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くもりのち、はれ-外伝-  作者: 夏みかん
外伝 1
1/12

愛しき幻影 前編

『くもりのち、はれ』 本編第九章と第十章の間に当たる物語。

吾妻由衣の高校生活を描きます。

緊張がありありとわかるその表情から相手の真剣な気持ちは十分に伝わってきていた。朱色に輝く太陽がその形状を誇示するかのごとくはっきりと丸く見える中、その光が空だけではなく雲すら、いや世界すら赤く染めていく。その朱色の世界は2人だけしかいない教室の壁や天井の光が当たる部分のみを赤く光らせつつ、窓際に立つ2人の影を間逆に位置している扉の外まで黒くそして長く伸ばしていた。今の若者の代名詞ともいえる茶色で長い髪はともかく、目元もはっきりし、鼻筋も通ったハンサムな顔立ちは夕焼けを受けたせいで赤いのか、はたまたそれはまた別の理由からか。対してその男子生徒が見つめる先に立つ女子生徒の顔も朱に染まっているが、こちらは全くの無表情であり、その赤味が差した顔が夕焼けのせいであることは一目瞭然であった。目もぱっちりし、顔立ちもはっきりしたその容姿はそんじょそこらのタレントやアイドルなど顔負けの美少女であり、活発そうなその美少女にはぴったりのショートカットの髪型がその可愛いらしさをさらに倍増させているように見えた。ブレザーに赤いリボンの制服も似合うその美少女はやや短めのスカートを揺らしながら小さく頭を下げることしか出来なかった。つい先ほど帰る準備をしていたこの美少女を呼び止めた長髪の男子生徒が夕暮れに染まる教室の中で告白をしたのだ。自分とは学年が違うこの男子生徒からの告白に戸惑いつつ、またかと思う美少女はややうんざりした気持ちを微塵も表情に出さずに小さく頭を下げたのはこういった告白が日常茶飯事であるからに他ならない。


「ごめんなさい・・・私、今は誰とも付き合う気がないから、だから・・・ごめんなさい」


そう言う美少女の言葉は予想通りだったのか、男子生徒は小さくため息をつきながらも精一杯の笑顔を残して教室を去っていった。トボトボと長い影を引き連れて去っていく男子生徒の背中を見送りつつカバンを手にした少女はこちらも小さくため息をつくとそそくさと教室を出て行くのだった。


「・・・おまたせ」

「ううん・・・いこっか」


一緒に帰る約束をしていた隣のクラスの小川美佐はどことなく気まずい雰囲気を漂わせながら教室から出てきたその美少女、吾妻由衣あづまゆいにそう声をかけるのが精一杯だった。トレードマークのポニーテールは中学時代から変わらない。いや、変わらないのは由衣にとって美佐が幼なじみであることと、ずっと親友でいることだ。同じ小学校、中学校を経てこの桜ヶ丘高校にも2人仲良く通っている。一年生では同じクラスだったのだが、二年生になって離れ離れになってしまった2人だったが行き帰りはずっと一緒にしていた。だがそれも最近では登校は一緒でも帰りはバラバラになりつつあった。そんな2人は部活動をしていない。美佐は入学してすぐテニス部に入部するも、そのあまりにスパルタな方針についていけずに半年で退部、由衣に至っては部活をする気になれないでずっと帰宅部という状態となっていた。にもかかわらず何故バラバラに帰宅なのかと言えば、最近美佐に同級生の彼氏ができたからだった。親友よりも彼氏というか、やはりそこは初めての交際である美佐にとって彼氏にのめりこむのは当然である。そんな美佐を理解している由衣は美佐の意思を尊重して帰れるときは一緒に帰るという風にしていたのだった。そしてそれが今日だったのだが、こういう時に限って告白をされたり、お茶に誘われたりする由衣なのだ。そのせいもあってあまり会話もなく昇降口で靴を履き替える2人だったが、校門を出たあたりで恐る恐るながら美佐が口を開き始めた。


「・・・やっぱ、断ったんだ」


チラッと由衣を見てそう言う美佐に一瞬だけ視線を合わせた由衣は表情を変えることなく鼻でため息をつくようにしてみせた。


「そりゃ、どこの誰だか知らない人とは付き合えないよ」

「そうだね・・・」

「そういうこと」

「ってことはこれで16人目だね」

「17だよ」


実に淡々とそう言う由衣はその口調とは裏腹にうっとおしそうな顔をしていた。入学してからわずか1年程度で同級生、先輩を含めて十七人からの告白を受けている由衣はそれら全てを断っていたのだ。誰とも付き合う気になれないのもあるが、実際は心の奥で想っている人物がいるからだ。そしてそれをよく知っている美佐はそれ以上何も言わず、やや気まずい雰囲気に戻りながら会話も無く電車の駅へと向かう一本道を歩きつづけた。背後でゆっくりと沈んでいく夕日を受けて異様に長い影が自分の足先から前方に伸びている。


