二件目
連続投稿ですが前の話とは無関係なので前の話を読んでいなくても問題ありません。
「こんにちは」
オフィスの扉の外から誰かの声が聞こえた。
七間町にあるこの葵総合事務所に人が訪れるのは稀なことだ。
「はあい」
豚足娘こと私は、返事をすると同時に事務所の扉を空けた。中国人から必殺の拳法を習っているので身のこなしは軽いのだ。ちなみに、今日も仕事の後はお師匠様に活殺拳法を教えてもらう約束になっている。
扉の外に立っていたのは、駿府城天守閣を再建する会の佐藤さんだった。
佐藤さんは、王子の親戚だ。私財を投げ打って、駿府城天守閣を再建するために運動を続けている。十年ほど前に一回再建の機運が盛り上がったが、天守閣の設計図がないために運動は立ち消えになってしまった経緯がある。ちょうど私の両親が火災で亡くなった頃の話だ。また、私をあだ名ではなく本名で呼んでくれる数少ない人物の一人でもある。
「可憐ちゃん、手伝って欲しい」
佐藤さんは、にこりと笑った。七十代とはとても思えない素敵な笑顔に、私は少し不思議に思った。
「えっとぉ……何をお手伝いすればよろしいのですか?」
「大変なことが起きた」
「大変なこと?」
「葵総合事務所でしか解決できないような仕事だよ」
私は、なんだかわくわくしてきた。葵総合事務所は街のトラブルシューターを自認しているが、これまでまともな仕事が来たためしがない。私は、こんなことで人生を費やしていいのかと、自問する日々が最近続いていたのだ。
「実は、道ならぬ恋の話だ」
私は思った。ああ、とうとう私立探偵事務所のような仕事に葵総合事務所は打って出ることになるのか。あの王子に、不倫の恋に走るマダムの尾行ができるのだろうか。
「そういうことなら、私立探偵事務所のほうが……。静岡私立探偵事務所では、県警のOBもいますけど……」
「違う違う」
佐藤さんが、白いインプラント歯を輝かせながら微笑む。
「違うって?」
「いや、実はね。鍋田市長のうちの猫が」
「また迷子の猫探しですか? まあ、うちの定番の仕事ですけど……」
「違うよ、人の話は最後まで聞きなさい。可憐ちゃん」
「う、……はい」
「猫の美奈子が、ダーウィンという名の犬に懸想した」
「…………は?」
「猫に犬をあきらめさせたいんだ」
私は、しばし絶句。
「きちんと、日当は出ると思うよ。市長のうちの猫だから、業績にもなるし」
「え、なるんですか? というより、そもそも猫が犬に惚れるなんてことがあるんですか?」
佐藤さんは、続けた。
「ダーウィンという名の犬を飼っているのは、静岡で有名な酔客の望月というどこかの会社の役員だ。 猫の美奈子は、毎夜望月家の軒先でラブコールだそうだ。まさに道ならぬ恋だよ。困ったもんだ」
「で、ダーウィンのほうはどうなんですか? 普通、犬は猫がきたら吠えますよね。追い払わないんですか?」
「それがねえ。ダーウィンという犬は、困ったように首をかしげるばかりだそうだよ。聞いた話だけどね。その辺の事情聴取から仕事はスタートするんじゃないのかい」
「わかりました」
佐藤さんが帰った後、私は王子に電話をかけた。王子はどうせまた、ドスノカフェで劇団員の美人ウェイトレスに見とれているのだろうけれど……。
「王子、お仕事です。」
すぐにスマホに出た王子は、意外にもドスノカフェにはいなかったらしい。
「王子、いまどこですか?」
「なんだ、豚足娘君か。あと5分で事務所に到着だ。紅茶を入れておいてくれ。今日はプリンスオブウェールズがいいな」
「はいはい」
今日は何やら機嫌が良いらしい。あだ名のあとに『君』がついている。
王子が、葵総合事務所に来るのは三日ぶりだ。一体、どこで何をして時間をつぶしているのだろうか。不思議な人間だと私は思う。普通人間は、何か人の役に立ちたいと思うと私は思うのだが、王子はそういう気持ちが皆無なように思う。多分、何かを成し遂げたいと思ったこともないと思う。
