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くもりのち、はれ-外伝-  作者: 夏みかん
外伝 4
8/12

冬の恋人たち 後編

少々雲が広がってきているが吹雪きそうな天気ではなかった。6人は中級者コースを降りながら景色を眺め、ワイワイ言いながら午後のひと時を過ごした。最終的には十牙たちと合流し、ゆっくりしたペースで1つの山を降りきって2日目のスキーを終えたのだった。疲れを癒すためにすぐさま温泉へと向かったが、さすがに今日は天気がいいせいか露天風呂も人でごったがえしていた。そんな中、体も髪も洗い終えた由衣はぼんやりと露天風呂に浸かりながら冷たい風を顔に浴びて雪山が連なった風景を見つめていた。


「横、いい?」


そう聞きながらもすでに片足をつけているミカにうなずいた由衣は大きく揺れ動くミカの胸と湯船の下にある自分の胸とを見比べた。見るまでもなくミカの方がはるかに大きいが、別にコンプレックスを抱くこともなく、ただ大きいと思うだけだが。


「なんか悩んでるぅ?」


唐突にそう言われた由衣は動揺しながらも今日一日顔に出ていたのかなと思うが、時たま鋭いことを言うミカを思い出して苦笑してみせた。


「みんな同じ時期を過ごしているのがうらやましいなぁって思ってるだけ」


珍しく素直に胸中を話した由衣にミカはにっこりと微笑んだ。由衣にしてみれば周人と付き合いだしてからの関係でいえばミカが一番親しく話しやすい。子供っぽいミカの精神年齢は実年齢が5歳も違う自分よりさらに下に思えるせいかもしれない。それでも時々年相応かそれ以上の鋭い洞察力を発揮するミカを知っている由衣はこういった話題を相談するにはミカが一番適任だと本能で感じ取っていた。


「でもぉ、学校別々だったし、そう変わらないよ?」

「圭子さんは同級生、だよね?」


ミカにはタメ口で話し掛ける由衣だが、それはミカの意向でもあった。年は違えど仲間だからというのがその理由だ。そのおかげで由衣はミカに対して親友のような気持ちで接することができていた。


「圭子ちゃんは同級生だよ。1年生の時から友達だったしぃ」

「恵里さんは?」

「恵里ちゃんはぁ、圭子ちゃんとクラスが別々になった2年生から友達になったんだぁ」


そう言うとミカは口まで温泉に浸かってから背伸びをした。メロンのような胸が勢い良く湯船から飛び出したが背伸びが終わると同時に湯船に戻るのを見た由衣はどうすればこんなに大きな胸になるんだろうとじっと凝視してしまった。


「でもね、女の子の中で恵里ちゃんを知ってるのは圭子ちゃんだけだしぃ、事件のことも詳しく知ってるのは圭子ちゃんだけ。後の2人はほとんど解決してからだからねぇ」


その圭子が問題なのだと思う由衣だが、もちろんそれは口にしない。


「そっか・・・」

「でもね、由衣ちゃんは知らない方がいいと思うよ」

「どうして?」


足の指を湯船から出したり沈めたりしているミカは気持ちよさそうに温泉のぬくもりを堪能している。何を思ってそう言ったかを知りたい由衣は体ごとミカの方を向いた。


「あの頃のしゅうちゃん見たら・・・なんて言うか同情とか、怖さとか、いろんな感情がいっぱいで好きな気持ちが負けちゃうかもしれないから」


いつもの間延びした言い方をしないミカはまっすぐな目を由衣に向けた。光がこもったミカの瞳に吸い込まれそうになる由衣だったが、ミカが湯船から上がってしまったために今の言葉の真意を聞くことが出来ずに肩を落としたのだった。


昨日とは違うメニュー、洋食をメインとした料理を食べている場所は昨日とは違う食堂だった。多くの若者や家族連れでごった返すここではさすがに暴れだす者もおらず、終始和やかな感じで夕食は進んでいったのだった。由衣は周人と会話する他の女性たちの様子を見たが別に普通であり、さっき風呂場でミカが言ったような遠慮しているような感じは全く見受けられない。やはりあれはミカの個人的見解でしかないと思った由衣は圭子と仲良く話す周人を見れずに目を背けてしまった。そんな由衣に気付いたのは意外にも哲生だったが、哲生は何も言わずにハンバーグを口に入れて周囲の会話に耳をそばだてているのみだった。


