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くもりのち、はれ-外伝-  作者: 夏みかん
外伝 4
7/12

冬の恋人たち 前編

この話は第十四章内で語られた仲間同士の旅行のエピソードです。

見渡す限りの銀世界が目の前に広がっていた。山の頂き付近から見下ろすその景色は対面遠くに見える雪に覆われた白い山々との間にある建物までをも白く染めていた。建物といっても麓にある4、5階建てのホテルなど宿泊施設やレストラン、お土産屋程度しかなく、あとは奥の方に見えている田畑と農村、そして所々に見える住宅マンションによる高層ビルが少々といった感じか。ここはスキー場。しかも日本でも有数の大きな施設を持った場所だった。都心部から外れた場所にある桜町にはありえない雄大な景色を目の当たりにした吾妻由衣は感嘆の吐息を白い息で表現しながらサングラスを取ってその景色を見渡した。随分上まで来たことがわかる証拠に山の中腹付近にある大きな傾斜の手間で度胸が出ずにたたずんでいるのか、はたまたリフトから上がってくる仲間を待っているのか色とりどりのスキーウェアが白い色でしかないゲレンデにカラフルな彩りを添えているのがわかる。さらにその下、初級者コースと言われる場所にも多くのスキー客、こちらは子供を連れた家族客が見えていた。雪に染まるような白いスキーウェアにはワンポイントで紫のラインが入っている。ピンクの帽子以外は白で合わせたそのスタイルで見下ろす坂は上級者が滑るほぼ直角な傾斜であり、下からでも目立つ一番の難所であった。


「由衣ちゃんも、ここ滑るのぉ?」


間延びした言い方はその人物の特徴だが、今の言い方には怯えも入っている。由衣は少し離れて後ろにいるその人物、須藤ミカを振り返ってとんでもないとばかりに大きく首を横に振った。


「景色見てるだけ・・・こんなの絶対無理だし。大体あの林間コースだって厳しいのに、こんなところまで来ちゃって」


最後は愚痴だ。自分でもそう思うその由衣の言い方にミカは小さく笑った。


「皆さん似たレベルだし、ゆっくり行きましょう」


そう言ってにこやかに微笑んだゴーグルの女性はミカの横に並ぶと手袋をはめ直した。顔はゴーグルで覆われているが、背中まである長い艶やかな黒髪がその人物を特徴付けている。


「さとみ、どうするの?」


その黒髪の女性である西原さとみはゴーグルを頭にかぶった帽子の上に追いやるようにしてリフト方向からやってきた稲垣圭子にそう声をかけられてそっちを見やった。赤いウェアのさとみは目立つだけあって目印とされることが多いが、いろんな色で飾られたウェアを着ている圭子の方がよっぽど目立っていると思うさとみは今言われた意味を理解できずに小首を傾げる仕草を見せた。長い髪が流れるように風に舞うのが美しい。


「林間コースって言っても上級者向けだよ?」

「由衣ちゃんとミカちゃんとでゆっくり行くから、圭子ちゃんは千里ちゃんと一緒に先行ってくれていいよ」

「じゃぁその間に2度は行けそうだね」


そう言いながらやや動きの遅い圭子を追い抜いてリフトからやってきた藤川千里は蛍光色の濃いオレンジをワンポイントに入れた白いウェアを着ていた。5人の女性が今から滑る林間コースの方向を見てなにやら話しているのを次々とやってくる男性客が必ず見ていくのは5人が5人とも美人だからだ。なにより分厚いウェア越しでもわかるスタイルの良さもそれを後押ししている。数人の男性軍団がナンパとばかりに声をかけようと動きを見せた矢先、その軍団を追い抜いて2人の男が先に女性たちに声をかけた。


「どっかのバカがリフトを止めてるからもう少し時間がかかるぞ」


サングラスをかけたその男性は女性の仲間らしい口調でそう言ったせいか、ナンパ目的の男性軍団は足を止めた。


「降りるたびにリフトを止めるヤツも珍しいね」


苦笑しながらそう言うもう一人の男性がゴーグルを取って目の前に広がる景色を見渡した。千里は周囲の苦笑を受けながらわなわなと肩を震わせて睨む目つきをリフトへと向ける。


「アホはほっといて行こ行こ!」


ため息をついてからそう言う千里に圭子は堪えきれずに声を出して笑い、由衣とミカは顔を見合わせて笑った。


「ホントに、ここを?」


さとみの声はどこか怖々だ。その言葉に最初にやってきたサングラスの男性、木戸周人はゴーグルをクルクル回しながら景色に見とれていた水原誠と顔を合わせた。


「まぁ、ね」

「俺はスキー得意だし、平気だけどね」


歯切れの悪い返事をした周人とは違い、誠のそれには自信が見えている。


「マコのスキーは凄いからね。あとの連中はどうせ見栄張ってるだけでしょ?」


圭子の言葉に図星を突かれた周人は苦笑した。今から上級者向け林間コースを降りていく女性陣とは違い、男性陣はさっき由衣が見ていた最高難度の傾斜を滑走することになっているのだ。誠のスキーの腕前は凄まじく、幼い頃からスキーを得意としている伯父に仕込まれたせいで本格的にやればオリンピックも夢ではないほどの技術を持っていた。


「でもさ、コースターとか苦手なのに大丈夫なの?」


由衣の言葉にさらに苦笑した周人はサングラスを外して覗き込むような格好を取りながら下など見えないほどの傾斜を見下ろした。怖さが体を突き抜けるがそれ以上に好奇心が全身を駆け抜けていくのがわかった。


「今度からはあいつを最後にしないと寒くてしゃーない」


疲れた表情をしながらやってきた佐々木哲生はそう言うと横に並ぶ形でやってきた戎純と顔を見合わせて大きなため息をついた。ここまで来るのに4度リフトを乗り降りして来たのだが、その都度降りるたびに転んではリフトを止めているはた迷惑な人物がいたのだ。その人物の後ろに並んで乗っていたせいでリフトが動き出すまで待たねばならず、寒い思いをしてきた2人はその迷惑な男である柳生十牙を振り返った。一旦スキー板を外していたせいで完全に出遅れた十牙がえっちらおっちらしながらやって来るのを見た千里はその十牙に向かって軽快に滑って近づいていく。付き合って長い2人なだけに手を差し伸べてあげるのだろうという考えなど、それを見ている8人の頭にはなかった。そして8人の想像通り、いや、想像を超える正拳突きが十牙のおでこに炸裂し、せっかく立ち上がって進んでいた十牙はその威力のせいで再び豪快に倒れこんで真新しい雪の上に自らの人型を記念に残したのだった。


