元首はゴリ押しする
そして同時刻。
紺碧の海に浮かぶ白亜の都と讃えられる、海洋国家サロヴェスの首都エル・ヴェラ。
都の中心にあるサロヴェスの象徴たる精霊師の塔の一室で、文字通り膝から崩れ落ちた旅装の精霊師がいた。
一度見たら忘れられないほど美しい少女の顔に、驚愕という言葉でしか言い表せない表情。
だろうなぁ……絶対そうなるよねぇ。
悪いことしたなぁとは思うものの、決定事項だし伝えておかなきゃとは思う。大国サロヴェスの国家元首にして水の首座精霊師、ロード・エル・セ・メルジュールは自分の執務机に鎮座する分厚い契約書(仮)を指差した。
出来立てほやほやの契約書の仮のもの。(仮)なのはいろいろ急いでしまったからで、数日後にはちゃんとした正式なものがファーリセリア王国から届く。
うちの国も相手の国も首脳部のやる気が本気を超えれば、これぐらいは二週間でできるんだとロードすら感動した。
「ラスターシアちゃん、結婚しよう! おじさんとじゃなくレイ君と」
「えーやだー。おじ様はもっと嫌だけど、レイのことそんな風に考えたことも思ったこともない」
どうしたらそうなるのか、とラスターシアはロードの胸ぐらを掴みあげたいのをぐっと堪える。というより、レイフォードのことを親友以上に考えないようにしていた。一度でもそんなことを考えたらドツボにはまるから。
本気で顔をしかめたラスターシアよりも、ロードのほうがより大きながっかり感を垂れ流す。レイフォードとの結婚をラスターシアが嫌がったからではなく、自分はもっと嫌と言われたからだ。
娘みたいなものとしか思っていないくせに、とラスターシアは呆れる。
「もっと嫌って、おじさんも絶望するからやめてよ。レイ君いいじゃんすっごい優良物件だよ⁉︎ ……ちょっと……だいぶ瑕疵つきだけど」
「おじ様……わたしほんの十五日前まで顔会わせてたけど? そのまえに精霊師が結婚っておかしいよ」
件の呼吸する万能男と。
自分に降りかかる火の粉を払おうとしているうちに、器用貧乏的スキルが積み上がってしまった、なかなかの巻き込まれ体質男だ。
そんな結婚、じゃなく恋愛のれの字を匂わせるような態度は二人とも全然取っていなかったし。お互い通常運転だったと思う。
ラスターシアにだって、レイフォードは望んでも手に入らないことぐらいわかりきっていた。だからこそあえて友達の立場を死守してきたのに。
そこに着地するまでにどれだけ大変だったか。
「お互いに秘密にしてたもん。びっくりさせちゃおうかなって!」
「そういうの迷惑!」
育ての親みたいな人だけれど、いま心の底から蹴り飛ばしたい気持ちでいっぱいだ。
「えーお似合いだよぅ?」
ロードは心の中で口を尖らせる。
レイ君、レイフォードも今頃国王陛下に呼び出されて聞かされている。時間も合わせて同時にやろう、と陛下と相談していたから、いくら用意周到な彼でも逃げられなかったはずだ。
で、多分ラスターシアと同じ顔してるはず。
おそらく、彼の方はラスターシアに対して恋愛感情はなかっただろうなぁと思う。生まれついた身分とそれに付随した責任と義務に、人生の全てを絡め取られた彼には、決して思いつきもしない感情だから。
ロードとレイフォードほど筋金入りではないが、ラスターシアもなかなかの理性の人だ。
ロードですら推測でしか測れない程度には、報われないほんのりとした恋心をラスターシアは隠せていたから。
二人とも気づけていないんだ……鈍すぎるのかあえて目を背けてたのか……
二人をよく知るロードですら、さすがにこれはないと嘆息する。
知り合って十年弱。なんも知らない人が見たら、なんて仲の良いご夫婦ね。と褒められそうなぐらい二人の雰囲気がしっくりしていることに。
二人の間に阿吽の呼吸があることすら気づいていないかもしれない。
一を知れば十を知るというほど聡明な二人だけに、何故そこだけぼやけまくったのか疑問しかないけれども、お互いが理性中心に動くから仕方がないのかなとも思う。