「由衣ちゃん?」

「ん~?」

「やっぱり今でもまだ、先生のこと、好きなの?」


その言葉に由衣の表情が一瞬強張ったが、それもすぐに元の無表情へと戻ってしまった。


「・・・そうかもしんないね。でも、断ったのは実際付き合う気がないから、誰ともね」

「・・・そう」

「そういうこと」


この話はこれでおしまいとばかりにそう言った由衣は美佐に小さな笑顔を見せた。中学の頃から大人びた美しさを持っていた由衣は高校に入ってからその美しさに年相応の可愛さを合わせる事によってその美貌をさらに増していた。同年代のクラスメート、いや、最近の派手な女子高生には無い落ち着いた雰囲気もまたその美貌を倍増させ、男子生徒からの人気は絶大なものとなっていたのだ。それだけに由衣に恋する男子も数多く、これまで告白してきた17人以外に片思いをしている者は全校の男子生徒の実に7割だとも言われている。そして告白をした17人の中には全校一の美少年も含まれていた。家も金持ちであり、容姿もいいその男子ならば付き合うのではないかと言われていたのだが、その男子さえも由衣の前では撃墜されるしかなかった。そのせいか男子ばかりではなく女子からも理想が高いだの生意気だのとの噂が流れたのだが、当の本人である由衣は実に涼しい顔をしているのだった。それに人当たりのいい由衣は友達にも恵まれており、陰口を叩いている女子から自分をかばってくれる者も多かった。それはそれで感謝しつつ、その友達から何故全部フっているのかを聞かれても『誰とも付き合う気がないから』という回答しか返せないでいたのだった。だが本当の理由は今美佐が言った『先生』なる人物が好きなせいだ。自分でもそれは理解しているが、叶うことのないその想いを抱えてすでに1年が経過しており、由衣の心の中でもそれはかなり薄れてきているのは事実だった。それでもまだ誰とも付き合う気になれない、その人以外誰も好きにはなれない由衣は夕日を浴びでキラリと輝く真上を飛んでいる飛行機を見上げながら少し悲しい表情を浮かべるしかなかった。


結局久しぶりに美佐と下校しながらろくな会話もなかった由衣はその原因を作った自分に反省しつつ、教科書がつまったカバンを無造作にベッドの脇に置いた。今日何度目かの大きなため息をつきつつ机の上に目をやれば、そこにはピンクのドレスに身を包み、自分でも驚くほどの華麗な変身を遂げた由衣のその横ではにかんだ表情を浮かべるスーツ姿の男性と写った写真が置かれている。その写真を見て悲しげな表情を浮かべつつ左手につけているベルト状の赤い腕時計を丁寧に外すとその写真の前にそっと置き、じっとその写真に写る男性の顔を見つめつづけた。


「今、どこにいるの?」


感情のこもった声でつぶやくようにそう言うと、またもため息をついてベッドに腰を下ろす。今は日本にいないその男性は1年前に就職した会社の仕事の都合上、世界中を飛び回っているはずだ。そんな男性を想いつつ、由衣はさらに一つ大きなため息をつくと窓にカーテンもかけずにもぞもぞと制服を脱ぎ始め、部屋着に着替えるのだった。


分厚く黒い雲が空を覆いだしたのはほんの10分ほど前だった。それまではやや曇りがちとはいえ雨を降らせるような雲ではなく時々陽光が差すほどの天気だったのだが、それが瞬く間に黒い雲が空を支配し始めてその陽光すらあっけなく消し去ってしまったのだ。嫌な予感にさいなまれつつ早足で駅へと向かう由衣は何度となくその黒い空を見上げながらまだ降るなと言い聞かせるように心の中で連呼していた。由衣の通う桜ヶ丘高校は電車かバスでの通学がほとんどの場所にあり、その最寄りの駅まではほぼ一本道となっていた。電車の駅とバスのターミナルが一本化され、駅には小さながらもレンタルビデオ店や本屋、コンビニや喫茶店が入った雑居ビルが隣接していた。道の右側は幹線道路となり、そのさらに向こう側にはマンションが立ち並んでいる。対して左側にはやや大きめの公園があり、その公園を取り囲むように新興住宅が立ち並んでいるのだった。その公園は広いだけで何もなく、あるのは小休止ができる憩いの場たる屋根付きの木でできたテーブル付きベンチが数箇所に設置されている程度にすぎない。自動販売機もないその公園はいつ起こるともわからない災害時の避難場所用に存在しているようなものだった。その一本道を駅へと向かう由衣の足が止る。空がフラッシュのごとく光り、遅れて低いくぐもったような音が天から響いてくるのを聞いた由衣は一気にダッシュしようとしたがそれが無駄だと悟った。再度空が光ったそのすぐ後に、まるでバケツの水でもひっくり返したような大粒の雨が降り注いだのだ。今の位置的にちょうど学校と駅の中間地点であるため、どっちに行ってもズブ濡れになってしまう。今朝の天気予報では降水確率はゼロだったにもかかわらずこれだ。おかげで折りたたみの傘も持っていない由衣は迷わず公園の方へと駆けた。幸いにもすぐ近くに屋根付きのベンチがあったためにそこに飛び込んだ由衣だったが、そのわずかな時間ですら制服のシャツが透けるほど、グレーのスカートは黒くなるほどに濡れてしまっていた。六月半ばのこの時期にこういった夕立はめずらしくはない。だが、あまりに外れた天気予報に腹立たしい思いをしながら小さなハンカチで濡れた髪の毛を拭くと視界もろくに利かない雨のすごさにうんざりした表情を浮かべた。蒸し暑さで寒くは無いが、このままの状態で電車に乗るのはさすがに抵抗がある。幸いにも今日は体育の授業があったため、Tシャツ替わりに体操服を着てから濡れたシャツを羽織ることにした由衣は雨が小雨になったら駅に向かって走り、トイレで着替えようと策を練った。