生まれがいいと、そうなるのだろうか? 分からない人間だ。
王子が、事務所にやってきた。
「豚足娘君、今日の紅茶は美味しくいれられたかな。君が、四元豚のところに嫁ぐ日も近いだろう。しっかりと、花豚修行をしてくれたまえ」
一回、いやもういっそのこと三回死ね! と可憐は思う。この思いやりのなさ。一体どう育てはこうなるのだろうか。
「実は……」
佐藤さんからの依頼を伝えると、王子の顔からいつもの小憎たらしい表情が消え去った。
「いつものように動物ネタです」
「いつものような仕事じゃないよ。豚足娘君」
「え、動物ものは王子得意でしょ」
王子は、私をじっと見ていた。
「……豚足娘君は、自分のご両親が何で死んだのか知ってる?」
「えっ?」
唐突な真面目な口調と話に驚き、私は王子を見つめた。
「実はね、君のご両親の死には、駿府城天守閣再建運動が重大な鍵を握っているんだよ」
「両親は火事で死んだと思いますけれど……」
火事で燃え盛る自宅を、私は本当は見ていない。けれど、炎に巻かれた両親の姿を見たような気がする。後から自分の記憶を作り変えて人は生きるというけれど、私の記憶もそうなっているのだろうか。
「豚足娘君が、人を恨んで生きないように、火事だと静岡の人は伝えただろうけれど、本当は君のご両親は殺されたんだよ」
私は驚愕した。
「だ、誰にですか?」
「天守閣の設計図を君の両親から奪おうとした朝廷側の忍びにだよ」
「朝廷側の忍び?」
王子の話では、この国のアンダーグラウンドには、今でも旧徳川幕府と皇室の対立があり、明治維新後は、皇室側が優位にあるという。静岡はその中で幕府の遺臣たちが暮らす、幕府側のテリトリーであり、皇室側は、それを監視しているのだという。
「徳川に天守閣再建はさせないというのは皇室側の方針だ。江戸城も皇居になっていることから分かるだろう。朝廷は、静岡の地に徳川の天守閣を再建させるわけにはいかないのだ。君のご両親は、徳川家のお庭番の末裔だった。そして、天守閣の設計図を死守していた。朝廷側はそれを奪うために、君のご両親を襲ったのさ」
「えっ、何の冗談ですか?」
「冗談なものか。本当の話だ。こんなことを急に言われても腑に落ちないだろうから、しばらく過去と対話しておいてくれ。僕らは、一刻も早く、鍋田市長の猫に話を聞かないと」
「ね、猫に話を聞く?」
薄々、王子は人格異常だとは思っていた。しかし、頭までおかしかったとは・・・。私は葵総合事務所に拾われたことを後悔した。
鍋田市長宅は、静岡市内の閑静な住宅地にある。お洒落なドアを開けると元アナウンサーの美人で性格の良さそうな奥さんが、二人を迎え入れてくれた。
ペルシャ猫の美奈子は、ソファーに寝そべっていた。少し値段の高そうな猫だということのほかには、何も異常なことはないようだった。
「席をはずしてください」
王子は、鍋田市長の奥さんに静かな声で言った。
「はい?」
不思議そうな顔で、奥さんはうなずいた。何故、奥さんが席を外す?奥さんに話を聞かないでどうするのだろうか。
王子は猫の美奈子に向かってつぶやいた。
「もし、僕の言っていることが当てはまったら欠伸をしてくれ」
猫の美奈子は、表情を変えない。当たり前だろと私は思う。
「今、設計図を天守閣を再建する会に渡したほうがいいと、君は思っているのか。時期が到来したと」
美奈子は欠伸をした。
「ダーウィンはそれに反対しているのか?」
美奈子は欠伸をした。
「君の説得も空しく?」
美奈子は欠伸をした。
「後は僕らに任せてくれ、今までありがとう」
王子は、美奈子の喉をなでた。美奈子は嫌がって王子の手からすり抜けた。どこにでもいる普通の猫にしか見えない。猫は人間の言葉を解すのだろうか。王子はやはり頭がおかしいのだろうか。私は、王子のことが益々分からなくなった。鍋田市長の家を出ると、王子は可憐に呟いた。
「一緒にダーウィンに会いに行くか」
