微熱恋愛物語 後編
酒も進み、程よく酔った2人は昔話から今の話へと華を咲かせていた。そしてこれを機に、周人は理紗のことを龍馬に聞いてみようとその話題を口にしたのだった。
「ところで、転勤だけどさ、心残りとかないの?」
「別に・・・仕事ができればどこでもいい」
「宮崎さんとか、いいのか?」
「彼女とは何もない・・・」
素っ気ない言葉だったが、かすかな違和感を見抜く周人はそれで納得せず、言葉を続けた。
「彼女はお前が好きなんだと思う。お前もそうじゃないかと思っていたんだがな」
「彼女が好きなのは奥寺社長だ、俺じゃない」
「俺が聞きたいのはお前の本当の気持ちだ」
「好きじゃない・・・俺は誰も好いていない」
「宮崎さんはお前が好きだ。だがお前の気持ちがわからずに揺れている・・・そんな気がする」
「いやに彼女を理解しているじゃないか」
「彼女は俺の一番の部下だ。それに大きな借りがある」
「借り?」
「好きなら好きだと言えばいいんだ。彼女はお前の過去を含めて全て理解しているんだから」
一昨年の『アーク』による襲撃事件を期に、理紗は龍馬の過去を知っている。周人に関しても知っているし、いわば理解者に当たると言えるだろう。過去の肩書きを嫌っているのであれば、それはお門違いに他ならない。
「勝手に決めるな」
「そうかな?お前は意図的に彼女から距離を置こうとしている。それは彼女を好きな気持ちの裏返しじゃないのか?」
「うるさいよ」
「何をビビってる?」
その言葉に過敏に反応した龍馬の全身から殺気が放たれる。それは『七武装』時代と寸分変わらず鋭さを増し、周人の全身に突き刺さっていった。鋭い視線には殺意すら感じられる。それ以上言うなら殺すと言わんばかりの迫力だ。
「いいぜ、相手になってやる。お前の本心を引きずりだしてやるよ」
それを受けてか、周人はそう言うとコートを羽織り、伝票を持って席を立った。その後に殺気をそのままの龍馬が続き、店を出た2人は会話もなく近くにある大きな公園へとやってきた。さすがに寒いこの時期に人影もなく、コートとスーツの上着を木製のベンチの上に置いた周人はネクタイも取って同じようなスタイルとなった龍馬の前に立った。その距離は約3メートル。
「来い」
そう言う周人からは微塵の殺気もなければ闘気すらない。対する龍馬から放たれている殺気はさらに大きさを増していた。そしてやや低い態勢の龍馬が地を蹴った。その速さはかつてと同じと言えるものだった。その状態から突き出される蹴り。半身になってそれをかわす周人のアゴ先に凄まじい速さの蹴りが舞い上がる。だがそれすら軽々かわした周人は後方に飛んで間合いを開けるが、あっという間に追いすがる龍馬が左手で襟元を掴み、右手を出して周人の左腕を掴んだ。次の瞬間、その態勢のまま右足が跳ね上がった。上半身の動きを封じて周人のアゴを狙ったその一撃は目標の1ミリ手前を通り過ぎていく。正確には1ミリの見切りで周人が避けたのだ。そして避けながら放った膝蹴りが龍馬の腹部にヒットする。息が出来ない苦しさに顔面を殴られる痛みがプラスされ、龍馬は吹き飛んでいた。ゴロゴロと地面を転がりながらもすぐにブレーキをかけて片膝立ちになったのはさすがだ。だが周人は追いすがることをせずにその場に立っているのみだった。
「何故彼女を拒む?彼女はいい子だ。後で後悔するのはお前だぞ」
「うるさいっ!」
珍しく感情を露にした龍馬がさらに駆けようと左足に力を込めるが、さっきの膝蹴りが効いているせいか力が入らない。隙だらけの自分を見ても動こうとしない周人に怒りが込み上げてくるが、そこは冷静に相手の動きを見ることにした。相手はまさに最強であり、十三年前に『キング』を倒し、一昨年には『ゼロ』の右腕たる『ゼット』を倒している実力者なのだ。三十歳になりながらもその強さはかつてのまま、そんな周人に怯えている自分を奮い立たせながらゆっくりと立ち上がった龍馬は殺気をそのままに息を整えていくのだった。
「昔のトラウマか?」
「あぁ、そうだ」
質問に答える気などなかったのだが体力の回復のための時間稼ぎは必要だ。
「もしかしたら彼女こそがそのトラウマを克服してくれる存在かもしれないぞ?」
「知った風な口を・・・」
「オレにとってのその存在が妻だった」
その言葉に龍馬も若干ながらの興味を示す。その証拠にわずかながら殺気に揺らぎが発生したのを周人は見逃さなかった。
「恋人を亡くし、その心の傷が恋愛する心を奪っていた。誰かを好きになって彼女を忘れることが、そしてもう一度失う事が怖かった。だがな、由衣はそんなオレの心を解き放ってくれた。死んだ彼女を受け入れ、消す事もなく、オレにもう一度人を愛する心を与えてくれたんだ。だからこそ『アーク』にも勝てた」
「それが俺にとって宮崎さんだと?」
「さぁな・・・そこまでは知らん。けど、そうかもしれないという可能性はあるはずだ」
「死んだ恋人のために復讐までした男が、すぐに女あさりか?」
鼻で笑う龍馬は周人を挑発したつもりだったのだが、周人は薄い笑みを浮かべたのみで相変わらず殺気もない。『魔獣』と言われた、昔自分が戦ったあの殺気まみれの人物とはまるで違うその状態は不気味さを植え付けてくる。