夕食後はトランプをして楽しんだ一行は今日の部屋の割り当て通りに移動して寝ることとなった。周人と由衣のペアが1つの部屋になり、十牙と千里ペアが哲生とミカのペア、そして誠と圭子のペアが純とさとみのペアという組み合わせになった。2つ並んだベッド以外は荷物を置くスペースしかないため、2人は歯磨きをした後すぐにベッドにもぐりこんだ。もちろん2人で愛し合うこともなくおやすみのキスをしただけだが。疲れのせいかはわからないが早々と寝息を立ててしまった周人を見つめる由衣はやはり周人と同じ高校時代を過ごしたかったという思いに駆られてうっすらと目に涙を浮かべてしまった。もし同じ年齢で同じ高校の同級生だったならば今のような関係にはなっていなかったと思う。だが、周人が恵里と出会う前に自分と会っていれば等、いろいろなことを考えてしまった由衣はまったく眠れなくなり、そんなつまらないことばかりを考えてしまう自分に嫌気がさして気分転換に温泉に行くことにした。カバンの上に置いたままだった入浴セットを手にそっと部屋を後にする。周人が気付かないわけがないと思う由衣だが、ついてくるなという意思表示をこめてそうしたのだった。周人はドアが閉まった後で身を起こしたが、そのままベッドに倒れこんだ。帰って来るまでは起きていようと時計を見れば、時刻は午前1時を回ったところだった。


ホテルの大浴場は露天風呂も含めて24時間入浴が可能となっていた。もちろんこんな夜中に誰もいるわけもなく由衣は一番奥の棚に浴衣を置くと肌寒さを避けるように小走りで露天風呂へと向かった。冷たい空気と裏腹に熱いお湯が体を包んでいく。ホッとした感じで力を抜けば湯船に体が浮かんでいく。足先と胸、そして頭を浮かべながら水面に漂う由衣は真っ暗な中で光を放つ月へと視線を向けた。月にかかった雲がいやに白く輝いている。由衣は湯船の端に座ると大きな大きなため息をついた後でポツリと一言つぶやいた。


「私って結構・・・ウジウジタイプだ」

「んなことないぜ」


突然夜中に自分の独り言に反応されれば驚くだろう。思わず身をすくめた由衣は注意深く周囲を伺うが、どこにも誰もいない。


「俺だよ、この世で最高の男だよ」


その言葉にホッとした由衣だが、その人物が哲生だとわかったためにどこかで覗いている可能性が高い。あわてて湯船に口まで浸かったが、目だけを動かして様子を探った。


「心配ないよ、覗いてない。息遣いと声、んで『気』でそう判断しただけ」

「ホントにぃ?」


まるで全てが見えているような言葉に由衣の返事もどこか疑いの目をもっていた。だが、哲生にしてみれば覗こうにも覗けないこの露天風呂の構造は把握済みなため、無駄な努力はしない。既に昨日、覗ける場所を探したが、当たり前だがそんな場所など存在しなかったのだ。


「アララ・・・そこまで信用無いのか、オレは」


ガックリした感じの声の後、哲生はわざと大きな音をさせてお湯の中に顔をつけて自分が湯船にいることをアピールした。由衣はその音を聞いてもどこか疑いを持っていたが、ここは哲生の言葉を信じて肩までお湯に浸かる形にもっていった。


「なぁにウジウジしてんの?よかったら話聞くけど」

「え・・・あ、はぁ」


そう言われたが今の自分の気持ちを全て話していいものかどうか悩んでしまう。だがアルバイトでしているモデルの撮影でも一緒にいる哲生は周人の幼なじみでもあり、そしてかつては初期の頃から周人と共に戦った古参の戦友でもあることも由衣も良く知っている。そんな哲生だからこそ相談できるかもと思い、意を決して相談をすることにした。


「実はね・・・」


そう言いながら由衣は湯船の縁に腰掛けた。月明かりが照らす白い裸身は美しく、冷たい風が火照った体を急速に冷やしていく。だがそんな冷たさを心地よく感じながら由衣は自分が持っている不安、コンプレックスなどを素直に洗いざらい言葉にしていった。哲生は由衣が全てを言い終えるまで口を挟まず、相槌を打つのみで由衣の話を最後まで聞いてくれたのだった。


「なるほどな・・・まぁ、そりゃもっともな話だ」


冷えた体を再び温めるべくお湯に浸かる由衣はその哲生の言葉に小さなため息をついた。


「一つ聞くけどさ、こと恵里ちゃんに対しては何もないわけな?」

「うん。それは納得してるし、別になにも」

「ってことは問題はシューの高校時代、とりわけ稲垣がらみか」


圭子に関する小さな嫉妬が由衣の取り越し苦労にすぎないことは由衣本人も哲生にもわかっている。だが、その気持ちもわかる哲生は湯船から上がるとお湯で温まった石の上に座り込んであぐらをかいた。