今日から2泊3日でこのスキー場に旅行に来ているのは数奇な運命で巡り合った5人の男たちとその彼女だ。夏にこの旅行を計画したのは5人の彼女たちであり、男性陣は温泉があればどこでもいいと意見を挟まず、結局千里と由衣、そしてさとみとでこの場所を選んでいた。宿泊をするタワータイプのホテルには大浴場もあって、そこは天然温泉を引いていることで有名でもあった。武術をたしなむせいか男性陣はみな運動神経も抜群であり、上級者向けのコブだらけのコースもそれなりにまともな滑りで降りてしまうことから誠の提案でこの最高難度の傾斜を滑ることとなったのだった。女性陣はそれに付き合ってここまで上って来たのだが、もちろんなそんな無謀なコースを滑るわけもなく上級者向けの林間コースを降りることにしている。とはいえ、中級者レベルでも四苦八苦している由衣、ミカ、さとみはのんびり安全第一で滑ろうと団結し、上級者の域にある圭子と千里はおあつらえ向きのコースとばかりに気合が入っていた。とりあえずその傾斜を滑走する姿が見えるポイントまで降りたところで男性陣がスタートする運びとなっている。ビデオカメラを持ってきている誠だが、さすがにこの傾斜を片手で撮影しながら降りることは不可能だ。そこでかなりの腕前を持つ千里がそれらの模様を撮影することにしていた。千里と圭子は由衣たちを残して順調に滑り降り、中腹にある中級者コースの手前でスキーを止めて見上げるように山へと顔を向ける。凄まじい傾斜はここからでも見渡すことができ、その頂きには5人の姿が見えた。黒いウェアの周人を右端に薄青いウェアの哲生、オレンジを基調としたウェアの純、白に黒のラインを入れたウェアの誠、そして一番左端に紫のウェアの十牙が確認できた。他のスキー客たちも命知らずのその5人を見てなにやら話をしているのを背後に聞きながら、千里は最大望遠でその5人を撮影していった。


「なんとか姿が確認できるってところね」

「怪我しなきゃいいけど・・・」


そんなつぶやきをもらしつつ、圭子は大きく手を振って5人に合図を送った。一方、上級者林間コースの中ほどで開けた場所に出た由衣たちからも5人の姿は確認できていた。


「怪我しないかな?」

「心配だね」


ミカとさとみの言葉にうなずく由衣だが、ジェットコースターが死ぬほど苦手な周人がよくこんな所を滑り降りる気になるなと思っていた。はっきり言ってジェットコースターなど話にならないほどのスピードと恐怖をもたらすはずのその傾斜を今いかなる思いで見つめているのか。


「化け物みたいな人と平気で戦うんだし、まぁ、大丈夫かな?」


由衣の言葉に思わずうなずくさとみとミカが大きく手を振る誠の姿を見てゴクリと唾を飲み込んだ。どうやら今から滑るようだ。そして5人の姿が一斉に斜面に向かって身を躍らせた。誰も何のためらいもなく猛烈なスピードで滑り降りていく。由衣たちだけでなく、他の観衆からも大きな声が上がるほどの迫力だ。雪が5人のスキーに跳ね上げられて霧のごとく舞い上がる。コブもなんのそのの勢いで5人は時々バランスを崩しつつも倒れることなく由衣の視界からあっという間に消え去った。


「凄い!凄い!」


もはや凄いしか声に出ないさとみ、口をあけたままのミカ。そしてそのバランス感覚と超人的な反射神経、運動神経に感心する由衣は5人の姿を追うようにややスピードを上げて中級コースとの合流地点へと向かうのだった。


周人たち5人が滑り降りた後ろに雪がカーテンのように舞い上がり、風に流されていくのが幻想的だった。周囲の歓声も聞こえずにただ5人を見つめる圭子は危ない状態も見事に回避して迫り来る5人に見とれていた。千里はただ黙々とビデオを撮影している。そして最後の緩やかな、それでも中級者コース並みのその傾斜を下ってやってきた誠が圭子の真横できれいにフィニッシュを決め、次いで周人と純が横並びで、哲生がブレーキをかけそこなって千里たちより後ろで急停止した。そして一番最後にやって来た十牙が千里の手前で華麗なフィニッシュをしようと試みたがあえなく失敗、顔から雪にめり込んで止まったのだった。そんな5人の顔には爽快感が見て取れる。周囲から拍手すら巻き起こる中、十牙を起こしてあげた千里は最高の笑顔を見せた。


「テン、あんた凄いよ!」

「惚れ直しただろ?」


雪まみれの顔がニヒルに笑うのはどこか変だ。


「それはないけどリフト停止の常習犯とは思えない滑りだった!最後を除いて」


誉めているのかけなしているのか良くわからないが十牙は満足そうにふんぞり返り、残る5人は苦笑した。圭子は誠に賞賛を送ってから周人や哲生にもその興奮を言葉で伝えたのだった。


朝早くに飛行機でやって来たために早く到着した一行は昼食後に上級者コースを滑っていた。由衣たちがゆっくり時間をかけて林間コースを降りてくる間、残ったメンバーはその林間コースまでを再度上って降りていき、中級者コースとの合流地点で由衣たちとも合流したのだった。その後一旦休憩を取った後は夕方4時に今休憩した場所の前で待ち合わせとしてカップル同士で楽しむことになった。スキーの腕前は上級者レベルのカップルである誠と圭子は山を3つまたぐ形で存在しているスキー場を所狭しと滑りまくり、同等のレベルを持つ十牙と千里のカップルは中級者コースを巡っていった。純とさとみは林間コースを好んでのんびりしたペースを保ち、美女に目が行く哲生を引っ張る形でミカは同じコースを反復するように哲生をコーチとしてレベルアップに努めた。そして周人と由衣は1つの山にコースを絞り、由衣のレベルアップを兼ねながらそこから見える景色を楽しんでいた。現在の時刻は午後2時、待ち合わせの時間まではまだまだ余裕がある2人はゴンドラを乗り継いでさっき周人たちが滑走したあの最高難度の斜面が違う角度から見える山を上り、そこから見える景色を楽しみながらやや上級者向けのコースをゆっくりと降りていった。やがて山の中腹の開けた場所で景色を眺めつつ休憩を取った2人は下の方で哲生とミカのカップルを見つけて微笑みあう。浮気性で由衣やさとみにも平気でちょっかいをかける哲生だが、なんだかんだでミカと一緒にいる。基本的にこの世の美人全てが好きでいながらも心の奥底ではミカに一筋な証拠だと思う由衣は2人を見つめている周人の横顔を見やった。サングラスをかけているせいか、やや精悍に見えてしまう。いや、普段でもそうなのだろうが、その普段の周人は普通すぎてそういった面が表面に出ないのだ。それは周人を含めた男5人が5人ともそうなのかもしれない。かつて日本の裏を仕切った5人を倒した最強無敵の集団とは思えないほどの普通さがこの5人の特徴なのだろう。


