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くもりのち、はれ-外伝-  作者: 夏みかん
外伝 6
11/12

雨上がりの空に 前編

これは『くもりのち、はれ 異伝』よりも以前、木戸周人の両親の物語です。

幼稚園の時に知り合った彼女は、その頃から少し変わっていた。5歳にしては大人びた考えを持ち、しっかりしていたと記憶している。顔は可愛く、幾度かカメラ屋のショーケースに展示されているモデル写真に選ばれていたほどの美形だ。幼さを残すそのあどけない笑顔、そして内面は嫌みのない大人のギャップに惹かれたのかもしれない。小学生になり、彼女はますます可愛くなった。社交的で誰からも好かれ、妬みもなくよくモテた。高学年になり、男子とは違って女子が色恋沙汰に興味を示す中、彼女がちょっとした占いを始めればたちまちその驚異の的中率にみんなが夢中になった。女子のみならず男子でさえも。順番待ちが多くなり、困った顔をしながらも彼女は丁寧にみんなを占った。中学に上がってからは読書をしている姿をよく見かけた。俺を見てにこやかに微笑み、手を振ってくれるその姿は嬉しくもあり、そして辛くもあった。周囲の目線が痛い。なんでお前が彼女と親しいんだ、そういう目が。中にはそれを利用しようとする者もいた。占いの順番を早めてくれと頼まれたり、プレゼントを渡してくれと頼まれたり、好きな男子がいないか聞いてくれだの、俺には関係のないものばかり。ただの幼馴染の関係は微妙な空気感を2人の間に漂わせていた。そう、その原因はそれだけではない。もう1人の幼馴染のせいだろう。俺とは違って明確に彼女に対する恋心を表に出し、周囲にすれば交際しているとしか思えない仲が日常に溢れている。ただ喜ぶべきことは彼女が交際に関して真っ向から否定していることだろう。家は明治時代から続く合気柔術なる武術を受け継ぎ、その道場を開けば盛況だ。顔もよく、そして強い。先輩たちからも一目置かれる存在、それがもう1人の幼馴染である佐々木哲也という男だった。生まれた時期も近く、家もすぐ傍ということもあって常に一緒にいた。だから、哲也のことはよく理解している。俺には絶対に敵わない、そんな男だ。頭も、腕っぷしも、そしてその武術の才能も。だから彼女はきっと哲也を選ぶだろう。今はただの幼馴染、でも将来はきっと違う。哲也は周囲が羨む才能にあふれているのだから。


高校生になったとはいえ、さほど変化はない。それが1年経っても変化などなく、いつものように木戸源斗は放課後の教室で小説を読んでいた。空想の中に浸って現実から逃避するのがいつもの放課後の過ごし方だ。勉強は普通、顔も普通、運動神経はやや悪い源斗はどこにでもいる普通の高校生だった。一旦本から目を逸らして眼下に見えるグラウンドへと目を向ければ、部活動に精を出す生徒たちが多くそこにいた。基本的に部活はすることと決められていたが、文化部で、しかも文芸部などといった地味な部活は部員も少なく活動自体もないに等しい。たまに5人の部員が集まって読んだ本の感想を言い合ったり、1つのジャンルに限定した本を選別して読むといったことをしているだけだ。元々読書が好きな源斗にとってこういう部活は自分に合っていると思う。だから今日も誰もいないこの部室で1人静かに読書に耽っていたのだ。そんな源斗は不意に開く部室の扉へと目を向ける。古い校舎のせいか、横にスライドさせるだけでも結構な力を要するその扉が開き、ひょっこり顔を出した美少女に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまった。けれどその美少女、平坂静佳はそんな源斗の表情など気にならないのか可愛らしい笑顔を向けながら部室に入ってきた。


「源ちゃん、まだ帰らないの?」


とことこと歩いてきて空いている椅子に腰かける。その際、スカートを気にする仕草はお嬢様といった感じだ。


「もうちょっとしたら帰る」


ぶっきらぼうな言い方は今に始まったわけではない。だから静佳は気にせず、机の上にあった適当な本を手に取った。それは待っているという意志表示だ。


「待たなくていいぞ」


だからそう釘を刺した。なのに静佳はにっこり微笑み、パラパラと本をめくるだけだ。何も言わず、ただ本を見ているだけ。だから源斗は静佳をチラチラ見てしまう。幼稚園から知っている彼女は今では地域でも一番と言われるほどの美人なのだ。顔立ちも上品で、可愛いと美しいが混ざったような感じである。それなのに性格は良く、それでいて社交的で誰にでも優しかった。そんな彼女に片想いをしている男子は数多い。源斗もまたその1人なのだった。幼馴染だから他の男子に比べて少しだけリードしていると思いきや、源斗自体にそんな気はない。むしろ幼馴染であることがネックになっていると思う。そうでなければとっくの昔に告白をしてさっさと振られ、次の恋に行けただろうと思うからだ。だけどそれが出来ないのは幼馴染だからであり、告白して振られてその関係すら失うことが怖かった。臆病者、いつも父親からそう言われている自分を嗤うしかない。