かといって情動的に二人が動いてしまったら、それはそれで国家間で問題が起きてしまう。レイフォードもラスターシアもお互いが互いの国で重責ある立場だから。
国家とお互いの家にまつわる問題はなんとか解決したし、ラスターシアの特殊な職業もあって少々複雑化した結婚契約書にはなってしまった。ただし、お勉強もできて頭も優秀な二人なら、分厚すぎるあれを一通り読めば理解してくれるはずだ。
実際つきまとう問題はラスターシアの外見ぐらい。
「わたしとレイじゃ寿命も外見も釣り合わないでしょ」
さすが、とロードは心の中で我が娘のように可愛がってきたラスターシアに拍手を送る。
そう、そこだけ。外見とは顔じゃなく見た目。
ロードは実年齢七十四歳。見た目は二十台後半。
ラスターシアの祖母グランディアは今年でめでたく百歳、ただし見た目は三十代前半。
ラスターシアは二十五歳になったばっかり。見た目は九年前から全く変わらない。
精霊師は長命で、精霊師としての力の強さが外見年齢に現れる。能力がいまいちならご長寿さんの年齢に毛が生えた程度しか生きられないけれど、元首かそれに匹敵する能力があれば二百年ぐらいは平気で生きる。
レイフォードは秋になれば二十六歳になる。国王と連絡を取り合った時に、実年齢よりかなり若く見られるようだとは言っていたけれども、精霊師ほどの外見と実年齢の乖離は見られない。
余談だが一般的外見の釣り合いなら多分に取れている。二人とも己に無頓着なだけで、二人並ぶとそこだけ異空間に迷い込んだかと錯覚するほどの破壊力がある。
お互いに美青年美少女という言葉を陳腐にできるほどの美麗ぶり。
レイフォードは長身だし騎士という職業を考えると体格は相当貧相に思えるけれど、一般人よりはよっぽど引き締まっている。なによりも月光を集めたような混じりのない淡い金色の髪はとても珍しい。
ラスターシアはありふれた黒髪で海のように鮮やかな青い瞳をもつが、あどけなさいっぱいの顔と真逆すぎる華奢ながらもメリハリのきいた身体つきをしている。普段は法衣で体の線を完全に潰してしまっているから、見ただけではわからないけれど。
「ラスターシアちゃん、そこはなんとか気合いで頑張ってよー」
「そんな気合い知らない!」
「おじさん不眠不休で頑張ったのに!」って実年齢にも外見年齢にも似合わないふくれっ面だ。大国の国家元首の威厳が行方不明になっている。
その前でラスターシアもむっつりしてそっぽを向いている。
「でもラスターシアちゃん、旅から帰って来たら妻問婚相手探すって、グランディア姐さんにすっごい啖呵切ってたじゃん」
「……言ったけど……妻問婚って精霊師同士でするものじゃないの?」
「まあ、普通はそうだね」
ロードは頷いて肯定する。
絶対ではないけれど、精霊師同士で妻問婚をするのが一般的だ。別に精霊師でなくてもいいのだが、精霊師の掟を遵守できる相手でないと妻問婚相手に選べない。
掟こそが、精霊師以外と妻問婚をするための高い壁となる。
「レイ、精霊師じゃないよ」
「そうだね。でもラスターシアちゃん的に、ぴんとくる相手が精霊師にいなかったから今までしなかったんでしょ?」
「そうだけど……」
痛いところを突かれてラスターシアは口を噤んで下を向く。
どうしても旅に行きたくて、祖母に許可をもらうときに出した条件を提示されると、ラスターシアも困る。
精霊師になってから、毎年ある「問いの週」に妻問婚を問われたことは何度もあったけれど、すべて断っていたのも事実。ラスターシアに直接問うてこないで、他人にお願いするヘタレもいた。そんな男はどんなに優秀でもこちらから願い下げだ。
相手にピンとこなかったというより、ラスターシアの知る人以上に精霊に愛された人が、自分に妻問婚を問うてくる精霊師達の中にいなかったからだ。
「言っとくけどレイ君ほど精霊に気に入られた一般人はいないからね? 精霊師でもあれぐらいのはそう出てこないよ」
