王太子の告白
「あの時俺が精霊降節に行ったのは、お前たちがどんな風か見に行くよう、うちの父親様から言われたからなんだよ。俺の目から見ても……良いと思ったら、俺とロード様で話を進めることになっていた」
そんなことは少しも聞いていないとレイフォードが呻くように呟けば、グレンフェルドはすまないとばかりに頭を振る。
ああ、旅に出る前にこのことを言っておけばよかった!
そうしたらすこしぐらいは二人の仲が進展していたかもしれない。
グレンフェルドも今更ながらに後悔する。
「サロヴェス……ロード様やグランディア様からは良い返事が貰えていたし、ロウジェリカ伯母上も喜んでいた。元老院にも話は通してあったし、国内には八候家に嫁げる家格の令嬢はいたけど、候主夫人の役目を果たせそうなのは一人もいなかったし。同盟国の王侯にもめぼしいのはいなかったからね。すぐにあの契約書とあまり変わらない内容の契約書を、すぐに取り交わしたんだよ」
グレンフェルドは机に置かれた契約書に視線を一度移し、またすぐにレイフォードへと向けなおした。
精霊降節はサロヴェスの国民が一番大事にする祝祭週で、二週間に渡って様々な式典が行われる。王太子のグレンフェルドが国賓として招かれていてもなんらおかしくなかったし、今告白されるまでそんな意味まであったとは思い至らなかった。
グレンフェルドにとってもラスターシアの性格は好ましく映ったし、なによりレイフォードに自然体で振る舞えるラスターシアはとても貴重だ。
「だけど、あいつの婚約者が駆け落ちするし……父上でも伯母上でも元老院の暴走を抑えきれなかった」
あいつ、第二王女セリアの婚約者が駆け落ちしてしまったことで、レイフォードの運命が大きく変わった。
悲惨な方へ。
セリアの婚約者の実家アルバラード候家は、優秀な次男レンドルフが候主位を継承することがすでに決まっていた。寡黙で陰のある第二王女は王家に残って、内向きな性格の長男が婿入りをすることになっていたのだ。
婚礼を目前にして、隠れて交際していた令嬢と彼は駆け落ちしてしまい、国から出奔してしまったのである。
王家にとっても、アルバラード候家にとっても駆け落ち事件は大醜聞このうえなかったし、それは二人の結婚を選定した元老院にとってもだ。
八候家の候主は同じ世代に八人しかいないし、今代の八人のうち一人は女性。
残る七人のうちレイフォード以外は全員婚約者がいるか、すでに婚礼を挙げていた。候主に課せられる責任に一緒に寄り添え、性格的にも合う女性がそれぞれ選ばれていたから、どこも似合いだったし幸福そうだった。
ヘルディーク候家のミレニア候主は自分で選ぶと言って元老院を押し切り、彼女も今も相変わらず独身を貫いている。
候主になれなかった年上の候子たちも、一門の男子のいない分家に婿入りしたりしていて、レイフォードよりも年下しかもう残っていなかったのだ。
元老院にセリアの夫としてレイフォードの名が上がった時、王家と八候家は年齢もさることながら、二人の血が近すぎると断固反対した。
国王フレルブ二世とロウジェリカ候主夫人は年が離れているがれっきとした同母姉弟であり、レイフォードはセリアの従甥のうえ五歳年下。
第二王女セリアが降嫁しない限り、王太子グレンフェルドも第三王女ミレイヌも婚約者はいるのに結婚できない、そう元老院に押しきられてしまった。
ロードとグレンフェルドで作った契約書は宙に浮いてしまったが、二人とも白紙にしたつもりはなかった。
血が近すぎること、セリアの陰鬱な性格では候主夫人の役割は務められないこと、そしてなにより幼少の頃から二人の仲が険悪すぎたこと。
国王と八候家の当主達はミレイヌ王女の結婚までの間だけと条件をつけ、元老院に白い結婚を了承させた。
残る王族二人のために犠牲になるレイフォードには、勘は鋭いくせに心の機微には疎すぎる、天真爛漫なラスターシアを予定通り迎えさせてやりたかったのだ。