「哲也と帰らなくていいのか?」


思考よりも先に言葉が出たことを後悔する。けれど、コンプレックスはどうしようもない。


「別にてっちゃんと帰る理由ないしね」

「俺とはあるのかよ?」

「源ちゃんと帰りたいからね、それだけ」


そう言って微笑む静佳の笑顔が眩しい。何故自分なんだと思う。期待をしてもいいのかとも思う。けれどそれはすぐに頭から消えた。ありえない、それが結論だったからだ。


「奢らないけどな」


精いっぱいの強がりがこれだ。


「財布に百円しかない源ちゃんに奢ってもらうなんて思わないですよ」


本を見たままの静佳の言葉に顔が青くなるのがわかる。昔からこういうところがある。世の中の全てを見ている、知っているような言動。源斗の財布の中身は確かに今月の小遣い全て、貰ったばかりなのに既に百円しか入っていない。だから何も言えずに黙り込むしかなかった。


「源ちゃんのことなんて全部お見通しなんだから」


小さく微笑む顔が本当にかわいいと思う。けれどその笑顔が不気味に感じることもある。彼女は源斗のことを全て理解している節がある。財布の中身にしてもそうだし、日々の生活に関してもそうだ。


「俺はお前がよくわからん」

「そりゃそうだよ、知りたいって思ってないからでしょ?」

「知りたいと・・・・思ってねぇな」


嘘をついた。それすら見抜かれているのだろうか。けれど静佳はにっこりと微笑んで机に本を戻した。


「知って欲しいって、思ってるんだけどなぁ」


小首を傾げれば背中の半ばまである長い黒髪がさらさらと流れるように動く。眉辺りで切りそろえられた前髪も似合っていると思えた。


「興味ないから」

「嘘つきだね」

「嘘じゃねぇし」

「大嘘つきだ」

「違うって」


いつもこうしてからかわれている。いや、本当にからかわれているだけなのだろうかと思う。昔一度だけムキになって言い返したが、静佳は少し困った顔をしただけで終わっている。反論もなく、泣くこともしなかった。静佳は見かけよりもずっと強いと知っているが、源斗の知らない芯の部分の強さを見た気がしていた。それ以来はもうムキになることもなかった。


「もう帰るわ」


脱力したのと、このまま2人きりの空気に耐えられなくなった源斗は本に栞を挟んでカバンにしまうと机の上も片づけ始めた。静佳は黙ってその様子を見ているだけで、立ち上がった源斗を見て同じように立ち上がった。


「鍵返すから」

「うん」


そう言い、鍵を閉めて早足で職員室へと向かう源斗の少し後ろから付いてくる。並ぶことも、すぐ後ろを歩くことも禁じられている静佳は律儀にそれを守っているのだ。源斗としては並んで歩きたいけれど、周囲からの刺さるような目に耐えられないのだ。お前ごときが並んで歩くな、ただの幼馴染のくせに、そういう視線に。だから源斗は勝手と思いながら静佳にそれを告げたのだ。静佳は静佳でそれを守っている。ただ、学校内でだけだったが。だから校門を出れば並んで歩く。何度言ってもそれだけは引かない静佳に折れた源斗はもう我慢をすることにした。