「はぁ・・・」


小さなため息など雨音にかき消されてしまうほどの大雨に雷。まだまだ止みそうにない黒い空を見上げた瞬間、突然の足音に身をすくめた由衣が右側を見れば髪全体から水を滴らせた同じ高校の制服を着た男子生徒が由衣のいるベンチに飛び込んできた。長めの前髪は目にかかっており、そこからも水滴が垂れている。ばっちりと目が合った由衣だが、下着が透けた胸元を隠すこともせず小さく頭を下げるとそのまま正面を向いて光る空を見上げるのだった。男子生徒はびしょ濡れになったカバンからスポーツタオルを取り出すと髪を拭き、ついで肩から首元までを拭いていく。由衣と同じようにシャツは透けているが下着はつけていないようで薄いながらも肌が見えていた。またグレーのズボンは全体が濡れて黒く変色して重くなっていたがそう気になるほどのものではなかった。由衣はチラッとその男子を横目で見やる。見たことのない顔から同学年ではなく一年生か三年生だと推測できるが、顔立ちが大人びて見えることから三年生だと判断した。すっきりしたその顔立ちははっきり言えば2枚目だ。濡れた長い前髪もこの男性に合っているとも言えよう。だがそれ以上は何も感じない由衣は内心ややうんざりしながら心の中でため息をついた。


『話かけないでよ・・・お願いだから』


声に出さずに心でそうつぶやくと、由衣はつい2ヶ月前のことを思い出していた。駅ビル内にある本屋に入った美佐を1人で待っていた由衣はそこでも告白を受けたのだ。周囲の目も気にせずそういうことが言えるその人物に対して信じられない気持ちでいっぱいになりながらもやんわりと、丁寧に、はっきりと断っていたのだ。自意識過剰だとは自分でも思うが、やはりこういう2人きりのシチュエーションになればそういった例もあることから余計な警戒心を高めてしまう。もし断ったことに逆上して変なことをされそうになっても逃げられない今の状況を思うとやはり警戒心は怠れない由衣であった。それに2年前に2度暴漢に襲われているだけに、そういう危機感は常に心の中にある。その上、その2度の危機を救ってくれた由衣の想い人はもういないのだ。降りしきる雨と鳴り止まない雷の中、気まずい沈黙が狭い空間を覆っているのがわかる。だが、男子生徒は由衣の方を見るでもなく、由衣に背を向ける感じで腕組みしたままじっと地面を叩きつける雨を見つめていた。やがて空に明るみが戻り、雨も小降り程度に収まっていく。雷も遠くなっているのがわかるほどに天気は回復に向かい始めた。これぐらいの雨であれば駅まで走ってもさほど濡れはしないだろう。そう思った矢先、先に男子生徒がカバンを手に取ると一旦空を覗き込むような仕草を取った。


「お先」


そう言い残すと男子生徒は雨宿りをしていたベンチを飛び出し、あっという間に由衣の視界から姿を消してしまった。由衣はただ呆然とその後ろ姿を見つめることしかできずにしばらくその場で立ち尽くす事しかなかった。


濡れた服が乾く前に家に帰った由衣は先にお風呂に入ることにした。ちょうど沸きたてであり、濡れた制服のシャツを洗濯機に放り込んだあと、スカートがしわにならないように洗濯機の上に置いた由衣は温かいというよりは熱い湯船に飛び込んだ。雨で体が冷えてしまったこともあってか、体感温度はかなり高かったのだがそれもすぐに慣れていく。顎まで湯船に浸かった由衣はさっき出会ったあの男子生徒のことをぼんやりと思い出していた。全く自分を見ることもなく、そんな素振りさえ見せなかった。自意識過剰ではなく、あのシチュエーションで由衣の方を見ない男子はいないだろうと思える。実際濡れた髪に下着が透けた制服姿でたたずむ美少女を前に、全くちらりとも見ない健全な男子などいないはずだ。だが由衣にとってあの男子生徒の態度は願ったり叶ったりであったためにさほど気にすることではない。由衣は湯船の中で膝を抱えるようにすると口まで湯船に浸けてブクブクと泡を吹くのだった。