「稲垣はシューを好きだったからな・・・まぁ本人は知らないんだろうけどさ。仲は良かったし。女友達で言えば幼なじみのミカよりも近い位置にいたかもしれないな」

「・・・うん」


その言葉にうなずくが、圭子が周人を好いていたことがどうにも引っかかってしまう。誠を愛している圭子のその感情ははっきりとわかっているのだが、それでも何か釈然としないのだ。そんな由衣の気持ちを若いと思う哲生はそう思う自分が年を食ったと自分に苦笑した。


「恵里ちゃんのことを含めた全てを稲垣は知っている。恵里ちゃんの出現で失恋していながら彼女を失ったシューを励ましたこともあったそうだ。多分、当時まだ好きだったからなんだろうけどな」


哲生は当時のことを思い出しながらそう言った。圭子と一緒に下校していた周人や恵里の笑顔。そして、恵里を失って抜け殻のようになってしまった周人のことを。


「ま、それも復讐を始める前までだろうけどな。あん頃のシューはひどかったからな・・・人の話はきかない、常にとんがっていたし、この俺ですら近寄りがたかった」


その当時のことを詳しく知りたいと思う由衣がそれを口にしようとした刹那、すぐさま哲生が続きを話し始めたためにそれを飲み込んだ。


「それに稲垣はその復讐のせいで死にかけているから」

「死にかけてって・・・どうして?」

「偶然東京で出くわしてな、それを敵さんに見られていたせいで人質となった。んでビルから落とされた時に間一髪でまこっちゃんが助けてなんとか・・・・」


内容をかなり要約した話だが、由衣はその状況を思い浮かべて身震いした。


「本当に危なかったんだ・・・でもそれがきっかけであの2人は接近したわけだけどね」

「そうだったんだ・・・」


圭子は由衣に気を遣ってか、お泊りした時でも当時の話をあまりしなかった。誠と付き合ったのはデートをしてその優しさに触れたからだと聞かされている。出会いも復讐の戦いの中で偶然としか言わなかったのはそういった事情があったからなのだと理解できた。さとみも千里も復讐の戦いにおいてはほとんど何も知らなかった。だからこそ、自分もまた何も知らないふりをしたのだろう。由衣は自分の中にあった圭子への軽い嫉妬心が徐々に消えていくのを感じながらお湯をすくっては流す行為を続けるのだった。


「でも・・・私も知りたいの。みんなと同じくらい、当時のことを」

「知る必要はないよ」

「なんで!」

「知ってどうなるわけでもない。それにもし君がすべてを知っていたなら、きっとシューとは付き合えていないよ」


お湯に入るような音と重なって聞こえてきたその言葉に由衣はムッとした顔をしてみせるがもちろんそれは哲生には見えない。それに今の言葉の意味はどう考えても理解不能だ。知っていれば今よりもっと好きになれる気がしている。


「そんなことないよ!知ればきっと今よりも好きになれる!」

「どんなにあいつが恵里ちゃんを好きだったかを知ってしまって・・・嫉妬しない自信はあるかい?あいつがケンカをしていろいろな人を、それこそ何人も障害が残るぐらいまで叩きのめしたことを知っても?」

「それは・・・」

「あいつが『魔獣』って呼ばれているのはね、それこそ人間を超越した強さをもっているせいもあるけど、人間じゃない獣そのもののような暴走状態だったからでもあるんだ」


その言葉に今まで見た周人の強さを思い浮かべる。初めて自分を助けてくれたことや変異種だった大木との戦い。それにアメリカの富豪の娘アリスが誘拐されたときに戦った周人の強さを。たしかに人間とは思えない強さを持っているが、それが獣そのものかと言われればそうは思えない。確かに持っていた気や目つきは獣のようだったが本質的には強い人間だ。


「人を人と思わず叩きのめし、自分の復讐のために家族も友人も捨ててただひたすらにケンカした。純やまこっちゃん、十牙が仲間になっても信用せずに1人で東京に行ってはケンカ・・・そんなあいつを見て、好きでいられるわけがない」


今では想像できないその言葉は重く心にのしかかってくる。最初から全てを見てきた、共に戦ったからこそのその言葉は誰から聞く言葉よりも大きく、そして重かった。


「だから直接それを見た稲垣はあいつに対する恋心を失った」

「けど・・・」

「死にかけた稲垣をケアしたのはまこっちゃんで、その時シューは敵から情報を得ることを優先した。死にかけるほどの目に遭った稲垣に謝ったのはそれからなんだぜ?」

「そんな・・・そこまで?」

「今、話を聞いてそれだ・・・実際見てたら君は稲垣と同じになってただろうし、シューも君を好きにならなかっただろう。ろくに何も知らないからこそ今のあいつは普通でいられる。気付いてないかもしれないけど、稲垣や千里ちゃん、さとみちゃんに対してはあいつなりに結構気を遣ってるんだぜ?」


