2.両親
僕が転生したのは、オルテギア王国という大きな国の外れにある、名前もない小さな村だった。
父の名はレオ。母の名はセシリア。二人の間に生まれた僕は、ウィルという名を授かった。
この世界のことを一言で表すなら"ファンタジー"だ。
自動車や家電やスマホと言った、前世の日本にあったような便利な科学の道具は存在しない。
代わりに、魔術という超常の力が様々な形で人々の暮らしを支えている。
戦いの道具も銃ではなく剣や槍や弓、それに魔術が主流で、戦う相手は魔物という危険な生物が一般的だ。
僕が生まれた村はこの世界ではよくある平凡な農村で、そこで暮らしている100人ほどの住民たちも、特別な力を持たない普通の人たちだ。
――ごく一部を除いて。
17年前、この村に移住してきた二人の男女。つまりは僕の両親は、普通ではなかった。
"剣聖"レオ・ランドール。
"聖女"セシリア・ランドール。
今から20年前、"魔王"を討伐してこの世界を救ったという"勇者"の仲間であり、いずれも英雄として讃えられる人物だ。
"剣聖"レオは剣一つで何万という魔物を打ち倒し、邪悪な魔術師や伝説の竜王にも勝利したという、すべての剣士の頂点に立つ存在であり。
"聖女"セシリアは治癒の魔術に秀で、その力で勇者の危機を幾度となく助け、数え切れないほどの人々を怪我や病から救ってきたという。
その実力と功績、そして名声があれば、どんな豊かな生活も望みのままだっただろう。
しかし二人は英雄として祭り上げられるよりも、自由で平穏な暮らしを望んだ。
そこで、結婚を機に公の場から姿を消して、この村に移住してきたのだ。
王都から遠く離れた辺境の土地では、英雄の顔を知っている人間も少なかったらしい。
二人は望みどおりの平穏を手に入れ、それから一年後に僕が生まれた。
父さんと母さんは、一人息子である僕を愛情を込めて育ててくれた。
決して豊かとは言えない小さな村で、それでも僕が不自由しないよう、懸命に働いて。
さらに、僕に将来何があっても大丈夫なようにと、自分たちの技術と知識――すなわち剣術と魔術を伝えたのだ。
二人の教育方針は超スパルタだった。
普段は頼もしい父さんは、剣を持つと人が変わったように好戦的になる。
木刀でも骨が折れるくらい殴ってくるわ、真剣でも容赦なく切りつけてくるわ。
前世なら児童虐待、いや殺人未遂で訴えられそうだ。
いつもは穏やかな母さんも、魔術のことになるとやけに饒舌だった。
分厚い魔術書の内容を一晩で丸暗記させられたり、魔力切れでぶっ倒れるまで魔術を使わされたり。
それでいて表情はいつも笑顔だから、なおさら怖い。
普通の子供だったら確実にグレる。もしくは死ぬ。
だけど、両親の才能が受け継いだのか、それとも僕が転生者であることと関係があるのか ……ともかく僕は今日まで生き延びることができた。
前世の僕はごく普通の一般人だった。
だけど、今の僕はたぶん"普通"じゃない。
いくら異世界でも、普通の人間は残像の出るスピードで走ったり、剣一本で大木や岩を叩き切ったりしないし、四肢の切断や致命傷レベルの怪我を一瞬で治したりもできない。
比較対象が両親しかいないせいで、どの程度世間で通用するかは分からないけど、決して弱くはないだろう。
でも、魔物も滅多に出ないようなこんな辺鄙な村では、身につけた力を使う機会はほとんどない。
せいぜい、ケガをした村人の手当てに治癒魔術が役立つくらいだ。
父さんと母さんは、僕にこんな修行をつけて、一体何をさせたいのだろう。
僕は前世と同じように、家族そろって平和に暮らせれば、それでいいんだけど。
「あら、お帰りなさい、二人とも」
稽古から帰った僕と父さんを、夕食の仕度をしていた母さんが穏やかな笑みで出迎える。
腰まで伸ばした艶やかな金髪に、澄んだ空色の瞳。まだ二十代にしか見えない若々しい美貌で、村のマドンナ的存在になっている。
彼女が治癒魔術を使えることは村人なら誰もが知っているけれど、その正体が"聖女"であることを知るのは、僕ら家族だけだ。