幸いにもラスターシアは長命な精霊師。
何年待とうが平気なのと、自分の目から見てもラスターシアが選びそうな精霊師がいないともロードは言っていた。四、五年はなんとかいけるとお互いふんだ。
けれども。
セリアは……両親も弟妹も伯母の家族を、何よりもレイフォードを心身ともに痛めつける道を選び、自身を生贄にするようにして実行に移したからだ。
「お前はそろそろ幸せになっていいと思う。というよりもう犠牲になるな、フィナを育てきると決めただけでもう充分なんだからさ」
姉はただでさえ冷静なレイフォードから、表情も感情も綺麗に奪い去っていったのだ。
それを一年半の旅でレイフォードは取り戻してきたのだとグレンフェルドは思う。ラスターシアと会話しているときのレイフォードは、本当に昔のようだった。
「あいつの……姉貴のやったことは弟の俺でも憎いし、一生かかっても許せないよ」
周囲にいる者すべてを憎んだセリアが遺したものを、レイフォードは側に置かざるをえなかった。血の繋がりでは再従兄妹なのに、実子として認めざるを得ない娘を。
決して口外できない秘密を抱えて生きることになる、フィナリアという愛くるしい姿をした呪詛のかたまりを。
自分との白い結婚の後、王家と八候家が最初から望んでいた女性を妻に迎えることになるだろうレイフォードに遺した、セリアの明確な悪意を。
フィナリアの誕生で完全に頓挫したのだ。
五年前、グレンフェルドと妃のマリエラの間には子供がいなかった。一度授かりはしたがすぐに流れてしまっていたから、あの時フィナリアは不義の子であるにもかかわらず、グレンフェルドに次ぐ王位継承権者だった。
ちょうど戦役が終わったばかりで、グレンフェルドが所属していた白の騎士団は半分以上が戦死するという壊滅的被害を受けた。グレンフェルドが戦死していてもなんら不思議ではなかったし、元老院が恐怖したのもわからなくはない。
セリアがどこの馬の骨ともしれぬ相手と作った子供を、実子として届けて欲しいと元老院は伏して願った。厚顔にもほどがあるその要請を、レイフォードとその家族は受け入れた。ファーメリア候家には明確な継承条件があったから、フィナリアにはそれが当てはまらない。
それが受け入れた理由だ。
「フィナがお嬢にあそこまで懐くとはね。王都に来てくれるかもわからなかったし……お嬢の好奇心旺盛ぶりに感謝だよね」
「そもそも懐いていなかったら白紙でしたか?」
レイフォードは自分でそう言って、すぐに愚問と気づいた。
ラスターシアが言いだした時点で、フィナリアに気に入られると自分もわかっていたのだから。グレンフェルドの方も、ラスターシアがフィナリアに嫌われる想定はしていなかったようだ。
「どちらかと言うと、王都に会いに来てくれていなかったほうがまずかったよ。お嬢の方もグランディア様に言質とられていたから、もう後がない状態だった」
初耳だ。
ラスターシアから旅の間、言質をとられたという内容の話を聞いたことがない。旅の初日から最終日まで、ずっといつも通りのラスターシアだった。
強いて言うならたった一度、風の精霊師に妻問婚を問う花を見つけた時だけ、彼女にしては珍しく暗い顔をしていたぐらい。
「お嬢、旅から帰ってきたら妻問婚するつもりだったらしいね。今年は十の月が精霊降節だから」
それならば九の月の下旬の二週間が、妻問婚のしきたりにおける最初の行事「問いの週」になる。今がちょうど八の月の下旬だから約一ヶ月後。
妻問婚を問うのは男女どちらかからでもできるから、ラスターシアからでも問題はない。ラスターシアの場合自分と同じ属性の水の精霊師か、ルノーテル家代々の属性の風の精霊師の二択。
だから風の花で暗い顔をしていたのか……