そう言われても思い当たる節はない。すごく普通のように見えている。


「君は今のままでいいんだ。知りたい気持ちもわかるけど、知らない事はコンプレックスじゃないよ。むしろ知らない事を良いことだと思わなきゃ」

「いいこと?」

「そう。『魔獣』の裏の部分を知らない。けど、今のシューは知っている。恵里ちゃんを好きでいた頃でもない、復讐をしていた頃でもない、俺たちの知らない今のあいつをね」

「今の周人?」

「君と出会って、君が変えたあいつをさ」


その言葉は由衣の中に温泉のものではない温かさをもたらした。


「だから自信持てよ。俺たちが知ってるあの頃のシューを変えた自分に自信をね」


そう言い終わると哲生は冷え切った体を温めるようにお湯に身を投じた。その際にまるで中年が温泉を味わうような声が響き、由衣は思わず噴き出してしまった。


「ありがとう、哲生さん」

「お礼はいいから裸を見せてよ」

「ダァメッ!」


いかにも哲生らしい返事にそう返したが、それが哲生の照れ隠しであることはわかっている。そして彼がいたから周人が復讐を遂げられたのではないかとも思えている。


「私、もうあがるね?」

「あぁ、俺はもう少しここで月を見てるよ」

「おやすみなさい」

「おやすみ」


その声がお湯から上がる音と重なり、ヒタヒタと石の上を歩く音が聞こえた後で脱衣所へ向かうために通る屋内の洗い場へと続く扉を開く音が聞こえた。それが閉じられた後、周囲は水の音以外何も聞こえ無くなった。哲生は大きく手を広げて温泉に浸かりながら夜空に浮かぶ月を見つめていた。脳裏に浮かぶのは戦いに明け暮れた日々のこと、そして、周人と恵里の笑顔だった。


由衣が温泉に行く少し前、純はさとみを深夜の散歩に連れ出していた。誠と圭子にはその旨を伝えており、なかなか2人きりで過ごせないことからそれを了承していた。寒くならないように気を配り、上着を羽織ってホテルの中庭が見渡せる場所にやってきた純はそこにある向かい合わせのソファにさとみを座らせた。こんな時間に何故こんな場所にといった疑問をもちながらも何も言わずにそこに腰掛ける。酔ったときが特別なのだとわかる優雅な座り方は純も好いているさとみのいい部分だ。純は真向かいに座り、さとみから中庭の方へと顔を向けた。低い松の木に雪が積もり、雪が石を覆っているのかそれはミニチュアサイズの雪山となってガラス張りの向こうに鎮座している。


「昨日の宴会で言われたこと、反省してる」


中庭からさとみへと視線を戻した純の言葉にさとみは激しく動揺していた。思ったよりもきついアルコールのせいでかなり酔ってしまったために暴走したことは覚えているが、細かいところは記憶が無い。ただ日ごろの不満をぶちまけていたとは圭子を通じて聞いている。


「たしかに、ここ最近は君に対して気持ちが緩んでいたし、愛情表現が足りてなかったと思う。何も言わない君に甘えていたんだろう」


その言葉に思わず赤面してしまったさとみは恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまった。それは酔っていたからとはいえ、みんなの前で純に恥をかかせるようなことをしてしまったこと、そして心の奥に持っていた不満を全て吐き出していたことに対してだ。


「ご、ごめんなさい・・・私・・・そんなつもりじゃ」

「言ってくれてよかったって思ってるよ。付き合って長いから俺もそれでいいと思っていたことを正してくれた」

「けど、何もみんなの前で言うことなかったよね・・・ゴメンね?」

「謝るのはこっちだって」


純は泣きそうなさとみに向かって優しい笑顔を見せた。高校入学からずっと好きだった2人がお互いに両想いだと気付かずに片思いを続けること1年半、『キング事件』終了時から付き合い始めて今に至っているが、昨日のさとみの言葉が純を付き合い始めた当時の気持ちに戻してくれていた。