「王子、犬にも話を聞くんですか?」
「当たり前だ。」
何の逡巡もなく答えた王子に、私は頭を振った。
「こりゃ駄目だ。」
「一応言っておくけど、美奈子はもうダーウィンのところには行かないよ。だからこの依頼は一軒落着だ」
「何故ですか?」
「この件は、僕が預かったからさ」
望月家は、市街地から少し離れた場所にあった。ここも高級住宅地の一角にある二階建ての瀟洒な住居だった。
「猫のことで来ました」
望月家の奥さんは、吉永小百合似の美人だった。酔客望月は面食いだということが分かる。奥さんは、ニコニコしていたが、猫の美奈子には困り果てている様子だった。
「奥さん、席を外してください」
王子は、また、奥さんに席を外させた。奥さんは、不思議そうな顔をしたが、快く王子と私をダーウィンのいる部屋に案内した。ダーウィンは、眠そうな顔をしていた。
「ダーウィン君、聞いてくれ」
王子は、真剣な表情で犬に語りかける。
しかし、ダーウィンは殆ど眠っている状態で、王子たちを無視している。
「君は、豚足娘君の飼い犬だったポチから、天守閣の設計図の隠し場所を聞いているはずだ。猫の美奈子も、天守閣の設計図を世に出しても大丈夫だと判断した。僕らを信用してくれないか」
ダーウィンは、全く無反応である。
「そうか、仕方ないな」
王子は、肩を落とした。その時、居間の窓の外に、カラスが一羽飛んできた。ダーウィンはカラスとしばらく目をかわしていたが、部屋から出て行ってしまった。王子たちが望月家の玄関から外に出ると、先ほどのカラスが玄関先のポールに止まっていた。
「ついていけばいいのか」
王子が言うと、カラスは頷いた。カラスは、少しずつ飛んでは王子一行を待っているかのように休んだ。カラスは、臨在寺の方角に向かって飛んでいった。
王子ら一行は臨在寺の門の前で立ち止まった。カラスは、お寺の境内に入っていく。寺の境内では、修行僧が庭を掃き清めていた。カラスは、本堂の屋根に止まった。王子らは、本堂の扉を開いて、
「誰かいませんか」
と大きな声で呼んだ。
すると、年配のお坊さんが、奥からあらわれた。
「何の用ですか?」
「実は、僕らは駿府城の天守閣の設計図を探しているのです」
王子が、そんなことを話していいのかというような内容のことを、お坊さんに話すので私は驚いた。
「君達は、静岡という地名の由来を知っているか?」
年配のお坊さんは住職らしい。そして唐突に話し始めた。
「賎機山の賎ですよね」
「……まあ、上がりなさい」
王子と私は、本堂の奥へと通された。
住職は話を続ける。
「この地名は明治政府の呪いなんですよ。日本の中央、府中や、駿馬の駿の字の駿河という活性化の地名を封じ込め、徳川が永久に浮かびかがないように墓碑銘としての地名が静かな岡という地名に現れているのですよ」
「それは、僕も知っています」
王子が相槌を打つ。
「天守閣の再建は、明治政府が恐れた徳川の復活の第一歩になりかねません。だから、天守閣の設計図を皇室側は隠したんですよね」
「そうです」
住職が厳しい顔をした。
「臨在寺は、徳川とも近しい存在。日本が武士の魂を失わないように、武士という存在がなくなった後も、禅という形で、その精神を受け継いでいるのです。というより、坐禅こそが武士道の本質なのかもしれません。」
「では、設計図を我々に渡してくれるのですね」
住職は悲しそうに首を振った。
「10年前に、皇室側が設計図を強奪しようと企てたため、徳川はそれを懸念して、今では設計図は、三箇所に分割されて隠されています」
王子は畳み掛ける。
「その3箇所とはどこなんですか?」
「一箇所目は、ここ臨在寺です」
「僕らに渡して下さい」
「だめです。臨在寺の結界から外に出したら、皇室側の陰陽師による攻撃が始まります。その攻撃に君達は耐えられるでしょうか。そして、陰陽師の手に設計図が一度渡れば、もう二度と駿府城の天守閣は再建できなくなっていまいます」