特定の相手もおらず目星もつけてないくせに、言質をとられるような啖呵を切ったのをラスターシアは思い出したのだろう。
言質を理由にロードが話をまとめて、言質を盾にして今回の結婚話を押し通したのはレイフォードにもわかった。
精霊師でもない自分とと言うのは解せないが。
「そういえば……どうして来年ではなく今年ですか?」
「準備期間九年だよ? フィナのことはともかく当人達に知らせる以外、準備はほぼ整っていたんだよ」
実際に契約書だけ今の状況に合わせるように書き直した箇所があるぐらいで、他はほぼそのままだとグレンフェルドが言った。それだけに元老院も父王も一刻も早くと気が急いてしまっていたのだ。
「ロード様はもう何年も前から紫色の魔石を探していたんだ。グランディア様も必要な物の準備はずっとしていたらしい」
そう言われてレイフォードは眉をひそめて考え込むように腕組みをする。
ファーリセリア王国ではお互いの瞳の色の宝石をあしらった結婚指輪を身につける。王家と八候家が古式ゆかしい貴族の風習を守り続けたおかげで、現在では宝石の質に差はあれど階級問わずに花嫁側が指輪を用意するようになった。
ロードはラスターシアのことを想って魔石にしたのだろう。レイフォードの瞳の色に似た魔石は宝石と違ってそう簡単には出てこない。鮮やかな紫色となると、水と炎両方の力が同程度でかつ強い力が一つの魔石にこめられていなければならないから、恐ろしく高価だ。
小指の爪先の大きさでも、普通の財産家では身代揺るがすどころか破滅する金額になる。そんな石を何年も探し続ける執念。
日々おちゃらけた口調を崩さないあの元首が本気をだしたなら、腹をくくれといっているのも同じだ。
「お嬢様……精霊師……なんですけど」
「そうだね」
ぽつりと呟いたレイフォードに頷いて同意する。
「妻問婚ですよね、サロヴェス側からすると」
「うん。そうだけどなにか問題でも?」
「どうするんです? こっちはこれから冬ですが」
これから準備するのはかなり大変だとレイフォードの顔が言っていて、何故かわからずグレンフェルドは首をかしげた。
「まさかロード様からなにも聞いていないとか言いませんよね? 妻問婚に花は必ず必要なんですけど」
「すまない、聞いてないよ。花ってなんだい?」
「『問いの花』と『番いの花』……番いの花はともかく、問いの花はファーリセリアでは温室以外ではほぼ咲きません」
「はぁ⁉︎」
そんなこと聞いていないとグレンフェルドは驚き、声が若干裏返った。その花を知るレイフォードと一緒に、王都中の温室をしらみつぶしに探すのを手伝うしかない。御前騎士が二人並んで該当する花を探し歩く……なんて非現実的な現実か。
「番いってほうのは咲いているのか?」
「咲いてますね、冬以外は」
ホッとした顔をしたグレンフェルドをレイフォードは胡乱げな眼差しで見やる。
「うちの国では馬の餌ですが。精霊師の皆さんは鉢植えにして、寝室に置いてそれは大事にするそうですよ……」
レイフォードが採りに行くと言えば、使用人に全力で阻止されるだろうことはグレンフェルドでも想像できる。馬の餌になっている冬以外咲いている植物といえばあれしかない。
声も震えそうだが、手も震えそうである。
「……地味なやつだよな、あの白い……やつ」
「そうですね、あの白いやつです。大抵の馬にとって大好物のあの草です」
雑草。
雑草の採取。
レイフォード一人に行かせたら、突然言われた再婚の通達に衝撃を受け、錯乱していると思われても仕方がない。浮かれた元老院と父王を放っておいてしまったのは自分だし、責任を持ってこれにも同行しようとグレンフェルドは心に誓った。
無断転載ご遠慮ください
百日草
「絆」「遠い友を思う」「注意を怠るな」「いつまでも変わらない心」
普段は離れて暮らす二人の、絆と変わらない友情。
うっかりを重ねたせいでこうなった二人は注意を怠りました。