「ゴメン。んで、これからはもうそんなこと言われないように努力する」

「私も・・・なるべくそういうのをまっすぐに伝えるようにする」

「そういや昔、周人に相談したっけな。ストーカー騒ぎのときに」

「素直な言葉の大切さをあの時知ったはずなのに・・・進歩ないね」


クスッと笑うさとみは当時のことを思い出していた。純に付きまとうストーカーによってすれ違った気持ちをお互いがそのままにしてしまい、謝るタイミングを失っていた。それを周人に相談した結果めでたく仲直りできたのだ。


「じゃぁ、一緒に進歩していこう。ずっとずっと」

「うん」

「さとみ、結婚しよう」

「え?」


話の流れ上ありえないその言葉に思わず声を失った。今、純が言った言葉を頭の中で何度も反復する。


「本当は、昨日言おうと思ってたんだけどね。昨日はいろいろ考えさせられることが多かったから。それにずっと結婚したいって思っていたから」


純は照れながらそう言った。そして真剣な表情へと変化させ、まっすぐにさとみを見やった。


「俺と結婚してください」

「うん。よろしくお願いします」


うっすら目に涙をたたえつつうなずくさとみを見た純はゆっくりと立ち上がるとさとみが座るソファの横に膝をつき、さとみの手に自分の手をそっと重ねた。


「待たせたかな?」

「ううん・・・したいなぁって思っていたけど、まだ早いような気もしてたから。でもさすがライトニングイーグルだね。仲間の誰よりも早く結婚だよ」


頬を涙が伝う中、さとみは笑ってそう言った。そんなさとみを斜めながらそっと抱きしめる。やや肌寒さを感じていた中の抱擁はいつもより温かく、そしていつもより大きな優しさと愛情に包まれているのだった。


圭子と誠は1つのベッドの上にいた。2段ベッドが2つ並行に並んでいる部屋なので下が誠と圭子、上が純とさとみという配置にしてお互いの顔が見えるように振分けていたのだった。天井も低い下のベッドの上にちょこんと座っている2人は他愛も無い会話に華を咲かせていたが、誠は昨日から気になっていることを口にしようとついに決意を固めた。


「高校の時、俺と出会う前って好きなヤツとかいなかったのか?」


今までこういう話をしたことがなかった。圭子にしてみれば誠の中学と高校時代の話を聞かされたことはある。目標もなくダラダラしていた自分が十牙と出会い、ケンカをして互いの腕を認め合った。以来、誰よりも強くなりたくてケンカや道場破りをしていた矢先に『ヤンキー狩り』の噂を聞いて『キング事件』に深く関わることとなったことを随分前に聞いている圭子だが、自分の高校時代の話は周人が絡んでくるためにあまり話さなかったのだ。


「いたけどね・・・そりゃ」

「周人かい?」


圭子が自分だけを見てくれている事は知っている。自分だけを好きでいてくれていることは知っている。だが昨日、偶然にも周人を好いていたことを聞かされてからそれが気になって仕方が無かった。自分でも小さい男だとは思うが、それは圭子を愛している何よりの証拠でもある。圭子はどう答えようか迷った挙句、ここは素直に答えることにした。


「そうね、好きだった。高校2年で一緒のクラスになって、まぁその前からミカの友達だし、仲は良かった。好きになったのは2年生になってすぐかな。でもあいつはすぐに磯崎さん、恵里ちゃんを好きになって・・・告白もしないまま、はい、おしまい」


どこか芝居がかってそう言う圭子をじっと見つめる誠の目は鋭い。


「正直つらかった・・・まぁフラれたのもそうだけど、彼女を失った彼を見るのがね。代わりになりたいとも思ったけど、変わり果てたあいつの彼女になんてなれないし、なりたくないって思った」


目を伏せながらそう言う圭子の言葉から当時の周人を思い出す。自分が戦った『ヤンキー狩り』の放つ殺気はけた違いであり、今の周人からは想像もできない悪鬼のような顔は忘れようが無い。


「彼女が生きていてもいなくても、私は失恋ね。でも、おかげでマコに会えたことは素直に感謝かな」


小さく微笑んで言うその言葉は少しだけだが誠の心の中にある氷を溶かし始めている。


「あいつには由衣ちゃんが似合ってる。ミカが言ってたけど、彼女は事件のことをあんまり詳しく知らないんだよね。だからきっとあいつを変えられたんだと思う。凄いと思うし、真似できないとも思う」


誠は今でもまだ圭子が周人に対してなんらかの気持ちを持っているのではないかと勘ぐっていた。たしかに仲はいい。しかも同級生だけあって千里やさとみよりも話しやすいのもあるだろう。そしてかつて周人に恋していたという事実が誠の中で勝手な嫉妬心を植え付けていたのだ。だが、今の圭子の言葉と表情を見てからはその嫉妬心は消えていた。