夕食を終えてリビングを後にし、部屋に戻ってパジャマに着替えた由衣は机に向かいながら1枚のプリクラを見つめていた。あの夕立が嘘のような星空が天を覆い、本来の姿ではない半分だけの月が闇を照らす明かりとなって天から降り注いでいるのがカーテンの開いた窓から見えている。由衣は机の上に突っ伏すような体勢へと変化させながらもそのプリクラから目を離そうとはしなかった。にこやかな笑顔を見せている青年にお姫様抱っこされている自分がその青年の頬にそっとキスをしているプリクラ。初めてのデートで無理やり撮らせたそのプリクラは由衣の宝物の1つであり、そして忘れることのない大切な想い出なのだった。机の上に置かれた写真立てに入っている3枚の写真に写っているプリクラに写っている人物と同じ青年との想い出は由衣にとってかけがえの無いものであった。


「先生、今どこで何してるの?私は、元気だよ」


小さな笑みを見せながらプリクラの青年にそう声をかけるがもちろん返事など無い。そこには溢れんばかりの愛しい気持ちが込められていたのだが、つぶやいた由衣本人はそれには気付いていなかった。十五歳で本当の恋をした。心から素直に好きだと言える人だった。出会った当初はこの世からいなくなってくれと思うほどに世界で一番嫌いな人だった。当時通っていた塾でバイト講師をしていたどこか頼りの無いその青年との出会いは2年前だ。その頃の由衣はわずか十四歳にしてその美貌を武器に男に物を貢がせ、容姿や財産、所有している車種で男の価値を決めていた。だが、その結果として人気の無い公園で同級生3人組に暴行されそうになったのだった。その暴漢から自分を救い、怪我をしながらも自分だけを気にかけてくれた優しい心の持ち主であるその青年に触れ、由衣は本当の自分を取り戻したのだった。そして当然のごとく恋心を持った。だがその青年の心には深い傷があり、恋をするということすら忘れてしまっている状態にあったのだった。だが由衣は恋愛を強要せず、かといって諦めることもなく青年に接してきた。その結果、青年は由衣を好きになったのだが、由衣の告白も空しく付き合うことは無かった。理由は青年が仕事上世界を飛び回る業務につくことになったからだった。付き合っていきなり遠距離恋愛、しかもいつ日本へ帰れるともわからない状態でうまくいくわけがないとの判断してのことだったのだ。しかも由衣はまだ中学を卒業したてであり、経済能力も無い。由衣は自分の幼さを呪いつつもいつかは青年を追って飛び立つ日を夢見て今日を過ごしている。待っていろとも言われず、かといって待ってるとも言えず、当然再会の約束もしていない。それでもいつかはと、由衣の決心は1年経った今でも揺らぐことはなかった。


「私は、今でも好きだよ」


以前美佐にはにごした言葉をはっきりと口にする。高校に入れば誰かいい人が現れて心の中の青年を消し去ってくれるのではないかと思ったりもした。だが、その青年を好いた由衣にしてみれば同級生はおろか上級生でさえ子供に見えてしまうのだ。悪ぶるのがステータスのように振る舞い、それがかっこいいと思っているのか口を開けばウザイ、ダルイ。そんな彼らを好きになるはずもなく、由衣の中の青年への想いを加速させてしまうだけであった。それこそ入学したての頃は何度も会いたいと思っていた。だが、ようやくそれも薄れてきている今だが、それでもやはりその青年が好きな気持ちは変わらない。真の優しさを知り、心の大きさを知った。だからこそ、由衣はこうまで自分が成長できたと信じられる。


