一件目
新しく始めました。よろしくお願いします。
不定期投稿です。ご了承ください。
私、杉山可憐は、良く言えばぽっちゃり系の、俗にいうデブな女子である。お目目はパッチリしており色白のため「太っていなければ、可愛いのに」なんて周りからいわれたこともある。特に太いのは足。豚足娘なんて、私のことを呼ぶ奴もいる。大根足かなあと自覚はしているが、先祖代々ぽっちゃりしているから、多分遺伝だろうと思って半ば諦めている。
私の両親は、私が高校生のとき、相次いでこの世を去った。一人娘だった私は、天涯孤独の身の上になり、飼っていた犬だけが身内になった。両親の保険金があったので、身寄りのない人の慰めになるペットを世話する仕事をしようとして、動物トリマーの専門学校に入った。しかし、そこであろうことか犬猫アレルギーになってしまい、飼い犬のポチとも離れ離れになり、何をしていいのか分からず途方にくれていた。それから再びポチと一緒に暮らすべくアレルギー治療のため中国鍼に通うようになった。そんな頃に七間町で喧嘩の仲裁をしているところを王子に目撃され、事務所スタッフとしてスカウトされたのだ。まだ犬猫アレルギーは治らず、ポチとも離れ離れに暮らしている。
そんな私は今、北街道を歩いている。この北街道は昔人通りが多かったというが、今は閑散としている。電気の消えたショーウインドウに自分の姿が映る。なんとなく自分のスタイルを確認した。否、してしまった。……うん、確かに足が太い。
「中華まん下さい」
北街道沿いのコンビニに寄り、レジでバイトのお兄さんにいつものように注文すると、お兄さんは私をにらみつけてこう告げた。
「……あんた、出入り禁止」
「はあ?」
あまりの言葉に思わず声を上げてしまった。
コンビニに出入り禁止って何なのだろうか。
「私、何かお兄さんに悪いことしました?」
バイトのお兄さんが、ため息をつく。
「自覚もないのか」
「味覚ならありますけれど」
お兄さんはケッと言った。
「この食欲大魔神」
この失礼な人と言い合いをしていると、奥から年配の女性が現れた。彼女は、私がここを利用し始めたときには、すでにここで働いていた。彼女曰く、このコンビニでもうかれこれ9年働いているのだそうだ。
「安藤ちゃん、何てことを言うの。ごめんなさいね。」
バイトのお兄ちゃんは安藤というらしい。ネームプレートには『安藤 優』とある。
「それで、中華まん、幾つ?」
レジでベテランの女性が、接客のプロの笑顔を浮かべた。
やっとほかほかの中華まんにありつける。
「肉まん5個とあんまん5個とカレーまん5個とピザまん5個下さい」
「……お前、食いすぎだろ。」
安藤さんには言われたくない台詞だ。
「私がお腹いっぱい食べて、あなたに何か迷惑かけましたか?」
私はムッとして言い返した。
すると安藤さんは、怒りで震え始めた。絶対この人は、接客には向いていない。だいたい、大の男がこんな昼間に、コンビニのレジのバイトっていうのが、この人の社会性のなさを示している。
「あんた、中華まんを蒸すのに何分かかるか知ってるか? 新しく中華まんを蒸さなくてはならないこっちの身にもなってくれ。このコンビニはあんたに食わすために昼時に合わせて中華まんを蒸しているような状態なんだよ、この物の怪め。」
この人は困った人だ。だいたい、私が一人で20個中華まんを食べると何故思ったのだろうか。20人で食べるかもしれないではないか。
「一人1個ずつ20人で食べているんです。」
「嘘つけ。」
安藤さんの目が鋭く光る。その昔はやった北斗の拳の見切りみたいだ。
「オレには分かる。お前は全部一人で食べている。というより、さっき自分で『私がお腹いっぱい食べて』って言っていたじゃないか。」
…………この妙に鋭いお兄さんはもう放置。別に言い返すことができなくなったわけではない。ないといったらない。
そんなやり取りをしている間にベテランの女性が中華まんを準備してくれた。相変わらず鋭い目つきでこちらを見ている安藤さんを無視して彼女に代金を支払う。コンビニを出て中華まんを抱えながら、私は腕時計を見た。やばい、このまま歩いて向かうと確実に遅刻する。肉まんの入った袋を抱え直し、急いで葵総合事務所に向かう。