「ゴメンな、変なこと聞いて」

「いいよ別に。彼に対して気持ちがあったのは事実だしね。でも、あいつの復讐は納得できなかったけど、今ではちょっぴり感謝してる。マコに会えたから」


はにかむようにそう言う圭子をそっと抱きしめた。少し驚いたように体を硬直させた圭子だったが、すぐに力を抜いて誠の背中に自分の腕を回してみせる。


「マコがいなかったら、私は死んでたしね・・・助けてもらってマコにときめいたのもあるし」

「結構ドラマチックな出会いだったよな」


笑う誠をぎゅっと抱きしめる圭子はその温もりをさらに感じたくて胸に顔を埋めるようにした。シャンプーのいい香りが鼻をくすぐる中、誠はやや肩を動かして圭子の顔を上げさせるとお互いに黙ったまま見つめあう。そしてどちらともなく唇を重ねる2人。純とさとみにまだ帰って来るなと思いつつ何度も熱いキスを交わす2人の心もまた1つに重なりあっているのだった。


哲生が気分転換に温泉に行くと出て行ってからかれこれ3、40分は経つだろうか。暖房のせいか布団も毛布も蹴り飛ばしてしまい、浴衣もはだけて寝ているミカのそれを直しながらあくびをする千里は何を思ったのか不意にミカの大きな胸の上に手をおいてグニグニと揉み始めた。違和感からか寝返りをうって背中を向けてしまったミカを無視して揉んだ感触を確かめるように拳を握ったり開いたりしてみせる。


「うらやましいぐらいビッグな胸だ・・・」

「女同士でも、んなこと思うのかよ?」


不意に頭の上から聞こえてきた声に慌ててそちらを見上げ、恥ずかしさを隠すように睨んで見せた。十牙は2段ベッドの上から見下ろすように千里を見ている。位置的にミカの姿は見えないだろうが、一応睨みをきかせた。


「もしかして揉んだのか?」

「まさか・・・どんなもんかとつっついただけだよ」


今の言葉から自分の行為やミカの裸体を見られていなかったことにホッとした千里だが、大きくため息をつく振りをしてふぅという表情を浮かべた。ギシギシと音をたてて木で出来た階段を降りた十牙は小さなテーブルの上に置かれた自分のお茶が入ったペットボトルを手にとって一口含んだ。そのままそれを無造作に千里に差し出す。


「ありがと」


普段の千里であれば虫歯が移るだのなんだの嫌味を言ってから飲むのだが、今はそれもなくすぐに口にした。千里は真面目な顔をして自分を見ている十牙にドキドキしていた。こういった引き締まった顔の十牙がたまらなく好きなのだ。目つきも悪めでワイルド感溢れる顔立ちも千里の好みなせいだ。


「さぁて、本格的に寝るか」

「一緒に?」

「あぁん?」


何を言っているんだという問いかけを無視して千里は十牙に抱きついた。驚く十牙は哲生がいつ帰ってくるかわからない状況でこれはヤバいと感じつつも千里の背中にそっと手を回す。


「哲生が帰ってきたら冷やかし受けるぞ」

「いいじゃん別に、付き合ってるわけだし。やらしいことしてるわけでもなし」


それはそうだと思うが相手はあの哲生だ。明日みんなに尾びれ背びれをつけて話を大きくしかねない。


「それともこの間、会社の人と行ったキャバクラでやらしいことしてきたからビビってる?」


その発言にビクッと体を揺さぶった後、カチンコチンに固まってしまった十牙から離れた千里は目を細めて魔女のごとくニヤリと微笑んだ。


「どどどど、どうしてそれを!」


思いっきり自白をしてしまった十牙だったが、後の祭りだ。だが千里は笑みをそのままに十牙の頬をつねりあげていく。


「いいい、痛いって」

「あんたの行動は筒抜け」

「そういやお前は昔から俺のストーカーだったな・・・」

「あぁ、あれはそうね」


そう言うと千里はつねっていた手を放すとそれをプラプラとさせてさらににんまりと笑った。


「学生の時って好きな子がいたら後をつけたりしたでしょ?私もあんたをつけてたらたまたまそういうタイミングにでくわしただけ。まぁだからこそ運命を感じちゃったんだけどね」


小学校や中学校時代に自分が捨て犬に傘をあげたことやいじめられっ子にケンカの仕方を教えたりしていたのを知っていた千里の答えが今の言葉通りとするならば、まさにタイミングが良かったとしか思えない。


