「上を向け!」
~~~三上聡~~~
桜子先生から厳しいお叱りとご指導を受け、解放された時には午後6時を回っていた。
事の顛末は家にも知らされていたらしく、夕食後、妹の七海がお風呂に入っている間に改めてその話をされた。
食卓を挟んで両親と向かい合わせ。
さすがに怒られるだろうと身構えたが、とくにそんなことはなかった。
「まあおまえはいつも頑張りすぎてたからな。子供っぽくないというか、機械みたいというか。非の打ち所がなさすぎて不安だったんだ。この失敗は、逆にいい経験になるんじゃないのかな」
まだ白髪の見えない若い父は、ニッコリ柔和な笑みを浮かべ……。
「お母さんもそう思うわ。あんたってホント面白味がなかったもの。目つきも怖いし、友達だってろくにいないんでしょ? いい機会だから、そのコを彼女にしちゃいなさい。そんで家に連れて来なさい。お母さんが全力でオモテナシしてあげるから」
シミひとつない若い母は、むしろ楽しむようにけしかけてきた。
「機械みたいで面白味がない……」
たしかに生まれてこの方、親に怒られたことはなかったけど、俺ってそんな風に思われてたんだなあ……。
なかなかにショックな事実ではあったものの、ほっとしている部分のほうが大きかった。
怒られなかったことにではなく、両親の若さと相も変わらずののんきさにだ。
自分が見知らぬ世界に飛んできたわけじゃないという確証がもててほっとした。
家はまだ建て直し前だった。
築30年の年季の入った木造2階建てで、そこかしこに懐かしい傷が目についた。
「……ん?」
懐かしみながら柱を撫でたりしていると、2階の奥にある我が部屋から、ズンズンとリズムを刻むような音が聞こえてくるのに気がついた。
「誰かいるのか?」
ドアを開けると、そこにあったのはなんてことない6畳間だ。
勉強机がひとつあり、天井までの高さの本棚がふたつある。
他にはタンスとベッドがあって、ベッドの上には……。
「うっひゃー? まさかのお兄ちゃん登場ーっ? これには七海氏、さすがにびっくりーっ!」
「いやいや、俺の部屋に俺が来るのはあたりまえだろう」
当たり前みたいにしている先客の存在に、俺はため息をついた。
そういえば昔も、何度もこんなやり取りをしてたっけ。
あんず色の髪の毛を太い眉毛の上でバツンと切り揃えた女の子の名は七海。
今年で9歳になる、俺の妹だ。
「ってそうかぁーっ。あっはははーっ。こいつは七海氏、一本とられちゃいましたなーっ」
額をパチンと叩くと、七海はけらけら陽気に笑った。
ピンクと白のストライプの七分丈のパジャマという格好で、ベッドの上にあぐらをかいているが……。
「まったく何してんだ……ってああ、そうか。おまえの部屋にはパソコンが無かったんだな」
七海はベッドの上に置いたノートPCにかぶりつくようにしている。
見ているのはアイドルのライブDVDだ。
居間のテレビの争奪戦では母に勝てないので、こいつはいつも俺の部屋で見ていたのだ。
「何見てんだっと……ああ、ガルエタか」
ガールズ・エターニア。通称ガルエタ。
かつて全盛を誇ったアイドルユニットだ。
……いや、かつてじゃないか。
今いるこの時間軸に置いては、彼女らはちょうど人気絶頂を迎えている頃だ。
「なあ七海、アルファコーラスって知ってるか?」
ベッドを占領されているのでやむを得ず椅子に座ると、俺は七海に訊ねた。
小刻みに肩を揺すってリズムをとっていた七海は、ぐりんと思い切り首を傾げた。
「んん? あるふぁこーらす? なんですかなそれはー?」
「……いや、いいんだ。なんでもない」
知らないのが普通だ。
アルファコーラスが世間に認知されるのは、来年のとあるイベントを境にしてのことになる。
そう、来年の……。
「……」
俺はそっと目を揉んだ。
といって、特段目が疲れているわけではない。
何かを考える時に行う習慣だ。
恋にプラスして幾人かのメンバーを集め、そのイベントに参加する。
タイミング的にも年齢的にも、それが一番なのは間違いない。
だけど問題は、恋本人がそれを望んでいるかどうかだ。
今日のあの態度を見たって、その気が無いのはたしかだ。
そんなコを無理やり階段を登らせて、ステージに立たせて、それでいったいどうなるものか……。
「……ねえー、お兄ちゃん?」
いつの間にか、七海が背後に立っていた。
俺の肩に手を置き、気づかわしげな声を出している。
「なんか今日、ありましたかな?」
「……いや、別に何も無いが」
両親の会話を聞いていたのか、いないのかはわからない。
とにかく七海は、優しい調子で言った。
「もしあったとしたなら、あったとして、下を向いてるんだとするならば──」
にぱっと笑うと、七海は人差し指を天井に向かって突き上げた。
「『上を向け。そこには必ず、光が待ってる』」
「はあ? なんだそれ?」
「へっへーん。決まりましたかな? これ今、七海のサイトのトップページに飾ろうと考えてる言葉なんですー」
「七海のサイトのトップページ……」
「ありゃ、言ってませんでしたかな? 七海は今、アイドル全体を応援するサイトのようなものを作ってましてー……」
「……っ」
俺はハッと思い出した。
七海は生来のアイドル好きが高じて、自分自身で総合アイドル応援サイトを立ち上げるようになる。
やがては総合アイドル応援団長になり、しまいにはアイドル評論家にまでなる。
さっきのは、そのきっかけとも言えるフレーズなのだ。
『上を向け。そこには必ず、光が待ってる』
この場合の光ってのは、アイドルのことだ。
顔を上げればいつでもそこにあり、常にまばゆく輝いている。
生活に疲れ悩んだ自分たちに、勇気と希望を与えてくれる。
だから頑張れ、上を向け──
「……そうだな。まさにその通りだ」
俺は心の底からうなずいた。
「辛い時こそ、上を向くべきだ」
いつだったか、レンは言ってた。
自分も七海ちゃんが言うような存在になってみたいって。
中身は違えど、恋はレンだ。
遅かれ早かれアイドルを志し、レンと同じ道を歩むに違いない。
……そして、あの男に出会うのだ。
加瀬プロデューサー。
レンのアイドル人生が崩れる原因となった、その男に。
「……それだけはさせない。今度こそ、俺がおまえを守ってやる。そして、最速で最高の舞台に上がらせてやる」
もはや1秒たりとも無駄にはしないぞと気合いを入れる俺を、「お、なんだかわかりませんがいい表情になりましたな? 頑張れお兄ちゃんっ」と七海が手を叩いて応援してくれた。