葵総合事務所は、七間町商店街の裏側にある。築40年の鉄筋オフィスビルの三階にあるしょぼくれた事務所だ。ここの所長は、可憐を始めとする多くの女性たちが「王子」と呼んでいる身長180センチ、容姿端麗なアラサーの美青年である。
「おう、じ。遅く、なりました。」
王子は、アルマーニの白いジャケットから赤いハンカチを少し引っ張り出しながら、息の荒い私を一瞥した。
「やっと御出勤か、豚足娘殿?」
「その言い方、腹立つのでやめてください、あと豚足娘っていう呼び方も。」
息を整えながら王子を睨みつける。
「少し皮肉っただけじゃないか。それに、豚を豚と呼んで何が悪い」
「……ほんと、王子には人の痛みってものが分からないんですね。だから周りから『王子』呼ばわりされるんです。」
王子が極上の笑顔を浮かべた。
「下々のことは、僕には分からないね。豚の言葉はなおさら理解できない」
一回死ね! と私は思う。私だけでなく皆思うだろう。
王子は、静岡では古いお家柄の次男坊で、実家は大きな不動産会社を経営している。ミッション系の高校から、カトリック推薦で有名私立大学に進み、大手デベロッパーで修行をして、静岡に戻ってきて3年になる。家業は兄が継ぎ、弟の王子は静岡で修行中の身の上だ。
普通はそのような『お育ち』のいい方は、マナーも常識も身につけているはずだが、王子には常識がない。常識が身につくまで家業には就かせられないから、街中で修行させられているのだろうと推測できる。
「それより、今日の仕事、分かっているな」
葵総合事務所は、街のトラブルシューター役を果たしている。
本当は、王子が何か資格試験に合格して、何かの専門事務所にするはずだったらしいのだが、王子は全く勉強というものをしなかったみたいだ。結局何の資格も取れず、何の事務所だか良く分からない有様になっている。公園の清掃や募金活動、猫や犬の迷子なども、私は担当させられたことがある。
「おまちバルですよね?」
「そう。本日のおまちバルのトラブルシューティング、今日は深夜まで働くぞ。勤労にいそしむのも下々の暮らしを知るよい経験だ。」
ウェッジウッドのティーカップを片手に、王子は微笑んだ。
おまちバルとは、商店街の飲食店が共同で行うイベントだ。一軒700円のチケットの五枚つづりのバルチケットを購入し、一杯のアルコール類とおつまみを5軒楽しむというものだ。呉服町や七間町などから200軒ほどの飲食店が参加している。
一夜限りのイベントで、数百人の酔客が商店街を回遊する。商店街活性化のために、商店街の刃物屋さんの田沼社長が始めたイベントで、毎回参加店が増えている。来客数が減少し続けている商店街活性化の、カンフル剤として期待されているのだ。
「僕はランチデートにでかけるから、留守番頼んだぞ。豚足娘君。」
王子は、バーバリーのトレンチコートを着ると、そそくさと事務所を後にした。王子がランチに通うのは七間町にある喫茶店のようなアートスペースのドスノカフェだ。カフェの経営者が演劇狂で、ウェイトレスは劇団員の美人揃いで有名な店なのだ。王子は、そこで働いている通称伊藤蘭さんという女性に熱をあげている。しかし、全く相手にされていないらしい。
留守番を頼まれ、ひとり事務所に残された私は、中華まんを食べ終わると、オフィスの隅で、太極拳の型の練習を始めた。私のお師匠さまは、陸先生という名前の中国人で、武術の達人だ。カンフーと空手といろんな柔術を組み合わせて活殺自在な武術を生み出し、普段は中国鍼で生計を立てている。お師匠さまに弟子入りして、はや3年。今は敵を無力化する秘孔について、教わっているところだ。
王子がなかなか戻ってこないので、私は推理小説を読み始めた。少し前に、はやっていた新本格というジャンルが大好きで、メフィストという雑誌のバックナンバーを古本屋で仕入れては読んでいる。