「会いたいね・・・」


儚い微笑を浮かべつつ、由衣はプリクラから窓の外に浮かぶ月へと視線を移すのだった。


様々な音が室内空間を飛び交っている。電子音や電子的な音声、メダルが落ちる音やルーレットが回る音などが四方から聞こえてくる中、自動販売機前にある赤いベンチに腰掛けた制服姿の由衣は今さっきその自動販売機で買ったアイスクリームを1人で頬張っていた。今日は土曜日であり、授業は午前中で終了だ。由衣は美佐に誘われて自分たちが住む桜町一の繁華街桜ノ宮に来ていた。桜ノ宮は幾多の電車やバスが行き交う大きな街であり、駅前には映画館やボーリング場、ブティックなどが一体となった大きなビルが存在していた。桜ノ宮は由衣たちの自宅と学校の途中にあるために、2人はよくここで寄り道をしているのだった。そのビルの中にあるゲームセンターはかなり広く、多種多様なゲームが所狭しと並べられているために多くの若者でにぎわっている場所でもあった。由衣はそこでクレーンゲームを3回したが目当てのぬいぐるみをゲット出来ずに休憩所となっているこのスペースでこうしてくつろいでいるのだった。一緒に来た美佐は彼氏である前川勇気と一緒にレースゲームを楽しんでいるのが見える。美佐と勇気に誘われて一緒に来たのだが、まるで自分がお邪魔虫に思えるほど2人はラブラブで由衣など眼中にないようだった。硬派で頭もいい勇気はメガネをかけた秀才だ。見た目からして真面目っぽく、美佐とは塾で一緒になった際に仲良くなり、二年生になって同じクラスになってから勇気の告白で付き合いが始まったのだ。優等生同士とあってかなり健全なのか、美佐の話ではまだキスすらしていないプラトニックな関係らしい。だが、それも時間の問題だと思える由衣は普段は大人しい美佐が勇気と付き合うようになってから変わってきたこともあって、今もキャッキャと騒ぐその姿に目を細めた。かつては同じ人を好きになり、両思いになりつつも別れた由衣に対し、その人の過去を知って身を引いた美佐の方が今幸せになっているというのはなんという皮肉だろうか。だがそれを妬むこともなく、うらやましいとも思わない由衣は美佐からの恋愛相談を受けつつも幸せになってほしいと願っていただけにこれには満足をしていた。そんな親友の姿を見ながらアイスを食べ終えたらお邪魔虫は退散しようと決めた矢先、突然背後から声をかけられて体をビクつかせた。


「ここ、いいですか?」

「え?はい・・・・あ!」


とっさにそう答えてから相手の顔を見た由衣は驚きを隠せなかった。同じ高校の制服を着た男子生徒だが、シャツに刻まれた校章の色は緑だ。桜ヶ丘高校では色で学年を分別しており、緑は三年生を意味している。ちなみに由衣たち二年生は紺色だ。そしてなによりその人物の顔、それはまさしくあの時、雨宿りを共にしたあの男子生徒なのであった。


「どうも」


素っ気ないほどにそう言うと一つしかないベンチの端に座る由衣とは間逆の位置に腰掛ける。コーラの缶を開けて一気に半分近くまで飲み干すと、ふうとばかりにため息をついた。由衣は何故か緊張しながらチビチビとアイスを食べつつも男子生徒の方を何度もチラチラ見やった。さすがにその視線を感じてか、男子生徒も由衣の方を見やる。バッチリ目が合ってしまい、引きつった笑顔を見せた由衣はきょとんとしている男子生徒の表情を見て気まずさから視線を逸らせてしまった。


「この間、公園で会ったよね・・・あの雨の時」


不意にそう言われ、ただでさえ気まずさからドギマギしていた由衣の胸の鼓動はさらに加速を始めて動きを増していく。だがそれを顔に出さないよう気をつけながらにこやかに微笑むとそうですねと返すのがやっとだった。


「あれには参った・・・ホント、急に降りだすもんなぁ」


あの時を思い出しながら苦笑混じりにそう言う男子に由衣の笑みも自然なものに変わっていく。男子はコーラを一口飲み、つられて由衣もアイスをひとかじりしてみせた。これといって馴れ馴れしいわけでもなく、下心が見えるわけでもない。ごく自然な雰囲気を持つこの男子に好感を得ながらも、由衣は自分から話をせずに時たま美佐の方へと目をやるようにしていた。濡れていた髪型しか知らない由衣だったが、流れるようにした前髪に耳にかかる程度の全体的な長さもこの男子生徒に似合っていると思える。制服もしっかりと着こなし、優等生タイプだと判断できた。


「小池!」


奥から同じ制服に同じ色の校章をつけたいかにも今風な男子生徒が2人姿を現した。声をかけられたコーラを飲んでいた男子生徒が片手を挙げたことから彼の名前が小池だとわかる。


「あ!吾妻由衣じゃん!へぇ、なんだよ、お近づきかぁ?」


横、といっても離れてはいるが、そこに座っている由衣に目を留めた男子がだらしなくズボンからシャツを出した状態、しかもズボンは今の流行なのかずり落ちそうなほど下に下がった状態のままヘラヘラした顔を由衣に近づけた。


「へぇ、噂以上に可愛いじゃん!一緒に遊ぼうぜ!」


同じ格好ながらこちらも流行なのか、高校生ながら若干あごひげを生やしたいかにも頭の悪そうな男子生徒がいきなり由衣の腕を掴んで引き上げようとした。さすがに身を強張らせる由衣は恐怖と驚きの入り混じった表情をしてつかまれた腕を振り払おうとするが、やはり男の力にはかなわない。


「やめろ!」


小池のその言葉に肩をすくめた男は素直に手を離した。


「心配すんなよ・・・一番最初にヤらせてやっから」


そう言って卑しい笑いを浮かべる男に由衣が逃げる体勢を整えた矢先、ひげの生えたその顎先に小池の拳がめり込んだ。一瞬男の体が浮き上がり、そのままガクンと膝から崩れ落ちる。両膝を付いたまま焦点の定まらない視線を宙にさまよわせた男の横では怯えた顔をしたもう1人の男がゴクリと生つばを飲み込んだ。