「ただいま、母さん」
「おう! 戻ったぞセシリア!」
「あらあら、今日はずいぶんとご機嫌ね、あなた。何か良いことでもあったの?」
「いいや最悪だ」
わざとらしく苦々しい表情を作った父さんは、僕の背中をばしん、と叩いてにやりと笑う。
「コイツ、とうとう俺から一本取りやがった! 父親の面目丸つぶれだ!」
「まあ、本当なのウィル?」
「うん、まあ、辛うじてね」
相手のフェイントを利用した逆フェイントなんて手口、一度見せてしまえばもう父には通用しない。
また同じことをやろうとすれば、次はあっさり片手を切り落とされるだろう。
勝ちはしたものの、純粋な剣技と体術で言えば父さんのほうがまだ数段上だ。
「母さんが教えてくれた魔術がなかったら、勝ち目はなかったよ」
「それでも凄いわよ、まさかもうお父さんに勝っちゃうなんて。まだ10年……いえ、5年は先だと思ってたわ」
僕の頭を、母さんの白い手がそっと撫でる。
もう16歳にもなって流石に恥ずかしいけれど、嫌な気はしない。
「今日はお祝いしなくちゃね。取っておいたお肉、出してくるわ」
「それと酒だ! 酒も出してくれ! 今日は飲むぞ!」
「あらあなた、それはヤケ酒? それとも祝い酒?」
「もちろん、両方に決まってるだろう!」
ふふっと微笑む母さんに、はははと豪快に笑う父さん。
相変わらずこの二人は仲がいいなぁ。
「肉とお酒、僕が取ってくるよ、母さん」
「ありがとうウィル、お願いね」
「一番奥にしまってある、金のラベル付きのヤツだ。頼むな!」
それから十分後、食卓にはいつもよりレパートリー豊かな食事が並び、僕たち三人は席に着く。
この世界の神様に、今日の恵みと健康を感謝して、夕食が始まった。
「っぷはぁー! やっぱりコイツはいいな! 王都から持ってきて良かったぜ!」
「大事に取っておいた最後の一本を空けちゃうなんて、よっぽど嬉しかったのね」
父さんは早くも顔が赤くなっている。僕は飲んだことないけど、お酒ってそんなに良いものなんだろうか。
いつもは飲みすぎないように目を光らせている母さんも、今日は止める気はないらしい。
「嬉しいのは私も同じよ。ちょっと前までは剣の重さで震えていたあの子が、こんなに立派になったなんて」
「何年前の話をしてるのさ、母さん。恥ずかしいってば」
「ふふ、そうね。ウィルももう大人だものね」
この国では15歳から成人として扱われる。
社会的にはまだ半人前扱いとはいえ、僕ももう子供じゃないのだ。
「そうだな、もうウィルも16歳か……俺たちから教えられることも、ほとんど無くなっちまったな」
「ええ。私の魔術も知識も、ウィルは全部覚えてしまったし」
赤ら顔でジョッキを傾けていた父さんが、ふと真面目な表情になる。
母さんも、いつもの穏やかな笑みのままだけど、雰囲気が真剣になった。
「そろそろ良いんじゃないかしら、あなた」
「そうだな。ウィル、少し待ってろ」
「? うん」
おもむろに席を立った父さんを見送って、いったい何だろうかと首を傾げながら、僕は久しぶりのお肉を口に運ぶ。肉汁がたっぷりで美味しい。
ややあってから戻ってきた父さんは、一振りの剣を手にしていた。
いつも稽古で使っている長剣とは違う。
黒塗りの鞘に納められた、反りの強い刀身を持ったその剣は、いわゆる"刀"と呼ばれるヤツだ。
僕は父が毎日欠かさず、その刀の手入れをしていたのを知っている。
それが何なのか聞いたことは無かったけど、父にとって大切な品なんだろう。
「こいつは、お前がまだ生まれる前……俺がまだ現役で"剣聖"なんて呼ばれてた頃に使ってた刀だ」
「父さんの愛刀なんだね」
「そうだ。ウィル、こいつをお前に託す」
「え?」
僕は思わず目を丸くする。
剣は剣士にとって命だと、いつか父は言っていた。特に、長年に渡って自分の手で振るい続けてきた愛剣は、魂にも等しい重さを持つ、と。
この刀は、間違いなく父にとっての"魂"だろう。それをどうして僕に?