「そう言うけどな、結構周囲を探ってから俺は・・・」

「私って探偵の素質あるかもね。かくれんぼも得意だったし、それに」


そこで一旦言葉を切った千里は今度は十牙の鼻をつまんでグニグニ動かした。


「私の家の近所でするんだもん、隠れる場所とか余裕でわかるし」

「なら・・・なんでキャバクラを?」

「簡単だよ。まこっちゃんが教えてくれた」


その言葉にハッとなった十牙はキャバクラから出てきたところで偶然にも誠に会ったことを思い出した。千里には絶対内緒にしておいてやると言っておきながらのこの裏切り行為に十牙の怒りに火が灯る。


「あんのやろぉぉぉ!」

「それとね、そこのキャバクラであんたが口説いた『マリア』ちゃん、大学の時の友達であんたを知ってたの」

「え?あのマリアちゃんが?」

「千里の彼氏に口説かれちゃった!ってメール来た。帰りにまこっちゃんと会ってたとこもその子が見てたんだよねぇ」


千里は鼻から指を放すとにっこりと微笑んだ。


「あんたの胸の傷、帰ったらバツの字にしてあげる」

「・・・・・・・それシャレにならんぞ!しかしなんでこうも筒抜け?」

「悪いことはできないようになってんの!それがあんたの運命ね。私とあんたのかな?」


膝から崩れる十牙の頭をペチペチする千里は落ち込む十牙を見て優しい笑みを見せるとそっとその耳元にささやいた。


「哲生が帰ってきたらお風呂行こう。こんな時間だし、誰もいないだろうから、一緒に入ろうね!サービスしてやっから!」


その言葉にゆっくりと顔を上げた十牙に強引なキスをした千里。もはや脱力しきりの十牙は一生千里に頭が上がりそうも無い自分にショックを受けるのだった。


1時間ほどしてお風呂から帰ってきた由衣は周人を起こさないように静かな動作でドアを開け、お風呂の荷物を置いた。だが、そんな苦労も周人が起きていては意味が無い。


「お帰り。ちょっと遅いから心配した」

「わ!起きてたんだ?うん、まぁちょっとね」


そういうとベッドに腰掛けて枕元に置いてあったジュースを一口飲んだ。周人は布がこすれる音をさせながら身を起こすとベッドの上であぐらをかく。


「ちょっとって?」

「考え事。でもたいしたことないけどね」


そう言って笑う由衣を見つめる周人の表情に変化は無い。正直言ってお風呂に行くまでの由衣の様子はどこか変だったが、今はそれも感じない。お風呂でどう気持ちに整理をつけてきたかはわからないが、とにかく今は元の由衣に戻っていた。


「そっか、ならいいけど」


由衣はつぶやくようにそう言った周人にジュースを差し出して布団の中に下半身を入れていく。そんな由衣を横目にジュースを口にした周人はそのまま何も言わずに枕元にジュースを置くと自分も同じように布団の中に入った。由衣はあくびをしながら顔だけを布団から出すように調節して体をクネクネ動かし、寝るための態勢を取っていく。周人はそんな由衣を見ながら小さく微笑むと白い壁紙で覆われた天井を見上げた。横を向かないと眠れない由衣はそんな周人の横顔を見ながら嬉しそうな顔をした。


「私しか知らない周人か・・・」

「ん?」


何かをつぶやいた声は聞こえたがそれが何かまではわからなかった周人の反応に由衣は小さな笑顔を返すのみだった。


「なんでもないよ、おやすみ」

「・・・おやすみ」


さっさと目を閉じてしまった由衣にため息を漏らしてからそう答えた周人もまたゆっくりと目を閉じる。すぐに襲ってきた睡魔に2人は5分とたたずに規則正しい寝息を立てるのだった。


最終日である今日は午前中だけスキーをして昼食を取ってから移動、夕方の飛行機に乗る予定となっていた。とりあえず男性と女性とに分かれて滑るとうことで11時にレストランハウス前で待ち合わせをした2組は時間ギリギリまで目一杯最後の滑りを楽しんだのだった。予定の時間より少し早めに切り上げ、ハウスの前で雑談しているのは女性5人。5人が5人とも美人となればナンパをする者が現れても当然だろう。女性に合わせた人数5人のいかにもガラの悪そうなスノーボードウェア姿の男たちがヘラヘラした表情で近寄ってくるのを見た千里を筆頭に全員がその男たちへと顔を向けた。


「みんな可愛いねぇ・・・どう?俺らと滑らない?」

「遠慮。もう帰るとこだし、それにあんたらはスノボで私らはスキー。縁が無かったわね」


素っ気なくそう言うとひらひらと手袋で覆われた手を振った千里のその手を掴んだ男たちはたちまち5人を囲い込んだ。怯えた目をするのはさとみとミカ。睨み返す千里と由衣。そして呆れた顔をする圭子と様々だ。