「すまなかった・・・冗談にしてもしゃれにならなかったね。ゴメンよ」


そう優しく言うと、小池は男に指示して顎鬚の男を抱えさせるとコーラの空き缶をゴミ箱へと捨て去ってから2人を伴って店を出て行った。もはやポカーンとするしかない由衣だったが美佐に声をかけられてハッと我に返った。


「由衣ちゃん・・・だ、大丈夫?」

「え?うん・・・何もされなかったから」


笑顔と共にそう言うと残ったアイスを全て口の中に入れる。


「小池さんって人が助けてくれたし」


立ち上がりながらそう言うと、由衣はカバンをかついだ。


「小池さんはいい人だよ。ケンカ強いし、三年生の中では最強って噂だよ。カリスマ性もあるしね」


優等生の勇気ですら知っていることだが、由衣や美佐は全く知らない事だった。


「そうなんだ・・・・そっか、小池さんか」


意味ありげにつぶやく由衣に顔を見合わせる美佐と勇気。


「気になるの?」


そっとそう言う美佐に苦笑する由衣だが、少し気になるのは確かだ。


「別にそういうわけじゃないけど・・・なんとなく似てたから」

「似てる?」


勇気のその言葉にハッと我に返った由衣はなんでもないと笑顔で言うとアイスに付いていた紙をゴミ箱へと投げ捨てた。


「私、用事あるから行くね、後はごゆっくり」


由衣はそう言うと戸惑う美佐にウィンクしてから手を振るとさっさと行ってしまった。真面目な勇気ですら思わず顔を赤くするほどの可愛いウィンクを見て、何故彼女に彼氏がいないかが不思議でならない思いをより強くしてしまう。


「似てるって、誰に?」


角を曲がって見えなくなった由衣の後ろ姿からそう言った勇気へと視線を戻した美佐は、少し困った顔をしてからやや目を伏せるようにしてみせた。


「由衣ちゃんが好きだった・・・・ううん、違うな・・・今でも好きな人に」

「へぇ~、吾妻って好きな人いたんだ」


美佐は何かを聞きたそうな勇気を無視して小さなため息をつく。そんな美佐を見た勇気はそれ以上の詮索をやめ、クレーンゲームの方へと美佐を誘うのだった。


駅のホームで電車を待つ由衣は耳に付けたイヤホンから流れる曲すら頭に入らずにぼんやりと小池のことを思い出していた。やわらかい物腰、しゃべり方、強さ、そして何より持っている雰囲気。どれもが由衣の心の中にいる人物とよく似ていた。今までああいう風に自分に対して言い寄ってきた挙句に告白する、あるいはナンパをしてくるパターンは何回もあった。だが彼はごく自然に普通の会話をし、かといってそれを武器に何かをするでもなかった。それに調子に乗った仲間を咎めるあの強さ。考えれば考えるほどよく似ていると思える由衣は徐々に高鳴るドキドキに戸惑いながらもそれを心地よく受け止めていた。ほんのわずかな時間だったが彼の全てを理解したような気さえしてしまう。


「もう一度会いたいな」


口に出してそう言う由衣だったが、結局その日以来学校はおろかいかなる場所でも小池と遭遇することなく1ヶ月が過ぎ去ったのだった。


1学期の学期末テストも終わり、気分的には夏休みを待つばかりである。桜ヶ丘高校には基本的に試験休みも無く、ただ淡々と授業が行なわれていった。そして夏休みを前にすれば気持ちが緩む上に、一緒に海へ行ったり花火を見たりするパートナーが欲しくなるものである。最近なかった由衣への告白もここ3日の間にすでに4人が果敢にも挑み、見事に散っていた。そして今日もまた昇降口で上履きから靴に履き替えている由衣にアタックをかける下級生がいた。由衣には全く面識がなく、どうやら片思いの末に想いを限界まで募らせて決行に移したようだった。


「よかったら僕と付き合って下さいっ!」


もはやその場に由衣以外の人間がいてもお構いなし。いや、由衣がひそかに『撃墜王』と呼ばれている事実は全校であまりに有名な伝説であることからしてこういう場面はしょっちゅうなのでもはや皆慣れたものである。


「ゴメンね、私、好きな人がいるから、だから付き合えない」

「そ、そうですか、そうですよね・・・好きな人、いますよね」


告白をした男子はどこか吹っ切れたような表情でそうつぶやき、由衣に背を向けた。そのまま早足で去っていく男子をため息混じりに見送った由衣が下駄箱に上履きを置いた瞬間、突然男が背後から声をかけてきた。


