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くもりのち、はれ-外伝-  作者: 夏みかん
外伝 1
2/12

愛しき幻影 後編

赤いTシャツにジーンズを履いた由衣はサンダルを気にしながら左手の赤い時計を見やった。耳にはイルカのピアスをし、どこか気合の入っている自分に戸惑いつつもただ時間が来るのを待っていた。由衣は出かける際、必ずといっていいほどイルカのピアスをしていた。それは自分に対する絶対的な象徴であり、ある決意の現われでもあった。時刻はまもなく11時55分である。今日は先日、ひろしと約束した火曜日であり、由衣は約束の時間に対して三十分も早くここへ来て小さなクレーンゲームをして時間を潰していたのだった。はっきり言って今日はデートだ。男性と2人きりのデートなど中学生の時以来実に1年半振りである。高校入学後、男女入り乱れたグループであちこち遊びに行ったことはある。だが、男性と2人で出かけることに対して異様なほど警戒していた由衣だが、こと洋に関してはその警戒心はかなり低くゼロといってもいいほどだ。その理由は由衣も理解しているが、果たしてそこまで信用していいかは実際問題として疑問であった。


「似てるからかな?」


イルカのピアスにそっと触れつつ、由衣はポツリとそうつぶやいた。いまだに忘れることの出来ない心の中の恋人に、洋はよく似ていた。正確に言えば持っている雰囲気が似ているのだ。柴田や他の同級生のようにがっついた部分も無く、実に落ち着いた大人の雰囲気を持ち、そのやんわりした空気もまたそっくりなのだ。自分が何を思ってデートの約束をし、ここへ来たかは今ひとつ理解できていない。だが内から湧き上がる衝動が自然とそうさせたのだ。


「あれ?早いね」


水色と白のチェックのシャツにジーンズといった格好の洋は由衣に気付いて笑顔を見せた。


「いえ、今来たところです」

「そっか、ほんじゃとりあえずぬいぐるみゲットしに行こう」


そう言って歩き出す洋に少し間を空けて歩く由衣だが、洋はそんなことなど全く気にする様子は無い。何かしてこようものなら大声を出して逃げようと考えていた由衣だったが、洋は今現在手を握ろうとも肩を抱こうともしない。ジーンズのポケットに手を入れたまま黙々と歩いているのだ。


「これです・・・」


由衣はケースの外から正面に対してやや斜めに寝ている黄色い熊のぬいぐるみを指差した。


「こいつはちょっと強敵かな」


そう言って二百円を投入し、真剣なまなざしでターゲットを睨みつける。


『似てないのに・・・先生はこういうのヘタクソだったからなぁ・・・』


心の中でそうつぶやいてクスッと笑う由衣は洋の横顔にその人物の顔を重ね合わせる。決して忘れることのできない顔がそこに重なる。


「うっし!さっすがオレ!」


重なった顔が一気に吹き飛んだ。重ねた顔の人物であれば決して口にしないその言い回しがその幻を吹き飛ばしたのだ。我に返った由衣にそのぬいぐるみを手渡す洋は得意げな顔をして笑っていた。


「す、すごい・・・・・・」

「こういうのは大得意!しかしまぁ、あっさり終わっちまったな」

「そうですね・・・・」

「昼飯、食って帰るか?」


このままデートを楽しもうとでも言うのかと思った由衣の予想を見事に打ち砕いたその言葉にきょとんとするしかない。普通であればこの後どうするという風になって映画などに誘ってくるのだろうが、まさかこのまま昼ご飯を食べて帰ろうとは全く予想もしていなかった。由衣はがっかりしたようなホッとしたような複雑な心境に陥りつつも歩き始めた洋の後ろについていくのだった。そして結局その日は本当に昼ご飯を食べてから帰路についたのだった。もちろんメールアドレスの交換や電話番号の交換など一切なしに。


