5.ダンジョン
"迷宮都市"ファースのダンジョンが発見されたのは、今から300年前の事らしい。
その当時、まだこの地方にファースという名前の町は影も形もなく、わずかな小村が点在するだけの片田舎に過ぎなかったという。
しかし、この地方を訪れた一人の旅人が、とある村から依頼された魔物退治の途中、ダンジョンを発見する。
昔からこの地方では時折、何処からともなく魔物が現れるという怪談めいた噂があったのだが、その原因がダンジョンから稀に溢れ出る魔物だったというわけだ。
ダンジョンの内部には魔物だけでなく、財宝や失われた古代の魔術の知識なども眠っている。一攫千金を狙うネタには事欠かない場所だ。
その発見者となった最初の冒険者を皮切りに、大勢の冒険者がこの地方に押し寄せたのは言うまでもない。
そして冒険者たちの後を追うように、武器防具を作る職人、財宝を流通させる商人、衣食住を支える諸々の生産者がダンジョンの周囲に集まり、この地に新しい集落を作った。
年月と共にそれは規模を拡大し続け、現在では辺境でも有数の大都市にまでなった。
まさしくファースとは、"迷宮と共に在る都市"なのだ。
「ダンジョンって言っても、見た目は普通の洞窟と変わらないんですね」
リーアが言ったとおり、ダンジョンの内部はむき出しの岩肌や土が露出した、天然の洞窟のような構造になっていた。
土壁に張り付いた発光するコケが内部をうっすらと照らしているため、周囲の視界に問題はない。
洞窟の幅は広く、僕たち3人が横一列に並んでも十分なスペースがあるくらいだ。
「確かに、見た目だけは普通だね」
「ん……自然の洞窟とは、違う」
「どういうことです?」
頷きあう僕とファルに、リーアが首をかしげる。
「この洞窟、ただ地面を掘ってできたんじゃなくて、魔術で一から作り上げられたんだ。見た目も質感もただの土と石だけど、実際にはまったく別の素材で作られてる」
「そんな事までわかるんですか?」
「魔術師なら分かるよ。このダンジョン全体から、自然のものとは違う強い魔力を感じるから」
「……胸焼け……起こしそう」
濃密すぎる魔力に当てられたのか、ファルは少しげんなりしている。
あくまで気分の問題なので、体調に影響はないはずだけど。
にしても、これほどの魔力に、これほどの規模。
一体どこの誰が、どんな魔術を使ってこんな迷宮を作り上げたのか。
いち魔術師としては非常に興味をそそられる題材だ。
けど、浮かれてはいけない。
まだ浅い層とはいえ、僕たちがダンジョンに潜るのはこれが初めてなのだから。
「慎重に進もう。道に迷わないよう気をつけて」
「了解です」
「……うん」
ダンジョンの内部には無数の分かれ道があり、同じような洞窟の風景が続くこともあって、非常に迷いやすい。
聞いた話によれば、ダンジョンでの冒険者の死因ナンバーワンは魔物でもトラップでもなく"遭難"だそうだ。
僕たち3人はダンジョンの入り口で購入した地図を頼りに探索を進める。
この辺りは"浅層"と呼ばれるほぼ探索が完了したエリアらしいが、それでも魔物やトラップ、価値の低い財宝などはまだ残っているという。
ダンジョンに入ってからおよそ10分後。
前方からヒトではない"何か"の気配を感じて、僕は足を止める。
「リーア、ファル」
警戒を促すと、二人はこくりと頷く。
僕は刀を、リーアは大剣を、ファルは杖をそれぞれ構え、迫ってくる気配を待ち受ける。
やがて、暗闇の中から姿を現したモノ。
それは、緑色の肌をした、毛のないサルのような怪物だった。
「ゴブリン……!」
リーアが緊張の混ざった声で呟く。なるほど、あれがゴブリンか。
ファンタジーの怪物としては定番だし、この世界でもよく話には聞いていたけど、実物を見るのは初めてだ。
背丈は人間の子供くらいだが、その割りに筋肉質な体つきをしている。
瞳は大きく、赤く血走っていて、暗闇の中でもはっきりと物が見えそうだ。
武器は持っていないが、異様に鋭く伸びた爪と牙は、それだけで立派な凶器だろう。
頭数は全部で十二匹。
僕らを見つけたゴブリンの群れは、奇声を上げて一斉に襲い掛かってくる!