「由衣、お前好きな人がいたのか・・・いやぁ言ってくれたら即カモンなのにさぁ!」


そこに立っている人物が誰だかわかるのか、由衣はこれみよがしに大きなため息をつくと勢いよく振り返ってキッと睨みつけた。馴れ馴れしいまでのその態度は声をかけられた時点で誰か判明している。一年生からの同級生で由衣に惚れていながらも決して告白はせず、あくまで友達として接してきている柴田雄二だ。だが彼が由衣を好いているという事実は誰の目にも明らかであり、本人もそれを隠そうともしていなかった。いつしか由衣のことを名前で呼ぶようになり、その態度は彼氏気取りであるために女子はおろか男子からも煙たがられる存在となりつつあるのだが、本人はそんなことなどおかまいなしだ。もちろんそんな言動に好感を得ることなどあるはずもなく、由衣はこの雄二をとことん嫌っていた。だが恋する力は偉大なのか、はっきり嫌われているとわかっていながらも前向きな態度は評価に値するかもしれない。


「アホ!誰がお前なんか好きになるか!第一『即カモン』って何語?それに名前呼び捨てにしないでよね」

「アハハ~、まぁいいじゃん。で、好きなヤツって誰?」

「お前以外の誰かだよ!」


そう言うと由衣はカバンを手にさっさと昇降口を出て行った。男はあわてた様子で靴を履き替えるとすぐさま由衣の後を追う。


「でもさ、お前に好きな人がいたとはこの柴田、初耳。お前の事は何でも知ってるつもりだったけど」


そう言う柴田を完全無視した由衣は視線すら合わせようとはせずにかなりの早足で校門を後にした。


「待てよ!な、何か食いにいこうぜ。そこでゆっくり話しよう」

「ウザイよ!」

「お前の相談に乗れる男子はオレだけだろ?」

「死ね!」


そう言うと由衣は柴田の股間に辞書やら教科書やらでパンパンのカバンを力任せにめり込ませた。その衝撃は股間から脳天を突き抜け、もはや防御もできずにその直撃を許した柴田は悶絶する前に両膝から崩れ落ち、目から涙、鼻から鼻水、口からよだれを垂らすしかない。やがて時間が遅れて痛みが下腹部を襲い、股間を押さえて悶絶した。


「くぅ~・・・・さすが由衣だ・・・・・それでこそ、オレの・・・・・・・」


言葉にならない台詞を言いながらはぁはぁ悶える柴田を通りすがりの下級生の女子が気味悪そうに見ながら早足で通り過ぎていくのだった。


由衣に好きな人がいるという噂はあっという間に全校を駆け抜けた。すでに玉砕した者たちはもちろん、密かに教師の中にもそれを期待する者が現れる始末だ。それにまだ告白をしていない片思いの者や、そうであればいいなと思う男子生徒は数多く、由衣の受難はここへ来て一気に増したのだった。仲の良い女子を使って情報を得ようとする者、ストーカーまがいに後をつけてくる者まで現れ、由衣の周囲は慌しくなってしまった。確かに失言だった。今までは彼氏を作る気がないとして断ってきた由衣だが、小池との出会いがその言葉を出させた原因であることはわかっている。かといって小池が好きなのではないのだが。とにかくほとぼりが冷めるのを待つしかない由衣だったが、ラッキーだったのはすぐに夏休みに突入したことかもしれない。何にせよ学校での噂がこれで一旦途切れるのはありがたい。7月中は警戒心からなるべく外出を控えた由衣だったが、8月に入ってからは友達と泳ぎに行ったり買い物に行ったりして夏休みを謳歌した。もちろんナンパや男子生徒からのお誘いがあったものの、美佐と一緒に行動する際の勇気以外の男子とは一切の接点を絶っていた。だが勇気が由衣と親しい仲だと知った者たちが勇気から情報を引き出そうとしたために、結局美佐とも会うことなく悶々とした夏休みを過ごすことになってしまった。せっかくの開放的な夏休みもこれでは全く意味が無い。ストレスの溜まった由衣は桜ノ宮にあるゲームセンターに出かけることにした。薄く茶色に染めていた髪も先日のカットの際に染めなかったので今は黒い方だ。由衣は髪形と服装を地味目にし、デニムの帽子を目深にかぶって電車に乗った。いつもは歩いているだけでチラチラ見られる由衣だったが今日は比較的それも少ない気がした。そしてやってきたゲームセンターで以前から狙っていた大きなぬいぐるみをゲットすべくお金をつぎ込んだ。だが、クレーンの力が弱いのか、はたまた由衣が下手なのか二千円つぎ込んでも全く取れる気配が無かった。予算もあと千円となった今、こればかりにつぎ込んでいられなくなった由衣は泣く泣くそれを諦めようとした矢先、急に背後から声をかけられてビクッと体をすくませた。


「コツがいるんだよ、それは。どいてみな」


そう言われて振り返ると、そこに立っていたのは小池だった。グレーのTシャツにジーンズといったラフなスタイルだが、袖からのぞく腕は筋肉質だった。戸惑う由衣に触れることなくゲーム機の前に立った小池に対して横に立った由衣はポケットから取り出した二百円玉を入れるその仕草をじっと見るしかなかった。