「もうすぐ夏休みだね」

「ああ」

「海かプールに行きたいね?」

「勝手に行けばいい」

「てっちゃんと3人で行こうよ」

「ヤだね」

「しょーがないなぁ」


ため息交じりにそう言ったために諦めたのだろうと思っていた。そんな源斗の腕にそっと自分の腕を絡ませてくる静佳を驚いた顔をして見るしかない。


「2人で行こう!」

「なんでそうなる?」

「私がそうしたいから」

「あのさ・・・・」


歩くのを止め、静佳を伴った源斗は夕日に長い影を落としながら立ち止まった。


「なんで俺に構うの?」


ずっと疑問に思っていたことをぶつけた。幼馴染だから、どうせそう言うに決まっている。だからその次の言葉も準備していた。


「なんだろうね・・・源ちゃんが気になるからかな?」


顎に手を当ててそう言う静佳の言葉に思考が麻痺して間抜け面をさらした。


「なんだかほっておけないっていうかさ、うーん・・・私がいなきゃって、そんな感じ」

「なんだよ、それ・・・兄弟みたいな感じか?」

「ちょっと違う」

「なら・・・」

「上手く説明できないね」


微笑む静佳にもう何も言えなくなった。憤りも動揺も、その笑顔を見れば消えていく。不思議な感覚だったが源斗はそれを受け入れた。


「何やってんだ、お前ら?」


不意に背後から聞こえてきたその声が誰かは分かっている。だから源斗は苦い顔をし、静佳はにこやかに背後を振り返る。そこにいたのは少し鋭い目つきをした男だ。鬼の目、そう言われているのを知っているのは学校では静佳と源斗ぐらいなものだ。短い髪をしたその男は静佳の横に並んだ。源斗には目もくれない。いつからこうなったのだろう、そう思う源斗もまたその男、哲也を見なかった。


「源ちゃんと一緒に帰るところ」


微笑む静佳に笑みも見せず、ちらりと横目で源斗を見ただけだ。だから源斗は哲也と目を合わさないで歩き出す。あわててそれを追おうとした静佳の手をギュッと握った哲也に顔を向ければ、そこには鬼の顔をした哲也が源斗の背中を睨んでいた。


「出来損ないに付き合う必要はない」

「てっちゃん!」


哲也の言葉に怒りの目を向ける静佳を無視し、そのまま源斗の背中を睨んだままだ。静佳は強引に掴まれた手を振りほどくと一度源斗を見て、それから鋭く睨んだ目を哲也に向けた。


「源ちゃんはできそこないじゃない!」

「出来損ないだろう?木戸の名も継げない弱い男だ」

「そんなの関係ない!」


叫ぶようにそう言い、静佳は源斗の後を追った。哲也は舌打ちをしてから歩き出すが、すぐ後ろから1年生女子の集団に迫られて足を止める。目は源斗に並ぶ静佳の後ろ姿を見たままで。


「生徒会長!一緒に帰っていいですか?」

「ああ」


目も合わさないその言葉だが女子たちはわいわい騒いでいる。軽い女は嫌いだと思うが、生徒会長としては外面も良くなくてはならない。徹底的に違いを見せつけるためにそうしているのに、見せたい人は自分を全く見てくれない苛立ちがここ数年でかなり溜まっていた。それでもクールな笑みを見せて女子に対応する自分を嫌悪する。どうしてこうなったのかを考えたのは一瞬で、それをすぐに頭から消してしまったのだった。


「源ちゃん」

「一緒に帰る必要なんてないぞ」

「どうして?」

「俺と一緒にいて、お前に何の得があんの?」


卑屈になっているのは分かっているのに、言葉はそういう風に出ていく。哲也との関係がこじれて以来、いつもこんな風になっている自分を慰めてくれるのが静佳だった。だからこそイライラが募るのだ。同情されるだけみじめになるのだから。


「得とかないよ。源ちゃんは幼馴染だし、友達だし」

「俺はこんなだ。出来損ないで弱い。やる気もないし名も継げない。だからもう、お前に同情されるのイヤなんだよ!」


ずっと溜まっていたものが噴出した。静佳は何も悪くはない。それなのにその静佳を罵る自分が嫌いだった。名を継げないほど才能がないことも、弱いことも自分のせいだ。だからといって修練もしない弱虫なのだと自覚しつつ、そこから逃げようと必死になっているゴミクズ同然の人間に静佳は似合わない。


「同情じゃないよ?」


きつい言葉を浴びせられてもにこやかに微笑む静佳が不思議だ。そう、いつでもそうだ。どんなに酷く罵っても理不尽な文句を言っても意に介さない。まるで源斗の心の奥にある本心を見抜いているかのような目で見つめてくるのだ。


「源ちゃんは出来損ないじゃない。今にきっと、自分でも理解できる」


まっすぐな目でそう言われた源斗はもう何も言えなくなった。本当にそんな気がしてきたからだ。


「そうかよ」


そう言うのが精いっぱいで歩き出す。静佳はもう何も言わずに横に並んで歩き出した。傾いた太陽が山の稜線に掛かり始める頃、ようやく静佳が口を開いた。


「海、行こうね?」

「・・・ああ」


抗えない何かのせいでそう返事をして、それから舌打ちをする。静佳と2人で海など行ってそれを誰かに見られたらと思うと吐き気がしてくる。なのに何故自分は素直に肯定したのだろう。