「あの斜面、怖くなったの?」


今いる場所からでも見えるその斜面を滑っている者はほとんどいない。ホテルから見て真正面に位置するそこは下の方からでも見える場所であり、人々から羨望のまなざしで見られる魔の斜面だ。


「怖かったけど、楽しかった。死ぬかと思ったのが2度ほどあったけど」

「運動神経とかが人と違うんだよ、きっと」

「それはあるなぁ・・・あと命知らずなところもかな」

「だろうね」


真面目な顔をしてうなずく由衣に小さく微笑んだ周人は一瞬だけ暗い表情を見せた。夏以降、時々見せるその表情が気になっている由衣は一度だけそれについて問い掛けたことがあったのだが、周人は疲れていると答えただけで本心を語ろうとはしなかった。何かを隠しているのか、何かに悩んでいるのかはわからないが、由衣にとってもそれは一瞬のことだけにそう深く考えることは無かった。


「あの斜面が楽しいんだったら、この世に怖い物なんてないんじゃないの?」


その言葉に少し苦笑を漏らした周人は心に浮かんだある不安を表には出さずに意味ありげな笑みを浮かべて見せた。そんな顔に何かしらの予感が頭にひらめく由衣。


「お前が怖いよ」

「言うと思った!」


その言葉に笑う周人が立ち上がり、手を差し伸べて由衣を引き起こす。目の前に広がる雄大な景色が少し雲に覆われつつあるために背後の山を振り返れば濃い灰色をした雲が山頂付近を覆いつつあった。


「吹雪きそうだな。少し下を拠点に滑ろう」


その言葉にうなずく由衣もまた背後を振り返りながら少しずり下がった手袋を直すのだった。


待ち合わせの時間になる頃には吹雪のような状態になっていた。一番遅れて来た誠と圭子のペアが合流したところでスキー場からホテル裏手までの約5百メートルの距離をゆっくりと滑りながら一列となって進む一行。到着したホテル裏手でスキーについた雪を払い、裏手の通路のすぐ脇にある乾燥室に板と靴、そして手袋を置いて一息をつく。部屋は3つ取ってあり、今日は周人と由衣ペアと哲生とミカのペアで1つ、誠と圭子ペアと純とさとみのペアで1つ、そして十牙と千里のペアで1つとなっていた。これは4人部屋しか空きが無かったせいであり、部屋割りは男性陣のじゃんけんで行われた結果だった。明日は明日で部屋と同室となるペアの交換がある。とりあえず部屋に戻った一行は温泉へ行こうということになり、すぐさま着替えて入浴アイテムを用意した。このホテルには普通の大浴場と露天風呂がある。もちろん各部屋にもシャワーを主としたユニットバスが設置されているが、せっかく来たのだから温泉に入りたい。それに男性陣の要望は温泉なのだ。本当はここにカニスキを混ぜたかったのだが、さすがに山にスキーとカニの組み合わせは難しく、今回は温泉スキー旅行となっていた。夏に周人の帰省に同行した由衣はその際に圭子たちを紹介されてから友達となり、十月の連休にも周人と共にN県に行き、さとみの家で女性たちだけでのお泊りも経験するほど仲が良くなっていた。その時はこの旅行のための会議となっており、正月の休みもこの計画に当てていたほどだった。頻繁にメールのやりとりもするほどみんなと親密になった由衣だったが、たった1つだけ心に引っかかるものがあった。だが、それを口にすることを自分自身で禁じていた由衣はこの旅行においてもその誓いを守りつづけている。そんなことを知らない周人は左が男湯、右が女湯とされているT字路の前に来ていた。どうやら右奥の階段を上ったところが女湯のようだ。手を振る女性陣についていこうとする哲生を周人が、由衣についていこうとする十牙に千里が蹴りを入れ、2組は分かれたのだった。外は吹雪のまま、雪が横殴りの風を受けて白い幕のように見えている。さすがにこんな天気の状態で露天風呂に行こうという奇抜な考えはこの十人しか持ち得ていないようであり、脱衣所に他のスリッパもなければ服も無く、人の気配もなかった。吹雪の中一番に外に飛び出した十牙は風呂の周囲に積もった雪を見て身震いしながらお湯の中に飛び込んだ。冷えた体が一気に温まる。次いで純、誠、周人がゆっくりとお湯に浸かる中、肩からタオルを掛けたおっさんスタイルの哲生が鼻歌混じりに大股でやって来た。


「で、でかい・・・・・・」


十牙のそのつぶやきに自身の下半身を見てからニヤリと笑う哲生が湯船に浸かる。顔だけが冷たい雪にさらされているが、下から温まる体のおかげでその冷たさを感じることは無かった。そんな哲生が何気なしに右側を見ておもむろにお湯から出てしまう。このクソ寒いのにと全員が思う中、哲生は竹を加工して作られた高さ3メートル程の壁を入念に調べ終えた後、4人を振り返ってニタリといやらしい笑みを浮かべた。その笑みに何かを感じたのか、十牙もまたそそくさと湯船から出るとその壁へと向かっていった。なにやらヒソヒソと、そしてニヤニヤと笑う2人に嫌な予感を覚えた周人と純が顔を見合わせる。


「あれは絶対覗く気だね」


つぶやく誠が冷静にそう言い、雪のせいで冷たい顔にお湯をかけていく。その横では凄まじい勢いで純と周人が湯船を飛び出し、寒さもものともせずに竹に隙間を作ろうとしている哲生と十牙に歩み寄った。