「すぐってわけじゃないけどな・・・ただ、自然なままの自分でいようと思ったからだ。悲劇のヒーローにはなりたくなかったし、自分の殻に閉じこもることこそ死んだ彼女のせいにしているだけだと思ったからだ」
「お前と俺は違う」
「そりゃそうだ。過去のトラウマから抜け出せず適当なお前と一緒のわけがないだろう?」
「ほざけぇ!」
罵られた龍馬が感情に任せて一気に走り、拳と脚を絡めた凄まじい攻撃を放ってきた。しかし乱舞するその攻撃が周人には当たらない。全て寸前でかわされるか受け流されてしまっているのだ。自分の腕が落ちたとは思えない。確かに昔に比べて弱くなったが、それでも十分強いとの自負があった。だがこの実力差はなんだ。ろくなトレーニングもしていないはずの周人がこまめに体を鍛えている自分を超えているというのか。しかも相手は殺気もない、『魔獣』ではないのだ。
「女なんてもんはなぁ!みんな自分勝手でわがままで・・・男の価値をふざけた目でしか見ていねぇ!」
周人に対する苛立ちが本心をさらけ出させた。突き出された両拳を掴み、蹴りを出させぬように足を牽制する周人はその言葉に口の端を吊り上げつつ押してくる龍馬に負けじと力比べを挑んだ。
「俺が自分を好きになるかを賭け、仲間たちと影で笑っていた。それでも俺は彼女が好きで、一緒にいられるだけでよかった。なのに、あの女は簡単に俺を裏切った!いや、俺という存在を道具としたんだ!」
高校一年の春、入学したての龍馬はクラスで一番可愛い渡辺英子から告白をされ、戸惑いながらも付き合った。何故クラス一の美少女がそう面識もない自分を好きになったのか分からなかったが、真面目だった龍馬は英子にのめりこんでいった。全てが初めての経験だった龍馬は彼女のために何でもしてきた。そして半年が経った頃、その日は用事があると言われていた英子が見知らぬ男と歩いている場面に遭遇してしまったのだ。かなり親密そうな2人は常に寄り添い、触れ合い、挙句には人目を気にせずキスまでしていた。怒りに身を震わせた龍馬はすぐにその場で彼女を問い詰めた。そこで彼女は驚くべき言葉を発したのだ。友達と賭けをし、真面目で硬派な龍馬が自分と付き合うかどうかを競ったのだ。結局龍馬はそれを知らずに彼女に惚れこんで付き合ったわけだが、実際はその後も何回目でキスをするか等まで細かく賭けていたのだった。全て英子たちに遊ばれていた龍馬は怒りに身を任せて英子を殴り、怒った本命の彼氏にも暴行して退学となったのだった。その直後に『七武装』となった龍馬だが、近づいてくる女は皆その地位に寄ってくる者ばかりで本当の愛情など微塵も感じることはなかった。金、権力に群がり、その肩書きを愛していた女しか知らない龍馬は『キング王国』の崩壊に伴ってその肩書きを捨てたのだが、その後も女性とは距離を置くことを心がけていた。女ほど信用できないものはないとして。
「所詮は肩書きや金に群がるのさ・・・女が好きなのは目に見えるものなのさ!」
そう叫びながら強引に蹴りを放ち、周人から離れるように間合いを取った。
「じゃあ、なんで宮崎さんとはデートできた?」
相変わらず追って来ない周人の言葉がさらなる苛立ちを与えてくる。殺気の欠片もない周人は『魔獣』と呼ばれていたことが夢であったかのような状態なのだ。龍馬にしてみればそんな周人に封印していた『龍王』の力をもってしてもダメージを与えられないことが屈辱に他ならない。
「彼女ならば、と思ったからじゃないのか?」
「うるさいっ!」
低い態勢の龍馬が駆ける。これまでで最高のスピードで間合いを詰めて周人の足を薙ぎにかかる。そして予想通り周人はそれを避けるために両足でジャンプした。空中では身動きが取れないこのチャンスにもう片方の足が垂直に舞い上がる。その蹴りの速度は凄まじく、周人のアゴを蹴りぬく、はずだった。だが実際は周人の右腕でその足の軌道を変えられてしまい、バランスを崩してしまったのだ。そんな龍馬の顔面に蹴りを見舞う周人。逆立ちの状態で、しかもバランスを崩している体勢では避けようがない。とっさに両腕を交差させてその蹴りをブロックした龍馬は再び大きく吹き飛びながらも地面を転がって受身を取った。ここでも周人は追い討ちをかけず、その場に立っているのみだ。
「以前の、入社したての彼女はそれこそお前が言った女性と同じだった。だが、今は違う。彼女はもうそういう目では男を見ない」
「何故それが言い切れる?」
「お前にもわかっているはずだろう?彼女に触れて、彼女と接して気付いただろう?」
「うるさい!」
「何故逃げる?それなら何故彼女にはっきり言ってやらない?何故彼女を振り回す?それがお前の望みか?それがお前の本心か?」
「うるさいっ!一緒さ!彼女も、結局は!そんな女どもと一緒なんだぁっ!」
叫ぶ龍馬が軸足に力を入れた刹那、一気に間合いを詰めてきた周人が眼前に迫る。迎え撃つ態勢の龍馬の足下付近に大きく踏み出した右足が地面にめり込む勢いで叩きつけられ、その勢いを利用した右拳が大きく背中から回されて振り下ろされるのを見ていることしかできなかった。それは十三年前に見た光景と同じでもある。
「このバカ野郎がぁっ!」