「縁は作ればいいんでない?」

「そうそう。この子なんて超可愛いじゃん・・・モロ好み」


千里の肩に馴れ馴れしく手を回す男の横では由衣に詰め寄る派手な髪の色をした小柄な男がいる。だがそんな状況にあっても由衣は表情一つ変えずにただまっすぐに前を向いていた。やがてさとみとミカにも安堵の表情が浮かび、それを変だと思った男たちが由衣が見ている自分たちの背後を振り返った。そこにはスキーウェアに身を包みながら今まさにサングラスとゴーグルを外している5人の男たちがいた。


「誰?」


千里に手を回していた男の問いかけを無視した背後の男たちはナンパをしている連中を押しのけるようにそれぞれの女性の横に立った。


「彼氏」


全員が同じタイミングでそう言って睨みをきかす。同時に全身から鋭い鬼気が放出されていくのがわかった。気温の低さからではないものが背筋を凍らせる。


「消えてくれ、あんたらを殺してしまう前に」


そう言った目つきの鋭い十牙が千里から手を放した男の鼻先に顔を近づける。いつもであれば睨み返す男だが、今、目の前にいる男の眼光や鬼気は人間のものとは思えない。


「テン、やっちゃってもいいけど?」

「3秒以内に消えなかったらそうするさ」


悪鬼の笑みを鼻先で見せられながらそう言われ、男は凄まじいスピードできびすを返すと仲間を無視してさっさと斜面を滑り降りていった。あわてて仲間も逃げるように散っていく。そんな5人を見やる周人たちは顔を見合わせて笑ってみせた。


「この5人を敵に回して無事なヤツって世界でも少ないんでしょうね」


そう言う由衣の言葉に女性全員がうなずいた。


空港までバスで小一時間の行程となっており、スキーをする前にチェックアウトを済ませているホテルにある更衣室で着替えを済ませた十人は飛行機の時間を計算に入れても余裕がありすぎるのだが、女性たちがお土産を買う時間が長いことを考慮してさっさとホテルを後にした。カップル同士が隣り合う席につき雑談を交わす中、早々に眠りに落ちたのは周人と由衣のペア、そして十牙と千里のペアだった。周人と由衣は単なる疲れから眠っているのだが、十牙と千里は明け方まで温泉にいたせいで睡眠時間がほとんどなかったためだ。哲生が1時間少々の長風呂から帰ってきた後で入れ替わりに出ていった2人が戻ってきた時間を知らない同室の哲生とミカはそれほど気にとめることはなかったが、実際は誰もいない男湯に2人で一緒に入っていたことを知る者は当人以外にいない。首を落として眠る十牙から離れるように窓に頭をついて眠る千里のショットをカメラに収めた誠はそのままその真後ろの席で眠る周人と由衣へとカメラを向けた。こちらは対照的に仲睦まじく寄り添うように眠っている。由衣が周人の肩にもたれかかり、その由衣の頭に頬を当てて眠る周人。見ている方が思わず微笑んでしまうその光景をバッチリカメラに収めた誠はかつて自分が戦った頃の周人からは想像もできないこの光景に嬉しそうな顔をした。


「幸せそう」


にこやかにそう言うさとみの言葉に圭子がうなずいた。


「そりゃ幸せにならなきゃ」


恵里を失い、絶望のどん底にいた周人を知っている上に、ただその復讐だけを遂げるために獣と化していた周人も知っている圭子は寄り添うように眠る由衣の姿を見て心からの笑みを浮かべた。恵里でもない、自分でもない誰かが周人のそばにいる、それはどこかおかしく、どこか嬉しくもある。


「みぃんな、幸せになろうねぇ!」


ミカのその言葉に全員がうなずいた。その中の1人である哲生は由衣の寝顔を見ながら周人さながらの淡い微笑を口の端に浮かべてみせる。


「自信を持てよ。この広い世界の中で君にしかこいつを幸せにできないんだから」


そう心でつぶやく哲生は由衣の中にもう1つの気配を感じ取っていた。そしてそれが由衣と一緒にいる恵里だともわかっている。


「っても、2人を幸せに導く天使が傍にいるから、心配してないけどな」


苦笑混じりにそう声を出してつぶやいた哲生が窓の外に目をやれば、そこには遠くに雪の帽子をかぶった山々の連なりが雲間から差し込む太陽の光を受ける幻想的な世界が広がっているのだった。

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