「ギギィィィィッ!!!」
「「!」」
打ち合わせも合図もなく、僕とリーアは同時に動いた。
それぞれの得物を構えて地を駆け、一息に距離を詰めると、最前列にいた2匹のゴブリンを斬り捨てる。
「ギャッ!!」
「ギィッ?!」
赤黒い鮮血を吹き上げて、断末魔を上げるゴブリン。
倒れた敵には一瞥もくれず、即座に僕は次の標的を見定めて刀を振るう。
「ギャァッ!?」
思えば、父さんとの稽古はいつも一対一で、多数を相手にするのもこれが初めてだ。
今日は初めての事尽くしだな……そんな事を頭の片隅で考えながら、思考の大半は戦いに集中させる。
真一文字に放った刀が、ゴブリンの胴を真っ二つにする。
斬撃の速度を殺さず、返す刀で背後から襲いかかるゴブリンを斬り捨てる。
――大丈夫だ。この程度、千匹いようが父さんには及ばない。
十年間積み重ねてきた鍛錬は、意識せずとも呼吸のように身体を動かす。
迂闊な相手が間合いに飛び込んできた瞬間、刀を振るう。こけしの頭をもぐように、怪物の首が胴から離れる。
間髪置かず、次の相手が襲ってくる。
目の前で同族の首が刎ねられるのを見ても、躊躇わず向かってくるのは大した度胸だ。
その両手に備えられた爪はナイフのように長く鋭い。あれで引っ掻かれれば「痛い」では済まないだろう。
とは言え、それは当たればの話。
くるりと身を翻して、僕は振り下ろされる爪の軌道から逃れる。
円を描くようなその動作を、そのまま刀を振る動作へと連動させて――
斬ッ。
首を刎ねる。
胴体だけになった死体が、力なくその場に崩れ落ちる。
これ以上襲ってくる相手は……いないか。
周囲に目を向ければ、リーアが追加で1匹のゴブリンを倒し、さらに3匹のゴブリン相手に同時に戦っている様子が見えた。
――凄いな。あんなに大きな得物を振り回しながら、まったく体の軸がブレてない。
恐らくは腕力だけでなく全身の筋力を使って剣の重量を支え、振り回す際の遠心力を利用して自在に操っているのだろう。
大剣のリーチを活かしてゴブリン達をまったく寄せ付けないその戦いぶりは、まるで舞を踊っているように華麗だった。
「せえぇぇぇいっ!!!」
裂帛の気合と共に、リーアが大剣を一閃する。
その見た目に反した豪快な一撃が、3匹のゴブリンを纏めて薙ぎ払う。
哀れなゴブリン達は、断末魔を上げる間もなく無惨な肉片と化した。
「すごい威力だなぁ……」
「ギギィィィッ」
僕が感心していると、最後のゴブリンが洞窟の奥へと逃げていくのが見えた。
追撃するか、と身構えたその時、後方から呪文を唱える声が聞こえる。
「……【雷撃】」
一条の雷光が僕の真横を走り抜け、遁走するゴブリンの背中を直撃した。
「ギアァァァァァッ」
断末魔を上げるゴブリンが、黒焦げになってどさり、と倒れる。
それを最後に、ダンジョンの中に静寂が戻る。
生きている敵がいない事を確認してから、僕は刃についた血を払う。
ゆっくりと刀身を鞘に納めれば、ちん、と澄んだ音が鳴った。
「ふぅ……やりましたね!」
「お疲れ……」
「うん、お疲れさま」
リーアとファルが駆け寄ってくる。
二人とも少し息を切らしているけど、特に怪我はないようだ。
「大丈夫だった?」
「平気です。楽勝でしたね!」
「お姉ちゃんもウィルも、強い……私、ほとんど出番、なかった……」
晴れやかな笑顔を浮かべるリーアとは対照的に、ファルは少し不満そうだ。
倒した敵が逃げるゴブリン1匹だけなのを気にしているようだ。
「魔術師の仕事は味方のサポートとフォローだから。最後の追撃は良かったと思うよ」
「……ほんとう?」
「うん。あれが無かったら逃げられてたかもしれない。仲間を呼ばれて面倒なことになってたかも」
「そうですよ。ファルはよく頑張りました!」
「ん……ありがと」
こくん、と小さく頷いて、ファルの表情が緩んだ……気がする。
表情豊かなリーアとは対照的に、彼女の表情は少し読みづらい。
喜んでいる、のかな?
「あ……見て」
ふとファルが指差した先では、たった今倒したばかりのゴブリンの死体が、光の粒子となって消えていくところだった。
洞窟内に飛び散った肉片や血痕の一滴までもが消え失せ、後にはビー玉くらいのサイズの石が転がっていた。
これが"魔物"と呼ばれる生物の特徴だ。
死ねばその肉体は魔力となって霧散し、魔石と呼ばれる魔力の結晶体を残す。
この世界では、その外見や生態に関わらず、死ねば魔石を残す生物を纏めて"魔物"と呼ぶのだ。
なぜ魔物が魔石を残すのか、そのメカニズムは今のところ分かっていない。
実のところ、本当に魔物が「生物」なのかどうかすら謎なのだ。
「これが、私たちの初戦果ですね」
リーアが散らばった魔石のひとつを拾い上げる。
魔力の結晶体である魔石は、その純度や大きさにもよるがそれなりの額で売れる。
この世界の人々が積極的に魔物を狩る主な目的がコレだ。
もちろん、狩らなければこちらが襲われるという事情もある。
「ゴブリンの魔石、質・サイズ共に最低ランク……大した値は、つかない」
「それでも戦果は戦果ですよ。冒険者としての第一歩です」
「だね。初めてとしては上々じゃないかな」
駆け出し冒険者の僕らにとっては、ギルドでの評価にも繋がるありがたい戦果だ。
しっかり拾い集めて、荷物袋の中に放り込んでおく。
「10、11、12っと。これで全部だね」
それじゃ、先に進もうか……そう僕が言おうとした時、ダンジョンの奥から声が聞こえた。
『きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……』
空耳や聞き間違いではない。確かに聞こえた。
洞窟の中を反響して微かに届く、誰かの悲鳴が。
「あの、今何か聞こえたような……」
リーアが何か言うよりも早く、僕は駆け出していた。
声の聞こえた方向へと、一目散に。
「あ、ちょっと、ウィルさん!?」
「追いかけ、よう、お姉ちゃん……」
後から続く二人の足音を聞きながら、僕はペースを上げた。