言葉と衝撃が重なった。腹部に叩きつけられた拳に全身が揺れた。内臓が、脳が揺さぶられて呼吸を奪い、意識を奪っていく。成す統べなく吹き飛んだ龍馬は糸の切れた凧のように力なく地面を転がり、惰性を受けて止まったのは周人から5メートルほど離れた場所だった。血と砂の味が口の中でしている。十三年前に受けた衝撃と同じだが、違っていたのはそれが意識を奪い去ったか否かだ。朦朧としながらも意識は有り、その証拠に口の中の味を自覚している。それが周人の力の衰えなのか、手加減をしたかはわからないが、どちらにしても意識がある分苦痛にさいなまれることとなっていた。
「トラウマは自分で克服するものかもしれない。でもな、誰かの手を借りるのも一つの方法だ。オレにとって妻がそうだったように」
土を踏みしめる音を響かせながら近づいてくるその言葉に、龍馬は何も返せなかった。
「『ゼロ』を倒しに行く少し前に、宮崎さんはオレを好きだと言ってくれた。オレには由衣しかいないと知っていながら、ウジウジしていたオレに心からの激励をくれたんだ。あの子も昔、男にひどい目に遭わされてきた。ランク付けをされた上であっさり捨てられた屈辱の中で男を容姿とお金で選んでいたんだ」
その言葉に龍馬の意識がはっきりとした。自分と似たような境遇を持っていたとは知らなかったせいか、理紗に対してすまない気持ちがジワジワとこみ上げてくるのを認識していた。
「だけどな、それこそ間違いだと気付いたんだ。その男に対する復讐はそんなものが基準でない本物の愛情を得て、そして与えることだと気付いたんだ。だから今の彼女は輝いている。オレはそんな彼女を尊敬しているし、信頼している」
「な・・・何故・・・気付いたんだ?」
「自分で聞け」
そう言い放つと、周人は上着を置いているベンチへと向かって歩いていった。龍馬は吐き気を我慢しながら土まみれの体を起こし、あぐらをかいて座りつつも腹部の激痛に耐えるのだった。
「彼女には恩がある。だから彼女には幸せになってほしい。そのためにお前を殴った・・・彼女が好きなのは、そんなバカな考えのお前だからだ」
そう言い残し、周人は去っていった。龍馬は痛み以外の何かによってその場を動けずにうつむくしかなかった。その龍馬の頬を、涙が伝っていったのはそれから5分後のことだった。
飲み会だと言っていた夫の帰りがいやに早かったせいか、リビングのソファに横になりながらテレビドラマを見つつせんべいを頬張っていた由衣は自分の時間を阻害された感じがしながらも笑顔で周人を出迎えた。
「おかえり、早かったね・・・・あれ、ネクタイは?」
「ただいま。店が暑かったんで外したんだ」
実際は公園で着け直すのが面倒だったのだが、ケンカしたことは内緒なためにそれは言えない。
「ふぅん・・・・・・・・・・・・・浮気?」
「結婚半年でそんな度胸はないよ」
「3年ぐらいしたら度胸がつくって発言みたい」
その言葉に苦笑しつつ、自分のクローゼットにスーツとコートを掛けていった。
「お風呂まだだよ。今から沸かそうと思ってたから」
「なら一緒に入るか?」
「イヤ・・・熱いもん」
おおよそ新婚とは思えぬ返事にまたまた苦笑する周人だったが、これが由衣なのだと思える言葉だと感じていた。
「お前に会えて良かったよ」
突然のその言葉にリビングに戻りかけた由衣の足が止まる。振り返るその表情は曇っており、何を思って周人がそう言ったかわからないといった風だ。
「・・・・やっぱ浮気してきたでしょ?」
「あのなぁ・・・」
目を細めてそう言う妻の言葉にガックリしながらも自然と笑みがこぼれてしまう。そしてそんな夫を見て微笑む由衣。お互いがお互いに出会えた喜びを噛み締め、結婚できた幸せを思う。
「しゃーない、一緒に入ってあげるよ」
「え?」
「お風呂・・・そうまでゴマすられたんじゃ仕方ない」
その言葉に苦笑した周人だったが、すぐにそれを笑顔に変えるのだった。
翌日は土曜日だったが、納期が迫っている仕事の打ち合わせのために出勤していた周人は先に来ていた理紗を見て驚いた顔をしてみせた。今日は自分以外の出勤はないと思っていたのがその理由であり、龍馬を含めた主要メンバーの出勤は聞いていなかったからだ。
「おはようございます」
「おはよう・・・出勤だったんだ?」
「はい。里中さんの引継ぎ関係を整理しておきたくて」
その言葉に納得した周人はつい先日引継ぎの取り纏めを頼んだことをすっかり忘れていたのだった。打ち合わせまだあとまだ四十分はあるためにのんびりくつろぐ周人を横目で見ながら、理紗は打ち込み作業に没頭していった。
「昨日、里中と飲みに行ったんだ」
不意にそう言われて手を止めた理紗は椅子ごと周人の方へと体を向けた。
「あいつの本心を聞きたかったんでな」
「本心・・・って?」
何故か心臓がドキドキと早打つ。自分にそう言うことからして、それがどういう意味合いをもつのかが理解できたせいだ。
「何故君とだけデートできたのか・・・ってさ」
その言葉に思わず赤面してしまった理紗に向かってニンマリ微笑んだ周人だったが、すぐにその顔を真剣なものに戻した。
「本当はわかっているはずなのに、いろいろと言い訳して逃げやがる」