「覗く気か?」

「あったりまえだろ?こんな状況下で覗かない方が異常だろ?」

「そうそう・・・なにより由衣ちゃんの裸を・・・・くそっ!デジカメ持ってくればよかった・・・」


取れやすい個所を探しつつそう舌打ちした十牙の肩を掴んだ周人は力任せにそこから十牙を引き剥がした。


「バカたれ!んなことさせるかよ」

「お前も他の子の裸を見ればいいじゃん」

「そういう気は無い」


そう言う周人から鬼気が発せられる。そしてそれに呼応したかのように十牙の体からも鬼気がにじみ出てきた。横では哲生の手を掴んで放さない純からも鬼気が放出されている。


「藤川の裸を見られても平気なのか?」

「由衣ちゃんの裸が見られるならな」


その言葉に素っ裸で睨み合う2人の鬼気が一気に大きくなった。哲生と純はその鬼気に我に返ったため寒さを思い出してあわてて湯船へと飛び込んだ。冷えた体に熱い温泉が痛みを与えてくる。一人落ち着いた様子の誠はゆったりと肩まで浸かりながらそこから見える雪景色を堪能していた。


「そういやぁ、おめぇとはやりあった事がなかったなぁ・・・ここで決着をつけてやるよ」

「剣が無いけどいいのか?」

「これで十分さ」


そう言って1メートル程度の長さしかない細い枯れ枝を拾い上げると右手でそれを持ちながらその先端を周人へと向けた。枝が淡い光を発しているが、それが気のせいではないことを周人は理解している。素っ裸の周人と十牙は吹き付ける雪すら気にならず、お互いのタイミングを計りあう。左の鎖骨付近から右のわき腹まで走る斬り傷がくっきりと残っている十牙は木の枝にさらなる気を込めた。そして2人が動きを見せようとしたその瞬間、竹でできた壁の向こうから聞こえてきたのは千里の声だった。


「でもサイアクだよ・・・テンと2人だけの部屋なんて。あいつ足臭いし・・・それにみんなとしゃべりたかったよ」


その言葉に一瞬にして十牙から鬼気が消え去り、力なく枯れ枝を落としてしまう。周人もまた我に返り、寒さをを感じてあわてて湯船に飛び込んだ。冷え切った手足の先がジンジンと痛みを与えてくる。


「あいつ、足臭いのか?」

「さぁ・・・気にしたことないけど」


哲生の言葉に実に冷静に返事をする誠。


「でもいいじゃん、ラブラブできるし」

「そうかもしれないけど、せっかくみんなと来てるわけだし。テンのアホは2人だけになれるって嬉しそうだけどね」

「きっとエッチする気満々だよぉ」

「でしょうね」


ミカと圭子の言葉が十牙の本心を見抜いていたせいか、十牙はガックリと肩を落としてしまった。


「まぁ、それはそれでいいんだけどね・・・でも最近のあいつは雑誌読みすぎなのかAV見すぎなのか、ウザイんだよね」


その千里の言葉にショックを受けたのか、両膝をついた十牙は両手で頭を抱えつつ声を出さない絶叫をしてみせた。湯船の4人はもはやどう声をかけていいかもわからずに止んできた吹雪から顔を守るように同じ仕草、同じタイミングで顔にお湯をかけた。


「男の人って結構独り善がりなところがあるから」


純情そうな大和撫子のさとみの言葉に純は湯船に撃沈された。両手両膝をついて冷たい石の上でうなだれる十牙、湯船に沈んだ純。残された3人にも恐怖がこみ上げてくる。


「へぇ、さとみがそんな事言うなんて意外。ウチはそういったのないなぁ・・・でも、かと言って刺激が足りないといった風でもないし」


その圭子の言葉にホッとした誠は安堵の吐息を漏らしてリラックスしてみせる。


「ウチも普通かなぁ?でもぉ、てっちゃん最近手抜きするからなぁ・・・・」


心当たりがあるのか、哲生はギクッとした動きを見せる。いまだにショックから動けない十牙をよそに、浮上してきた純を含めた3人の視線を受ける哲生は誤魔化すように灰色の空へと顔を向けた。


「手抜きって?」

「他の子をイメージしてるような感じかなぁ?あとね、すぐ終わるんだぁ・・・勝手にやって勝手に終わる感じ」

「うわ、それサイアク」


千里の言葉に女湯の全員がうなずくのが見えているかのように哲生はうつむいた後、ゆっくりと湯船に沈んだ。こいつなら今の話もありうると思える仲間の視線から逃れるためだろうが、しばらく浮上はできないだろう。


「でも由衣っちスタイルいいなぁ・・・胸もあるし、さすがはモデルさん、羨ましい」

「そうかな?千里さんも、みんなもスタイルいいよ」

「そう?最近お腹にお肉ついちゃって困ってるんだけどなぁ」


どうやら千里の言葉をきっかけに女湯からはスタイル自慢と体の触りあいが始まったようだった。想像力をかきたてられた周人、純、誠はそそくさと露天風呂にありながら洗い場だけは屋内にあるそこへと向かい、哲生はその話に聞き入っては想像力を駆使していた。そしていまだにうなだれたままの十牙がようやく湯船に飛び込んだが、冷えすぎた体に突き刺さるお湯の痛みにお湯の中で絶叫した。そしてしばらくして周人たちが体と頭を洗い終えて湯船に浸かり、入れ替わりに哲生と意気消沈した十牙が屋内へと向かった。ゆっくり湯船に浸かって空を見上げれば、星の瞬きが見えるほどに天気は回復していた。


「でもさぁ、てっちゃんとしゅうちゃん以外は付き合った人ってお互い始めてだよねぇ?」

「そうなるね」


ミカの言葉に圭子がうなずいた。どうやら千里とさとみは体を洗いに行っているようで声が聞こえない。


「千里はもう随分前から十牙くんが好きだったし、さとみも純くんと付き合うまでそういうのなかったみたいだし」


千里ともさとみとも仲のいい圭子は意外と情報通だった。男性陣のことに関してもそこから情報を得ているし、高校時代は同級生だった周人と哲生、ミカのことも良く知っている。