「知ってる」
精霊は精霊師にしか見ることはできないが、程度の差はあれ誰しも精霊に気に入られ加護を受けている。
ただ、その人の性格なのか生き方なのかはわからない。ごくごく稀という言葉では言い表せないほど稀に、精霊師並み、またはそれ以上に精霊に愛された一般人がいるのだ。
レイフォードはまさにそれで、その愛され方は精霊王の石版に名前が載るセの称号を持つ第一位階と第二位階の精霊師並みという異常ぶり。
ちなみにラスターシアは第二位階に属する。第一位階は首座精霊師のための位階だから、レイフォードの異常ぶりもわかるというもの。
だからこそラスターシアの妻問婚を問うてくる相手を選ぶ基準がレイフォードだった。
驚くほど精霊に愛されているというだけでも精霊師には好ましく映るのに、ラスターシアにとってはそれ以外も好ましかったから、選ぶ基準がべらぼうに高すぎるのも自覚していた。
自覚していたけど、直すつもりもなかった。それもひとえに名門ルノーテル家の跡取り娘として、番の相手に妥協したくないという矜持からだ。
ラスターシアもレイフォードのような人間は滅多にいないだろうとは思っていたけれど、サロヴェスという特別精霊に愛された国を出て初めて思い知った。
一生会える気がしない。
「レイ君がサロヴェスの大地に産まれていたら、良い風の精霊師になれてたね。あれだけ愛されてると首座狙えるかも」
ロードはあえてラスターシアの唯一の弱点ともいえる箇所をえぐる。事実、ラスターシアは心に刺さった言葉を唇を噛みしめることで耐えようとしていた。
ルノーテル家は代々優れた風の精霊師を輩出する名門であり、当主グランディア・イラ・セ・ルノーテルは長きに渡り風の首座精霊師を務めている。首座の代替わりまでにおそらくあと五十年はくだるまい。
風の一族たるルノーテル家に突如産まれた、水のラスターシアは異端すぎた。いくら祖母グランディアの番だった祖父が、二代前の水の首座精霊師だったとはいえ、母ルーティエは風の精霊師。
ラスターシアが水の精霊師になるには、母以上の力を持った水属性の人物が父親でなくてはならない。出生届に書かれた父親の名前は精霊師のものではないから、レイフォードに匹敵するほど水の精霊に愛された一般人がこの世にどこかにいるのだ。
今どこで生きているのかも知らないけどさ……
既に土の中という可能性もあるけれど。
ラスターシアにはロード並みの才能があるし、次代の水の首座精霊師と目されている。精霊師の世界は完璧な実力社会なので後ろ指はさされないが、それでも風の家に生まれた水の娘だという事実は決して覆ることはない。
風の精霊師の中でラスターシア以上の力を持つ、番がいない男が一人もいない以上、次代も水の子供になると覚悟して番のいない風の精霊師と妻問婚をするか、風の精霊に溺愛されるレイフォードと結婚して一縷の望みをかけるかしかない。
ほんのり以上には育たなかった、恋心をもっていたことがあった相手だったとしても。
ラスターシアが喉から手が出るほど欲しかった風精霊の寵愛を得ている彼を、風の子供が欲しいからと種馬扱いするのは気がひける。
しまった相手は大貴族の当主だった!
自分の存在理由の半分以上が種馬であることは自覚してたからこそ、レイフォードが賢者生活をとても好んでいたことを思い出した。
渋い顔をしたまま沈黙を続けるラスターシアにロードはさらなる追い討ちをかけた。
「おじさんがんばって指輪作るから! 機嫌なおしてよ」
「なんで?」
「え、結婚指輪。レイ君の国って、結婚指輪は花嫁側が用意するって聞いたんだもん」
ブチ切れたラスターシアの怒りの平手がロードの左頬に炸裂したことは、ロードが腫れ上がった左頬をそのままに、嬉々として指輪を誂える手はずを整える姿をさらしたことで万人に知られることになった。
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