「で・・・・どうなったんですか?」
理由が知りたい理紗はますます胸をドキドキさせながらも回答をせかした。そこは是が非でも聞いておきたいのだ。
「結局最後までわけわからんこと言うもんでな、腹立つからぶっとばしてやった」
その言葉に目を丸くする。結局何もわからないじゃないかと思って唇を尖らせる理紗だったが、今の台詞を以前にも聞いたことを思い出して膨れっ面を苦笑に変えた。そんな表情を見て周人が不思議そうな顔をする。
「前に『ミレニアム』で青空と出くわした時もそう言いましたよね?」
「あぁ、そうだっけかな?」
「木戸さんは私の悩みの種をぶっとばしてくれる王子様なのかな?」
クスクスと笑う理紗を可愛いと思う周人は、彼女の幸せを心底願って止まない。恩人であり、由衣という存在を知りながらも自分を好いてくれたことに関する感謝の気持ちがそうさせているし、何より彼女には仕事の上でも世話になっている。
「で、どうするんだい?里中か、奥寺さんか」
「わかりません・・・でも、今日、奥寺さんと食事するんですが、もうその時に決めようかと思ってます。前に決めるつもりだったんですが、いろいろあって・・・」
やや伏せ目がちにそう言う理紗の心情を察する周人はそうかとしか言えず黙り込んでしまった。理紗も里中の転勤話のせいか、奥寺とちゃんとしたデートをする意思を示せないでいたせいで表情も暗い。
「でも、私が里中さん好きなの、バレバレ?」
自嘲気味にそう言う理紗に淡い微笑を浮かべる周人。その笑みに思わず赤面してしまった理紗はそれを誤魔化すようにうつむくしかなかった。
「里中を見る目が優しいし、感情がこもってた。一昨年の事件もあるし・・・それに2人は似てるから」
「そっか・・・・まぁ、木戸さんならバレてもいいけど」
「そりゃどうも。でも、自分に嘘をつくことなく決めることだ。でないと後悔するからね」
かつての自分をそこに重ねてそう言う。塾で講師のバイトをしていた時に由衣か、恵かを巡って揺れていたあの頃の自分を重ねて。
「わかりました。でも里中さんを選んでも超長距離恋愛ですよ?それも相手次第ですけど」
「どうあれ君の本心が選ぶ相手だ。まずはそこからさ」
その言葉を胸に刻む理紗はその心遣いに感謝し、はいと元気よく返事をする。たとえどういう判断を下そうとも絶対に後悔だけはしないと決めた理紗はその日の業務をてきぱきとこなしていくのだった。
定時まで働いた周人は会社の前で待ち合わせをしている理紗に激励の言葉を投げて会社を後にした。昨日の龍馬とのやりとりが気になりつつもまずは自分の気持ちの整理が先だ。そう気合を入れる理紗の目の前で白い車が停車した。
「お待たせしましたね」
「いえ、今出てきたところです」
そう言いながら助手席に乗り込んだ理紗はシートベルトを締め、それを確認してからゆっくりと車を進める奥寺の気配りにいつもながら感心する。今日は日本料理のお店、料亭のような外観をした場所となっており、座敷の落ち着いた雰囲気を持っているそこが目当ての店だった。その雰囲気のせいかやや緊張してしまった理紗にきさくに声をかけ、面白い話で場を和ます奥寺をさすがだと思いながら、美味しい料理に舌鼓を打つのだった。退屈させないような面白い話、気配り、どれを取っても龍馬は遠く及ばない。そしてこんな時でも龍馬と比べてしまう自分に戸惑う理紗。
『あいつの本心が聞きたかったんでな』
不意に心に響くその言葉。本心とはなんなのか。
『本当はわかっているはずなのに、いろいろと言い訳して逃げやがる』
本当はわかっている心、だが言い訳するという意味。
『ぶっとばしてやった』
パズルのように頭に浮かぶ昼間周人が言った言葉。
「宮崎さん?」
その奥寺の言葉に我に返った理紗は呆けていた自分に赤面しながら、まっすぐな目を向けている奥寺に向かって目をあわせた。
「私はあなたを好いています。できましたら、結婚を前提としたお付き合いをしたいと思っているのです」
照れながらもはっきりとそう言いきった奥寺を凄いと思え、かっこよく見える。この人ならば自分を大切にし、幸せにしてくれるだろうと言えるだろう。お金もあり、地位もある。何より優しく、一緒にいても楽しい。気配りも出来、男として最高、それこそ上の上と言えるだろう。かつて周人に恋していた自分が性格上全く正反対と言える龍馬を好きになった。だが、周人とどこか似ている奥寺の方が自分に合っているのではないか。確かに今は奥寺を男性として深く意識していない。だが、この人とならば温かい家庭を築けるのではないかと本気で思える。
「返事、聞かせていただけますか?」
不安げにそう言う奥寺を見ることが出来ない。理紗は胸が締め付けられる想いをしながら、イエスの返事をしようと心に決めた。
『自分に嘘をつくことなく決めることだ。でないと後悔するからね』
周人の言葉と顔が頭に浮かんだのはその直後だった。
『どうあれ君の本心が選ぶ相手だ』
本心。その言葉が理紗の中の何かを刺激した。そしてはっきりと自覚をした。今、自分が好きなのは誰なのかを。想いが少しでもある中でこの人の想いを受け止めて後悔がないと言えるのか。この誠実な人の想いを受け止めるに、自分はふさわしいのかを。たとえ相手がどう思おうとも、自分の気持ちは宙ぶらりんのままでいいのかを。