2学期に入り、あの夏休みの日以来の再会を昇降口で果たした由衣と洋は会話を弾ませながら下校し、休みに遊びに行く約束をしたりしていた。ごく他愛の無い会話も洋の話し方がうまいのか由衣にとってそれは楽しい時間に他ならない。それをきっかけに月に1、2度遊びに行くようになったが、別に手をつなぐわけでもなければ恋人同士のように過ごすわけでもない。あくまで同じ高校の先輩と後輩のラインを超えていなかった。決して馴れ馴れしくない洋は常に由衣を気遣った。そして由衣もまた自然な自分のままでいられる喜びを噛み締め、洋に対しての警戒心が徐々にだがなくなっていたのだった。やがて十月となり、秋も深まる頃、由衣は久しぶりに電話で美佐と話し込んでいた。彼氏が出来てからそっちとの電話が頻繁となり、以前なら美佐とはこうして夜中まで話していたのだが、それも今では2ヶ月に一度あるかないか程度まで落ち込んでいたのだ。


「まぁ相変わらずラブラブで・・・」

『まぁね』


皮肉を込めてそう言ったのだが否定しない美佐に苦笑しつつ、由衣は机に向かいながら無造作にコロコロとシャーペンを転がしていた。


『でも由衣ちゃんもラブラブじゃん、小池先輩と』

「え?ん~・・・そういうんじゃないんだけどね。まぁ仲良くやってる」

『でも良かったよ。由衣ちゃんもようやく木戸先生から吹っ切れて』

「正直に言うけどさ、それはそれで吹っ切れてないんだよね」

『じゃぁ小池先輩を好きじゃないの?』


その言葉に由衣は転がるシャーペンを指で止めるとそっと目の前にある写真へと目をやった。笑顔を見せる青年を見る目は洋とデートを重ねている今でも愛情がこもっている。


「好きかもしれない・・・でもはっきりとはわかんない」


相手が美佐だからこそ正直な気持ちを打ち明けた由衣の表情が曇る。決してこの人以上に好きになる人はいないと思っていた。現に今までそうだった。洋と接するうちにその気持ちが急速に失せていくと思っていたその叶わぬ想いだが、洋を好きかもしれないと思いつつも写真の中の青年への想いもますます募らせていくのだ。


『わかんないって・・・』

「似てるからかな・・・・・・先生と先輩」

『ごっちゃにしたら可哀そうだよ』

「わかってます!でも、先輩とならいいかなっても思えるけど・・・・でもイマイチ踏ん切りがつかないんだ」


由衣がどれだけの恋をし、どれだけのつらい想いを抱えているかを知っているだけに、美佐はそれ以上何も言わなかった。


「とにかく、もう少し一緒にいて、それで答えを出すよ」


由衣はそう言うとその話を打ち切った。そしてそのまま先日一緒に出かけた際にスカウトされた雑誌のモデルの話へと移行していくのだった。


今まで映画にボウリング、ゲームセンターなど室内でのデートばかりだったのだが、今日は違った。秋の連休ということで早起きをし、最近隣町に出来た遊園地へと出かけることにしたのだ。さすがにかなりの早起きなのでお弁当を作ることは出来なかったが、2人の距離が近づいた証拠に混雑した場所でははぐれないように手を繋ぐようにしていた。それ以外では絶対に由衣に触れないようにしていた洋の気持ちが痛いほどよくわかるのだが、やはり自分から手を繋ぐことはできなかった。


「吾妻さんはジェットコースターとかは平気?」

「大好きだけど」

「よし、行くぞ!」


積極的な洋はジェットコースターも楽しみ、大抵の絶叫マシンを制覇していった。由衣はジェットコースターを苦手としていた自分の想い人を思い出しながらも、全く正反対な洋に好感を得ていた。そして近くの出店でサンドウィッチを購入し、人で一杯のベンチを避けるように柵に腰掛けてサンドウィッチと一緒に買った飲み物を片手にそれぞれ感想を言い合ったりしていた。ごく自然に笑い、楽しい時間を過ごしている。このまま洋とならばうまく付き合っていけるのではないかと思った矢先、由衣は洋に対してある違和感を覚えてしまった。


「次はアレ乗ろうよ」


そう言って由衣が指をさしたのはフリーフォールだった。遠くにありながら今食べている位置からでもはっきり見えるその高さは相当なものであり、かなりのスリルが味わえることは間違いないだろう。