「約束ね?」


微笑むその顔を見られず、源斗はそっぽを向いた。けれども、その状態でもちゃんと頷く自分に少しだけ嬉しくなるのを感じたのだった。


木戸無明流、それは戦国時代に生まれた素手で相手を殺す技を扱う流派である。1対多数を想定し、打撃技、関節技、寝技、立ち技全てを扱える究極の武術として編み出されたもの。一子相伝で現代にまで伝えられ、時に歴史に名を残す偉人たちとも深い関わりを持ったとも言われている。身体能力もまた群を抜き、鍛えあげられたその肉体から繰り出される技の数々は無類の強さを見せたという。今現在の継承者は木戸鳳命きどほうめいであり、源斗の父親に当たる。歴代最強と言われたその腕は戦後間もない混乱の中でも力を発揮し、腕試しや日本人殺しを行った駐日アメリカ兵すら怯えさせたという伝説を持っている。30代半ばとはいえ、そこに衰えは全くなかった。17歳で息子を授かった鳳命は自らが持つ技、意志、それら全てを源斗に注ぎ込んだ。病気のせいで1人しか子を産めなかった妻の洋蘭ようらんから何度か優しく接するように懇願されたものの、厳しい修行で源斗を鍛えあげてきたつもりだった。だが、源斗にその才能はなかった。鍛えても鍛えても技は向上せず、身体能力も低い。技は使えても心が弱くてはどうにもならず、わずか14歳の時点で継承失格の烙印を押されてしまったのだ。元々争いごとなど好まない性格のせいか、源斗は名を継ぐつもりも技を継承する気もない。ただ好きな子を、静佳を守ってやれるだけの力があればいいと思っていた。そう、哲也が佐々木流の名を継ぐまでは。明治の幕開けとほぼ同時に生まれた気功と合気道、そして柔術を合わせたその武術の開祖は佐々木早雲と言い、中国で気を習ったことでその武術の閃きを得たという。そして十年の錯誤を経て佐々木流合気柔術を名乗り、世に広めようと動いた。そんな中、偶然の出会いの中で早雲は木戸の名を持つ男と戦った。三百年以上の歴史を持つその武術は生まれて間もない佐々木の全てを圧倒したという。やがて早雲は打倒木戸流を掲げてより実践的な技の開発に注力したのだ。道場を開いて蓄えを得る一方で、息子には厳しい修行をさせて気を操り、技を磨くことを強要したのだった。そして現代、まさか近所に居を構える木戸の家がその木戸無明流だと知って愕然とし、そして鳳命の強さを目の当たりにして無念の涙を飲んだ。またも佐々木は木戸に敗れたのだ。だから哲也は木戸を倒すために気を練り、技を磨いてきた。自身の内部に働く気を操ることに長けた哲也は才能の塊であり、傷を癒す内養気功に特化していることもあってダメージの回復も早かった。身の内に鬼が棲む哲也は佐々木流の魂の結晶とされ、木戸を倒せる逸材だとされた。ただ、鳳命と戦わせる気はなく、哲也としても鳳命ではなく自分と同じ年の源斗と決着をつけようと考えていた。別に鳳命から逃げたのではない。全盛期を越えた鳳命に興味がないだけだ。なのに源斗はあのザマだった。才能もなく、身体能力も乏しい。木戸の流派を継げない失格者となったことに心底失望し、いつしか自分の生きてきた意味すら否定された気になっていた。それでも哲也は鍛えつづけた。最悪は鳳命でもいい、木戸に勝つと決めたからだ。木戸鳳命に勝利し、そしてずっと想いつづけている静佳に愛を告げる、もう哲也の中にはそれしかなかった。なのに今日も静佳は自分ではなく源斗と一緒にいる。源斗が失格者の烙印を押されようが、卑屈になろうがずっとだ。自分の方が静佳にふさわしいと思う。勉強も学年で1番だし、全国でもトップレベル。肉体的にも強く、誰にも負ける気がないほど自信に満ち溢れている。人望も厚いし、何よりそうなるように努力をしてきた。だが源斗は違う。失格者となってからは修練もしない。ランニングもせず、ただ本を読んでいるだけの弱虫だ。同情なのだろうと思っていた。静佳がずっと源斗に世話を焼くのはただの同情だと。けれど最近はそうではない気がしていた。いや、確信に近い。信じられないことだが、静佳は源斗を好いている、そうとしか思えなかった。歯がゆさを修練にぶつけて汗を流す。流れるようなその動き、そして瞳の中に宿る鬼。相手が幼馴染であろうと叩きのめすことができる獣が自分の中にいるのは分かっている。その獣が噛みつく価値もないと判断した源斗を静佳が好いている、それが許せなかった。