「あんたも哲生くん一筋でしょ?周人くんを好きにはならなかったんだ?」

「しゅうちゃんはぁ、お兄ちゃんみたいな感じかなぁ?」

「分かる気がする・・・」


ただ単にミカの精神年齢が低いせいだと思う圭子のうなずきに由衣は苦笑を漏らした。


「由衣ちゃんなんかはモテただろうに」

「まぁそれなりに・・・でも、貢がせてばかりの悪い子だったし」

「らしいね。聞いてビックリしたもん」


前回さとみの家に泊まった際にいろいろ聞いているだけに、その話は信じられなかったが周人の証言もあってそれが事実だと認識していた。そんな由衣と周人が付き合っていることが不思議な上、あの復讐に燃えていた周人を知っている圭子にしてみればその周人が今こうして彼女を作っていること自体が不思議でもあった。


「まぁ、彼はいろいろあったし私もそういう子だったから、今の状態には笑っちゃう感じ」


苦笑気味にそう言う由衣の言葉にそれを聞いていた周人もまた苦笑を漏らした。そして確かに由衣の言う通り周人の復讐を全て知っている誠もまたあの周人がこうまで変わったことが不思議な感じになっていた。復讐の過程で自分と戦い、そして仲間となってからも他人を信用しなかったあの周人の変わりようは嬉しい限りだ。


「そうね、あの頃の周人くんはもう、別人だったしね」


周人の元彼女で亡くなった磯崎恵里を知り、復讐のことも知っている圭子の言葉は何より重かった。そして彼女でありながらその頃の周人をほとんど知らない由衣は少しすねたような悲しげな表情をして見せたが、それを悟られぬよう暗くなった空を見上げた。


「実を言うとね、私さぁ、当時、周人くんのこと、好きだったんだ」


その言葉に驚きの顔を圭子に向ける由衣とお湯で遊んでいた手を止めてびっくりしているミカ。そしてわずかな壁で隔たれた場所にいる周人もまた驚きの顔をし、誠は心にズキンとした痛みを感じてしまった。誰も知らなかったその秘めたる恋心。恵里と付き合う前から周人を好きだった圭子はその恵里の出現によって失恋した。それも今となってはいい思い出になっている。


「まぁ知っての通り恵里ちゃんの出現であっけなく砕けた恋だけど、あいつ鈍かったし・・・今でもそうなんじゃない?」


笑顔でそう由衣に問う圭子からはもちろん何の未練も感じられない。圭子は誠という彼氏がおり、心から彼を愛している。だがそんな心と裏腹に誠の心は複雑な感情で満たされていた。そしてそれは由衣もまた同じだ。周人は当時を思い返し、今そう言われて初めて思い当たる節にぶち当たった。復讐を止めようとしたことや恵里を失って同級生からも嫌われてしまった自分を励ましてくれたことが鮮明に思い出される。


「鈍いですね・・・まぁ、でも要所要所はしっかり感付いてくれるから」


そう言って笑顔を見せるが、由衣は心の底から笑ってはいなかった。


湯上りでシャンプーやボディソープのいい香りを漂わす女性陣に目をハートにした哲生や十牙を冷ややかな目で見つめる純とは違い、周人と誠の表情はどこか冴えなかった。そんな様子を見て何かを感じ取ったのか、圭子は誠を気に掛けたが誠は疲れが出ているとだけ答えたのみだった。夕食は少々小さいが宴会場が割り当てられており、開始が6時半からということもあってあと30分ほど時間がある。とりあえず周人たちの部屋に集まった十人は狭い部屋ながらくつろいで雑談を繰り広げていた。そして時間となって十人は宴会場へと向かったのだが、やはり誠と周人、そして由衣の表情もどこか暗い。部屋で話をしていてもどこか変だったその3人に気付いていたのはミカと圭子だけであった。とりあえず宴会場に入った十人は向かい合わせに用意されたテーブルの上に並んだ鍋料理に歓声を上げた。海の幸や山の幸が所狭しと並べられている。カニこないものの、寄せ鍋としては申し分ないほどの質と量である。カップル同士が向かい合うように座る中、やや強引に周人の隣を陣取った十牙に閉口しながらもその前に腰掛ける千里は浴衣の裾を気にしながら優雅な振る舞いで座るさとみを見やった。女性ながらあぐらをかいている自分とは正反対な感じで正座するさとみに感心してしまう。育ちの違いをまざまざと見せつけられた千里だが、そんなことなどいちいち気にしない。それに圭子やミカも足を崩して座っているのだ。由衣も正座を崩した形で座っている。とりあえずアルコールをとビールと酎ハイ、そして20歳になって間もないせいでお酒など飲んだことがない由衣のオレンジジュースが運ばれてきたために十人は乾杯をしてこの旅の疲れをねぎらった。アルコールに弱い、というかほとんど飲めなかった十牙はこの日のために猛特訓をしてそれなりに飲めるようにはなっている。その目的は酔いと混乱に乗じて由衣とお近づきになるためだった。もちろんまだ由衣がお酒を飲めないのは承知の上だが、雰囲気に任せて少々ながら飲ませてしまおうと作戦を練ってきている。だが、そんな作戦など席についた時点で千里にばれてしまっていることに気付いていないのが悲しい。おいしい料理とアルコールで場は盛り上がり、十牙の読み通り徐々にだが席がばらけ始めてきた。そして幸いなことに周人がミカに呼ばれて由衣の前から離れていく。それを見やった十牙はニヤリとほくそ笑むと今だとばかりに由衣にお酒を勧め始めた。


「由衣ちゃん、この酎ハイなら飲めるんじゃない?甘いし」


心とは裏腹に実に真面目にそう言った十牙の横で千里の目がキラリと輝く。


「ん~・・・でも私、お酒飲んだことないし」

「俺がおかわり頼むからまず一口飲んでみてよ」

「そうですねぇ・・・」


どうしようか悩む由衣は十牙の思惑通り雰囲気にのまれてきている。あともう一押しだと思う十牙が追い討ちをかけようとした。


「まぁ、とりあえず酎ハイ頼むから、それからでもいいぜ」


そう言ってやや強引に酎ハイを追加した。早く来いとそわそわする十牙は目の前に座る千里がいやに大人しいことに気付かない。そして3分ほどして待望の酎ハイがやってきた。十牙の手元にやってきた酎ハイはオレンジをミックスした飲みやすいものだが、初めて飲むアルコールにしてはややきついだろうと思える。


「んじゃ、どうぞ」


そう言ってにこやかな表情で由衣に差し出した瞬間、それをひったくるように取った千里が一気にそれを飲み干していく。呆気に取られる十牙と由衣を無視して全て飲んでしまった千里はにこやかにグラスを十牙に返した。