ふと事務所の時計を見ると時計は6時過ぎを指していた。私はコンビニに食糧を仕入れにでかけようとしていた。カップ麺の本気盛シリーズが売り出されているかもしれない。伊勢丹前のサークスKに行かねば。そんなことを考えていると、事務所のドアをノックする音がした。
「すみません、池安さんいる?」
池安というのは、王子の名字だ。フルネームでは池安一輝という。私はその声の主に覚えがあったためドアを開けた。
「なんだ、豚足娘君しかいないのか」
入ってきたのは、全身黒尽くめで黒革のジャケットを来たおっさん。
高林さんという、王子のお目付け役だ。時々、王子が本当に働いているのか監視に来る。王子はそのことに気づいていない。高林さんのことを裏事情に詳しい情報屋だと信じている。その辺も王子が「王子」と称される所以なのだが、高林さんもそう認識されて満更ではないようだ。
「お、タカさんじゃない」
王子が事務所に戻ってきた。入船寿司のチラシ寿司を抱えている。
「チラシ寿司をいただいちゃってね。安心して、豚足娘の分もあるよ。僕は動物愛護の精神の持ち主だから」
余計な一言がなければ、親切な人だって印象を与えられるのに。残念な奴だと私は思う。
おもむろに高林さんが口を開く。
「池安さん、豚足娘くんも聞いてくれ。トラブルシューティング出番だ」
高林さん、豚足娘と王子の一行は、トラブルが発生しているワインバー暁に急いだ。
「こんな大きい虫の死骸がサラダに入っていた」
大柄でコットン生地のシャツを来た中年男性が、管を巻いていた。
バイトの大学生らしいお兄さんが、困ったように立ち尽くしていた。
「おい、そこどけ!」
王子ら一行を店の中に入れるため、マスターが大学生に乱暴に声がけした。大学生バイト君は、気まずそうに壁に張り付いた。手狭な店なのだ。おまちバルもスタートしたばかり。こんな噂がツイッターやFacebookなどで出回れば、ワインバーの評判だけではなく売り上げにも悪影響がでること必至だ。
「あの男は、有名な酔客ですよ。そんな悪い奴じゃないはずだが……」
事情通の高林さんが、王子に呟いた。
「どんな虫ですか?」
王子が酔客の皿を確認する。
「コオロギですね。街中には生息しないし、サラダに混入することもありえない。お客さん、自分で入れたでしょう」
「おいおい、店の不祥事を俺のせいにするのか?」
王子と、酔客が睨みあった。
「望月さん。分かりました。謝りますよ」
マスターが、深々と頭を下げる。客商売は謝ったほうが勝ちという場面もある。
「どうしますか。出るところに出ますか」
しかし、王子は、望月と呼ばれている酔客に畳み掛ける。
「お宅にコオロギを餌にするペットがいないか確認させて頂いてもいいんですよ?」
酔客が呟く。
「一体俺が何をしたというんだ。挙句の果てに、常連のオレに向かって、つまみだせなんてバイトに命令しやがって!」
それを聞いてマスターはため息をついた。
「何が起きたかに部分的に合点がいきました」
「どこの部分にですか?」
王子が急かす
「『つまみだせとバイトに命令した』というところです。うちのバイトの察しが悪くて、申し訳ありません。つまみだせって言ったのは、望月さんを店の外に摘み出せではなく、おつまみをお出ししろということだったのですよ」
「何?」
望月さんは絶句した。
その後、望月さんが落ち着きを取り戻したことで彼とマスターは和解し、トラブルは無事に収まった。
結局、サラダに混入していたコオロギは、望月さんがペットにあげるために用意していたものだった。(ちなみに彼はトカゲと犬を飼っているらしい)そしてそれが何かの拍子に彼の服に引っかかってしまい、偶然サラダの上に落下したようだ。また、マスターがバイトに指示を出したのと、望月さんがサラダの上のコオロギに気づいたのがほぼ同時だったことが今回のトラブルを悪化させた。
望月さんが、すまなそうにしながらもどこかすっきりしたような表情で通り過ぎる。
これにて一件落着。途中で高林さんと別れた豚足娘こと可憐と王子こと池安の二人は足取りも軽く、七間町を今晩も行く。
読んでくださり、ありがとうございます。