「私を好きになってくれたこと、凄く嬉しいです。でも、ごめんなさい・・・お付き合い、できません」
理紗ははっきりとそう言いきった。きっとこの選択は間違っていると言われるだろう。誰がどう見ても龍馬より奥寺の方が幸せにしてくれると思える。だが、自分が好きな人は龍馬なのだ。さりげない優しさに惹かれた、ただそれだけの理由なのかもしれない。それでも無口で無表情で無愛想な龍馬を好きになったのだ。嫌いになったと言いたいが、心の奥底では好きなのだ。
「私には好きな人がいます・・・いえ、好きだった、はずなんです。でも・・・やっぱり私はその人が好きだから、そう気付いたから、だからごめんなさい」
やや沈黙が流れ、重苦しい空気が部屋を満たしていく。だが、そんな空気もすぐに掻き消えた。いや、正確には奥寺が消したのだ。
「わかっていました・・・わかっていての告白です」
「え?」
意外な言葉に理紗は目を丸くした。
「いつでもあなたの心の奥に、誰かがいました。最初は木戸さんかと思いましたが」
苦笑混じりにそう言う奥寺に対して呆気に取られたままの理紗はどう返事をしていいかわからずうろたえるだけだった。
「でも、木戸さんじゃなかった・・・木戸さんだったら結婚していますし、消してしまう自信はあった。けど、そうでないなら、無理です」
「奥寺さん・・・」
「あなたは妥協をしない人だ。仕事の上でもね。だから私はあなたに惹かれた。そしてフラれた、ただそれだけです」
淡々とそう言い、お茶を口にした。やはりこの人は懐が深く、優しい。そんな人をフった自分は大馬鹿者だと思える。
「私はバカです・・・あなたのような人をフッて・・・・・私は・・・・」
理紗の目から涙がこぼれる。両手で顔を覆い、身を震わせて泣く理紗に近づいた奥寺はそっとハンカチを差し出した。そんな奥寺を見てどうしていいかわからず、理紗は涙をそのままに困った顔をするしかなかった。
「せめて涙ぐらいは拭かせてください。好きな人が泣いている姿は見たくないですから」
どこまでも紳士的な奥寺に感謝しつつハンカチを受け取った理紗はしばらくの間感情に任せて泣きつづけ、そんな理紗のそばで何も言わずにたたずむ奥寺だった。
その後、龍馬は転勤の手続きやフランス語の講座研修などに時間を取られて出社することが少なくなっていた。結局龍馬を選んでおきながら自分の気持ちを口にする機会がない理紗はヤキモキした中で多忙な業務に追われる毎日。そんな理紗を見やる周人も何かと気に掛けながらもどうすることもできず、こちらもヤキモキした日々を送っていた。そして二月十四日、龍馬の壮行会兼送別会に当てられている日がやってきた。明日にはもうフランスへ出発となり、顔を合わすのは今日しかない。前の職場の人間なども集まり、総勢六十人からなるメンバーでの送別会は異例とも言えるが、それだけ龍馬に人望があったということだ。女性には素っ気なかったが女性も多く参加し、名残を惜しんだ。理紗はほとんどを周人のそばで過ごし、龍馬には近づけない状態に遭っていた。ひっきりなしに龍馬のそばに人が集まっているせいがその理由だが、本当は2人きりになれるタイミングを計っているからだった。フランスへ行く直前に告白をしても仕方がないが、とにかく自分の気持ちをはっきりと伝えておきたいのだ。開始から一時間が経過してもなかなかチャンスがない中、部外者に近い位置にいながらこの会に参加していた遠藤が暗い表情のまま近づいてきたために周人は苦々しい表情を浮かべ、理紗はそんな周人に苦笑した。
「よう」
トーンが低い遠藤に表情を曇らせるが、いつものキザったらしい態度よりは幾分ましだと思える。
「えらく暗いな・・・お前も転勤か?」
皮肉を込めた言葉だが、珍しく反応がない。
「転勤したいよ・・・アンドロメダかどこかへ」
「笑えん冗談だな」
「・・・彼女が妊娠したらしい」
「どの彼女?妹か?」
「アホ・・・妹のことを彼女と言うか?違う、相楽さんだ」
「あぁ・・・相楽さんね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・に、妊娠?」
思わず大声をあげたのは周人だけでなく理紗もだ。そのせいか周囲の注目を浴びたがすぐに何もなかったように振舞ってその目を誤魔化した。
「遠藤さん、あの子と付き合ってたんですか?」
「いや・・・ことあるごとに呼び出されては飯をおごらされていた・・・あれこれ貢がされていた。都度誘われるままに関係もしていたんだ・・・とにかく彼女に誘われるまま。利用していたつもりだったから気をつけていたんだ・・・・なのに!」
泣きそうになりながらそう言い、ガックリと肩を落とす。あまりのことに引きつった顔しか出来ない周人はどう声をかけていいかわからずにうろたえるしかなかった。
「あんな全然タイプじゃない子が・・・それを理由に結婚迫られるし・・・でも間違いなく俺の子供だって言うし、思いっきり心当たりあるし・・・ううぅ」