「たしかに甘いけど・・・初めてのアルコールにしたらちょいキツいかなぁ?」


徐々に口調と目つきがキツくなっていく千里を見ることすらできない十牙は危険を察知してその場を離れようと動きを見せた。


「座ってろ!話がある」

「・・・・はい」


薄い目で睨まれた十牙は大人しくその場に正座した。何故普段からガラが悪く短気、そして見た目も怖そうな十牙がこうまで千里に従うのかはわからない由衣は首を傾げるしかなかった。


「ダメだよ由衣ッチも!このアホに乗せられたら!酔わせてやらしいことをしようとしてんだよ、コイツは!」

「んなことしねぇよ」


何故かいつものような勢いも無くぼそりとそう言う十牙を思いっきりきつい目で睨む千里。由衣も千里の言葉に苦笑いしつつ素直に謝った。十牙は視線を落としたまま白菜の切れ端を口に運んでこの場を切り抜ける方法を必死で考えた。だが答えはなかなか出ない。


「よくまぁ自分の彼女の前でそういう事ができるね、あんたは。哲生のバカに影響されすぎ!」

「いや、違うって・・・俺はただ純粋に」

「純粋なエロバカ!お前は最近調子に乗りすぎ!」

「なんだとこの野郎!人がおとなしくしてりゃぁ調子に乗りやがって!一回叩きのめしてやろうかぁ?あぁ?」

「こないだおもしろいもん見つけたんだ、あんたの家の納屋で」


片膝立ちになって千里を睨みつけながら大声を上げた十牙に全員が注目する中、千里の言葉に全員がその注目を千里に変える。由衣は少々怯えた感じでいたが、他のメンバーはいつものことなので静観していた。


「あぁ?何をだよ!そんなもんで俺がビビると思ってんのか?だいたい調子に乗ってるのは・・・」

「凄いねあの剣・・・ビックリしたよ、コンクリートもあっさり斬っちゃうなんてさ」


十牙の言葉が言い終わらぬうちにそう言葉を被せた千里。そしてその言葉に十牙は思い当たる節に辿り着いたのか一瞬にして顔面を蒼白にし、残った4人の男性陣は痛そうな顔をした。


「・・・・ゴメン。俺、言い過ぎたわ」


何故か素直に謝る十牙に由衣をはじめさとみもミカも、圭子も驚いた顔をしている。だが男性陣は皆それが最良の判断だと認識していた。


「でもぉ、さすがに枯れ木に気をこめた状態で石すら斬っちゃうあんたには勝てないか」


ニヤっと笑いながらそう言う千里を見つめたまま大きく唾を飲み込んだ十牙は自身の胸を走る斬り傷の痛みを鮮明に思い出して身ぶるいした。


「あ・・・いや・・・・そんなことないんじゃない?それにあれは危ないから、もう触るなよ?」


実に優しい言い方だが、声が上ずっている。


「触らないけど家に持って帰った」

「なにぃ!何をお前、勝手に!」

「今度くだらないこと企んだらあの剣であんたの大事なモノ、斬り飛ばす」


股間を指差してそうにこやかに言う千里に十牙の顔から滝のような汗が噴き出した。この千里ならやりかねないと思ったからだ。


「・・・・・・・はい」


もはや一生千里に頭が上がらないなと思う4人の男に今の会話の真意を尋ねる女性陣だったが、結局答えてはもらえず唇を尖らせるのだった。

周人と哲生がミカと圭子と話しに華を咲かせる中、千里と誠が並んで座りなにやら楽しげに会話を始める。もはやテンションガタ落ちの十牙の横に由衣が座り、その前に純とさとみがやってきた。


「ご愁傷様・・・もっとしっかり隠しておかないからこうなるんだ」


苦笑しながらの純の言葉すら聞こえていないのか、十牙はビールをチビチビ飲みながら小さなため息をついた。


「さっき言ってた剣って、この世に斬れない物がないっていう?」


夏にその剣の威力を体験している由衣の言葉に純がうなずいた。


「そう、神剣フラガラッハ。かつて『キング四天王』の一人が持っていた剣だよ」

「でもそれって一度は受け止めたんでしょう?斬れない物などない剣に斬れない物を作ったわけでしょう?」


さとみの柔らかい言い方も今の十牙にとっては苦痛だった。


「命のすべてを念にして受け止めた・・・そんなの2度もできないし」


いじけたようにそう言う十牙に苦笑するさとみと由衣だったが、純だけは真剣な顔を崩さなかった。


「まぁな・・・あんなのはもう無理だな」


当時を知り、共に戦ったからこそ言えるその言葉に由衣もさとみも顔を引き締める。純もまた自身最強の敵と戦い大怪我を負わされた相手ともう一度戦いたいとは思わない。いや、それは誠も哲生も、周人も同じだろう。そして当時入院していた純や十牙を知っているさとみもまたあの時の状態を知っているだけに今の言葉の重みを受け止めることができた。そんな面々を見る由衣はその頃のことを知らないのが自分だけだと気が付いて胸に痛みを感じてしまった。そう、ここにいる中で由衣だけが当時のことを知らないのだ。もちろんさとみや千里も詳しいことまでは知らない。だが『キング』たちとの最後の決戦を終えた状態の5人は知っている。何より恵里を失って苦しんでいる周人を知っているのだ。なのに周人の彼女である自分が当時のことを知らない。周人自体が話したがらないし、由衣にしてもそのことは聞きづらいのだ。


「今でも時々夢を見る」

「自分が殺される夢だろう?」


純にそう答える十牙は小さく笑っていた。あの時の恐怖は心の奥底に刻み込まれている。生と死を分けるギリギリの攻防を繰り広げた結果何とか勝利したが、その恐怖感は今でも深い傷跡になっているのだ。


「けど、おかげで生きているってことがどんなに素晴らしいかを実感できている、だよな?」


純の言葉に十牙は笑みをそのままにビールを飲み干した。さとみもまた今の言葉にうなずいている。お互いに好きだと想いを確認しあいながらも、最後の決戦前だったために自分たちが付き合うためには純の生還を待たねばならなかったあの苦痛と恐怖、不安はしっかりと覚えている。その表情にますます置いてけぼりを食ったような由衣は暗い表情をしながらややうつむくしかないのだった。