夕食の時間に会話はない。黙って食べるのがルールだったからだ。テレビもつけないしラジオもつけない。そんな生活に慣れている源斗にとってもこの時間は1日の中で一番苦痛な時間でもあった。父親からの無言の圧力がある。母親からのそわそわした気配がある。だから何も考えないようにして食事に集中する。


「ごちそうさまでした」


そう言って食べ終わった食器を台所へと運び、居間の横にある自室に向かおうとした時だった。


「鍛えもせんのか?」


お茶碗を置いた父の言葉に動きを止めるが顔は向けない。そのまま襖を開けて出て行こうとした時だった。


「出来損ないなら出来損ないでなんとかしようとは思わんのか?」

「出来損ないですから」

「誇りもないか」

「ありませんよ。あるのは劣等感だけです」


源斗の言葉に深いため息をつき、鳳命は細めた目で湯呑を見つめた。


「お前の子供に期待するしかない、か・・・期待も薄いだろうが隔世遺伝という言葉もある」

「男にしろ女にしろ、木戸の技も名も継がせない。それに結婚する気もないですよ」

「ふぬけが」


吐き捨てるその言葉を受けても源斗は何も感じず自室に入った。閉じられた襖のせいか部屋は暗い。電気もつけないでため息をつき、畳の上に寝転がった。


「人を殺す技なんか必要ない。殺すなら銃でも使えばいんだ」


ずっとそう思ってきた。この平和な世の中にこんな技が何の役に立つのだろう。ただ好きな子を守れるだけの力があればいい。たとえ自分がどうなっても静佳さえ守れれば、そう考えて思考が停止した。哲也がその相手ならどうなるのだろう。それでも自分は逃げないで戦うのだろうか。答えはノーである。哲也ならしっかりと自分と静佳を守れるからだ。なら、戦う理由もない。静佳も静佳だ。何故自分に世話を焼くのだろう。哲也と静佳は美男美女でお似合いの2人。学校でも2人が一緒にいるだけで絵になると評判だ。それなのに静佳は哲也ではなく自分に世話を焼く。自分のことを好きなのかとも思ったがそうではないとわかっている。ただの同情であり、情けない自分を放っておけないのだろう。支えたいのではなく、支えないといけないという義務感だと思う。1人では何もできない半人前、そう思ってのことだと思っていた。だからといってどうにかしようとも思わない。自分は出来損ないで、木戸の名も継げない中途半端な存在だ。だから空想の中、本の世界に逃げている臆病者なのだ。そんな自分と静佳が釣り合うわけもない。源斗は体を丸めて膝を抱えて横たわる。きっと将来、哲也と静佳は夫婦になるだろう。それを祝福できない自分は容易に想像できる。だから高校を出たら関西にでも行って働くつもりでいた。誰も自分を知らない場所に行こう、そう決意できたのは静佳への想いを断ち切るためでもあった。


1人で登校するのは慣れている。もっとも、一週間に2日ほどはいつの間にか静佳が横にいるのだが。だから今日はいつもの15分前に家を出た。さすがにこの時間に静佳に出くわすことはないだろう、そう思っていた。だが十字路に立つセーラー服姿の静佳がそこにいた。静佳のこういうところはどこか不気味だが、けれどこれが静佳だとも思える。ため息をついてゆっくり近づけば、静佳はにこやかな顔をして軽く手を振って来た。


「おはよう」

「・・・・早いな」

「まぁ、そんな気がしたわけですよ」


何故か困ったような笑顔が気になる。けれど、源斗はあえてそれを無視した。


「そう」

「じゃぁ、いこっか」

「そういうの、今日で終わりにしてほしい・・・いや、しろ!」


きつい言い方なのはわかっている。あえてそうした源斗の心が痛むものの、言われた静佳はきょとんとした顔をした後でこほんと咳払いをしてからギュッと源斗の鼻をつまんだ。


「ヤだ!」

「はんではほ?」

「ん?なんでだよ?って?」


鼻をつままれているために発音がおかしくなるものの、静佳には伝わったようだ。


「だってさ、それは私が決めることだもの」

「意味わからん」

「私が源ちゃんと行きたいから」

「だ、だからなんで俺となんだよ?」


一瞬嬉しくなった自分にブレーキをかける。昨日の決意を思い出し、源斗は鬼の棲まない心に鬼を作り上げた。


「お前となんか行きたくない」

「あ、そう。じゃぁ、私が勝手について行くだけ。ほれ、行きなさい」


しっしっと犬を追い払うような仕草をする静佳を睨み、源斗は歩き出した。その後方2メートルほどの距離を追いて静佳がついてくる。


「なんで俺なんだよ?」


前を向いたままそう問いかけた。


「なんでって?」

「哲也じゃなくて、なんで俺なんだ?俺ってそんなに頼りないか?心配か?同情なんかいらないぞ」


まくしたてるようにそう言い放つが決して後ろは振り返らない。静佳の表情を見ることが怖かったからだ。


「同情じゃないよ。まぁ頼りないって言えばそうかもね。でも、そうじゃない。私はね、源ちゃんのことが・・・」

「随分早いんだな」


言葉尻にかぶせるように聞こえてきた声に源斗が振り返った。やや目を細め、哲也を睨むようにして見やる。静佳が言いかけた言葉が気になったものの、ここで哲也にも出くわした不運を呪うのが先だ。