そう言って遠藤は説明を始めた。3ヶ月前、ひどく酔っていながらもいつものように誘われるままホテルへ向かった。行為の後、避妊具が破れていることに気付いたがはやねは安全日だから大丈夫と笑っていたこともあり、遠藤自体もその言葉を信じて安心しきっていたのだ。だがそれが原因で妊娠した。
「まぁ、あれだな・・・」
そこで一旦言葉を切ったが、笑える理由だけにどう言っていいかを考える。
「いい父親になれよ!」
「なりたくねーよ!」
「・・・サイテーな発言ですよ、それ」
理紗からの冷たい視線に泣きそうになりながら、遠藤は周人につきまとった。こんなことなら池谷工場にいた時に理紗と付き合っていればよかったと後悔ばかりが襲う遠藤は逃げる周人に追いすがる。結局送別会でありながら龍馬に近づけず遠藤の慰めをすることになった周人を残し、理紗は誰かと談笑している龍馬にゆっくりと歩み寄っていった。そんな理紗に気付いた龍馬は片手を挙げ、理紗は小さいながらも微笑んでみせた。
「ちょっと暑いな、ここは・・・出ないか?」
そう言って龍馬は戸惑う理紗を会場となっている大広間から連れ出した。ホテルの大広間を借りてくれた飯島課長に感謝したのはこのホテルには小さなラウンジが各階に設けられているからだった。人のいないラウンジのソファに腰掛けた2人は大きな窓から見える夜景に目をやりながらお互いに話を切り出すタイミングを計っていた。
「明日、何時の飛行機なんですか?」
理紗から切り出した会話だったが、龍馬はいつになく穏やかな雰囲気で理紗の方に顔を向けた。
「朝8時だ、だから見送りは無しさ」
「そうですか・・・頑張って下さい。大きなプロジェクトを任されると聞いています。里中さんなら大丈夫だとは思いますが」
「ありがとう」
相変わらず感情のない口調だったが、理紗にはどこか温かみを感じる言葉に聞こえた。
「木戸さんに聞きました・・・ケンカしたそうですね?」
「ん?・・・・あぁ、ちょっとね」
そう言われてその時のことを思い出した龍馬は苦笑を見せながらそう言った。あの一件以来、研修だ何だで周人ともろくに話をしていない。
「2人がケンカするところなんて想像もできないから、見たかった」
その言葉に苦笑した龍馬はあの時言われた周人の言葉を思い出しつつ、目の前に座る理紗を見つめた。フランスへ行けばもう会うことはないだろう。龍馬は自分の心が揺れ動くのを感じながらもどうしていいかわからずにうつむくしかなかった。
「これ、餞別です。今日はバレンタインデーだし、チョコレートですけど」
赤い包みをバッグから取り出し、丁寧な手つきで差し出す。龍馬は困ったような顔をしながらもそれを受け取ると、まじまじとそれを見つめた。手の平大の小さな物だが、龍馬には大きく感じられた。
「ありがとう」
そうお礼の言葉を言い、見つめ合う。しばらくの沈黙の後、2人が同時に口を開きかけた時に不意に遠くで龍馬を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい!主賓!早く来い!」
「あ、はい!」
呼ばれた龍馬はゆっくり立ち上がり、理紗もまたそれに続いて立ち上がった。急かすように大きく手を振る男に向かって小走りで去っていく龍馬の後ろ姿と、正面からゆっくりとした足取りでやってくる周人が交差する。目を合わせることも言葉を交わすこともなく2人はすれ違い、龍馬は広間に消え、周人が理紗の横に立った。
「言えたのかい?」
優しいその口調にどこかホッとしつつ、理紗は小さくかぶりを振った。
「そうか・・・」
「せっかく木戸さんがあれこれ気を回してくれたのに・・・すみません」
「いや」
その言葉を聞いた瞬間、理紗は周人の胸に飛び込んでいた。突然のことに驚きながらも、震えるその肩を抱いてあげる。
「君は頑張ったよ。それにまだチャンスはある」
「もういいです・・・・きっと、これが運命なんです。だからそれを受け止めます。今、ここで告白できなかったら、あきらめようって思ってたから」
震える声でしっかりそう言った理紗を優しく抱きしめてやる。ここで告白しなくては何のために奥寺の告白を断ったのかわからない。だが、理紗はそう決めていたのだった。
「・・・もし彼が君にとって本当に運命の人なら、絶対また会える。経験者が言うんだ、間違いないよ」
その言葉に、周人の胸に顔を埋めたままの理紗はうなずき、そして泣いた。確かにチャンスはまだある。だが、もしフランスに行く直前の彼に告白して想いが通じ合ったとして、それはそれで嬉しいながらも寂しさもまた大きくなってしまうのだ。付き合ってすぐに離れ離れになってしまう。それに明日の旅立ちに見送りをしても、どっちにしろ余計につらくなるだけだ。
「時々、神様は酷く残酷なことをしやがる」
胸の中の理紗にそうつぶやく周人は窓の外に見える満月へと顔を向けた。かつてこの世の全てを恨み、神すら殺してやりたいと思った時期があった。だが、今は違う。神は信じないが運命は信じている。だからこそ自分は由衣と出会い、恋をして結婚した。ならば、この理紗にも同じことが待っているのではないかと思える。それは自分勝手な解釈だとわかっているし、理紗に対する慰めだとも認識している。それでも、月に願いを込める周人は胸の中で泣きじゃくる理紗の幸せを祈りながらこの別れの先に再会があると信じているのだった。
