愛禁止だって。でもいいじゃないですか。アイドルを目指すのだとしても、今はなんでもない中学生なわけですし」
「それはそうだが……」
渋る俺に、恋はずずいと接近して来た。
後ろ手に手を組んで、下から見上げるようにして来た。
「ねえ、会長さん。わたし、女の子なんですよ? アイドルにだってなりたいけれど、それ以前に普通の女の子でもあるんです。恋愛にだって興味ありますし、恋人とデートだってしてみたいんですよ」
「恋……」
昨日までとはまるで別人みたいな圧の強さにたじたじになっていると……。
「それとも怖いですか? わたしに本気で惚れちゃうのが。惚れて、好きになって、アイドルじゃなく恋人でいて欲しいって思っちゃうのが」
「……っ?」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
その恐れは、いつだって身近にあったものだからだ。
俺が男である以上、そしてアイドルたちが女の子である以上、切っても切り離せないものだったからだ。
──ねえ、プロデューサーさん。わたしね? ホントはずっと、プロデューサーさんのこと……
反射的に、あの夜のことを思い出した。
篠突く雨に打たれながら、レンが口にしかけたのは……。
アイドルでなくなったレンが俺に求めたのは、たぶん……。
「……大丈夫、だ」
口をついて出た言葉は、みっともなくひび割れていた。
「そんな恐れは……無い」
「へえー……?」
いたずらっぽく目を細めたかと思うと、恋はくるりと俺に背を向けた。
「それはそれでなんだか嫌な気分ですけど……まあいいです。今は許してあげます。今はね?」
「……?」
どういう意味だろうと思って身構える俺のほうを、恋は一度だけ振り返った。
人差し指を唇に当てると、秘密めいた笑みを浮かべた。
「すぐにそんなこと、言えなくしてあげますから──」
恋の放ったその言葉は、軽やかな風に乗って俺の耳元に届いた。
恋がその場を立ち去ってもしばらくの間、吹きだまるように鳴り続けた。