「2人でこそこそ登校か?」

「別に・・・偶然だ」

「こんな時間で偶然、か」

「何が言いたいんだよ」

「お前と静佳じゃ似合わないってことだ」


その言葉に源斗は哲也へと向き直った。わかっていたとはいえ、面と向かってそう言われれば腹も立つ。似合わないことは承知の上だ。


「俺が出来損ないでそんなに悔しいのか?」

「なんだと?」

「木戸を倒せない、本物の木戸を倒せないのがそんなに悔しいのか?」


その言葉に鬼の目をした哲也が迫り、胸倉を掴みあげた。だが今日の源斗は引かない。


「親父と戦う度胸もないくせに」

「勝つ自信はあるさ。けどな、俺は全盛期の木戸を倒したい、それだけだ」

「親父は今でも十分に強い」

「そうかよ」

「それに、俺は木戸を継がないし、子供が出来ても継がせない。結婚する気もないけどな」

「なんだと?」


その言葉に一瞬だけ静佳の方を見た。何故そうしたのかはわからないが無意識的な反応だった。その静佳は黙ったままで2人のやり取りを見ている。冷静な顔が印象的なほどに。


「今の世の中で人殺しの技なんか必要ないから」

「ずっと続いた歴史ある武術を終わらせるってのか?」

「出来損ないが生まれた時点で、そうなるね」


自嘲気味に微笑む源斗の左頬に強烈な打撃がさく裂した。源斗は尻餅をつき、鼻から血を流すもののそれをぐいっと右腕で拭う。ズキズキと頭も痛むが、お構いなしに立ち上がった。


「お前の家がどうとか関係ない。そんなに木戸と戦いたいなら、親父とやれ」


源斗はそう言うとフラフラした足取りで歩き出す。呆然としながらも強く拳を握りしめる哲也は少し俯いたままで動こうとはしなかった。


「源ちゃん!」


あわてて後を追う静佳がハンカチを取り出し、流れ出る鼻血を抑えるようにそれを当てた。源斗はそんな静佳を睨み、その手を振り払う。


「お前も俺に構うのをやめろ!うんざりなんだよ!」

「でも・・・」

「言ったろ?同情なんぞいらないって」

「同情じゃないよ」

「うるさいっ!」


そう叫ぶと源斗は走って去って行った。学校ではなく、別の方向へ。だから静香は追わなかった。たださびしげな顔をしてその背中を見つめるだけ。そんな静佳を見ず、哲也は拳を強く握ったままポツリと呟いた。


「あいつがちゃんとしていれば・・・」


子供の頃は仲良しで、それだけでよかった。けれど、お互いに武術を習うことでそれが狂い始めたのだ。だからといって2人の間にわだかまりはなかった。競い合うこともなかった。そう、哲也が佐々木の名を継ぎ、源斗が木戸の名を継げないと分かった日までは。親友であり幼馴染の2人が戦って決着をつける、それが哲也の理想だった。それなのに源斗は失格の烙印を押されてしまったのだ。


「あいつさえ強ければ・・・」

「源ちゃんは強いよ」


静佳の言葉に哲也はそっちを見た。凛とした表情をしたその瞳に宿る光は綺麗でまっすぐだった。


「どこがよ?」

「確かに技も体もダメかもしれない。でも、弱くはないよ。源ちゃんは強いし出来損ないじゃないよ」

「お前はあいつを好きだから、贔屓してんのさ」


皮肉と同時に本音が出た。だからか、哲也は自虐的に笑っていた。


「お前はずっとあいつにくっついてた。好きなんだろ?」

「てっちゃん・・・」

「なんであいつなんだ?俺は・・・俺ならお前にふさわしいぞ!」

「それを決めるのはてっちゃんじゃないよ」


そう言い残し、静佳は走り去った。源斗とは違い、学校の方へと。哲也は舌打ちし、それから憎しみのこもった目を空へと向ける。自分はなんなんだと自問するが答えは出ない。木戸を倒すために、源斗を倒すために腕を磨いてきた。それなのに源斗は戦うに値しない人間だったのだ。絶望感が襲い、そしてそれは憎しみに変わった。そう、自分がずっと想いを寄せていた静佳がずっと源斗を見ていたことがその理由だ。源斗を倒し、静佳を自分の方へと向けさせるために頑張っていたというのに、それすら無駄に終わった絶望感が憎しみに変化していた。理不尽な怒りをぶつけているという自覚はある。けれどもどうしようもないのだ。