「何故、って顔をしてるな」
「うん……それは父さんにとって、大切なものだよね?」
「ああ。だからこそ息子のお前に託したいんだ。お前が俺に追いついた時にこれを渡すと、実はずっと前から決めていてな」
「いや、急にそう言われても……」
「で、ここからが本題だ。セシリアとも相談して決めたことなんだが……ウィル、お前、旅に出ろ」
「ええっ?!」
あまりにも予想外の一言に、僕はガタンと席を立って叫んだ。
「そ、それは僕をここから追い出すってこと? 厄介払い?」
「違うわ、ウィル。ずっとこの村で一緒にいたいのは、私たちだって同じよ」
「だったら、どうして!」
「一言で言えば、お前に教えてやれることがもう無いからだ」
動揺する僕に、父は静かな口調で告げた。
「ウィル、お前には才能がある。"剣聖"と呼ばれた俺の剣技と、"聖女"と呼ばれたセシリアの魔術を、たった10年ですべて吸収してしまった。この村しか知らないお前には分からんだろうが、これは異常なレベルなんだぞ?」
「それは……」
薄々理解はしているつもりだった。自分が普通でないことは。
だけど、実の親から"異常"とまで言われてしまうのは、少しショックだった。
「お前、本当は自分がどのくらい強いのか、理解してないだろう?」
「うん……」
「まあ、無理もないか。この村でお前と戦える相手は、俺とセシリアしかいない。比較対象が少なすぎるよな」
苦笑しながら父は続けた。
「自分の持っている力を理解していないのは、とても危険なことなんだよ、ウィル。例えばお前が普通の人間とケンカでもすれば、その気がなくてもうっかり相手を殺してしまいかねない。そんな事になる前に、お前はもっと広い世界を知るべきだ」
これは俺たちには教えられないことだ、と父は言う。
「外の世界でもっと多くの人間に会って、自分の"強さ"を正しく認識してこい。でないと、お前の力はいずれ悪い結果をもたらす」
「悪い結果……って」
「慢心か増長か、あるいは力の暴走か。今はまだ、お前がバカをやっても俺たちが止めてやれるけどな。親は子供より早く老いるし、先に死ぬんだぞ?」
苦笑いを浮かべる父さんの顔には、10年前には無かったはずの皺が刻まれていた。
母さんは何も言わずに、ただじっと僕のことを見つめている。
言いたいことは理解できた。二人は、僕の将来を案じているのだ。
強くなった僕が、いずれその力を持て余して、悪い方向へ向かうのではないかと。
だから、今のうちにもっと広い世界を知って、自分を見つめなおせ、と言いたいのだろう。
――僕をこんな風に育てたのは、父さんと母さんなんだけど。
少しばかり、理不尽なものを感じなくもない。
僕は強くなりたいと思ったことはない。ただ、両親の期待に応えたくて、必死でやってきただけだ。
本音では、この村で家族と普通の平穏な暮らしができれば、それで十分なのだ。
だけど――
「分かったよ、父さん、母さん。僕はこの村を出る」
二人はいつだって、僕のことを一番に考えて、良かれと思ったことをしてきた。
それが普通の家庭とはだいぶ異なった教育方針でも、与えられた愛情は本物だった。
だから僕は、二人を信じる。
この世界に転生して僕が最初に得た、大切な"絆"を。
「外の世界を知って、二人から貰った"強さ"を確かめてくるよ」
そう言って、僕は父から差し出された刀を受け取った。
これが、長い長い旅の始まりになるとも知らずに。