「いや・・・あれは苦手だからパス」

「いいじゃん、行こうよ。あんなの一瞬だって!」

「イヤだって言ってんだろ?それよりさ・・・・」


口調こそきつくなかったがそこには有無を言わせぬ感情が込められていた。由衣はそこに違和感を覚えてしまったのだ。そしてその違和感が何なのか気付きつつも、あえて知らないフリをした。自分の心に嘘をつき、積極的な洋の後についていくのだった。その結果徐々に笑顔が消え、そんな由衣に気付いた洋が気に掛けたが、疲れたのかもと嘘の笑顔を返すのだった。


遊園地以来、由衣は洋に対して少し距離を置き始めた。自分が思っていたのとは違う一面を見たせいもあるのだが、少なからず感じた違和感がそうさせていた。それでもそれは自分のわがままだと思う由衣は心の中の青年と洋は違うと自分に言い聞かせながらもデートを重ねたのだが、そうすればするほど洋に対する違和感がより大きくなるばかりだった。そんな中、とうとう洋と由衣の仲が学校の噂になってしまった。この間出かけた際にツーショットをクラスメートに見られてしまっていたのだ。元々異様なほど仲が良かった2人だけにその噂は瞬く間に広まってしまった。最初の内こそ聞かれればやんわりと交際を否定していた2人だったが、そのあまりの多さにだんだん面倒になってそれすら言わなくなっていた。中にはキスをしていただのといった全くのデマまで流れたが、それでも2人は否定も肯定もしないで無視をしつづけた。結果、その態度が噂をさらに大きくし、やがて周囲は2人が付き合っているとの勝手な決断を下すほどまで大きく膨らんでいたのだった。そして季節は十二月、クリスマスへと移っていく。


クリスマスイブが金曜日とあってか、街はいつも以上の賑わいを見せていた。色とりどりのネオンやきらびやかな光がクリスマスツリーやサンタクロースを形作る中、由衣と洋は雑踏の中を進んでいた。白いコートの下にはピンクのセーターを着込み、白いスカートにブーツ姿の由衣は通り過ぎる男性の目を引き、一緒に歩いている洋の優越感を高めていった。洋もさすがに今日は気合が入っているのか紫のシャツに黒のジャケットを着込み、茶色のロングコートを羽織っている。由衣はあまりの人の多さからはぐれないようにと洋のコートの裾を掴む。だが洋はここで初めてやや強引に由衣の手を握った。それははぐれないようにとの優しさがさせたのだが、由衣の中でさらに違和感が増していく。以前美佐に言った洋を好きかもしれないという感情はもう無くなりつつあった。会えば会うほどにその違和感が由衣から洋への好感度を奪い去っていたのだ。それでも洋は変わらず優しい。それが痛いほどわかるだけに、由衣は今日で2人の関係を終わらせようと考えていた。2人はそのまま高校生にしてはやや高級なお店でクリスマスディナーを取ることになっていた。この日を演出しようとしっかり予約を入れていた洋は満足げに料理と会話を楽しんでいるが、由衣は心から楽しんで過ごすことが出来なかった。こうして話をしている洋に違和感を覚えることは無い。だが、一度暗い影を落としてしまった心が晴れることはなかった。そんな中、食事が終わりクリスマスらしく食後のケーキが運ばれてくる。洋はコーヒーを、由衣はレモンティーをオーダーしていた。


「このお店特製なんだってさ・・・うまいらしいよ」

「そうなんだ。美味しそうだね」


サンタとトナカイをあしらった菓子も付属し、イチゴと生クリームがクリスマスをイメージした赤と白でデコレートされている。シャンペンで少し気分がいいのか上機嫌の洋は今日の由衣のささいな変化に気付かないでいた。いつもよりも元気が無く、笑顔も作ったようなその変化に。そして店を出た2人は近くにある公園のベンチに腰掛けた。人目もはばからずいちゃつくカップルも多かったが、気にしないことにした由衣に対して洋の胸の鼓動は高鳴っていた。そういう雰囲気が今日、告白しようと決めていた気持ちを加速させているせいだろう。


「プレゼント、買ってきたんだ、由衣に」


洋が由衣のことを名前で呼んだのはこれが初めてだ。アルコールがそうさせたのかもしれないが、由衣の中で違和感がさらに増加していく。洋はコートのポケットから小さな箱らしきものを取り出し、由衣に差し出した。