「見てな」


そう言うと唇をひと舐めしてボタンを押せばクレーンが右方向へと動き出す。横の位置を決めてから隣のボタンを押せば奥へとクレーンが進み、小池はここだと言わんばかりにボタンから手を離した。


「いただきだ」


ゆっくり降りていくクレーンを見ながら腕組みする小池はまだ取ったわけでもないのに由衣の方を見て得意げな顔をしてみせた。胸の前に手を合わせたぬいぐるみのちょうどその部分にクレーンが当たり、腕に引っかかるようにして浮き上げる。さすがの由衣も声を上げる中、ゆっくりした動きでクレーンは景品が落とされる穴の真上にやって来ると掴んでいたクレーンを開いてぬいぐるみを落下させた。小池は落ちてきたぬいぐるみを取り出すとにんまりした笑顔を見せながらそれを由衣に差し出した。


「はい、どうぞ」

「え?で、でも・・・お金・・・」

「んじゃ、そこでジュースおごってくれたらいいよ」


小池が指をさしたのは氷の入れられる紙コップの自動販売機であり、値段にすれば七十円程度なものだ。小池はさっさと自販機の前に立ち、由衣の方を見ている。そんな小池に苦笑した由衣は財布から百円を取り出すと小池に手渡した。


「デカイけど、あそこが一番力をかけやすいんだ。あの手のクレーンは得意だから」

「ありがとうございました」


ジュースを取り出しながらそう言う小池に礼を言う由衣は自分もジュースを買ってこないだ座ったすぐ目の前にある赤いベンチに並んで腰掛けた。普段では絶対にありえない行動なのだが、何故か今日は、いや、今は素直に何も考えずに並んで座ることができた。


「オレ、小池洋こいけひろし、3年4組」

「私は吾妻由衣・・・2年7組です」

「知ってる。有名人だからな、君は」


かなり遅い自己紹介だったが、自分の自己紹介に苦笑する洋にムッとした顔をする由衣。だが由衣はこの時気付いていなかった。自分が何の警戒もせずごく自然な雰囲気で会話が出来ていることに。入学以来、男子とは口を開けばプライベートなことばかりを質問されてきた。彼氏はいるのか、好きな人はいるのか、趣味はなんだ、どういう音楽を聞くのか、どういうジャンルの映画が好きなのか、好みのタイプはなどなど。柴田に至ってはスリーサイズまで聞いてくる始末だ。それ以来、極力男子との会話は避けるようにしてきた由衣だったが、この時ばかりは違っていたのだった。


「別になりたくて有名になったわけじゃ・・・」

「そりゃそうさ。でも、ま、わからないでもないよ。可愛い女子がいれば目の色変える男子は多いからね」


自分も男子でありながら他人事のようにそう言う洋は微笑を浮かべたままコップを口元に運んだ。その仕草、雰囲気が由衣の中の何かを呼び覚ます気がした。


「何?」


ボーっと洋を見ていた由衣はその言葉にハッと我に返った。


「いえ・・・先輩、変わってますね」

「あぁ、よく言われる」


苦笑気味の言葉に由衣が苦笑した。由衣は高校入学以来初めてまともに男子生徒と会話をしている現実に戸惑っていた。それはいきなり話題を変えられて告白されそうだからとか、そういった警戒心からではない。今までの男子には無い実に落ち着いた、それでいて懐かしい雰囲気をこの洋が持っているからだ。洋は実に穏やかな表情、穏やかな雰囲気を保ったままジュースを飲み干すとカップを握りつぶしてゴミ箱に入れた。


「さて、じゃ、行くよ」


そう言うと立ち上がる洋にあわててジュースを飲み干すと同じようにカップをゴミ箱に入れ、今さっき取ってもらったぬいぐるみを抱くようにして由衣も立ち上がった。


「あ・・・えと、もう1つ取ってもらっていいですか?」


自分が何を言っているのか、そもそも何故引き止めたかもわからないのだが由衣はそう言葉を発していた。洋にとってもその言葉は意外だったのかきょとんとした顔をして由衣を見ている。


「今日は待ち合わせをしてるから・・・その空いた時間に来ただけだからなぁ・・・・来週の火曜日、またここでってわけにはいかないか」


考え込むような、右手の人差し指を額に置きながらそう言う洋の言葉に、由衣は大きくうなずいた。


「それでいいです」


まさかOKされるとは思わなかった、はっきり言って半分冗談だった言葉にもかかわらず由衣のその返事に驚きを隠しながら、洋は小さく微笑むと正午にここでと言い残して去っていった。洋は1度だけ振り返ると軽く片手を挙げて姿を消してしまった。その後ろ姿を呆然と見つめる由衣はぬいぐるみをギュッと抱きしめ、ドキドキ高鳴る鼓動に充実感と違和感を覚えるのだった。

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