「今、静岡市は徳川400年で機運が高まっています。今が、時だと僕は考えています」
「ならばそれを証明して下さい」
「証明?」
王子がそう聞き返すと、住職は立ち上がりこの場を離れ、奥から巻物を持って出てきた。
「ここに設計図のダミーがあります。これを持って臨在寺の結界から出れば、途端に陰陽師の攻撃が始まるでしょう。その攻撃を撃退して設計図を奪われないようにして下さい。一月設計図を守れれば、本物をお渡しします」
「分かりました」
王子は、ニコリと笑った。住職は、手元にある巻物を王子に渡した。
「では、これを一月後に持ち帰って下さい」
「分かりました」
私は、陰陽師というのは何なのか知らないので、恐怖を感じた。臨在寺を出ると黒のベンツが山門の前に停車していて、私たちを目つきの鋭い男達が凝視していた。
「近くのコンビニまで走るよ」
「どうして?」
「コンビニまで走れれば僕に勝算がある」
私の格闘技の腕前は、かなり高い。しかし、陰陽師というのは、何を仕掛けてくるのだろうか。
「車に注意して」
王子が、私の手を引っ張った。
対向車線の乗用車が、私たちに向かって突然ハンドルを切って突っ込んできた。
「えっ?」
私と王子は、間一髪身をかわした。
「陰陽師は、人の意識をある程度操作できる」
「ええっ?」
「さて、そこのコンビニに入るよ」
王子は、コンビニに入ると、コピー機に直行し、巻物を広げて大量にコピーを取り始めた。
「え、王子何をしているんですか?」
私は、王子の行動の意味が分からず、尋ねた。
「こうやって、設計図を増やす。これを大勢に渡していく。僕らの設計図を守るためには、設計図が100部になってしまえばいい。事務所に帰ったらインターネットで拡散してしまう。そうすればどんなに朝廷側が手を回しても設計図が完全に奪われることはなくなる」
「王子、冴えてますね」
「十年かけてこの方法を練り上げた。隠すよりも万人に公開してしまうのが、今の時代一番安全なんだよ」
王子達は、ポストに設計図を投函しながら、七間町まで走った。七間町の事務所に戻ると、スキャナーで設計図をスキャンし、王子のFacebookでお友達に拡散してしまった。(ちなみにお友達の人数はなんと一万人を軽く超えていた。)
数日後、王子と私は、臨在寺に本物の地図をもらいに出かけた。
「住職、御願いします。同じ方法で設計図は、拡散します」
住職は微笑んだ。
「この寺には皇室側の盗聴器が仕掛けられています。あなたたちに渡した先日の設計図は実は本物です。敵を欺かんとすれば味方からですよ」
王子と私は驚いて住職を見つめた。
すると住職は可憐のほうに視線を向けてきた。
「可憐さん、あなたはなぜ、自分に毎日中華まんを毎日20個食べる習慣があるのか、分かりますか?」
「中華まんが大好物だからです」
「9の1、つまり女性の忍者というのは、異性に色仕掛けをしなければならないことはご存知ですか?」
「何かで読んだことがあります」
「ご両親は、あなたが9の1にスカウトされないように、物心ついたころから、あなたにお腹一杯食べさせたのですよ」
「……えっ?」
住職の話に驚いた私はその後、事務所に帰る途中に王子とコンビニで中華まんを食べた。住職の話を聞いたからか手に持つ肉まんに感慨を覚える。
「こういう下々のものの食生活も知っておく必要があるからな」
「とかいって、実は王子も中華まんが好きなんでしょう」
「どうだかな。さ、僕はドスノカフェで美人鑑賞を楽しもう。豚足娘君を見た後は、美しいものを見ないと、僕の美意識が拒絶反応を起こす」
「はいはい」
二人は七間町に向かって歩き出した。七間町は、今日もお客は疎らだが、天守閣が再建されて、静岡が観光地になれば、人通りも増えるかもしれない。私は、そんなことを思いながら、街を歩いていく。葵総合事務所には、明日も奇妙な依頼が舞い込むことであろう。