「開けてみて」


由衣は少々ためらいを見せたが、にこやかにしている洋の言われるままにその包みを丁寧な仕草で解いていく。白い箱の中から出てきたのは真珠のピアスだった。


「いつも同じそのイルカばっかだからさ・・・」

「ありがとう・・・でも、もらえないよ」

「なんでさ、いいから着けてみてよ」

「無理」

「なんで?」


一方的に拒否する由衣に不快感をあらわにする洋の表情が見る間に曇っていった。いつもいつも同じイルカのピアスを着けていた由衣のためにとこれを選んだのだ。絶対に似合う、気に入るとの先入観もあったせいか、洋はかたくなに拒否する由衣に向かって苛立ちを表情に出し始めた。


「無理ってことはないだろ?これでも悩んで買ってきたんだから・・・着けてよ」


その言葉に、由衣の中で洋への気持ちが急速に冷めていくのがはっきりと感じられた。やはり、自分は洋に対して恋をしていたのではなかった。洋に、自分の想い人を重ねてしまっていたのだ。洋を自分の好きな人に重ねることによって満足し、自分の中の満たされない心、寂しさを補完しようとしていたのだ。


「無理だよ・・・これは大切な物だから。たとえ世界で一番高価なピアスであっても、これに勝る物なんてないから・・・」

「なんだ、元彼からのプレゼントかよ」


吐き捨てるようにそう言う洋に対して、もはや嫌悪感も抱かない。由衣は冷め切った心を隠すように努力しながらゆっくりと口を開いた。


「彼氏じゃないよ・・・彼氏以上の、とても大切な人からもらった物なの」

「だったらそいつと一緒にクリスマスを過ごせばいいじゃないか。オレとは暇つぶしか?それともただのいやがらせか?」


アルコールは時に人を陽気にするが、時に残酷なまでに陰湿にしてしまう。せっかくのプレゼントを拒否され、自分の存在すらも否定されたような気がした洋はまさに今マイナス思考の塊となっていた。だが今までに無い悪態を見せる洋にさえ、由衣は実に冷静に心を保っている自分を不思議に思いながらもそれに納得していた。


「やっぱり、あの人以上の人なんていない」

「はぁ?なんだそれ・・・・お前さ、オレの事好きだったんじゃねぇのか?」


まるで別人のようなその口調に由衣の表情は曇った。洋にしてみれば今まで誰からのどんな誘いも全て断ってきた由衣がただ一人一緒に出かけ、同じ時間を共有し、楽しく過ごしてきた自分こそが特別な存在だと信じてきた。そしてそんな由衣から少なからず好意を感じ取っていた。


「そうだと思ってた。でも、違うの、それは錯覚だった。似てたから・・・先輩がその人に似た空気を、雰囲気みたいなのを持ってたから」

「錯覚って・・・なんだそれ!」


もはや不快感は怒りに変わっていた。苛立つ洋の態度に小さなため息をついた由衣は少しでも洋が好きかもしれないと思った自分が情けなく、そして悲しくなってきてしまった。


「私の好きになった人はね、絶対にそういう言い方をしないの。間違ってることを無理矢理正すんじゃなく、柔らかい言い方で優しく、でもはっきりと気付かせてくれるの。私のわがままに文句を言う時もあるけど、最後には笑ってついてきてくれるの。苦手なジェットコースターにも、乗り終わった後に涙を溜めて震えるほど怖いくせにそれでも私のわがまま聞いて乗ってくれるの」


一言一言から見えない愛情が噴出すのを感じる。愛しい人を思う気持ちが込められたその言葉は、洋の中から怒りと負の感情をゆっくりと、だが確実に取り除いていく。潤んだ瞳からは今にも流れ落ちそうな涙が光るが、決してそれを流さないようにグッと我慢をしつづけているのがわかる。由衣は絶対に泣かないと決めていた。好き同士でいながら離れ離れになったあの日から、絶対にその人を想って泣くまいと決めていたのだ。


「私がどんなに悪口言っても、笑って済ましてくれる人なの・・・強くて優しくて大きくて・・・・・」


決めていた誓いは限界まで揺らぎながらも崩れることは無かった。まっすぐな瞳に溜まった涙は頬を伝うことなく、由衣の意思の固さを象徴するかのようにそこから溢れることはなかった。それほどまでに、由衣の中の決意と愛情は大きなものだと思えた。