かなりの勢いで酒が進んでいくのも仕方が無いのかもしれない。高校時代、周人を除く全員がカップルとなり、いつか周人にも彼女ができた時には十人で旅行に行こうと計画していたことがようやく実現されたのだから。由衣は少しだけ千里から軽い酎ハイをもらって人生初のアルコールを口にした。そんな中、やがて話は女性陣から男性陣への愚痴へと移り変わっていた。その原因を作ったのはまたしても十牙である。


「だいたいね、自分の彼女の前でよくもまぁ露骨に由衣ッチにちょっかいかけられるよね、あんたは」

「それを言うならてっちゃんも一緒だよぉ」


思わぬとばっちりを受けた哲生だが、完全に無視を決め込んでビールを口にしている。一方で十牙はフラガラッハの件もあって何も言えずにうつむいたままだった。


「まぁでも、たしかに由衣ちゃんは美人だしね。他の連中も同じかもよ」


酔っているのがわかる赤い顔をした圭子がやや胸元をはだけさせながら誠の頬を突っついてそう言った。哲生は知らん顔をしながらもしっかりとその胸元へと視線を向けていた。


「そうね。純くんも事務の松本さんには凄く優しいし」


そのさとみの言葉は低く、いつもではありえないきつい口調となっていた。そのせいか男性陣はおろか女性陣もさとみの方へと顔を向けた。赤い顔に座った目、はだけた浴衣。ギリギリで下着が見えない程度であぐらをかき、ブラジャーのラインも見えかけているあられもない姿のさとみは宴会が始まった当初の姿からは想像も出来ない。


「あ、いや・・・松本さんはまだ入社して間もないから・・・それだけだよ」

「私が入った時なんてあんな優しい教え方してくれなかったぁ!」


ビシッと純を指差すさとみの迫力は千里を超えている。こんなさとみの姿は付き合っている純も初めてであり、もはやごめんなさいと謝る以外に言葉が出てこなかった。


「それにぃ!最近私に慣れすぎてサービス心足りないし、愛情が足りてない!わかってるのか?おぉ?」

「そんなことないけど、努力します」

「何がライトニングイーグルだ!お前なんかプードルだ!」


その後もさとみは純を正座させ、日ごろ溜まっていた不満をここぞとばかりにぶちまけていった。周人はそんなさとみの変わりように驚きながらも自分もまた由衣に不満を持たせてしまっているのではないかと思い、チラッと由衣の方を見やる。由衣はさとみの迫力に押されているのか目をパチパチさせているだけだ。やがてさとみは千里と協力して純だけでなく十牙や哲生にもダメ出しを始める。なだめる圭子も無視して攻めまくる2人を後目にトイレと酔い覚ましを兼ねて席を立った周人を睨んださとみだったが、周人には言うことがないのか再び純を睨みつけた。


「ご愁傷さま」


障子を閉めてからそうつぶやいた周人はまずトイレへと向かった。暖房が効いているとはいえさすがにトイレは肌寒い。熱気にまみれた宴会場で火照った体を冷やすにはちょうどよかったトイレを出た周人は宴会場の障子を出たすぐ向かい側にある窓から外の景色を見ている圭子に気付いて声をかけた。圭子もまた暑い宴会場を出て涼んでいたようで、2人は近くにあるソファに腰掛けて窓の外に見えるしんしんと降り続く雪へと顔を向けた。中ではまだ千里とさとみのタッグ攻撃が続いているようだ。


「彼女、酔うとああなるのか?」

「今まであんな風になったのなくて初めてだから私もビックリしてる」


周人と違って近い場所に住んでいる圭子ですら驚くさとみの変貌振りに苦笑するしかない。そしていつもどんな時でも清楚なさとみの意外な一面には全員が驚いているのだった。


「まぁ、リラックスした結果でしょうね。こうやってみんなで旅行に行くのが目標だったし」

「待たせちまったな」


圭子の言葉に苦笑する周人。だが圭子にしてもミカにしても、こんなに早くこの目標が達成できるとは思っていなかったのは確かだ。恵里を失った周人の状態を知っている数少ない人間である圭子にしてみれば、それこそ自分が結婚してしばらくしてからこうなるものだと思っていただけに、由衣の出現には感謝をしたいぐらいだ。


「待ったかはどうかはわかんないけど、意外に早かったとは思ってる」

「オレもだよ」


自分のことながら他人事のようにそう言うが、それが周人の本心だということはわかっている。


「正直言うとね、昔のあんたに戻っていて、ホッとしてる」


十七歳の時に好きなった周人はさりげない優しさをもっていた。誰よりも恋人に近い位置にいる女友達だと思っていた。だからこそ彼女になりたいと思っていた矢先に周人から好きな人ができたと聞かされてショックを受け、泣いた日々を送っていた。そんな夏の日、彼女を殺されて周人は変わってしまった。恋人である磯崎恵里を失ってぬけがらのようになってしまった周人がようやく立ち直りかけた時に励ました、その時学校の屋上から見た夕焼けの美しさは今でも鮮明に思い出すことが出来る。そして復讐に狂い、自分が好きだった頃の面影すら無くなってしまった周人とぶつかったことや人質に取られて殺されそうになった事も今となってはいい思い出だ。


「お前には謝っても謝りきれないほどの目に遭わせてしまったからな・・・復讐に燃えて周囲に迷惑をかけまくったが、お前もその中の1人だよ。だからお前には恨まれても仕方が無いと思ってる」


窓に映る自分の姿を見つめるようにしている周人の横顔は昔の自分を思い出して苦汁に満ちている。


「でも、それがあるから私はマコと出会えた。だから恨んでないよ」


笑顔を見せた圭子を窓越しに見た周人の口元が緩む。


「由衣ちゃんには、何も話してないんだね?」


その言葉に周人は直接圭子を見た。浮かんでいた笑みも消えて真剣な表情に変わっているが持っている雰囲気に変化は無い。


「大まかには知っている。けど、あえてそれを意識して欲しくないんだよ、あいつには。きっと知りたいんだろうけどな」

「わかってる。この間お泊りした時も聞かれたけど誰も何も言わなかった。っても千里とさとみは詳しく知らないけど」

「すまないな」

「いえいえ」


周人の言葉から由衣への愛情がはっきりと見て取れる。それに少しながらの嫉妬心を抱きつつもそんな周人を嬉しく思う。全てに絶望して心を閉ざし、何も顧みずただ復讐に走った周人を元の周人に戻したのは由衣なのだろう。だからこその愛情だとも思える。そんな2人が見詰め合う中、不意に障子が開いてそこから出てきた由衣は2人の雰囲気に何かを感じ取って胸にチクリとした痛みを感じてしまった。