壮行会兼送別会は二次会まで行なわれたが、周人は遠藤に捕まったせいで二次会を辞退して愚痴の聞き手に回るために居酒屋に向かい、理紗は帰路へとついていた。真夜中を回った頃に自宅に帰りついた龍馬は疲れからベッドに倒れこみ、そのまましばらくその心地よさに酔いながらも身を起こした。たくさんの餞別と激励の言葉をもらい、自分がいろいろな人の役に立っていたとの充実感を得る。その昔『七武装』と呼ばれていた頃には想像もできないことに苦笑しながら、その中から理紗がくれた赤い包みのチョコレートを手に取った。結局、自分の中で彼女が特別だと認識しながらもそれが恋なのかどうかを自覚することがなく終わってしまった。それを確かめるべくもう一度彼女と向き合おうにも自分は遠いフランスの空だ。ゆっくりと、丁寧に包装を解いていく龍馬は白い箱の中に入っているハートの形をしたチョコレートを取り出した。柔らかい笑みを浮かべつつ、一口噛んでみる。甘いものが苦手な自分を知っていたかのように、甘さを控えたそのチョコレートは自分にあっていると言えよう。全てを食べ終え、包みを丁寧に畳んでいたその時、小さな紙切れが床に落ちた。それを拾い上げた龍馬はそこに書かれていた文字を見て胸の中の何かがうずくような感覚に襲われるのだった。
『少しの間でしたが楽しかったです。向こうでもお体に気をつけて頑張って下さい』
その言葉が胸に突き刺さる。龍馬は何十回、何百回とそのメモを見た。何度も理紗に連絡を取ろうと考えた。だが、その言葉に隠れた理紗の気持ちを知り、荷物の中にそれを入れてからシャワーを浴びに浴室へと向かったのだった。
「おはようございます」
「おはよう」
エレベーターホールで鉢合わせするのはほぼ毎日だ。理紗は眠そうな周人に苦笑しつつ昨日のお礼を言った。周人の胸で泣いたことは恥ずかしいが、相手が周人なだけにそれはそれで満足だった。
「眠そうですね?」
「あのできちゃったバカのせいでな・・・」
「遠藤さん、どうするんでしょう?」
「結婚しかないだろう?本社のド偉い主任さんが逃げたら大問題だよ。ま、できちゃった結婚だし、その理由も相当かっこ悪いけどな」
その言葉にクスクス笑う理紗がいつも通りなことにどこかホッとしながらも、龍馬のことを話題に出すのは控えるよう心がけていた。だが、それも無駄に終わる。
「里中さん、もう空の上ですね?」
「ん?ん~、そうだねぇ」
自分からそう言い、どこか遠慮しているような周人を牽制したのだ。
「午前中の会議で寝てたらペンで刺しますから」
「・・・覚えておきます」
いつもの理紗に苦笑した周人は、そんな理紗の幸せを心から願う。そんなことしかできない自分だが、それこそが自分の役目だと決めた周人は理紗を常に気にかけたせいか半年後には不倫の噂を立てられて困ってしまうことになるのだった。
そして、龍馬がフランスに発ってから2年半の歳月が流れた。
2年間にわたるプロジェクトを成功させた龍馬の実績は日本でも高く評価され、社長賞を受賞、並びにフランス政府からも大きな賞賛を浴びることになった。環境を考えたハイブリッドカーの立案から基礎設計までをこなし、従来のエンジン車の特製だった高馬力に関する問題も水素エンジンの開発で負けず劣らずの性能を発揮させたのだ。電気によるハイブリッドカーと水素による馬力を実現したこの車は世界的にもカムイモータースの優位を位置付け、もはや他の企業の追従を許さない文字通りのトップにしたのだ。先行としてフランス国内での販売を優先させた社長の菅生の英断もあって世界に名を響かせたカムイはF1でも表彰台を数多く取るようになり、もはや世界的シェアでの知名度を上げていったのだった。そして今日、龍馬のためのパーティがフランスのパリで行なわれることになっている。日本からはソフトの開発に手を貸した今やソフト開発課係長の肩書きを持つ周人と飯島課長が呼ばれ、部長を含めた役職付きメンバーだけが招待されていた。会場も豪華であり、有名ホテルのホールを借りての盛大なものだ。主賓である龍馬は髪も切ってすっきりとしており、2年ぶりに再会した周人を驚かせた。メールでのやりとりはあったものの実際会うことはなかったこの2年の間に何が彼を変えたのか、自分を見るなり満面の笑みを浮かべた龍馬に戸惑いつつ堅い握手を交わした。
「随分感じが変わったなぁ・・・・さすが係長や副課長を超えた次期課長候補の主任だよ」
「何をおっしゃいますか、あなたには及びませんよ。みんな変わりなく?」
「あぁ。相楽さんは寿退職したけど、あとはみんな一緒だよ」
「本社の遠藤課長とでしょう?ビックリしました」
「できちゃった結婚だけどな。実際は罠にハメられ婚みたいだが」
その言葉に怪訝な顔をする龍馬に簡単な説明をした。もはや自分を邪険にしている龍馬を諦め、金も地位もある遠藤に乗り換えたはやねは避妊具に細工を施し、排卵日にあわせて身ごもるように罠をしかけていたのだ。そしてまんまとそれに引っかかった遠藤はめでたく結婚、今や2児の父親となっている。つい最近課長に昇進したキレ者だが、鬼嫁に怯えている毎日だと知る者は周人を入れてわずかな者たちだけだ。2人は遠藤を肴に大笑いし、そして再会を喜んだ。