「だったら、だったら会ってその気持ちを伝えればいいじゃないか」

「会いたいよ!私だって、会えるなら会いたい!でも、どこにいるかもわからないし、私はまだただの高校生だし・・・子供だし・・・」


ややヒステリックにそう言い、由衣はうつむいて肩を震わせ、グッと泣くのをこらえていた。容姿は高校生には見えないほど大人びた美少女が子供のように見えてしまうほど感情を殺せずにそう言う気持ちが洋にも伝わる。


「いつかは・・・・その人以上の人が現れるかもって思ってたけど、やっぱりいないね・・・」

「オレ、その人に近づけるようにする。その人みたいになってみせるよ、だから、オレじゃダメか?」


その問いかけに、由衣は小さく首を横に振った。


「最初はそう思った。先輩は似てたから・・・でも違和感を感じた時点でホントは気付いてたんだ。やっぱりそういう人は他にはいないんだって」


涙に濡れた目をした顔を上げ、由衣ははっきりとそう言った。そしてその顔を見た洋は図らずも綺麗だと思ってしまった。他人を想い、涙をこらえる自分の好きな人のその姿を綺麗だと思う自分を嫌悪しながら、抱きしめることも慰めることもできない自分を呪った。


「ゴメンなさい・・・傷つけてゴメンなさい・・・・・今日はありがとう、さよなら」


由衣は今出来うる精一杯の笑顔を見せ、洋を残して走り去っていった。消え行く白いコートの後ろ姿を見ながら、持っていたピアスの箱を強く握りつぶした。痛む胸は失恋したためか、それとも彼女の強い想いを知ってしまったせいか。思考もまともに働かない洋は酔いも冷め、冷え込んできた空を見上げてから大きくため息をつき、トボトボと駅に向かって歩き出すのが精一杯だった。


それは単なる噂だと思っていた。桜ヶ丘高校一の美少女にしてアイドル吾妻由衣には中学時代からずっと好きでいる人がいるという噂。それは年上であり、お互い好き同士でいながら外国での生活を余儀なくされたその男の都合によって仕方なく離れ離れになってしまったという事。そして付き合うことなく別れたその男を、今でもずっと好いているために誰とも付き合わないという事。『撃墜王』と呼ばれる美少女が入学から2年足らずでフってきた男子生徒の数は現在25名。その中には教師も含まれているとの噂まであるその美少女が想いを寄せるその男との噂は、知っている者だけが知っている伝説でもある。


年が明け、学年最後の新学期が始まった。3つの学期の中で一番短い学期でもあり、三年生にとっては受験と卒業という大きなイベントが控えた学期でもある。どこから情報が漏れたのか、本命だと思われた由衣の相手である洋がフラれたという噂は既に広まっていた。密かに女子生徒から人気のある洋がフラれたという話に一部の女子は喜び、また多くの男子も喜んだ。だが、かなり仲の良かった洋ですらフラれたという事実に戸惑う者も多く、いったいどうすれば由衣のハートを射止めることが出来るかが大きな課題として残るばかりだった。特に雑誌モデルのアルバイトを始めた由衣は学校内外に限らずますますモテていったのだが、学校の外でもその『撃墜王』の実力をいかんなく発揮していったのだった。同じバイトを始めた美佐もよく声をかけられるのだが、こちらは勇気が張り付いているために無駄足に終わる始末であり、その分由衣の方へと流れてきている現実もあった。クリスマス以来、洋とは時折昇降口や校内で出会うこともあったが、簡単な挨拶を交わす程度となっている。かといって気まずい雰囲気ではなく、お互い笑顔でいられる分2人の心はわずかではあったが癒されているような気がしていた。洋は同級生からフラれた理由を何度も聞かれ、その都度『わからん』とだけ答えていた。好きな人を自分に重ねていたという理由を口にするのはプライドが許さないというのではなく、ああまで心の中の男性を強く想っている由衣の気持ちを尊重したのだ。確かに自分にとってそんな理由でフラれた事はショックだったが、それでも一時的とはいえ自分に好意をもってくれたことは素直に嬉しかった。もちろん納得はできていなが、それは時が解決してくれるだろうと思える。洋は既に推薦での大学入学を決めており、卒業までの時間をのんびり過ごした。勉強に明け暮れる同級生からの冷ややかな目も気にせず、2月の寒い時期に駅ビルの中にある喫茶店でコーヒーを飲みながら優雅に小説を楽しんでいられるのもまたその特権かもしれない。