「小さい人間だ・・・」


呟く哲也は源斗を殴りつけたその拳を見つめ、そしてとぼとぼと歩き出すのだった。


上空を流れる白い雲をぼんやりと見上げていた。哲也に殴られてから一週間、それからわざと静佳や哲也に会わないようにしている。いつもは神出鬼没な静佳も今回ばかりはあまり出会うこともなかった。立ち入り禁止となっている学校の屋上は日差しがきついせいか、日影にいても汗がにじみ出てくるほどだ。源斗はそれを拭おうともせずにただぼんやりと雲を見つめていた。何故自分は弱いのかと思う。技は使えるし、奥義も使うことはできる。けれど、実戦になった時、少し怖いと思うと逃げ出したくなるのだ。どうしようもなく、気が付けば逃げている。鳳命に言わせれば心が弱いというが、自分の中には哲也や鳳命が棲まわせているような鬼や獣といった人外の存在がいないせいだと思う。だからそういうものを棲まわせている者と対峙した時、逃げ出すのだ。強者と戦える、命のやりとりに対する恐怖も歓喜もない、ただひたすらに怖いだけ。つまり、弱いのだろう。だからといって次代に残したい、繋げたいとも思わない。こんな技などさっさと途絶えさせればいいと思っていた。妬みではない、無意味だと思うからだ。


「なにが木戸無明流だよ」


吐き捨てるようにそう言った時だった。


「源ちゃん」


不意に聞こえた声に体を起こせば、すぐ傍に静佳が立っていた。誰かが来た気配も感じなければここまで近づくまで気づかなかったことになる。これが弱いということかと思うが今更どうしようもない。


「いじけてるの?」

「別に」

「いじけてるじゃない」


小さく微笑む静佳が可憐な動きで横に座る。半袖から出ているか細い腕も白く、体つきもどこか華奢だ。


「何の用?」


ぶっきらぼうにそう言う源斗に小さく微笑む。静佳は何も言わずただ横に座っているだけだった。何故こんなにも自分に構うのだろう。自分を好きなのか、そう思うがそれはすぐに消える。


「頼りない俺だから構うのか?」


寝そべって空を見たままの源斗がそう問いかける。


「源ちゃんはしっかりしてるよ」

「じゃぁなんで世話を焼く?」

「それは・・・・」


言いにくいのか、そこで言葉が止まった。気になるがそのまま待つ。


「その答えはもう少し先で言う」

「今言えない理由って?」

「信じないだろうけどね、私は、普通じゃない」

「え?」

「普通じゃないんだよ」


そう言って困った顔で微笑む静佳をまじまじと見やる。美人で気立てもいい、優しいし上品だ。でも確かにおかしいと思う部分もある。謎めいた言動もあるし、何より全てを見透かしたような目は源斗としても気になっていた。


「世の中の全てが見える、運命も、未来も、全部」

「はぁ?」

「って言ったら、やっぱ変だよね?」


変の意味がわからず混乱する。そういう冗談を言うことが変なのか、それとも実際にそうできることが変なのか。どっちにしても源斗の理解の範囲を超えていた。


「まぁ、冗談だけどね・・・でも、源ちゃんならきっと全部受け止めてくれるって思ってる」

「お前が不思議ちゃんってのはもうずっと前から知ってるしな」

「そうだね」


いつもの優しい微笑みがそこにあった。


「きっと答えはもうすぐ出る。だから、もう少しだけ待ってて」

「なんかよくわからないけど、わかった」


納得など出来ないし意味不明すぎる。それでも静佳がそう言うのだ、それでいいと思えた。静佳はにっこりと微笑み、それから澄んだ青空を見上げた。


「未来が見えても、不安なんだよ?」


心でそう呟く静佳はもう一度源斗を見て、そして悪戯な笑みを浮かべるのだった。


毎日の練習は怠らず、汗を流すことは苦痛ではない。強くなりたい、その一心で今日まで技を磨いてきたのだから。なのに苛立ちは募るばかり。気を練り、それを両手に集中させればそこが淡い光を放っているのがわかる。打撃に気を乗せれば威力は倍増し、また防御に回せば気による硬化でダメージを軽減できた。全ては木戸を倒すため、そのために今日まで頑張ってきた。いや、本当にそれだけだろうか。不意に浮かんだのは静佳の顔だ。何故彼女はああまで源斗に構うのか。何故自分ではダメなのか。源斗ではなく、自分を選ばない理由がわからなかった。だから苛立つ。失格者の烙印を押された源斗に未来などないはずなのに。グッと握った拳に一瞬だけ黒い気が混ざった気がした。けれどそんなことはどうでもいい。苛立ちはもう限界だった。