「中は相変わらず?」

「今は水原さんがやられてます」

「やれやれね」


疲れたような顔をしながら立ち上がると怒声が飛び交う中へと戻っていく圭子の後ろ姿を見て笑う周人。そんな周人を睨むようにしていた由衣は小さなため息をつくとトイレに向かって歩いていった。閉じられた障子から由衣の後ろ姿へと顔を向けた周人は少し表情を曇らせた。


「もしかしたら、お前にも迷惑をかけるかもしれないな」


そうつぶやき、窓の外へと顔を向ける。既に雪は止んでいるせいか闇の中に自分の顔が映っているのがはっきりとわかる。


「『ゼロ』・・・・木戸百零きどびゃくれい・・・・・やっかい事にならないことを祈るしかないか」


夏に聞いたその名前が周人の心に影を落とす。今現在、政府の裏の仕事を請け負う『2代目キング』こと『ゼロ』の存在は脅威以外の何物でもない。『ゼロ』はおそらく大昔に同じ家から分かれた木戸流の分家である木戸無双流を操る木戸百零で間違いないとなれば、宗家を滅ぼすために存在していることからしてその宗家の継承者として、また『キング』を倒した脅威としての『魔獣』として、その戦いは避けようが無い運命なのかもしれないと思える。そうなれば一番危険な位置にいるのは由衣だ。由衣こそ周人の最大の弱点になる。


「怖いのは、お前を失う事だよ」


昼間由衣から質問を受けたことに対する本当の答えを口にした周人はトイレから戻ってくるその由衣を見てため息をついた。そんな周人を見た由衣は冷ややかな目をしながら今さっきまで圭子が座っていたソファに腰掛けた。


「圭子さんと何を話してたの?」

「いろいろだよ。昔のこととか」

「高校の時の?」

「あぁ。同級生だったしな」


そう言って浴衣の袖からタバコを取り出そうとしたが、宴会場の自分の席のところに置いてきてしまったことに気付いて渋い顔をして見せた。


「そっか」


そう言うと由衣は立ち上がり、さっさと宴会場へと入ってしまった。閉じられる障子を見つめながら自分だけが昔を知らない由衣のもどかしさを理解しつつもどうすることもできない周人は深いため息をついてから障子を開けば、2、3歩前で立ち尽くしていた由衣が慌てた様子で周人に両手で目隠しをした。


「見ちゃダメ!」

「な、なんだよ?」

「見るな!」


思わず手を払いのけようとする周人はきつい口調でそう言われてその手を止める。そんな周人にホッとした由衣は後ろを振り返って深々とため息をついた。その由衣の視線の先では他の男たちも同じように目隠しをされている。唯一それをされてない十牙がおろおろした様子で目隠しをさせている原因となっている千里を追いかけていた。


「だぁ~いサービスでぇ~す!」

「頼むからもうやめろ!」


上半身裸、下半身は下着だけの千里が舞うようにテーブルの周囲を回っている。そんな千里の後ろから浴衣を手に十牙が情けない声を出しながら追いかけているのだ。何がどうなってこうなったかはわからないが、もはや無茶苦茶の状況に疲れた顔をする女性たちは自分の彼氏にその裸体を見せないようにするのが精一杯だった。


結局宴会はそのままお開きとなって壮絶に酔っ払った千里を十牙が部屋まで運び、アルコールに強くない十牙もまたそのまま部屋から出てこなかった。翌日聞いた話だと2人ともそのまま爆睡してしまったらしい。残った8人はしばらく周人たちの部屋で雑談をしながらジュースを飲んだりしていたが、明日のスキーを考えて早い時間ながら寝ることにしたのだった。歯磨きをしてベッドに横になればアルコールと疲れからか早々に哲生と周人が弱音量のいびきをかき始める。やがて穏やかで規則正しい寝息を立て始めたミカも眠りに落ちたようで起きているのは、いや、眠れないのは由衣だけとなった。眠れない原因は周人と圭子のこと、そして周人の昔のことを知らないことだ。今までは周人の復讐に関する事柄はさほど気にはならなかった。とりわけ恵里に関して嫉妬もなければ周人が恵里のことを吹っ切れていないのではという疑念もない。ただ、こうまでそれを知るメンバーがいる中では当時の話に寄れない自分がいる。自分が知らない周人を知っているということが言い知れない嫉妬を呼び覚ましてしまうのだ。それに加えて風呂場で聞いた圭子の思わぬ告白。周人が恵里を好いていた、付き合っていたことはわかっているが圭子が周人を好きだったと聞かされた時に心で何かがひび割れるような感覚が走ったのだった。圭子には誠がいる、それはわかっているのにどうしようもない不安と嫉妬が湧きあがってきていた。その矢先に周人と圭子の2人きりの姿を見てしまい、さらなる嫉妬心が首をもたげてきていたのだ。全面的に周人を信頼しているが、何故か今はそれが儚いほどにもろくなりつつある由衣はぐらついた心のせいでなかなか眠れずに何度も寝返りをうつのだった。


翌日は雲一つ無い快晴となっていた。わずかな距離とはいえホテルからスキー場玄関口までバスで送迎してもらえるためにスキーを履いての移動と違い楽ちんだった。やや二日酔いの千里と十牙は妙に大人しく、千里に至っては昨夜のストリップ騒ぎを覚えていなかった。うなだれるようにしている2人を除き、残りの8人は元気だったのだが由衣のテンションが若干ながら低かった。そんな由衣を気にしながらも何も言わなかった周人だったが、由衣もそういう周人に対しては何も思うところはない。ただ依然として置いてけぼり感が残っているだけだ。今日は全員で林間コースを滑ったあとはコブ付きの高難度コースにチャレンジすることになっていた。そうしてそれぞれがそれぞれのパートナーを気遣い、あっというまに午前中が終わってしまった。中腹付近のレストランハウスで昼食を取りながら暖を取る十人はコブ付きのコースはまだきつかったさとみ、ミカ、由衣の体力の回復を待つために長い時間を費やし、疲れなど見えない千里と十牙、誠と圭子は早々と上級者コースへと繰り出していった。汗をかいてきたせいか十牙と千里の二日酔いも治っている。元気な4人を見送った6人はコーヒーを飲みながらこの後は6人で一緒に滑ることに決めたのだった。


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