「あ、先輩!」


突然そう言われた洋が隣の席に顔を向ければ、そこには笑顔の由衣がいた。


「よぉ、道草は感心しないな」


その言い方にクスっと笑ったのは以前どおりの洋だったからか、それともそれが由衣の好きな人と同じ口調と雰囲気を持っていたからか。


「同じ道草者同士、相席いいですか?」

「どうぞ」


由衣の言葉に苦笑しながら前の席を勧める。由衣はにこやかな表情を崩さぬまま洋の前に座った。そしてココアをオーダーする。


「先輩はただの道草?」

「そう。君は?」

「友達を待ってる間寒いし暇だから」


洋はここのコーヒーを気に入っており、ちょくちょくここでコーヒーを飲んで帰るようにしていた。対して由衣は委員会がある美佐を待っているのだ。クラス委員に選出された美佐はいろいろ雑務をこなさなくてはならず、勇気と帰ることもできずに最近ストレスが溜まっており、それを気にした由衣がこうして待っているのだ。


「元気そうで安心したよ」

「私はいつでも元気ですよ」

「ならよかった」


その言い方が由衣の中の何かをくすぐる。


「こうして話するの、クリスマス以来だな」


触れたくない話を自らすることによって由衣の中の緊張やわだかまりをなくそうという洋の心ばかりの気配りは由衣に十分伝わっていた。


「そうですね」

「気になっていたんだ。アレがきっかけで君の中の想いを刺激してしまったこと」


それは本心だった。確かにフラれた直後はひどく落ち込み、由衣を、そしてその心の中にいる男を呪ったりもした。だが時間が経つにつれてそれも徐々に薄れていき、いつしか由衣のことを気遣う程度まで余裕を持てるようになっていたのだった。


「う~ん・・・まぁ刺激はされちゃったけど、それは前からそうだし、平気です」


笑顔の由衣はやはり可愛いと思う洋は口元に淡い微笑を浮かべ、その微笑を見た由衣はそこに好きな人の微笑を重ねて胸が痛くなるのを感じながらも表情や仕草には微塵も出さなかった。


「そうか」

「先輩こそ・・・ゴメンなさい」

「そう何度も謝られると惨めになるよ」

「ご、ゴメンなさい・・・」

「だから、謝るなって」


苦笑を混ぜてそう言う洋の言葉からもう自分への気持ちが吹っ切れていることを悟った由衣は心の底から安堵した。やはりフッた理由が理由だけに洋の心をひどく傷つけたことを後悔していたのだ。


「ホント言うとさ、あの雨宿りした時、あの時は緊張してた。ずっと好きだったからね、君のことが」


突然の告白に目をパチクリさせる由衣に苦笑する洋は由衣にココアを持ってきたウェイトレスに視線をやって一旦間を置いた。


「ゲームセンターで会った時も、かなりドキドキしてたんだ」

「そんな素振り全然なかった・・・・演技派だね、先輩は」

「まぁな・・・デートを重ねてどんどん好きになったけど、君の気持ちが見えなくて少し焦ってしまった。その結果がクリスマスさ。だからアレは自業自得だと思ってる」


穏やかな口調でそう言う洋に、由衣は申し訳ない気持ちで一杯だった。好きな人に雰囲気が似ているからという理由でデートを重ね、自分の中の満たされない心を補おうとした結果、洋の心を傷つけた責任は重い。だがそれを笑って許してくれた洋の心の深さに感謝すると共に、やはり由衣の好きな人に似ているとも今更ながらに思えた。だが、それはやはり似たものでしかなく、そこから先の感情は生まれない。