今にも降り出しそうな空をしている。梅雨の終わりの最後の抵抗なのか、遠くで雷の音もしていた。今日は土曜日で午前中のみで授業が終わったこともあって、源斗は雨が降る前にと家路を急ぐ。そんな源斗を追いかけてきた静佳と並んで歩いていた時だった。急に静佳の腕が背後から来た人物によって引っ張られる。土手を歩いていたせいか、バランスを崩す静佳のもう片方の手を取った源斗はそれでも後ろへと引っ張ろうとする哲也を睨みつけた。


「危ないだろうが!」

「お前が放せ」

「ちょっと、てっちゃん」


戸惑う静佳を見ても鬼の目を源斗に向けている。気功のことなどさっぱりな源斗だが、何かどす黒いものを哲也から感じずにはいられなかった。


「どうしたんだよ、お前」

「どうもしない。ただ自分に正直になっただけだ」


そう言い、背後から静佳を抱きしめる。戸惑う静佳と源斗だが、哲也はお構いなしに静佳の髪に自分の顔を押し付けている。おかしいと思う源斗が静佳の両肩を持って強引に自分の方へと引き寄せた。


「お前、どうしたんだよ!静佳が嫌がってるだろ?」


怒鳴り声と、すぐ近くの鉄橋を渡る電車の音が重なる。最近コンクリートで補強されたその鉄橋は騒音を抑える効果があったが、こう近くては源斗の声も聞こえにくい。


「お前さえいなければ・・・・いや、失格者で出来損ないのお前にそういう権利はない」


ポツリポツリと落ちてきた雨を気にしつつ、静佳は自分を見つめる哲也の瞳の奥、体内にある黒い存在を見抜いていた。


「こい!」


そう言うとまたも静佳の手を取って土手を降り、鉄橋の下へとやってくる。ここは鉄橋のおかげで雨に当たらない場所になっていた。後を追ってきた源斗も不穏な空気を持つ哲也と距離を置き、そして静佳を抱きしめるその姿に違和感を覚えていた。土砂降りの雨と稲光の中浮かび上がるのは黒いオーラをまとった哲也。


「卒業したらすぐに結婚する。お前に選択肢はないぞ。そしてすぐに子供を産め」


背後から静佳を抱き、首元と胸に腕を置く哲也の顔は悪鬼のようだ。


「イヤ!てっちゃん、おかしいよ!」

「おかしいのはお前だ!俺には未来がある。そんな俺の妻になればいいんだ!」

「イヤだよ!てっちゃんの勝手にはもう付き合えない!」


そう言った瞬間、静佳を解放した哲也の平手が飛んだ。静佳はよろめき、草地の上に倒れこむ。頬を押さえて震える静佳はじっと哲也を見た。彼の意識というか魂が何かに浸食されている、そう見える。嫉妬や憎悪、失望を負の気に変化させた哲也はもう普通ではない。仕方がなく強引にそれを元に戻そうと動いた時だった。


「お前に静佳を幸せにできない」


源斗はややうつむいたままで体を震わせていた。静佳がじっと源斗を見つめる。震えているのは恐怖だ。哲也から溢れる負の気に対する恐怖。そして、静佳を傷つけるのをただ黙って見ていた自分への恐怖。


「お前ならって思ってた。静佳が好きだけど、お前になら負けてもいいって思っていた。けど、これは違う。これは認められない!」


じりっと一歩出た。そんな源斗を見てニヤリと微笑む哲也もまた一歩前に出た。


「じゃぁどうする?俺とやりあうか?出来損ないのくせに」

「出来損ないなりにもプライドがある・・・」

「ちんけなプライドだ。逃げるなら今だぞ」

「いつもならとっくに逃げてる・・・でも、今は違う」


そう言い、源斗はすっと腕を上げて構えた。哲也もまた笑みを消して構えを取る。手に淡く光る気は黒かった。怖いと心底思う。だが、今日は逃げられない。たとえ勝てなくても、逃げてはいけないのだ。


「こいよ、木戸のなりそこない」

「そのなりそこないの、木戸源斗の本気を見せてやる」


生まれて初めての本気だ。木戸無明流を名乗れない出来損ないの本気がそこにあった。

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