「宮崎さんは?元気ですか?」
どこか遠慮がちな様子に苦笑しつつ、周人は元気だと答えた。
「今や主任だけどな。お前さんには及ばないが大きなプロジェクトを成功させたもんで、休暇をあげた。ちょうど今なんだが、温泉にでも行くと言っていたよ」
「そうですか・・・元気なら良かった」
休暇ならばここに来ているのかと思ったが、今の周人の話し振りではそうではないらしい。少し残念そうな龍馬に周人も苦笑するしかない。実際、この際にフランスに行こうと誘ったのだが、丁重に断られていたのだ。
「そういえば、お子さん誕生、おめでとうございます」
「ありがとう。けどメールで祝いの連絡もらったじゃないか・・・かしこまりやがって」
「双子でしたよね?」
「あぁ。将来の『魔獣』候補が一気に二人だ。しかも男と女だ。大きな家で犬を2匹飼うってのが嫁さんの夢だったらしいけど、今ではそれなりの家に魔獣の子供2匹を世話してる」
そう言って笑いあう2人。かつては敵同士、そしてあの日、十三年の年月を超えて再び激突して以来のまともな会話だったが2人に何の遺恨もなかった。やがてパーティが始まり、龍馬のスピーチは日本語とフランス語で行なわれて大きな拍手を得るのだった。かつての仲間のその姿に周人もまた奮起し、より頑張ろうとの決意も新たにしたのだった。そして盛大な立食パーティが始まるべく、社長である菅生が壇上に上がった。
「ここにいます里中君の素晴らしい活躍で、わが社も世界に名を響かせる大きな会社となりました。もちろん、彼の立案したプロジェクトを達成した優秀なスタッフの活躍も称えなければなりません」
横に立つ龍馬、そして離れた位置にたたずむスタッフに大きな拍手が鳴り響いた。やがて菅生の素晴らしいスピーチも終わり、セレモニーも佳境に入っていた。今日のパーティの後、龍馬には特別休暇が一週間与えられている。その予定をどうしようかと思う龍馬は早くに両親を亡くしているために身内もなく、日本に帰る気もなかったためにこれといった予定を立てていなかったのだ。だが、これを機会に日本に行くのも悪くないと思っていた。そのためボーっとしていた龍馬の耳に司会者の花束贈呈の言葉が飛び込んできたためにあわてて身なりを直すと、係りのフランス人に誘導されて壇上やや中央に向かったのだった。
「かったるいから、早く終われ」
もはや日本行きのチケットを買うことしか頭になくなった龍馬は大きな花束のせいで赤いドレスしか見えない女性が近づいてきたのを見てもどこか上の空だった。
「おめでとうございます」
その日本語に我に返った龍馬は大きな花束を受け取り、そしてその大きな花束に隠れていた女性を見てマイクが拾うほどの大きな声であっと声を上げてしまった。
「み、み、宮崎・・・さん?」
動揺がありありの龍馬に周囲から怪訝な声が漏れる。それを見て1人にんまりと笑う周人は、何かを感じて横にやってきた菅生に小さく会釈をすると壇上で固まっている龍馬に目を戻した。
「あの女の子、たしか君のところの子だろう?」
「えぇ。僕のわがままで無理矢理彼女を推したんです。多少強引でしたが、どうにか決まってくれて」
その珍しい言葉に意外そうな顔をする菅生はスポットライトを浴びる2人を見て微笑んだ。最後の最後まで理紗はこの役目を降りようとしたのだが、周人の手回しに負けて了承していた。戸惑いと喜び、恥ずかしさを顔に出しながらも『仕方ないですね』と言った理紗の顔は忘れようがない。
「けど、お似合いだ」
「えぇ、お似合いですよ」
そう言う周人の口元に淡い微笑が浮かぶ。壇上はいまだに戸惑う龍馬と微笑む理紗が向き合っている。結局龍馬への想いを大事にしていた理紗は誰とも付き合わずに今日までいたのだ。そして、それは龍馬も同じだ。フランスへ来て理紗を想う事が多かったのだが、それを行動に移すことはなかった。そんな2人の接点などないはずだった。だが、今日のパーティに周人が理紗を花束のプレゼンターに指名し、これが実現したのだ。もっとも、龍馬がこのプロジェクトを受け、成功させたがゆえの再会だが。2人がこれからどういう道を辿るかはわからないが、ここから始まる何かを感じずにはいられない。自分がこの再会を演出したと思わない。いや、むしろ2人の想いが実現させたと言える。
「宮崎さん、きっとこれが運命だったんだよ、君のね」
微笑をそのままにそうつぶやく周人はかつての自分と由衣をそこに重ねるのだった。
ようやく表情を柔らかくした龍馬が照れた笑みを浮かべる。そして理紗がその胸に飛び込んだ。盛大な拍手と冷やかしの声、口笛が会場を包む中、2人はしっかりと抱き合い、お互いの温もりを感じながら長い長い抱擁を交わすのだった。
「会いたかった」
「俺もだよ」
3年の月日を超えて再会した2人。今はこの言葉を伝えられただけで幸せだ。心が一つになるような感覚を共有する2人の未来がどういうものかはまだわからない。だが、全てはここから始まる。それを祝福するかのように会場中から飛び交う抱きしめ合う2人への拍手と歓声。その中で周人はこの2人を取り巻くようにしてしっかりと絡み合う運命の赤い糸を見ているのだった。