「よかったら聞かせてくれないかな?君の好きな人がどういう人なのかを」


穏やかな口調に由衣は小さく微笑んだ。その表情はここ最近では誰よりも多く見てきた由衣の中で一番可愛いと思えるほどの微笑だった。


「世界で一番嫌いだったのに、私を助けてくれたのをきっかけに気になりだした。でもその人は昔彼女を亡くしてて、それが原因で恋愛をしない人だった」

「亡くしたって・・・事故で?」

「・・・ちょっと違う。でも、それがあるからすごく優しい心を持っていた。だからその人に興味を持った私は無理矢理デートに連れ出して、いっぱいわがまま言って遊んだ」


当時を思い出しているのか、由衣の顔には洋が見たことない笑みが、愛情に満ちた笑顔が自然と姿を見せていた。少しばかりの嫉妬心が芽生えながら、やはり自分ではその人を超えられない、忘れさせることはできないとはっきり自覚できた。


「気がついたら好きになってた。わがままも黙って聞いてくれるし、優しいし、強いし・・・怒らないし・・・私のわがままに困った顔をするのがとても好きだった」

「告白は?」

「中学を卒業して高校入学までの間にした。豪華な夕食食べて、雪の降る中、私から」


その想い出は今でも鮮明に思い出すことができる。生まれてからたかだか十七年の由衣が誇れる最高の想い出。それは最も美しく、最もつらい想い出。


「その人は仕事のせいで世界中を飛び回ることになってた。いつ日本に帰って来れるかもわからないから、そんなつらい想いをさせてまで付き合えないって。私、泣いた・・・好きなのについていけない子供な自分を呪った。でも好きだと言ってくれたことは凄く、凄く嬉しかった。だって永遠に誰も好きにはならないって言ってた人を好きにさせたんだもん・・・その人が私を好きになってくれたから、素直に嬉しい」

「そうか・・・だから今でもその人が好きなのか」


その言葉に由衣は小さくうなずいた。はにかんだ笑みを見せながら。


「待っていてくれとも言われてない。もしかしたら向こうは向こうで彼女が出来てるかもしれない。それでもいいから、いつかは会いに行こうと思ってる」


決意に満ちた少女の瞳は純粋なまでに澄んでいた。由衣が同級生やそこいらの女子高生には無い妙な落ち着きを持っている原因が今わかったような気がした。


「その人、幸せだな。君みたいな子にこうまで想われてさ」

「そうかな?」

「あぁ・・・こりゃフラれるわけだ」


笑ってそう言う洋にどう反応していいかわからない由衣は苦笑を返すしかなかった。コーヒーを全て飲み終えた洋は伝票を手に取り、由衣の分の伝票も引き寄せると小さな微笑を由衣に向けた。


「おごるよ。フラれついでにね」

「いえ、そんな・・・」

「おごらせてくれ」


実に穏やかにそう言う洋に素直に頭を下げた由衣はとびっきりの笑顔を見せた。その由衣の笑顔に思わず赤面した洋はそれをごまかすようにレジの方へと顔を向けた。


「名前、その人の名前はなんていうの?」


突然そう言われて、それを聞いてどうするのかと思った由衣だが、まっすぐ自分を見つめる洋の目から何かを感じ取ったのか、由衣はゆっくりと噛み締めるようにその名前を口にした。


「木戸、木戸周人」

「木戸さん、か・・・・いつか会えることを、今度は付き合えるように祈ってるよ」


かっこつけるでもなく、洋は笑顔と共に2枚の伝票をヒラヒラさせてレジへと去っていった。レジ係りのウェイトレスに何かを言いながら由衣の方を見て微笑み、洋は店を後にしたのだった。ほどなくして寒そうにやってきた美佐がさっきまで洋が座っていた席に座ると由衣と同じココアをオーダーした。


「さっきまでそこに小池先輩が座っててね、いろいろ話した」


由衣が洋をフったという話は直接本人から、そして噂でも聞いて知っている美佐だけに2人が同じテーブルについていたことに驚くのは当然だ。会えば気まずいだろうに、何を会話したかが気になる。


「何を?」

「いろいろ・・・先生のこととか」

「そっか」


フった理由も由衣から直接聞いている美佐はその言葉を聞いて少なからず動揺した。由衣の好きな人である木戸周人に似ている雰囲気を持っていたから好きだと錯覚したと言った由衣。そのいわば洋と由衣との仲がうまくいかなかった元凶の話をここでした2人の神経が信じられない。


「先輩、私を励ましてくれた・・・もしかしたら、付き合ったら案外うまくいってたカモとか、今更ながら思ったりしてね。手遅れだけど」

「手遅れって言うか、無理だよ」

「なんで?」

「由衣ちゃんが好きなのは、由衣ちゃんが追いかけているのは木戸先生本人だもん。似てるだけじゃだめ、替わりでもだめ。木戸先生が例の彼女を追い続けたのとおんなじだよ。ただ相手が生きてるか死んでるかの違いはあるけどね」


美佐のその言葉にきょとんとした表情の由衣はやがて小さく笑い始めた。何故由衣が突然笑い出したかわからない美佐は眉をひそめつつ由衣を睨むようにしてみせた。


「美佐さぁ、彼氏できてすんごくはっきり物を言うようになったよね・・・いやはや男で女は変わるもんだ」


肘をついた手に顎を乗せ、伏せがちの目でそう言うどこかおばさんくさい由衣に美佐は目を見開いてびっくりしたような顔をしてみせた。


「それ、由衣ちゃんには言われたくないよぉ・・・先生を好きになってめちゃくちゃ変わったくせにぃ」


その可愛らしい頬を膨らませてそう言う美佐に苦笑する由衣。確かにそう言われればそうだ。


「そりゃそうだ」


そう言って2人はお互いに笑いあった。午後の日差しが寒空の雲を押しのけて顔を見せ始め、窓から温かい光をもたらしながら幼なじみの2人を優しく包み込むのだった。


桜ヶ丘高校の卒業式の日、基本的に下級生は休みなのだがクラス委員である美佐はその準備や与えられた役割があるせいで登校してきていた。暇つぶしも兼ねてその付き添いで学校にやってきた由衣は春らしい暖かさを持ちながらもまだまだ冷たい風にあたりつつ1人屋上にたたずんでいた。空には白い雲と山の方には濃い灰色の雲が少しある程度で全体的には青空が広がっている。卒業生の門出を祝うように雲間から神々しい光が街に降り注ぐ様子を見ながら、由衣は今この瞬間、どこかの国で同じようにこうして遠くの空を眺めているのかなと周人のことを想っていた。高校を出て大学に行くにせよ就職するにせよお金を貯めていつかはそこに行こうとの決意も新たに固める。その頃には自分にも彼氏がいるのかなとも考えるが、それはないなと自分で自分に苦笑した。それほどまでに周人への想いは募る一方なのだ。今すぐ会いたいが、それは叶わない願いだ。そんなことを考えていると体育館の扉が開き、中から卒業生がわらわらと姿を現した。


「ありんこみたい」


紺のブレザーにグレーのズボンなだけまだましだが、これが普通のガクランであればまさしくアリのように見えただろう。その集団の中の1人が由衣に気付いたのか大きく手を挙げた。それが洋であることをすぐに察知した由衣が小さく手を振れば、周囲にいた男子も大きく手を振り始める。中には由衣の名前を呼んだり愛してるだの結婚してくれだの言う者もいて由衣を苦笑させた。


「卒業おめでとうございまぁ~す!」


大きな声でそう言い、ひときわ大きく手を振る由衣に歓声が沸いた。そんな中、洋は天まで届けとばかりに挙げた手をグッと力強く握り締め、そこから親指だけを立ててみせた。


「頑張れよ!きっと会えるから!うまくいくさっ!」


人目もはばからずそう言う洋に周囲は怪訝な顔をしてみせたが、由衣はとびっきりの笑顔でVサインをしてみせるのだった。


「今のどういう意味だよ?」

「なんだよ、お前やっぱ、彼女とデキてんのか?」


やいやいと今の洋の言葉の真意を知ろうとクラスメートが取り囲む。


「秘密だよ・・・2人だけのな」


意味ありげにそう言う洋をみんなが叩いたりしてじゃれあうようにし始める。笑顔と笑いが巻き起こるのを見ながら、由衣は満面の笑みを浮かべて見せた。そして雲間から差し込む太陽の光に向かって右手で銃を形作った。


「待ってろ、木戸周人!いつかそこに行くからね!」


そう言い、遠い空の向こうにいる愛しい人に届けとばかりにバンと銃を撃ちこんだ。気が付けば風も暖かさを運んできていた。春はもうすぐそこまで来ているのだ。そして由衣の心に春が来る日もそう遠くないと知っている青空はその青さをより一層輝かせるのだった。

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